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(回答先: Re: 江戸はなぜエドなのでしょう? 投稿者 100ワット 日時 2004 年 3 月 24 日 00:26:55)
しかし、日本は割合、鎌倉、室町と言っても、世界的に平和な歴史を持っている方です。豊臣氏は、欧米列強と争うような動きが出始め、軍事費を使いすぎてすぐに滅亡したので、徳川氏は豊臣氏のような領土的野心をもたず、平和的な方向で国を治めたのが良かったのでしょう。豊臣氏の延長で、国を治めていたら、日本も多分まずい事になっていったでしょう。秀吉は朝鮮の後は中国、中国の後は東南アジアまで征服するつもりのようでしたし、300年早く太平洋戦争が勃発している所でした。入り鉄砲に出女という形で鎖国政策で武器製造を禁止し、日本人の出国を禁じたのも幸いでした。アンボイナの虐殺には日本人社員も関わっているので、鎖国をやっていなかったら、多分日本も国際紛争に巻き込まれているでしょう。戦国時代の日本は傭兵国家であり、武器輸出国になる可能性もある国でありました。天下を取ったのが、琉球を植民地にしたような対外積極的な毛利や島津だったら、非常にヤバい事になってるでしょうね。
何もかもが300年早い。満州事変も1631年。日明戦争が1637年、サムライのマレー上陸が1641年。毛利や島津が天下を取ったら、軍需産業がもっと発達して、アルファイドのような財閥ができているかも知れません。しかし、逆に欧米勢に敗れて植民地にされて、ひどい目にあっているかも知れません。そして、今頃日本は天皇も含めてカトリック国になっているかも知れませんね。
あと、植民地とならなかったのは、欧米人から見て、プレンテーション作物をつくるには寒すぎるし、資源もないように思われたという面もあるでしょうね。おかげでオランダは幕府の権力を利用して、カトリック国を排除して対日貿易を独占できましたが、さしてめぼしいものもなさそうだったので、他の列強は幕末まではオランダの積極的な競争相手にはなろうとしなかった。