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『一橋論叢』第130巻第4号(2003年10月号)所収
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1 問題の所在――ネグリ=ハート『帝国』の福祉国家観
「21世紀の新しい『共産党宣言』」「ポストモダンの『資本論』」ともてはやされる話題の大著、欧米のベストセラーであるアントニオ・ネグリ=マイケル・ハート『帝国』(邦訳、以文社、2003年)には、「福祉国家」は、ほとんど出てこない。注1
よく知られているように、彼らにとっては、もはや近代国民国家そのものが終焉し、「帝国主義」の時代も去って、脱中心的で脱領域的な「帝国」が生まれたことになっている。だから「福祉国家」は、近代のある時期に特定の領域で過渡的に成立した国家形態にすぎない。そもそも主権の所在が、グローバル資本主義のもとで、いまや国家から「帝国」に移行している。したがって福祉国家は、とりたてて問題にするほどの事象ではなくなる。
だが、邦訳には原書にはない「グローバル化の世界秩序とマルチチュードの可能性」という副題が付されている。ネグリ=ハートが「帝国」支配の対極においたスピノザ風「マルチチュード」にとっては、どうであろうか?
ネグリ=ハートは、多種多様なマルチチュードを超越論的に一元化する「国民」「人民」への「主権」設定や、「階級」や「市民」への「主体」の還元に反対している。とはいえ、マルチチュードが現実世界で労働し生活する多様な存在であるならば、「福祉国家」のもとで公的に享受された医療や年金、子どもや女性、老人、障害者へのサーヴィスはどうなるのだろうか? マルチチュードをそれ自体として扱う「第4部 帝国の衰退と没落」終章「帝国に抗するマルチチュード」では、「帝国」という「非・場」からの「エクソダス(脱出)」が語られるが、具体的プロジェクトに挙げられているのは「グローバル市民権」と「社会賃金」という、むしろ福祉国家論の文脈で論じられてきた問題ではないか?
このような観点から、改めて『帝国』のテキストに内在してみると、「国民国家の終焉」についての壮大な論理と共に、「福祉国家」についての彼らなりの捉え方が、随所で展開されていることがわかる。以下では、『帝国』の論理にできるだけ忠実に、ネグリ=ハートの福祉国家観を解読し、評注を加えてみよう。
なお、筆者は、講演記録「マルチチュードは国境を越えるか」をはじめ、最近発表した論文のいくつかで、またインターネット個人ホームページ「ネチズン・カレッジ」上の発言で、本書に幾度か言及しているので、『帝国』全体の論理やその政治学的評価について関心のある方は、それらを参照して頂きたい。注2
2 「福祉国家の衰退」は「国民国家の終焉」の従属変数
英語原書で478頁、邦訳では579頁に及ぶ浩瀚な書物『帝国』には、巻末索引がある。そこでは「福祉国家welfare state」が術語としては拾われているが、わずかに1箇所、第3部第4章「ポストモダン化、または生産の情報化」中の「コモンズ(Commons、邦訳では「共有のもの」)」における、以下のわかりにくい記述のみである。
「近代を通じて、公共的財産を私有化しようとする絶え間ない動きが続いてきた。……自然的なものと考えられていた共同体的な所有は、公共的な支出によって最終的には私的な利潤のために機能するような、第2、第3の自然へと変容させられていった。第2の自然は、たとえば北米大陸西部の大河にダムをつくり、乾燥した谷を灌漑することによって創られ、そしてその新しい富は、農業経営の帝王たちへと手渡されていった。資本主義は、公共財を私的に再領有する絶え間ないサイクルを開始する。すなわちコモンズ[共有のもの]の徴用である。
20世紀における福祉国家の興隆と没落は、こうした公的・私的な領有の循環的進行における、いま1つのサイクルであった。福祉国家の危機が意味したものは、何よりも公的な資金によって構築されていた公的な補助と配分の構造が私有化され、私的な利益のために徴用されているということであった。エネルギーやコミュニケーションの民営化に向かう現在の新自由主義の傾向は、この危機の進行におけるさらなる契機である。これは公的資金の莫大な投入を通じてつくられたエネルギーとコミュニケーションのネットワークを、私的なビジネスに譲渡することである。市場体制と新自由主義は、これら第2の、第3の、n番目の自然の私的領有を生き延びるのだ。」(pp.300-301,邦訳386ー387頁)
上の文章から読みとれることは、ネグリ=ハートが「福祉国家の興隆と没落」を、「公共財を私的に再領有する」近代資本主義の流れ、20世紀資本主義におけるそのサイクルの中で位置づけていることである。これは、彼らのいう「構成的権力(Le pouvoir constituant)」、すなわち、その源泉がマルチチュードの欲望や愛、抵抗にありながら、資本がそれを柔軟に組み込み制度化し、蓄積メカニズムに適合的な身体・情動を造形していくプロセスに照応する。注3 ニューディール型公共投資やヨーロッパ福祉国家も――かつての入会地や鉄道建設、今日のエネルギーやコミュニケーションと共に――原理的には「コモンズ」=「公的な資金によって構築されていた公的な補助と配分の構造」なのに、それが「私的な利益のために徴用されている」というのだ。これは、どういう意味であろうか?
