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(回答先: Re: エンセンさまと同種の疑問はお持ちですか。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 3 月 27 日 04:36:25)
あっしら様、
お待たせ致しました。
でも議論板でお忙しかったようなので、こちらをしばらく休んでいただけて、むしろ良かったかなと思っております。
さて。
エンセンさまに心ゆくまでお答えしたつもりでいたら、また膨大なレスを頂戴してしまい、
並行してそちらへのレスも進めていたところ、エンセンさまとのやり取りの内容から
あっしら様のご意見もお聞きしたいところが出てきてちょっと大変です。
そこで、エンセンさまへのレス中に、あっしら様への質問も織り交ぜてみましたので
(あっしら様のお名前を出している箇所がそうなんですが、けっこうあります)そちらもよろしくお願いいたします。
それ以外の箇所にも、何かありましたら突っ込みを入れていただいて構いません。
*
『>エンセンさまと同種の疑問はお持ちですか。
ぷち熟女さんは、快楽充足型セックスを理屈で抑制しているのではなく、素直な感性でそれを忌避している(イヤだその気にならない)と思っています。』
そうだと思います。でもそれだけではなく、
以前から申し上げていてまだ書きにかかっていない身体の交流の認知プロセスの差が、
またここにもかかわって来ると思っています。
エンセンさまへのレスの最後の方で、ようやくほんの少し言及し始めていますのでご覧になって下さい。
『前にも書いたことがあると記憶していますが、「自由を奪われて無理やり快楽の世界に引きずり込まれる女性の心理変化」を数人の女性に見せたところ、「その気持ち、わかる」という返答を貰いました。』
そちらはご寄稿いただけないのですか(笑)?
『そういう目にあうことがいいことなのかという問題はありますが、それを体験すると理性も感性も変わるかもしれませんね。
(思考実験でもいいかも)』
そういった境地へのイニシエーションは、やはり愛するひとに行なってもらうのが理想的だと思うのですが、
あたくしはそもそもそういった関心を持つ男性をあまり惹きつけないタイプなのでは、と自分で思っています。
それでそういったこともないまま現在に至ったのだろう、という理解です。
それとですね、これは、世間では割と言われていることではあるものの、
殿方との一対一のやり取りではかなり言いにくいことになってしまいますが・・・。
女性の自由を奪って無理やりどうこう、という行動に及ぶ男性が
果たして女性が快感を得ているかどうかに配慮するのか、という疑問もありますね。
*
『ほとんどが繰り返しになるので説明は省略しますが、セックスはうまいものを食う快楽と同等のことだ考えることもできる。
でも、それだけでない愛に満ちたセックスは、そのようなセックスとは次元が異なる悦楽を得られるものである。
が、しかし、快楽のためのセックスは、感覚的快楽において無上の悦楽のセックスよりも気持ちこともある。
このように考えればいいのではないかと思っています。』
あっしら様のこの考え方は、理論としては受けとめています。
あとは、例の『身体の交流の認知プロセスの差』についてあたくしの考えるところをお話ししてみた後、
『何故あたくしがあっしら様の考え方に共感できないか』について
あっしら様なりにリアルな理解に到達していただけるかどうかだ、と思っています。
あたくしの側は、申し上げにくいことですが、
自分の『愛情を感じ合わない異性との性交渉への抵抗感』を脇に置くことが出来、
『自分の交際相手や夫が嫌がることをするのは嫌だ』という思い遣りを忘れられれば、
あっしら様のおっしゃる感覚的悦楽を追求することは当然出来るでしょう。
ただ、それを選択したくないだけの話です。
*
『ぷち熟女さん;「親とは生まれた時からの運命的な付き合いで、血縁もありますが、
『共同生活のためにわざわざ赤の他人である誰かと契約的にそういう関係を結び、
自分の望む異性関係を結ぶ人は生活の場の外に求める』というのは、あたくしにはやはりややこしいですよ(笑)。
どんなに納得ずくでも気を使いそうだし、息苦しそう(笑)。
それよりはいっそ独り暮らしした方がまし。
(後略)」
共同生活関係として望ましいと思う相手は、気を使ったり息苦しくないひとで一緒に住んで重宝だと思うひとであるはずです。
異性であれば、お互いしたいと思えば、会話やテニスをするのと同じ感覚でセックスしてもかまわないでしょう。』
先ごろまで、そういうややこしいことはあたくしにはムリだと思って考えを巡らせていたら、一ついいことを思いつきましたの。
ゲイ男性との交友関係をとても心地よく思っているので、もしいつか独りになる時が来たら、
そういったルームメートを探すのがあたくしには正解かも知れないと思いました。
エンセンさまは、こういうの読むと、すごく嫌な顔なさりそうですよね(笑)。
『ぷち熟女さんのかたちが理想だとは言いませんが(笑)、それも一つのかたち。生活はあるひとと営み、男と女の関係は他の誰かとつくっていくというのも一つのかたち。と、いうものだと思っています。』
どうしてですか? あっしら様は独り暮らしがお嫌いだから、ということですか。
あたくしは、異性と同棲したのも夫とが初めてなんですよ。
それまでは、完全に納得できる関係というのに巡り逢えなかったこともあり、
同棲はずっと棚上げにしてきていました。
孤独が好きなわけではないのですが、そういう面ではそのくらい徹底してストイックなのですよ。
あたくしにすれば、寂しいからとか重宝だからとかいう理由は、とても同棲に至るに足りないものだったのです。
*
『ぷち熟女さん;「(略)
『その人一人だけで全てが満たされる』という関係性をたまたま理想のものとして互いに求めていたから、現在の夫と一緒にいるのだと思っています。
あたくしの夫のような男性は、あっしら様やエンセンさまにとっては例外中の例外ということかな?
