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(回答先: Re: 「電気の無い生活」に、どれくらい耐えられるだろうか。 投稿者 うぃる 日時 2004 年 4 月 02 日 23:49:21)
パワフルと言うか、「それが当たり前」と考えて暮らしていましたから別に気にしていません。
それよりも、いま「ゆで蛙」論議で賑やかですが、
「生活が安定している人間は、今の地位や境遇を失うのが恐くて冒険が出来ない。だから、自分が『ゆで蛙』にされるのが分かっていても、鍋から飛び出すことができない。
でも俺達のような身分の人間は何も無いところからここまでやって来たのだから、これからどうなろうと生きていける。
イザとなれば、またゼロからやり直せば良いさ。」
と、『ゆで蛙』論議を見守っていました。
結局そこなんですよ。
何かを手に入れようとすれば、その代償として何かを捨てねばならない。
大きなものを手に入れるには、大きな努力をしなければならない。その覚悟があるかどうか。
仕事にしろ、オリンピックにしろ、大学受験にしろ、同じ事です。
いくら悲観しても、対策を立てて実行しない限り目の前の問題は解決しない。
いくら目的が正しくても、実現不可能な夢を語っているのでは夢で終ってしまう。
そして誰かのせいにしたところで、その誰かが責任を取ってくれる訳じゃない。しかし現実の自分は余りにも小さく、非力だ。それを認めた上で、自分に何ができるのか。
今回のテーマでいえば、
「核エネルギーに頼らない社会にするにはどうすれば良いか?」
「核物質が原因で起きる災害を防ぐにはどうすれば良いか?」
ですね。
その方法は三つ。
「原子力に代わる代替エネルギーの開発と普及」
「電力需要を抑える生活スタイルの提案」
「核の災害に備えるためのセキュリティシステムの整備と技術開発」
今考えるだけでもこれだけある。
あなたが学生さんなのか社会人なのかは分かりませんが、あなたの立場や環境の中で、或いはあなたの得意な分野で何らかの関わりを持つ事は出来るはずです。例えばジャーナリストなら絶えず啓蒙活動を行うことで間接的に参加することも出来るでしょう。
大事なのは「なぜ実現出来ないかではなく、どうすれば実現できるか」を考えること。
これは、死んだ父親の口グセでもありました。
答えになったでしょうか。
ひとまず、ここで終わりにしておきます。