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(回答先: Re: しかし、楠木正成・正行は戦死した 投稿者 スパルタコス 日時 2004 年 2 月 14 日 00:54:00)
スパルタコスさん、レスありがとうございます。
元の書き込みで比喩的に書いたように、孝明天皇までは「北朝」、明治維新後敗戦までは「南朝」、敗戦後は「北朝」ですから、軍部は、まさに楠木正成のポジションであり、その役割をみごと果たして“討ち死に”したと言えます。
軍部=楠木正成が天下を取ったら“逆臣”になってしまいます(笑)
天皇は絶対ではありません。「天皇は絶対」という観念を被支配層に流布していただけの話です。天皇を傘として成り立っている上級支配層の維持・存続が絶対なのです。
(天皇という一人の存在が愚かなことをしたことで、多数である上級支配層が没落してしまうようなことは、「南朝正統論」だろうが「北朝正統論」だろうが容認されないことです)
明治維新後の「南朝正統論」もそのためのイデオロギーの一つです。
徳川幕府の権力は、天皇から与えられた征夷大将軍という権威的職制に支えられたものです。
明治政府は、それまで分離されていた権威と権力を統合しようとしたのですから、権威の源ではない徳川家康(幕府)を範とすることはできません。
天皇家という立場で考えれば、公家(貴族)というものがいなくなり、理屈としては無名称の国民に支えられている戦後天皇制がもっとも大きな“力”を保有していると言えるのかもしれません。(行為ではなく存在性に局限された“力”ですが)
「南朝」は敗戦しても、主は変わらないまま「北朝」になれたのですから、「南朝正統論」も捨てたものではなかったと思いますよ(笑)
ただし、「北朝」を支えるのが民主制政治権力であり、さらにそれを支えるのが、米国の権力ないし米国が放つ権威という笑えない構造になりましたが...
米仏的民主制と日本的天皇制は、国家統治の権威を、より抽象的な理論に求めるのか、より具体的な存在に求めるかの違いだと思っています。
天皇という存在であっても、その権威の由来や正当性の理論は必要ですが、米仏的民主制ほどの抽象的な価値観体系は不要です。
米仏のように抽象的な価値観体系を権威の基礎とするのも、権威と権力を分離する一つの方策だと考えています。(権力者が発する言葉が権威になることを抑制する)
どこの支配層も、「権威のない権力は脆く、権力のない権威は弱く、権威と権力の集中は恐い」ということを考えながら、国家に権威と権力をどう位置づけるのかという難問に取り組んできたと思っています。
(いい意味でも悪い意味でもですが...)