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富山個別指導事件を振り返る 〜1993年事件当時のとやま保険医新聞より〜
若き開業医の死は 何を意味するのか
何が起こったのか
平成5年10月11日、澄みきった秋空に映える立山連峰を背に、若い保険医が橋梁に立ち、自らの命を絶った。享年37歳。山間部で地域医療に献身していた彼に何が起こったのか。
彼の名は川腰肇。東大を卒業後、慈恵医大に。金大付属病院や新湊市民病院での勤務経験もあった。
平成2年5月、義父が病床に臥し、立山町山田医院に勤務、同年11月開業医を引き継ぐ。以後山間部への往診もいとわず、身を粉にして懸命に働いていた。 平成5年8月5日、厚生部長名で「・・・個別指導の実施について」が届く。
同8月27日、魚津社会保険事務所で県保険課の個別指導を受ける。
9月17日、厚生部長名で「個別指導の結果について」が郵送される。指摘事項は6項目、改善報告書の提出締切日は10月5日と記載されていた。
10月4日、改善報告書を職員が県保険課に提出、受理される。
10月9日、川腰医師、同窓の友人に会いに上京。
10月11日、東京より帰宅後、疲れたと言って2時間ほど休む。夕方散歩に出ると言い残し、帰らぬ人となる。
(平成5年10月29日付号外より)
現場にいた人々の証言
●戦前の特高のよう…
立会人 S 先生 (中新川郡医師会長・・・当時)
まず、明細書記載内容以外の事を質問したのち、レセプトを1枚1枚これは削る、これはパスと始めた。
質問や意見も居丈高で、大声を出し、2時間怒鳴りっぱなしという状態で、まるで戦前の特高かと思わせるような異常な雰囲気だった。
それは、「叱る」というようなものではなく、「怒る」ないしは「腹を立てている」といった感じだった。何か個人的に気分の悪いことでもあって「八つ当り」しているか、「川腰先生を別の人と勘違いされているのか」それとも「川腰先生を憎んでいるのか」とも思える有様だった。
指導大綱にある「懇切丁寧に懇談指導を行なう」というようなものではおよそなかった。私自身が過去に受けた指導の様子とまるっきり違うので驚いてしまい、立会人として十分な援助ができなかったことが悔やまれる。川腰先生がいちばん堪えたのは、ひどく怒鳴られたことと、納得のいかないまま自分で査定事務をさせられたことのようだった。
隣でやっていたU先生とS先生の指導は短時間で終わっていたのに、こちらの方はK先生、川腰先生とも予定の2時間いっぱい行なわれた。(談) (平成5年10月29日付号外より)
●隣にいて腹が立った
立山町 S 先生
私は、川腰先生が個別指導を受けておられた時に同時に隣のテーブルで竹森技官から指導を受けていました。
竹森技官の指導は懇切丁寧でしたが、それに反して隣の一柳技官の個別指導は常軌を逸した感じで、大声で怒鳴りつけていました。カルテに体温の記載がないといって、ついて来た事務職員まで怒鳴りつけていました。
それは、まるでテレビドラマに出てくる刑事が犯人を取り調べるような感じで、私は隣で聞いていて、本当に腹が立ち、こんな指導があるものかと思いました。私の所の女子職員もとても恐ろしかった、と話しています。
個別指導後、彼がとても悩んでいた事は、自主返還せよと言われた事ではないでしょうか。どのように、どこまで返還すればよいかわからず、このあと医業を続けていけるのだろうかと、相当悩まれたのではないでしょうか。(談) (平成5年10月29日付号外より)
●実態を無視 −休日加算を否定−
上市町 K 先生
私は川腰先生の先に受けたが、私の場合も指導というよりも「これはよくない」と居丈高に決めつけて言われた。たとえば、休日の診療が多いという指摘に、ほとんど初診、開業医は急患を断れません、と答えると、「急病でなければ休日加算はとれない、時間外加算にしなさい」と言うので、急病であるかないかは患者を診てみないとわからない、と答えると「君はいちいち文句を云う人だな」と憮然とした態度だった。また反論は改善報告書に書いたが、フルマリンという注射について、「あんたら開業医が使う薬ではない、一体いくらすると思うんだ。MRSAになる可能性がある」などと言われた。
