現在地 HOME > 掲示板 > 雑談専用7 > 850.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: 軍部はまさに楠木正成のポジションですから、同じように役割を果たして“討ち死に”しました 投稿者 あっしら 日時 2004 年 2 月 14 日 05:08:04)
戦後の天皇制は、日本の政治権力からそして米国の政治権力からと二重に利用される権威装置となっています。
1100年にわたって天皇を担いで上級支配層として生き延びてきた公家(貴族)は、戦後の家族制度崩壊とともにモダニズムという新しい住処(お金と家柄)を得ましたが、天皇家は、政治権力に利用される権威装置として囚われの身になったままです。
不埒な政治家の楯や隠れ蓑として使われたり、国民の気を惹きつけるためアイドル的扱いをされています。
天皇に代わる国家(国民)統合の“柱”をつくり、国家(国民)統合の瓦解にならないかたちで天皇の“解放”ができれば、日本は大きく変わるはずです。
もう一つの選択肢としては、無為の存在としての権威ではなく、有為の存在が発する権威としてこれまでの日本史にはなかった天皇制をうち建てるというのもありです。
(これは北一輝の考えに近いものですが、戦後の“空気”のなかで育まれた天皇にそれが可能か、国民多数派がそのような「反動」を受け入れるかという大きな壁があります)
天皇が「国民生活を疲弊させ国民を分断することになる「構造改革」は国家の政策として誤りである」と宣言することで日本が大きく変わることになります。
天皇は国家がめざすべき理念や大枠に介入するだけで、天皇の意を体するための具体的な政策は、国会議員と政府が立案し決定することになります。
(尊皇の心を持つ政治家(国会議員)は天皇の意に逆らうことはできないでしょうし、左翼も具体的な政策レベルでは反対できないでしょう)
天皇家の“解放”か、天皇の権威の実質化かという選択です。
私自身は、天皇家の“解放”を志向しますが、緊急避難として重宝なのは後者かもしれません(笑)