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(回答先: ノモンハン事件はスターリンの満州・朝鮮への侵略の野心を打ち砕いた戦略的日本の大勝利であった。 投稿者 TORA 日時 2004 年 2 月 28 日 15:49:40)
TORAさん、どうもです。
私も以前疑念を提示したように、「どうしてノモンハン事件が日本軍の大勝利であったか分からない人」なのでレスします。
まず、何より、TORAさんが引用されているデータの扱い方に疑念を提示します。
引用:「
◆ノモンハン事件の日ソ両軍の損害数
◆日本軍側、戦死傷者一万七千四百五名、航空機百七十九機、戦車二十九台。
◆ソ連軍側、戦死傷者二万五千六百五十五名以上、航空機千六百七十三機、戦車八百台以上。
」
いわゆる共産主義を“悪の思想”だと考えており、「ソ連の共産党のプロパガンダをそのまま信じている」わけではありません。
ノモンハン事件については、当時陸軍省幕僚であった佐藤賢了氏が戦後の著作「佐藤賢了の証言」で、日本側はノモンハン事件における損害のあまりの大きさのために病院関係者への情報漏出禁止などを通じて戦死者数の秘匿を図ったと書いています。
ソ連が崩壊した後に公開されたソ連側機密データと未だもって建前のデータしか見えていない日本側のデータを比較して、これまでの通俗的戦史は誤りで、本当は日本軍が勝利していたというのは牽強付会ではないかと思います。
傍証としても、
石原莞爾氏をはじめとする関東軍や陸軍参謀本部の幕僚たちの「対ソ観」や満州国育成方針、そして、1941年の独ソ戦開始を睨んだ「関東軍大特種演習」の経緯などを考えたとき、当時のソ連の軍事力を直接知る唯一の機会であったノモンハン事件を踏まえた判断であったはずだと思っています。
(勝利していたらあのような判断は出てこないはずです。ここでは、自尊心の塊であった陸軍幕僚が勝ち軍を誇らなかったはずがないという精神論は脇におきま)
ソ連側を見ても、ノモンハン事件当時の司令官であったジューコフ大将が独ソ戦で不利に陥った戦況を建て直すためにモスクワに呼ばれたことからも、ノモンハン事件は、ソ連側優位で終わったはずだと思っています。
ドイツ軍よりも軍事力で劣っていたと判断できる当時の日本軍に敗れた将軍をモスクワに呼ぶことは考えられないことです。
ソ連崩壊で公開された資料に基づく「戦争・軍事行動及び軍事紛争におけるソ連軍の損害・統計調査」(監修:ゲー・エフ・クリヴーシェヴァ 軍事学修士・陸軍大将・モスクワ・軍事出版社1993年)によれば、ソ連側の戦死者&行方不明は5500名ほどで戦傷者数は12000名ほどですから、戦死傷者は17500名ほどになります。
(出所:http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/index.html8.htm :民族派のサイトのようです)
それから戦況を引用すると、
「ソビエトーモンゴル軍(以下ソ蒙軍と記す)は、1939年6月には、師団長ゲオルギー・カー・ジューコフ(7月31日には軍団司令官に昇進)が、指揮官と戦士を合わせて12500人・火砲109門・装甲車266両・戦車186両・飛行機82機を有していた。敵は、その数的優位を利用して、ソ蒙軍部隊を包囲・殲滅して、ソビエトのザバイカル方面への次期攻撃行動を展開するための橋頭堡であるハルハ河西岸を占領する目的で、7月2日戦闘行動に移行した。しかしながら3日間の流血戦の過程で、強行渡河に成功した日本軍の全部隊は、殲滅されるか、ハルハ河東岸に撃退された。ほぼ7月一杯に亘る日本軍の続攻は、至るところで撃退されたため成功しなかった。
しかしながら日本軍の司令部は、大失敗と甚大な損失にもかかわらず、侵略計画に従って、頑固に行動した。日本軍首脳は、ヨーロッパでファシストドイツが予定していた決着の戦いに時を合わせた、いわゆる総攻撃なるものの準備に着手した。その目的のために8月の始め、荻洲立兵中将指揮下に兵力75000人で日本第6軍が編成された。第6軍は火砲500門・戦車182両を持ち、そして航空支援のために、300機以上の飛行機が配属されていた。ソ蒙軍はその時までには、軍司令官ゲオルギー・カー・ジューコフ指揮の第1集団軍となっていて、指揮官と戦士を合わせて57000人を有していた。その編成は、砲・迫542門・戦車498両・装甲車385両・飛行機515機だった。
日本軍の機先を制して、ソ蒙軍は8月20日、強力な航空攻撃と、ほぼ3時間の攻撃準備射撃の後に、北と南の2個集団軍で攻撃に移行した。8月23日、日本軍の両翼でこれらの集団軍が実施した手際のいい断固とした作戦の結果、日本軍の全配置部隊は包囲されてしまった。8月31日までには日本軍は完全に粉砕されていた。」
侵略など形容句表現は別として、大雑把な戦況はこのようなものだったのだろうと思っています。
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