数日後、川腰先生から電話があって「先生の指導はどうでしたか?私はひどく叱られました。明日からの診療をどうしてよいかわからなくなりました」と言っていたので、あまり気にしないで、ゆっくりやりましょうと励ました。わたしのような年になっていればまだしも、初めて指導を受ける若い川腰先生には、非常にショックだっただろうと思う。(談) (平成5年10月29日付号外より)
●打ちのめされるのも・・・
上市町(当時) U 先生
私は川腰先生の指導の直前、K先生の隣で別の技官に指導を受けておりました。私の方は「指導を受けている」という内容でしたが、隣のK先生は一柳先生に理不冬なことを言われ、怒られているような感じで、私は大変な先生に当たってしまったK先生の心中を心配しながら指導を受けていました。
一柳先生は、医師を医師として扱わず、とんでもない先生だなと実感しています。県がこのような異常な技官に医師を指導させるなんて、まったく許されない話です。テレビで県の職員の弁明を聞きましたが、「よくもヌケヌケと」と腹わたが煮えくり返りました。
私があの日、もし一柳技官の指導を受けていたなら、やはり川腰先生と同じ運命をたどったように思います。はっきり言ってベテランの先生だったら耐えられるかも知れませんが、若い私らではあの暴言と脅しに打ちのめされるのは、やむを得ないと思います。(談)
(平成5年11月15日付特集号より)
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提言 保険医の死と保険医協会
10月中旬のある夕方、立山山麓の常願寺川鉄橋の下で、近くの町で盛業中の37歳の開業医の自殺死体が発見された。幼い2人の子と夫人を残して、人生の喜びも悲しみも十分に味わうことなく、あまりにも早い今生の結末を自らがつけることになったものである。ご本人とご家族の胸中を思うと、痛惜の念にたえない。
県下の保険医がその権益を守る目的を掲げて活動している保険医協会には、この自殺についてのいろいろの情報が入った。その中に、原因は彼が8月下旬に受けた県保険課による「個別指導」による心労がきっかけになった、というのがあった。「あってはならないことが起きたのでは」とわれわれは戦慄した。ことは、世の中で何より重い人の命に関わることである。協会は組織をあげて出来る限りの調査を開始した。
時を同じくして、中新川郡医師会が役員会を開いて検討の結果、彼の死が行き過ぎた保険個別指導に起因するとして、県当局に抗議と要望をすることが伝えられた。
協会の事務局員と役員は八方に飛んだ。そして多量の証言を収集し分析した。その殆ど総てが、彼を死に追いこんだのは、行き過ぎた個別指導が原因であることを示すものであった。
協会役員会に「対策委員会」が設置され、更なる調査と今後の対応が検討された。保険医の権利と経営を守るために、いやもっとも大切な「いのち」を守るために、われわれはいかに考えいかに行動すべきか。
委員会は深夜に亙って真剣に討議された。県下保険医への情報提供と意見徴集、声明文公表、県当局に対する技官罷免と指導改善要求、事情経過を一般マスコミに公表、保団連組織を通じて全国の保険医に訴える、地元代議士による国会質問、県へ公開質問状、保険医大集会などの事項が検討され、逐次実施に移されている。
われわれは、これらの行動を通じて、亡くなった保険医のご冥福を祈りつつ、最近強引に進められている厚生省の「医療費適正化」の名の元に行われている、人権無視、不当審査、不当査定の実態を明らかにし、真の国民のための医療が、医療人としての名誉と人権が十分に保証された保険医によって行われるように、制度の改善を要求するものである。
(平成5年11月15日付特集号より)
http://tym-hok.cool.ne.jp/hurikaeru/hurikaeru-2.html