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(回答先: 小6女児殺害とネットの危うさ。【ひとつの可能性、あまりにも無邪気すぎる無知。】 投稿者 クエスチョン 日時 2004 年 6 月 06 日 09:25:16)
ネット掲示板と言葉、そして想像力の迷走と、表現の暴走。
対面の会話には体温がある。言葉以外にも、表情や身振りによる身体表現、言葉の抑揚である。「言葉」を芯とするなら、それを幾重にも包みこんで言わんとすることを補填する属性情報である。また、歴史的に見てバーチャル会話の初めと言ってもよい電話での会話は表情や身振りはない。しかし、肉声なので抑揚によって多くの情報を伝えることが出来る。
しかし、書いただけの言葉にはそれらの補填・属性情報がない。「言葉」として書かれ投げさされた後には、読み手の読解力や想像力に裸状態で任せることになる。曲解も理解も相手次第ということだ。
同じ書いたものでも、手紙なら直ぐに出すと言う事はない、少なくとも一晩寝かせたり、仮に直ぐ出すとしても郵便ポストまで行くまでのいくらかなりの時間的余裕がある。推敲することも出来るし、もし推敲ができなくても出すべきか出さざるべきか冷静に振り返るだけの一瞬の時間的な余裕がいくらかはあるはずである。しかし、ネットでは「送信ボタン」を押下すれば相手に送られるのは瞬時だ。瞬時と言うことでは対面した会話と同じだが、最初に述べたように対面会話のもつ「体温」がないむき出しの言葉なので、それだけ危うさを持つことになる。
もし、意思疎通のベクトルが曲解の迷路に向かうなら、表現の暴走が始まることがある。片方が冷静に抑制しても、暴走状態のものは己の暴走を糊塗するためにさらに暴走したりする場合がある。
まして、双方とも暴走したりしたら、、、。ネット掲示板での言葉による表現の限界と危うさについてもっと語られるべきと思う。
※掲示板を見ていると、とんでもない誹謗・中傷を大の大人がやっているのが散見される。大人でも然りだから、まして子供はということになる。