このことは、索引には採られていない、他のわずかな箇所での福祉国家への言及から、ある程度は明らかになる。例えば、第1部第2章「生政治的生産」の「管理社会(the society of control)における生権力」での、次の言明である 。
「フーコーの仕事によって、規律社会から管理社会への移行という、社会的諸形態の歴史における画期的な移行を認識することが可能になった。……私たちは、管理社会を近代性の終端で発展し、ポストモダンに向けて開かれた社会として理解すべきだろう。……いまや権力は、生の感覚や創造性の欲望から切り離された自律的な疎外状態へと向けて(コミュニケーションのシステムや情報ネットワーク等を張りめぐらせることによって)脳を直接的に組織化すると共に、(福祉のシステムや監視された活動等を配備することによって)身体を直接的に組織化するような諸機械を通じて行使されるのである。このように、管理社会を特徴づけるものとして、規格化を押し進めるさまざまの規律性の装置の強化と全般化をあげることができるわけだが、しかし、規律とは対照的にこうした管理は、柔軟で絶えず変動するネットワークを通じて、社会的諸制度の構造化された場の外へと拡がっていくのである。第2に指摘しなければならないのは、フーコーの仕事によって、新しい権力パラダイムの生政治的な性質を認識することが可能になったという点である。生権力とは、社会的生に密着しつつ、それを解釈し、吸収し、再分節化することによって、内側からそれを規制するような権力形態のことである」(pp.22-24,40ー41頁)。
ここでは「福祉のシステム」は、フーコー的な「規律社会」がドゥルーズ=ガダリのいう「管理社会」にまで展開した段階における、資本が頭脳と身体を直接的に支配するシステムの一環とされている。しかもその支配は、「社会的諸制度の構造化された場」=家族や国民国家の外にまで広がり、柔軟な「生権力(バイオパワー)」によって、分節的でネットワーク的に遂行されているというのだ。注4
このような含意は、20世紀「福祉国家」研究において、その歴史的形成の主要な担い手とされてきた社会民主主義や、21世紀「福祉社会」形成の最先端と期待されているNGO・NPOに対する、ネグリ=ハートの辛口の評価からも、裏付けられる。
社会民主主義の場合は、その「国民国家の全体主義」への包摂によって、弾劾される。
「社会主義のインターナショナルは、その始まりからしばらくたった19世紀中頃から末のあいだに、強力な民族主義者の運動と折り合いをつけざるをえなくなったということ、そしてまた、そうした対決を通じて、労働者の運動がそもそも抱いていたインターナショナリストたらんとする情熱がまたたく間に消え失せてしまったということである。ドイツ、オーストリア、フランス、そしてとりわけイギリスにおいて繰り広げられた、ヨーロッパの最強の労働者運動の方針は、すぐさま国民的利害という旗を掲げるようになった。社会民主主義的な改革は、国民の名において構想されたこうした妥協――種々の階級的利害のあいだの妥協、換言すれば、プロレタリアートと各国におけるブルジョア的なヘゲモニー構造のある種の階層のあいだの妥協ムムに、そのすべての力を注ぎ込んだ」(p.111,152頁)。
NGOの場合は、今日の『帝国』が君主制・貴族制・民主制型支配を併存させ使い分ける柔軟な支配であり、生権力がマルチチュードの欲望を汲み上げ吸収する民主制ネットワークの枠組みで、冷たくあしらわれる。
「人道主義的なNGOは(たとえ、こうした言い方が、参加者たちの意図に反するものであったにしても)、新たな世界秩序が所持する最強の平和的な武器のうちのいくつかにほかならないといえよう。言いかえるなら、それらは『帝国』の慈善キャンペーンであり、托鉢修道会なのである。それらのNGOは武器を持たず、暴力にも訴えず、国境を越えて『正義の戦争』を遂行している」(p.36,56頁)。
これでは、マルチチュードは、出口無しではないか?
