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(回答先: 保存用:創価学会の「仏法上の夫婦関係」 投稿者 ロシアチョコレート 日時 2004 年 4 月 24 日 13:31:42)
『新潮45』1994年5月号のP124から貼り付け
(貼り付け開始)
妻をめとらば創価学会の悲惨 田辺浩三
妻をめとらば才たけて、みめ美わしく……と願うより、もっと大切なことがある。「池田大作先生が何より大事」という妻をめとった時から、絶望的で悲惨な闘いが始まった。
「あんたなんか父親やない。子供に御受戒も受けさせんようなんは、本当の父親とは言えん」いきなり茶碗が飛んできて床にあたり、砕けちった。
妻の口からはありとあらゆる罵詈雑言が飛び出した。「天魔」――という言葉の投げつけられたような気もする。日蓮正宗の教えでは、最も悪い災いを引き起こす第六天魔王のことだ。
「創価学会の宗教を信じん人間に、学会員の苦しみはわからん。母親だけでも子は育つ」
それからしばらくして、妻は生後三カ月の赤ん坊を連れて出ていった。
「もう二度と帰らない。離婚します」
という書き置きを残して……
その言葉通り、妻は二度と家にもどらなかった。結婚してまだ一年にもならないころのことだ。しかし、妻との本当の“闘い”が始まったのは、まさにそれからだった。三年四カ月以上に及ぶ、子供の親権争い。たった一人の娘を創価学会に取られるかどうか。泥沼のような“闘い”が、今なお続いている。
思えば、今日の事態をまったく予想もしていなかったわけではない。結婚して子供が生まれたら、その子供を入信させるかどうか、いつかは夫婦の間で問題になるだろうと薄々、思ってはいた。
が、同時に、それはまだまだ先のことだとも考えていた。私は子供が学会の信者になることに必ずしも反対だったわけではない。それは子供が成長して自分の意志を持つようになった時に、本人の判断で決めればいいことだ。そう思っていた。
要するに、私は何も知らなかったのだ。熱心な学会員の女性をみとることが、いかに大変なことであるか、創価学会という組織がいかに恐ろしいものであるかということを……。
朝美――とここで呼ぶことにするが、妻と初めて会ったのは、八九年十一月。四年半ほど前のことになる。
今もそうだが、そのころ私は高知県内の小さな町で、母親が経営するレコード店の店員をする傍ら、趣味で「シネマクラブ」の代表をしていた。
映画を見る機会の少ない郡部で、かくれた名画を百本以上自主上映したり、音楽のコンサートを開く。十二年間に及ぶ、そんな活動が地域おこしに貢献したとして、昨年十二月には、「国民休暇県・推進県民会議」(会長・橋本大二郎知事)から表彰されてもいる。
朝美と知り合うきっかけも、私が企画したピアノコンサートだった。ルービンシュタインの最後の弟子である高名なスペイン人ビアニスト、ウンベルト・クワグリアタさんが、この田舎町の公立高校で演奏会を開いてくれることになった。誰か通訳はいないか、とさがしていたところ、「シネマクラブ」の女の子が言った。
「東京から戻(もん)てきて、英語の塾をしよる女性がおるよ。ドイツ語がペラペラえ、スペイン語もできるかもしれん」
それが朝美だった。背は百六十五センチぐらいあり、非常に勝気なインテリ女性だなという印象を受けた。
話をしてみると、お互いの意見が一致するところが多い。彼女はクラシック音楽や映画が好きで、「シネマクラブ」にも入りたいという。また、この町は十年ほど前に原発問題が持ち上がり、私は反対運動の先頭に立ったことがあったが、彼女も自然破壊には反対するという考え方の人間ですと言った。
私はそんな彼女が気に入ったし、彼女の方も、世界的に有名なピアニストを招く段取りをほとんど私がしたと聞いて、その行動力とパワーに感心してくれたらしい。地方で文化的な活動をしている私を認め、好意を持ってくれたのだと思う。
