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昨日発売された「ニューズウイーク日本版2・11」の9ページに掲載されているピーター・タスカ氏の論説である。
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タイトル:日米が突き進む「金融心中」への道
サブタイトル:巨額の為替介入でアメリカ経済を支える日本政府はなぜそのお金を自国の庶民のために使わないのか
内容:
『<前略>
日本政府の為替介入額は、今後数年で150兆円を超えるかもしれない。財務省が為替介入に使う資金の枠が拡大され、それだけの大盤振る舞いができる状況になった。
もともと日本の官僚は「介入中毒」だったが、ここ数年は症状がエスカレートしている。昨年の介入額は20兆円と、貿易黒字のほぼ2倍に達した。今年は1月だけで、すでに6兆円を超えたとみられる。防衛代戦意も匹敵する額だ。
議論されない介入の是非
「ギネスブック金融版」があれば、日本の記録がずらりと並ぶだろう。まず、バブル時代の常軌を逸した地価の高騰。当時は、皇居の敷地がカリフォルニア州全体より高かった。90年代には膨大な資産が価値を失った。そして今は、信じがたい規模の市場操作だ。日本政府は為替市場でまったく惜しげなく金を使っている。
正確にいえば、日本は「使っている」のではなく「貸している」。為替介入は米国債を買う形で行われているからだ。
金を使っているのは米政府だ。戦争をしながら減税も行い、政府機能も拡大する「ブッシュノミクス」が可能なのは、日本が気前よく金を貸してくれるおかげだ。秋の大統領選で再選されたら、ブッシュは日本政府に当選御礼のメッセージを送るべきだろう。
日本がかかえる重要課題にはありがちなことだが、この問題もほとんど政治的な論点になっていない。それでいて道路公団の民営化や構造改革特区の設置など、経済的にはほとんど意味のない問題が、けたたましく議論されている。
為替介入は、政治の日々のドタバタとは無縁な実務レベルの問題として国民に伝えられている。介入の是非が議論されるのは、米政府が不満を述べ、日本政府が耳を傾けるときくらいだが、どちらもポーズでしかない。
議論が起こらない理由ははっきりしている。日本政府が為替市場でやっていることは、バブル崩壊後に発してきたメッセージと矛盾するからだ。
財界人、官僚、改革派の政治家など、エリートは財政危機が迫っていると口々に言い立てる。メディアは年金制度が破綻するというホラーストーリーを書き立て、ベストセラー小説が国債の暴落を予言する。政府は税率を上げて歳出を削減し、庶民は長年にわたって痛みに耐える覚悟をすべきだと、誰もが口をそろえる。
エリートは国民にそう伝え、国民はそれを信じる。だが、現実はまったく違う。日本政府は国内で歳出を抑えているのに、海外では何十兆円もの金を平気で投じている。日本の大手輸出企業の利益を守り、アメリカ中流階級の過剰消費を支えるためだ。日本は構造改革を進めるどころか、途上国的な輸出至上の思考パターンに後戻りしている。
「一億総貧乏」意識を捨てて
誰も言うように国の財政が本当に破綻寸前なら、何十兆円もの金がどこから出るのか。日銀が刷っているのだ。その一方で日銀は、市中から金を吸い上げることで、影響を相殺している。これは日銀と財務省の間の取引だから、増税や国債の新規発行の必要はない。
ここで浮かんできた疑問に、誰か答えてくれないだろうか。日銀はアメリカの減税を間接的に支えているのに、なぜ日本の減税を直接支えないのか。日本政府はイラクの経済復興を支援しているのに、なぜ破綻寸前の日本の地域経済を立て直そうとしないのか。
日本のエリートは、年金や医療保険制度の崩壊を競うように警告している。だが、どちらも経済が回復すれば、それほど深刻な問題ではなくなるはずだ。そんな暇があるのなら、なぜ庶民の生活の質を高めるために力を尽くさないのか。
そして最後に−日本の庶民は、なぜ「一億総貧乏」意識にとらわれ、世界最大の債権国の市民として、ものを考えないのか。』