3 福祉国家の歴史理論――ヨーロッパ対アメリカ
だが、先にも見たとおり、「福祉国家」をもたらしたものも、もともとマルチチュードの共有する欲望=「コモンズ」であり、それが「私的に領有」されたのが問題だというのが、ネグリ=ハートの論点だった。この側面は、例えば次の1節で語られる。そこでは、ヨーロッパの福祉国家とアメリカ・ニューディールが、類型的に対比される。
「ニューディール体制下の法律制定そのものが、西ヨーロッパにおけるそれと類似した福祉システムの構築と並んで、ソヴィエトの経験によって呼び覚まされた脅威に対する応答として、言いかえれば、自国と外国の両方における労働者運動の力の増大に対する応答として捉えうるのだ。」(p.176,228頁)
しかし、ここでのヨーロッパ型福祉国家とアメリカ型ニュー・ディールは、第1次世界大戦後の資本の応答として共通しながらも、「帝国」への方向性は異なる。ネグリ=ハートは、「テーラー主義」「フォード主義」型生産と結びついたアメリカ型の恐慌脱出に、第2次世界大戦から今日の「帝国」に通じる、普遍的な道を見出す。対するヨーロッパ福祉国家は、パターナリズム(転載者注:父権的温情主義)と帝国主義が結びついた古い型とされる。実際、彼らが集中的に「福祉国家」を扱っているのは、「索引」では出てこない第3部第2章「規律的統治性」の、「世界のためのニューディール」の項である。
「ニューディールとともに、帝国主義を乗り越える真のプロセスが根を下ろし始めたのだ。合衆国においてニューディールは、民衆的勢力とエリート層の双方を包み込んだ強力な政治的主体性によって支持された。20世紀初頭以来、脈々と受け継がれてきたアメリカ的進歩主義のリベラルかつポピュリスト的な側面が、フランクリン・デラノ・ローズベルトのアクション・プログラムに収斂したのである。……国家は、紛争の調停者としてばかりではなく、社会運動の原動機としても賛美された。国家の法的構造の変革によって訴訟手続きのメカニズムが始動させられ、広範かつ多種多様な社会的諸力の熱心な参加と意見表明が可能になったのである。また国家は、ケインズ主義が労働および貨幣政策に適用されたことに表されているように、経済的調整においても中心的な役割を演じたのだった。合衆国の資本主義はこれらの改革によって前方へと駆り立てられ、高賃金、高い消費水準、激烈な紛争からなる社会体制へと発展していったのである。
そして、この発展から、近代福祉国家を構成することになる次のような三位一体が生じた。すなわち、それは、労働の組織化におけるテーラー主義、賃金体制におけるフォード主義、社会のマクロ経済的調整におけるケインズ主義、これらを総合したもののことである。そこでは、ヨーロッパの場合がそうであったように、公的扶助と帝国主義的動機を混ぜ合わせた経済的・政治的諸政策によって、福祉国家が生み出されたわけではなかった。むしろそれよりも、蓄積過程のより大規模な3加を伴う規律の体制を押しつけながら、社会的諸関係を全体的に包囲するような国家が生み出されたのである。それは、自由主義的計画を実行する国家によって調整された、自ら透明でありたいと望む資本主義にほかならなかった。」(pp.241-242,315ー316頁)。
ここで否定的文脈で語られているように、ネグリ=ハートにとっては、ヨーロッパ福祉国家は「公的扶助と帝国主義的動機を混ぜ合わせた経済的・政治的諸政策」で、この「公的扶助」は「近代化・保護主義・パターナリズム」な国民統合とされる(邦訳322頁)。
対するアメリカ合衆国のニューディールは、「労働の組織化におけるテーラー主義」「賃金体制におけるフォード主義」「社会のマクロ的調整におけるケインズ主義」を基礎に、多種多様な社会的諸力をリベラルでポピュリスト的な「大規模な参加を伴う規律の体制」に動員しえた点で、ヨーロッパとは区別されるという。
これは、現代福祉国家研究の定番とされるエスピン・アンデルセンの3類型モデルとの対比でいえば、ヨーロッパ大陸型の「保守主義モデル」よりアングロサクソンの「自由主義モデル」に生命力を見出したことになる。しかし、あまりにも大雑把かつ経済還元主義的で、北欧型「社会民主主義モデル」を全く無視しているため、福祉国家の実証的研究には、ほとんど役に立たない。注5