二人はデートを繰り返した。朝美が三十三歳、私が三十四歳という年齢もあり、年末には結婚を決意していた。
もちろん、私は朝美が創価学会の熱心な信者であることを知っていた。彼女もそのことを隠そうとはしなかったし、むしろ自慢さえしていた。
朝美の一家はこの町に住んでおり、朝美は千葉の大学を卒業後、三十歳のころまで東京の旅行会社などでOLをしていた。
創価学会に入信したのは、大学生のころ。まず母親が学会に入って信心すると、偶然かどうが、難病を患っていた弟がすっかり元気になったのだという。それまで、いろんな宗教をやってみたが、
「ああ、これこそ本物の宗教や」
と一家全員が信じ、朝美も父親も弟も学会員になった。
朝美は頑張り屋というか、のめりこむ性格で、何ごとも人一倍努力する。勤行などは一日十時間もしていたと話していた。学会の中でも見込まれていたのだろうと思う。町に戻ってきた時は、この地区の国際部女子部長という肩書がついていた。
学会の男子部の信者と、何回かお見合いをしたという。しかし、一日十時間も勤行をする彼女にすれば、地元の信者は物足らなく感じたのだろう。よく言っていた。
「東京の信心はこんなもんやない」
そのころの私は、創価学会と聞いても何のアレルギーも起きなかった。というより、何の関心も知識もなかった。
無神論者である私が漠然と考えていたのは、宗教とは慈悲深さとか寛容性、そういうものを身につける修行の場だろうという程度にすぎなかったのだ。
むしろ、朝美が信心に熱心なのは良いことだと思っていた。私は趣味で映画や音楽の活動に熱を入れている。朝美も宗教に熱を入れればいい。宗教も趣味のひとつであり、彼女は池田大作のファンクラブに入っているぐらいにしか思っていなかったのである。
バカバカしい個人崇拝
九〇年三月に行われた私たちの結婚式は、盛大なものだった。公明党の国会議員や学会の幹部も当然のように出席したが、私の音楽や映画関係の友人たちも大勢来てくれた。
ジャズピアニスト、声楽家、ニューミュージックの歌手たち……それぞれがコンサートを開いたり、お祝いの歌を歌ったり。四百人もの人が集まった異色の結婚式は、地元の新聞にも紹介された。
私たちは小さな家を借りた。朝美は従来どおり英語塾も信心もするし、私も「シネマクラブ」の活動を続ける。お互いのやりたいことに干渉しないという約束で新婚生活はスタートした。
とはいえ、私自身、結婚前から勤行の真似ごとぐらいはしていた。
「うちのやりいう宗教がどんなもんか、いっぺん勤行だけでも見にきてや」
創価学会にまったく抵抗を感じていなかった私は、彼女が熱中していることを少しぐらいは体験してみようと思った。彼女は「シネマクラブ」を手伝い、映画のビデオも一緒に見てくれる。これでおあいこだという気持ちもあった。
「お題目上げたら、必ず日蓮聖人さんが願いごとをかなえてくれる。あんたの願いごとは何ぞね」
と言うので、海洋研究所や温水プールの建設反対だと答えた。笹川良一氏から七、八億円ものお金をもらって、原発拒否後の町づくりをする計画がある。それは、まったくバカげたことだと思っていた。
結婚の直前に、二人で学会や公明党の人にあいさつに行ったことがある。私は、
「ジャズ・ミュージシャンのウェイン・ショーターや、ハービー・ハンコックは学会員やき、今度、高知に呼んでコンサートをやりましょうや」
と言って学会の幹部を驚かせ、公明党の町議には文化ホールを作ってほしいと頼んだ。その町議の返事を聞いて、私の顔色が変わった。
「町には予算もないし、文化ホールは、よう作らん。そのかわりワシや公明党の力でええもんができる。笹川さんの援助で海洋研究所や温水プールも作れるがよ」