あたくしには、そういう男性も、多分思っていたよりは少ないにしても、いると思えるんですが。
そういう男女からのこのスレへの関与がないので、自信なくなってますけど(笑)。」
ぷち熟女さんやパートナーは、それほど特殊だとか例外だとは思っていません。男性も含めて多くの人がそれを望ましいものだと思っているはずです。
男性は、そうであっても、性的快楽のために他の誰かとセックスするひとがけっこういるというだけです。(ぷち熟女さんのパートナーがそうであるかどうかわかりませんが、したいけどれど、理屈(理性)で抑えている男もけっこういると思っています)』
確実なことは訊かなくちゃ分からない、ということで、夫に先日尋ねてみました。
あたくしだけでいい、という答えでした。
毎年訊いて、倦怠期が訪れているかどうかの目安にしてみようかしら。
『そのようなセックスをしたから不実と言うのは、「愛を冒涜している」と思います(笑)そんなセックスと愛を比較することはできません。』
あっしら様が『愛』とおっしゃる時に一体どういうことをおっしゃっているのか、
あたくしにはまだ謎なんです。
それが分からないと、何とも申し上げようがありません。
もしも、あっしら様ご自身の『自己愛』が愛なのだよ、ということだったら、腹を立ててしまうかも知れません。
もちろんあっしら様のパートナーの方さえ納得なさっていればよいことなのでしょうが、
あたくしにすれば、何だかそれでは議論にならないという気もします。
*
『>『ロクなことはない』とは、あまり待つと、逆に女性に
>『自分に気がないのだ』と思わせてしまうことになりかねない、といったようなこと
>ですか?
いいえ、男性が他にできる女性を見い出したり、女性が他の男性としちゃったりしたら、セックスの“力”でそっちに気がいってしまうということです。
、
これを理屈で非難することもできますが、それはちゃんちゃらおかしいことで、いっちゃった相手に未練があるのなら愚かな選択をしただけの話です。』
セックスだけの関係なら不実にならない、とおっしゃるあっしら様ですから、
相手が『セックスの“力”でそっちに気がいって』しまっただけのことなら、
そういう浮ついた時期が去って、相手が戻って来るのをお待ちになれば良さそうなのに、お待ちになれないのですか。
変ですね。何故なんでしょう。
この点を深く考えると、やはり他の異性に触れてほしくないと思うあたくしに一理あるように思えるんですが。
あっしら様は、どうも時折ポロリと『セックスまでいくと情念もそちらへ移る』
と取れることを漏らされるように思えてなりません。
本当は、どこかでそうも思っておられるんじゃないんですか?
これもあたくしが納得しきれない一因です。
*
『私の基準の不実に相手が踏み込めばその関係は解消ですから、それで遊びのセックスを控えようということありません。
相手が不実でない“外部セックス”を楽しんでいることがわかったら、もっと楽しいことをするアイデアの実現をめざすかもしれませんね(笑)』
再び、こともあろうにあっしら様に対して失礼ながら:
あのですね、あたくしに言わせると、相手が“外部セックス”を楽しんでおられようがおられまいが、
『もっと楽しいことをするアイデアの実現』は常に心掛けられなければ失格でーす。
そういった日頃の努力がないのにご自分は外でお遊びだとしたら、それはご怠慢でーす。全く、もう。
*
『「女の棘」などに応えさせていただこうと思っています。』
これには興味ありです。
エンセンさまに刺々しいと言われていますからね(笑)。
あと『女の手の込んだ誤魔化し』もご説明いただけるといいんですが。
ではまた、ごきげんよう。