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(回答先: 「署長に会わせろ」と抗議 実父、虐待の捜査けん制か(共同通信)[1月28日7時38分更新] 投稿者 まさちゃん 日時 2004 年 1 月 28 日 11:41:08)
岸和田・中3虐待、逃走した二男「あそこは地獄の館」
「あそこは地獄の館だった」。大阪府岸和田市で中学3年の長男(15)が食事を与えられないなどの虐待を受けた事件で、父親の烏野康信容疑者(40)宅を逃げ出した二男(14)が、府警捜査1課と岸和田署の事情聴取に、そう証言した。
烏野容疑者と内縁の妻、川口奈津代容疑者(38)は容疑を認め始めたが、なぜ、長男を餓死寸前まで追い込んだのか、1年半に及ぶ虐待行為には不明な点が多い。府警は、2人の生い立ちや出会いにさかのぼり、動機や背景の解明を進めている。
「懐かなかった」(川口容疑者)。「生意気なので腹が立った」(烏野容疑者)。2人から、謝罪や後悔の言葉はない。
川口容疑者は神戸市生まれ。私立女子高校時代は「明るくて楽しい子」と評判だった。ガソリンスタンドで働き、20歳過ぎに結婚。男児をもうけたが、離婚した。家の中は即席ラーメンのカップが転がるなど散らかり放題だったという。
烏野容疑者は岸和田市出身。私立高校を卒業、警備員など職を転々とし、トラック運転手になった。1995年に離婚後、長男と、1つ違いの二男を近くの実家に預けた。
3年後、川口容疑者親子と同居を始める。連れ子の男児は長男と同い年。両親には「阪神大震災で被災し、苦労した人」と紹介した。病気で入院した烏野容疑者の母親に嫌な顔一つせず付き添う川口容疑者。父親は烏野容疑者に「結婚しても、ええぞ」と言った。
「人の子の面倒ばかり見て」。そんなうわさも流れた。同居から3年後、小学校を卒業した長男を引き取った。烏野容疑者は府警の調べに「中学は給食がない。病気がちの両親に弁当を作らせるわけにはいかなかった」と話した。
小学校の6年間を二男と一緒に祖父母宅で過ごした長男。5―6年の2年間はピアノを習った。学習塾にも通い、成績はクラスの上位。卒業式の前、仲のいい同級生の女の子に、うれしそうにこう話していた。「今度、新しいお母さんと弟ができるねん」
中学ではパソコンクラブと美術部に入った。学年代表で、「社会科の教師になりたい」と作文に書いた。
幸せな日々は2年に進級した翌年4月、小学校を卒業した二男が引き取られたのを機に、暗転する。
「なんで、言うことをきかないんや」。川口容疑者のどなり声が近所にも聞こえた。兄弟への虐待が始まったのは、5人暮らしになって約2か月後。1週間の食事抜き、釣りざおでの暴行……。その年の夏から秋にかけ、兄弟が相次いで不登校になった。
昨年7月、川口容疑者が中学校を訪れた。3年生の連れ子の進路相談。子供の将来を心配する母親の顔だった。長男の不登校を気にかけていた校長が、そのことに触れたとたん、顔色が変わった。「今日は、この子のために来ている」。それ以来、中学へは2度と姿を見せなかった。
烏野容疑者は川口容疑者の虐待を知っていたが、止めなかった。「口答えする」などと自分も、兄弟を殴った。2人が幼いころから、かっとなるとたたいていた烏野容疑者だが、殴る時はいつも素手だった。
逮捕前、近所のコンビニエンスストアで弁当を3つ買った。二男が逃げ出し、4人暮らし。知っていた店員が「1つ足りないのでは」と尋ねると、「余計なことを聞くな」とどなり散らした。そのころ、長男は閉じ込められた6畳間で、「骨と皮だけ」(捜査員)までにやせ細っていた。
病院の集中治療室。保護された長男を今月初め、実母が初めて見舞った。何度も名前を呼び、ぐっと手を握りしめると、「あー」と長男が声を出した。人工呼吸器は外されたが、依然、こん睡状態が続いている。
(読売新聞)[1月28日15時15分更新]