朝美も驚いたようだった。それが、この宗教団体に初めて抱いたかすかな疑問だった。
新婚生活が始まると、学会の幹部や公明党の人たちがやたらと家に訪れるようになった。学会の熱心な婦人は、お釈迦様や日蓮聖人のありがたさ、池田大作“先生”のすばらしさを熱意を込めて語る。これが一種の折伏なのかもしれない。
公明党の県議も来て、こんなことを尋ねる。
「君は政治に詳しいそうじゃね。君の話では原発の予定地にゴルフ場を作る話があるそうだが、もっと詳しい話を聞きたい」
そのような話の最後には、
「そうそう、あんたもそろそろ学会に入るがを考えちょってくれんかえ」
公明党の会合にもしつこく誘われた。政党の会合だというのに、池田大作がスピーチをしているビデオが流れ、
「みなさんの力で池田大作先生をお守りいたしましょう」
「池田先生の理想を実現するために立候補しますからよろしく」
といった挨拶が続く。これも一種の個人崇拝か。よくまあ、こんなバカバカしいことをと内心では思っていた。
学会の幹部が信者ではない人と結婚した場合、その伴侶を入会させることは、たぶん義務のようなものなのだろう。朝美も私に入信をすすめた。
「池田先生は日蓮聖人の生まれ変わりぞね。信心もすごいし、立派な人やき」
そのたびに私はこう答える。
「そりゃ、ええこっちゃね。あんたも池田さん以上に入信して、池田さんをも指導できる次の名誉会長になりや」
そのころ、二人の間で時々、口論になったのは、お金のことだった。私が毎朝、喫茶店でコーヒーを飲むことに朝美は文句を言った。家でインスタントを飲めば、安くすむではないかと。そして、
「あんた、やり繰り大変やき、来月から朝日新聞を、とるのやめてや」
そのくせ、『聖教新聞』は二部もとっていた。一部は読むため、もう一部はスクラップするためだと言って。
あまり金、金、金とうるさいので、
「おれは酒も飲まんし、タバコも吸わん。いったい何に使いゆうがな。そんなに言うんやったら、家計簿をつけてみい」
と言ったことがある。朝美は怒りだした。今思えば家計簿などつけられるはずがない。信者は財務、財務で寄付を求められるし、池田大作の本も買わなければならない。家計簿をつけたら、学会のために支出している金額を知られてしまう。
学会に貢ぐためかどうか、朝美は金のことにうるさかった。けれど、それをのぞけば、私は朝美の信心にはずいぶん寛大だったと思う。
配達された『聖教新聞』を見て、学会婦人部の会合が、わが家で行われたのを初めて知ったこともある。その時も私は、こう言っただけだった。
「今度やる時は事前に言うちょってくれ」
夏ごろになると、朝美は以前にもましてイライラする態度を見せるようになった。いくら学会の素晴らしさを説いても、
「どの宗教がええかは自分で調べて決める。あんたがやりいう宗教に感動を覚えたら、こっちから入れてくれと言うよ」
いっこうに入信しようとしない私にヒステリーを起こすこともあった。しかし、そのころ朝美は身ごもっていた。妊婦ゆえのヒステリーだろうと思って、極力さからわずにいた。
実際、私たち夫婦はそれなりにうまくいっていたと思う。
八月に映画の今井正監督夫妻をこの町に招いた時、朝美は一生懸命に夫妻をもてなしてくれた。また、同じころ、道ばたに捨てられていた白い子猫を私が抱いて帰ったことがある。犬に噛まれたその子猫を助けようと、朝美はお湯で汚れを拭い、必死に手当てをした。翌日、その甲斐もなく死んだ子猫のために、二人でお墓を掘って埋めた。朝美はそんな心やさしい女性だったのだ。
それからわずか二ヵ月後、二人の間に決定的なトラブルが起こるとは、夢にも思っていなかった。
学会の力をもってすれば
出産準備のために実家に帰っていた朝美は、九月十五日に女の子を産んだ。
その喜びもつかの間、一ヵ月後に朝美からかかってきた電話は寝耳に水、まさにショッキングなものだった。