ネグリ=ハートは、第2次世界大戦後の「福祉国家」を、ブレトン=ウッズ体制を通じてのアメリカ型モデルの世界化だとする。
「第2次世界大戦後に着手された経済復興のプロジェクトは、戦争に勝利した同盟諸国と敗北した列強の双方を含むすべての支配的な資本主義諸国に対して、ニューディールの打ち立てたモデルに則った規律社会の拡大モデルへの加入を押しつけたのである。こうして、それ以前にヨーロッパと日本で実施されていた国家を基盤とする公的扶助の諸形態と、コーポラティズム的国家の発展(その自由主義的諸形態と国家社会主義的諸形態の両方を含む)は、実質的な変容を蒙ることになった。その結果、『社会国家』ムムというよりも現実には、グローバルな規律的国家ムムが生まれたのであり、それはさまざまの人口を構成する住民のライフスタイルを――安定した通貨体制によって固定された集団的取引という図式の内側でそれらの生産と再生産を管理しながら――より広くかつ深く斟酌するものであった」(p.244,318頁)。
つまり、第2次世界大戦後の「帝国主義」には、「3つの仕組み」が作用した。第1に新植民地主義とベトナム戦争、第2に多国籍企業とグローバル生産分業、そして第3が福祉国家をビルトインした国際関係で、「規律社会から管理社会へ」の転換とされる。
「合衆国のヘゲモニーのもとで実施された経済的・社会的改革のプロジェクトの結果として、支配的な資本主義諸国の帝国主義的政治が変容を蒙ることになった。新しいグローバルな光景は、基本的に以下の3つの仕組みないし装置を中心に定義され、組織された。すなわち、第1に、合衆国を起点にのびているさまざまの階層的な線にしたがって世界市場を徐々に再構成していった、脱植民地化のプロセス。第2に、生産の漸進的な脱中心化、第3に、地球全体に規律的な生産体制と規律社会を押し広め、それらを1対のものとして順次発展させていくことになった国際関係の枠組みの構築、これら3つのことである。これらの側面の各々が、帝国主義から『帝国』へと向けて踏み出された1歩を構成しているのだ。」(pp.244-245,319頁)
「支配諸国から(とりわけ合衆国から)投げ出されたイデオロギー的モデルは、フォード主義的な賃金体制、テーラー主義的方法にもとづく労働者の組織化、そして近代化・パターナリズム・保護主義を押し進めようとする福祉国家、これら3つの要素から成り立っていた。資本の観点からすると、このモデルが夢見ていたのは、ゆくゆくは世界中の労働者1人1人が十分に規律化されるようになり、グローバルな生産過程――換言すれば、グローバルな工場・社会とグローバルなフォード主義――のなかで互換性のある存在となる、ということであった。フォード主義的体制の保証する高賃金とそれに随伴する国家の扶助は、労働者が規律性を受け入れ、グローバルな工場の一員となったことの報酬として呈示されたものにほかならなかったのだ。」(p.247,322頁)
ただし、旧植民地・従属諸国では「福祉国家」はイデオロギーとしてのみ広がり、冷戦体制下の旧ソ連・東欧等現存した社会主義諸国も、基本的にはこのモデルに従ったという。
「フォード主義を特徴づける高賃金の体制と福祉国家を特徴づける広範な社会的扶助は、従属的な資本主義国家においてはたんに断片的なかたちでしか、また限られた住民のためにしか実現されなかったのである。もっとも、じっさいにはこれは全面的に実現されるには及ばなかったのだが。なぜなら、その実現をたんに約束することの方が、近代化のプロジェクトについての十分な合意を確保するためのイデオロギー的な説得手段としてはかえって効を奏したからである。……社会主義国家の指導者たちは、このような規律的プロジェクトに実質的に同意した。テーラー主義に対するレーニンの有名な熱狂は、のちに毛沢東の近代化プロジェクトによって追い抜かれることになった」(p.248,322ー323頁)
