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(回答先: Re: なんで私は阿修羅に投稿しているのか? 投稿者 ぷち熟女 日時 2004 年 2 月 20 日 00:07:59)
ぷち熟女さん。 こんにちは。
新種ウイルスを追いかけるのは、今のところ無理ですね。
種類が多すぎる。
まず、米国政府などが遺伝子操作で新種微生物を製造し、
それをばらまいたことがあるという事実を示すことが先決と思う。
人々は政府を信ずる。 国連を信ずる。
本能的に。 時間がないから。
政府まで疑っているとキリがないから。
税金を払っているから。
これが殺戮と大量死が絶えない最大の原因かもしれません。
この習慣を廃棄することが必要です。
(すみちゃんのおっしゃるシンボルとは、あの丸の外にもう一重に輪があって、
その輪から四つの角(つの)が出てるような分でしょうか。)
それは「目」です。
「監視」と「呪い」の目
参考
「円」は植民地通貨=ドルであり、日本人を世界収奪システムに組み込んだ魔的憑依物
http://www.asyura2.com/0401/idletalk7/msg/302.html
投稿者 すみちゃん
引用
(明治政府は、明治5年に「明治通宝」という最初の紙幣を発行した。
明治政府は、ドイツ、フランクフルトのドンドルフ商会に紙幣の製造を依頼した。
この紙幣が明治4年に日本に輸送到着し、これに印章をおして、明治5年に発行しています。
この紙幣の中に、「日本銀行のマーク」が入っています。
(もちろん現在のすべての紙幣に大きく入っています)
「日銀券は悪魔の隠し絵」といういわゆる「トンデモ本」の中で、
このマークを「魔物の目」だと書いてありますが、
私も「目」の図案だと思います。
サーカスのピエロの目にそっくりですから
明治通宝
http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/history_22.htm )
日本における「ピラミッドアイ」シンボルの話はまた後で。
HAARPさんはもしかして気がついているかな?
樋口一葉については分からないです。
札の上に印刷する人物は、どの国に行っても重要決定事項です。
(イラクではフセイン、英国ではエリザベス)
日本では財務省印刷局の所管でしょう。
(すみちゃんが書かれることを読んでいて、
こんなに色々なことを心の裡に持ちながら、
よく日常の職務をまっとうされるもんだなあと感心したりするのですが、
すみちゃんにとっては、あたくしなんかが想像するほどキツイことではないわけなのですか。)
ストレスはほとんどありません。
幸福と言っても良いくらいです。
悩みというと、虫歯が痛むこと、歯医者へ行くのが怖くてたまらないことくらいです。
あとは時間がないことです(睡眠時間を削ることはしませんので)。
なお書記長さんは、1月4日の投稿以降、消えてしまいました。
(彼は自分の書いたことを信じているのでは?
米軍を恐れていたようですが)
(『トンデモ』(であると現在のオフィシャル情報では言われているところの)事象に関しては
どういうスタンスをお持ちですか。)
容易に実証できない信条や認識を「トンデモ」と呼ぶならば、
この世には「トンデモ」が満ち溢れています。
○ キリストは神の子である(関係者は怒らないようにね。 容易に実証できないことは間違いありません)
○ 釈迦仏は、久遠の過去世において成仏し、
永遠の未来までそこに存在して説法しているのだが、目がふさがれた衆生には見えない。
○ すべての草木石空気に至るまで神が宿っている。
○ あなたの病気が直らないのは、先祖供養をしないからだ。
○ 米国政府、日本政府、北朝鮮政府、英国政府は信用できる。
○ 天皇家は万世一系であり、その先祖は神である(関係者は怒らないように)
○ 資本主義は清潔で人間的な制度である。
○ 物質には意識がない(物質には意識がある)。
もともとそういう見方をしておりますので、
あらためて「トンデモ」とは何か?なんて考えたことがありません。
それは「解く必要のない問題」ではないでしょうか?
本来単純な「認識問題」をわざわざ複雑にして解きにくくしているように見えます。
認識は「共同主観」であるという考え方は正しいのではないかな?
それとは別に、「大組織の言うことだから信用できる」
と考えることは、できるだけ避けたいです。
大組織とは、国家であり、宗教団体であり、会社です。
もちろん「公式見解」に反する説を直ちに信用できるわけはありません。
できる限り実証、立証の努力を尽くすべきです。
マルハナバチさんが気にしていたのは、
実証や立証の努力がいま一つ乏しい(ように見える)説が溢れると、
阿修羅の新規閲覧者が逃げるし、一般人は説得できないよということでしょう。
それはその通りでしょうね。
だから私も少しずつ小出しに書いているのです。
「もう来なくていいよ」と言われるまで。