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(回答先: 「東西対立」の基軸は、西の中央集権志向・東の地域主義という国家統合の違いにあると考えています。 投稿者 あっしら 日時 2004 年 2 月 15 日 04:28:15)
あっしらさんこんばんは。レスありがとうございます。
「そして、そのような対立構造が生まれたのは、唐・新羅連合と戦って敗北し(白村江の戦い・百済滅亡)、百済から王族・貴族・官僚・軍人と大量の支配層民が日本に渡来した(亡命を受け入れた)ことで生じた日本列島の政治構造の大地殻変動が契機だと考えています。」
この辺の話は殆ど知りませんでした。不勉強で恥ずかしい限りです。
あっしらさんのいう東西対立とは国家のあり方に対する対立だったのですね。
中央集権制でいくか地域盟主連合体でいくか、何だか1千年前の事なのにとてもタイムリーな気がします(笑)。
この問題に対して昔の人の出した答えが江戸時代ということなのでしょうか?統一機構がなければ各地方ごとの間で争いが絶えないでしょうし、かといって完全な中央集権では地方の不満を抑え切れない。そこで権威を西の朝廷に置き権力を東の幕府に置く。その上で各地域ごとに藩という形で自治権を与える。各地域が共同体としての形を守った上で緩やかに統一される。非常によくできたシステムだと思います。