4 福祉国家の危機と労働の再編ムム「帝国」出現の生政治的文脈
しかし、ネグリ=ハートによると、このようなシステムは、1968年以降、新たな変容を迎える。それが冒頭でみた、ケインズ主義的福祉国家の新自由主義的再編、「コモンズの再私有化」である。それを産み出したのは、労働者の闘争と労働組合の特権化だった。
「市場のグローバル化は、たんに資本主義的企業家精神がもたらしたおぞましい成果なのではない。それどころか、実を言うとそれは、世界を横切って規律化されたテーラー主義的およびフォード主義的な労働力が表明する、さまざまな欲望と要求の結果にほかならないのだ」(p.256,333頁)
「ブレトンウッズ体制のケインズ主義的かつ擬似帝国主義的なメカニズムは、合衆国、ヨーロッパ、日本において労働者の闘争が持続的に展開された結果、安定化と改良主義のためにかかるコストが上昇したとき、またさらには、従属諸国における反帝国主義的・反資本主義的な闘争が超過利潤の搾り取りをその根元から掘り崩し始めたときに、危機のなかへと入り込むことになった。」(p.265,345頁)
「資本の抑圧的な戦略は、社会的プロセスを完全に逆転させ、労働市場を分断及び分解しながら、生産のサイクル全体に対する統制力を再確立することを目標にしていた。このようにして資本は、ごく限られた一部の労働力のために保証された賃金を代表する組織を特権化し、全人口のうちにそれに相当する部分をそうした組織構造の枠内にしっかりと据え付けながら、それらの労働者と周縁化された人々のあいだの分離を強化したのである。その結果、階層的な区画化からなるシステムの再構築が、各々の国民の内部においても、また国際的にも押し進められるようになり、そしてついにそれは、社会的な移動性と流動性を管理することによって達成された。こうした取り組みにおいて使われた中心的な武器は、生産のオートメーション化とコンピュータ化を含む、テクノロジーの抑圧的な活用にほかならなかった。」(p.267,347頁)。
ただしこの「逆転」――福祉国家の危機と没落――も、資本による一方的な支配強化ではなく、むしろマルチチュードの主体的抵抗に対する資本の応答だった。
「資本は、プロレタリアートの主体性の新たな生産に立ち向かい、それに応答しなければならなかったのだ。こうした主体性の新たな生産は(すでに言及した、福祉をめぐる闘争を超えて)、エコロジー的闘争と呼ぶことの出来るもの、すなわち生活様式をめぐる闘争にまで達したのであり、非物質的労働の発展のなかで、そうした闘争がついに表明されるようになったのである」(p.269,349ー350頁)
「1960年代と70年代全般を通じた危機の期間に、福祉の拡大と規律の普遍化は支配諸国と従属諸国の両方において、労働するマルチチュードのために新しい自由の余白を創出した。別の言い方をすれば、労働者たちは規律の時代、そしてとりわけその不同意の契機と政治的不安定化の局面(ヴェトナム戦争がもたらした危機の期間のような)を利用したのであり、その結果、彼らは労働の社会的諸力を拡大し、労働力の価値を増大させ、賃金と福祉が対応を迫られることになる1群の欲求と欲望を整備し直すことができたのである。マルクスの用語法を踏まえて言うと、必要労働の価値が甚だしく増大したということになるだろう。……社会的賃金(労働賃金と福祉の両方に関わるもの)のけたはずれの上昇は、再生産の領域、非労働の領域、生の領域の上で繰り広げられる、さまざまな社会的闘争の蓄積から直接的に生じたものである。」(pp.272-273,353ー354頁)
