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(回答先: Re: とりあえずの返事 投稿者 まっくす 日時 2004 年 4 月 05 日 10:57:52)
日本の歴史の中でも江戸期は、非常に気になる事が多い時代です。
まず第一に17世紀は安定期だと思います。これが18世紀になると財政的にゆきづまって、食糧増産の考えが出てくるようになります。飢饉対策のために薩摩芋の栽培が奨励され、新田開発が行われましたね。ところが、幕府の税収は増えるどころかその後に来たには大飢饉でした。
享保・天明の大飢饉が起きた時期は世界的にも寒冷期に当たり、浅間山の噴火は世界を寒冷化させ、フランス革命の遠因にもなったと言われてますが、フランスでも飢饉対策にじゃがいもが奨励されました。それでも革命は起き、革命はさらなる食糧危機に見舞われました。しかし、18世紀は英国でも朝鮮でも世界的に食料不足の時代であったように思います。
田沼意次の積極的な改革は鎖国政策を改める方向に行くかに見えました。ところが、天変地異が相次いでまたしても大飢饉であります。その後、食糧備蓄の考えが出てきました。
しかし結局、19世紀の幕府滅亡直前にもまた大飢饉です。
新田開発をやって食料が増えるどころか、逆に飢饉がひどくなる。一体これはどういう事なんだ。この辺りですでに環境保全というのもかなりその前の時代より問題化してきたと思います。こうした中で食えなくなった農民が都市に流入し、追い返しても、また戻ってくるという事態が起こってきましたね。
また、世の中はこうあるべきだという阿修羅でなされているような議論というのは、経済学も含めて江戸時代から始まったと思います。平和になったので、学問が発達し、知的探求というものが始まった時代であると思います。
あと、江戸期は日本人が植民地支配を始め、領土・日本民族の概念がおぼろげながら出てきた時代でもあります。本州はともかく、薩摩藩と琉球、松前藩と蝦夷地の関係は、本州の江戸期と単純に一緒くたにしてはならないものを含んでいると思います。
それから、日本は農耕民族であると同時に、荒々しい「海の民」としての海賊文明も何百年もの伝統を持っていて、14世紀には海外に出て東アジアを荒らし回るほど発達してきた訳ですが、江戸期には、新技術と大型船の製造が禁止され、海賊的・侵略的な文化というものが全滅してしまったと思います。これは後の時代に結構かなりの影響を与えたのではないでしょうか。