現在地 HOME > 掲示板 > 議論16 > 644.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: ”ドイツ精神”や”日本精神”とはどのようなものなのでしょう? 投稿者 オニオン 日時 2004 年 3 月 15 日 02:41:47)
>ところで、あっしらさんの言う”ドイツ精神”や戦後変わる前の日本の根底の価値観
>とはどのようなものなのですか?
概略的な説明にさせていただきます。
● 近代「ドイツ精神」の概要
近代「ドイツ精神」は、ナポレオン戦争で神聖ローマ帝国が崩壊(1806年)した後からナチスの第3帝国滅亡までの140年ほどのあいだにドイツで醸成された価値観だと思っています。
(知られている呼び方である“ロマン主義”や“ナチズム”は「ドイツ精神」の現われと言えるでしょう)
ドイツ人は、領邦国家と自由都市の連合体であった新制ローマ帝国が崩壊する一方で、近代国家となった強力なフランスや経済的には英国で興隆した産業資本制に向かい合うことになります。
ドイツ(知識)人は、フランスや英国に対抗するために、神聖ローマ帝国に代わる新しい統合形態を模索し、ドイツ的な「国民国家」論を打ち出していきました。
その「国民国家」論は、フランス革命によって誕生したフランス的「国民国家」へのアンチテーゼという意味合いをもっていました。
「ドイツ精神」を政治思想の面で見たときの特徴は、国家有機体論であり保守主義です。
フランス革命及び近代国家フランスは啓蒙主義を思想的基礎としていましたが、ドイツでは、理性よりも情念に価値を高くおき、コスモポリタニズムよりも共同体成員性を重視しました。
近代「ドイツ精神」は、反啓蒙主義・反合理主義・反普遍主義・反機械論に特徴があり、歴史的に形成されてきたゲルマン的共同体を“近代の荒波”のなかでどう保守するのかという共同体性と表裏一体のものだと思っています。
(反啓蒙主義の一つの表現であるロマン主義は、理性一辺倒的な価値観の否定であり、人がもっている情念性を重視するものです)
経済思想としては、このような国家社会価値観から、個人の金儲けが第一義とされ、個人の活動がお金を代償に手段化されてしまう資本主義に嫌悪感を抱く傾向が強くありました。
国際金融家に対する憎悪も、近代的制度の“創造者”であり、それを通じてゲルマン的価値観や共同体性を破壊する者という視点に支えられたものです。
反普遍主義は、生身の個人の差異性を重視するという意味で個人主義であり個性尊重の価値観につながるものです。
宗教面でも、聖書の妥当性を問うところまで思索され、聖書からセム(ユダヤ)的要素を取り除こうとする動きが起きています。(キリスト教のゲルマン的再構築とも言える動きです)
「ドイツ精神」及びドイツ的「国民国家」は、現在なお普遍的なものとされているフランス革命的近代国家観や英米的自由主義的資本制に対する鋭い批判を投げ掛けるものです。
そのようなドイツが国家的統一を果たすとともに産業(技術)力でトップに立つことは、国際金融家(世界経済支配層)にとって極めて脅威であることは想像できます。
● 日本の戦前的価値観の概要
薩長の藩閥政治が弱体化した大正期の前と後とでは価値観がけっこう変容したと思っています。
まさにその時期に、韓国を併合し、第一次世界大戦を経て日本は列強の仲間入りをしたと考えるようになります。
官僚も幕僚も、明治時代に確立された学校制度を通じて育成された非薩長の人士が増えていきます。
日本の利権が大きく絡む中国での“近代革命”の激動が日本にも多大な影響を与えるようになります。
また、学問及び思想・政治の世界でのドイツとの関係は現在の米国との関係に匹敵するものがありました。
明治維新が国際金融家の意を受けた背後勢力に支えられたものであったとは言え、律令制的価値観(とりあえず天皇を頂点とした集権国家尊重や儒教だと考えてください)や歴史的に醸成された農村共同体的価値観(官僚や高級軍人を含む国民意識)は色濃く維持されていました。
これらの価値観は、「ドイツ精神」とは異質のものですが、ドイツで醸成された反資本主義価値観や共同体重視の国家有機体論と親和性がありその方向につながっていくものだと思っています。
そのような日本が、満州で排他的な経済権益を手に入れ(満州国成立)、そこの資源を活用して遅れていた重化学工業化に邁進することは、ドイツと同じく、国際金融家(世界経済支配層)に脅威を予測させたはずです。
「世界大恐慌」・「シナ事変」が、基礎にある価値観や歴史性は違うとは言え、日本をドイツ的「国民国家」へと志向させたと思っています。