「社会的な異議申し立てと実験の多種多様な形態はすべて、規律的体制に特有の物質的生産の固定的プログラムという流儀や、その大規模な工場、さらにはその核家族の構造などを重んじるのを拒否することに集中しているのであった。その代わりに、それらの運動はより柔軟な創造性のダイナミクスと、より非物質的な生産諸形態とを高く評価したのである。……若者は、工場社会のうんざりする繰り返しを拒否して、移動性と柔軟性からなる新たな諸形態と新しい生活スタイルを創出した。学生運動は、知識と知的労働に高い社会的価値をあたえるよう迫った。フェミニストの運動は『個人的な』関係の中に含まれている政治的内容を明らかにし、またさらに家父長的規律を拒否して、伝統的に女性の仕事とみなされていた事柄ムムこれは、情動労働ないしは介護労働の高度な内容を必然的に含むものであり、社会的再生産に必要なさまざまのサーヴィスを中心とするものであるーーの社会的価値を増大させた。これら一連の運動全体と、突如として現れた対抗文化の全体は、協働とコミュニケーションがもつ社会的価値を際だたせたのである。……非物質的労働の発展は資本にとっては脅威であった。そして、世界中の労働力が横断的に移動し、混成化する事態は、資本がかつて経験したことのない規模の新たな危機と階級対立を招きかねないと言うことは、資本自身がわかっていた。フォーディズム(転載者注:フォード主義)からポスト・フォーディズムへの、近代化からポスト近代化への生産の再編成は、新しい主体性の登場によって先取りされていたのである。」(pp.274-276,355ー357頁)
かくして「非物質的労働」が支配的になる「ポスト・フォーディズム」の時代、「ポストモダン化、または生産の情報化」が到来する。ここでの「非物質的労働」とは、(1)コミュニケーション労働、(2)情動労働、(3)相互労働・協働である。
「たとえば健康維持に関するサーヴィスは、主としてケア労働や情動にかかわる労働に依拠しており、娯楽労働も同様に、情動を創り出したり操作することに焦点を合わせている。この労働は、たとえそれが身体的で情動的であっても、その生産物が手で触れることのできないもの、すなわち安心や幸福感や満足や興奮や情熱といった感情であるという意味で、非物質的なものである。『対人サーヴィス』や緊密なサーヴィスといったカテゴリーは、こうした種類の労働を特定するのに使われるが、そこでじっさいに本質的なものは、情動の創出や操作なのである。……ケア労働は、たしかに身体的・肉体的な領域に完全に属するものだが、にもかかわらずそれが生産する情動は非物質的なものである。情動にかかわる労働が生み出すものは社会的ネットワークであり、コミュニティの諸形態であり、生権力なのである。」(pp.292-293,377ー378頁)
こうして資本による身体・情動の管理統制は、マルチチュードの欲望や愛情、家族やボランティアの善意や介護サービスをも生政治的に支配し、福祉国家の崩壊をも資本蓄積の一源泉として、「帝国主義」を超えた「帝国」の段階に達する。注6
5 レギュラシオン(転載者注:調整)理論からアメリカ型ポスト・フォード主義へ
総括的にいえば、ネグリ=ハートの福祉国家観は、次のようなものである。
「共有のものは、かつては公共的なものの基礎と考えられていたが私的利用のために収用され、誰も指1本動かそうとはしない。公共的なものはこうしてその概念においてすら解体され、私有化されてしまった。というより実際は、公共的なものと共有的なものの間の内在的な関係が、私的所有権という超越的な権力にとって代わられたのである。
私たちはここで、資本が世界中でたえずはたらいている破壊や徴用を嘆きたいわけではない。たとえ、その力に抵抗する(とりわけ、福祉国家の徴用に抵抗する)ことが、たしかにすぐれて倫理的かつ重要な課題であるとしてもである。私たちはむしろ、ポストモダン期の、情報革命の、それによる生産様式の変容の真っただなかにある今日、有効に作用する共有的なものの概念とは何かを問いたいのである。じっさい、今日私たちは、かつて資本主義の歴史のなかでは経験されたことがないぐらい深く根本的な共有性に参画しているように思える。私たちが参加している生産的な世界は、コミュニケーション・ネットワークや社会的ネットワーク、相互的なサーヴィス、共通の言語から成り立っているのである。私たちの経済的・社会的現実は、つくられ消費される物質的な対象によってよりも、共同に生産するサーヴィスや関係によって定義されるようになってきている。生産するということが、協働や、コミュニケーション的な共有性を構築することを意味するようになってきているのである。……共有のものとはマルチチュードの具体化であり、生産であり、解放なのである。」(pp.301-303,387ー389頁)