「明日、末寺を通じてこの子に御受戒を受けさせます」
私は御受戒の意味さえよく知らなかった以前は妻から「お宮まいりみたいなもの」と聞かされていた。
のちに学会の元信者から聞いたところによれば、御受戒とは創価学会に入会させる儀式のひとつで、日蓮聖人と血脈を通じることによって、その子供は御加護を受け、どんな不幸や困難から救われることになるのだという。
電話の向こうで朝美はなおも言った。
「この娘は、私が一生懸命、お題目を上げいう時に日蓮聖人から授かった子供です。すぐ御受戒を受けて日蓮正宗の信徒にし、学会に入れます。池田先生の弟子にして、将来、創価高校、創価大学に進ませ、ドイツの支部長にさせます。この子は生まれもって、学会の子供として成長していくことが宿命づけられちゅう」
私は飛び上がった。生後一ヵ月の赤ん坊を学会の信者にするなんて。木下恵介監督から届いた贈り物を持って、妻の実家に駆けつけた。家に上がりこんで、泣く子供を抱いている私を見て、朝美は叫んだ。
「あんたは子供をとっていく気か。御受戒も受けさせんような夫とは、明日、別れる。役場に行って離婚届けを出す。早う帰れ、帰れ。帰らんと警察呼ぶで」
それでも、数日後、朝美は子供を連れていったん家に戻った。人間がすっかり変わっていた。朝美の頭の中には、御受戒のことしかなかった。
「どうして池田先生のお弟子さんとして育てるがが、この子の幸せになるがな。大事なことやき、素人の私にもわかるように科学的、論理的、物理的に説明してみい。そうやなかったら、父親として責任が持てん」
私がどうしても許さないので、
「罰当たり! あんたには仏罰が当たる。ほんで、子供が生まれる前にあんたに学会員になってもらおうと苦労したのに、あんたは全然わかってくれん」
朝美は暴れた。狂ったように大声で叫び、茶碗を投げつけ、食膳をひっくり返し、私になぐりかかる。寒い夜に子供を抱いて外に出たり、私がでかけると家にカギをかけてしまったり。ある種、発狂に近い状態だった。もはや夫婦の生活などと呼べるものではなかった。
十二月二日、朝美は子供を連れて実家に帰った。
私はもう一度話し合いたいと思った。御受戒についても、ある程度妥協をするつもりもある。まず公明党の町議に仲介をお願いしたが、ラチがあかない。そこで高知県創価学会の副会長に相談に行くことにした。
私は朝美が二つの条件を認めれば、子供の入信を許可すると副会長に約束した。二つの条件とは、
「将来、子供が自分の意志で創価学会をやめたいと言ったら、認めてやること」
「学会員以外の人間の心の痛みも感じられるような、寛容さと慈悲深さを身につけること」
副会長は気軽な感じで言った。
「そんな簡単なことでいいのかね、田辺君。それで御受戒を認めるんだったら、いとも簡単なことだ」
ところが、朝美は日蓮正宗のお寺で、とうとう子供に御受戒を受けさせてしまった。夫の私も同意したとウソを言って。
ふたつの条件はどうなったのか。
「いくら私がその話をしても、朝美さんは言うこと聞かん。田辺君。君たちの結婚式は新聞にも紹介されたから、世間からも注目されている。学会員の女性とそうでない男性が結婚してうまくやっていけるかどうかと。子供は御受戒を受けたのだから、もうどうしようもない。あんたも素直に学会に入りなさい」
副会長はここまで話して、突然、ガラッと口調を変えた。
「余計なことを第三者にしゃべるなよ。もし入信しなかったら、すぐ離婚だし、子供には二度と会えないようになる。裁判に訴えてもムダだ。家庭裁判所の判決ぐらい、学会の力をもってすればどうにもなる。がやがや言って学会に楯つくようなら、あんたのとこの小さなレコード店ぐらい、簡単に潰せる」
創価学会というのは、こんな団体だったのか。普通の組織ではないのだと、心の底から恐怖を感じた。
(続きます)