ネグリ=ハートは、なお現存する福祉国家を「国民国家の頑迷さのしるし」とまでいう。
「情報テクノロジーは、賃金構造の硬直性と文化的・地理的差異の両者に関して、労働者の組織的抵抗を弱体化すべく活用された。こうして資本は時間的柔軟性と空間的可動性を押しつけることが可能となったのだ。……失業率が下がるとき、あるいはより正確にいえば、即座に柔軟性や可動性に服することのない労働者の割合が上昇するとき、株式市場は下落する。ある国の社会政策が『帝国』による柔軟性と可動性の命令に従わないとき――もっと適切な言い方をすれば、福祉国家のいくつかの要素が国民国家の頑迷さのしるしとして保持されているとき――も同様の事態が起きる。通貨政策は、労働政策が命じた区分化を強制するのである。暴力、貧困、そして失業の恐怖が、結局のところはこうした新しい区分化を形成し維持する主要な直接的力である。さまざまな新しい区分化の政治の背後にはコミュニケーションの政治がある。」(pp.337-339,426ー427頁)
こうした論理から明らかなように、彼らの福祉国家についての理解は、フーコー=ドゥルーズ的権力論から、「テーラー主義」と「フォード主義」を経済的基礎にしたケインズ主義的福祉国家を分析し、その危機と崩壊の基底に、生産過程における「ポスト・フォード主義」「情報資本主義」の出現とそのグローバル化を見るものである。「帝国」の生政治的権力のネットワーク型支配は、それを深部で規定するマルチチュードの欲望やコミュニケーションを、資本が「再私有化」することでもたらされたものとされる。
20世紀後半の政治経済学の流れを学んだ人ならば、ネグリ=ハートの論理から、レギュラシオン理論の「フォード主義からポスト・フォード主義へ」を想起するであろう。実際、彼らの「フォード主義」時代の説明は、M・アグリエッタやA・リピエッツ、R・ボワイエらの分析を「アメリカ対ヨーロッパ」風に類型化し、レギュラシオニストの一部がバブル経済期の日本に危機からの脱出口を見いだそうとしたものを、冷戦崩壊後のアメリカに「ポスト・フォーディズム」の範型を見いだし、レギュラシオン理論の1国主義的分析を世界化して「グローバル・レギュラシオン」の完成態として描きだしたものである。注7
ただし、レギュラシオン学派とネグリ=ハートには、問題設定のズレがみられる。レギュラシオニストが高度経済成長期の国民経済に焦点を合わせ、賃労働関係、貨幣・信用形態、競争形態、国家形態、国際体制への参入形態という制度的諸形態の分析を媒介にして、調整様式・蓄積体制の動態を論じたのに対し、ネグリ=ハートは、「フォード主義の終焉」を前提にして、「ポスト・フォード主義」の典型をアメリカのIT革命・情報ハイウェイとその国境を越えた展開に見ている。しかもその「グローバル・レギュラシオン」は、「アメリカ帝国主義」ではなく、国民国家や多国籍企業をも超越した脱領域的で脱中心的な資本のネットワークだというのだ。
そのため、レギュラシオニストの一部(B・コリアら)から、バブル経済期に「ポスト・フォード主義」の模範とされた日本型経済システムは、ネグリ=ハートにおいては、トヨタのカンバン・システムが「情報経済」への移行における生産とコミュニケーションの端緒的な結合事例として一言されるにすぎない(邦訳374頁)。それは無論、バブル経済期のレギュラシオニストとは異なり、日本経済が「失われた十年」へと歴史的に退却したのを見届けてのことではあるが、そればかりではなさそうである。
レギュラシオン学派がP・ブルデューの「ハビトュス」概念から示唆され用いた「労働ノルム」(転載者注:ノルムは規律ないし様式)「消費ノルム」について、ネグリ=ハートは、生産のコンピュータ化・情報化によって、「非物質的労働」であるコミュニケーション労働、情動労働、相互労働・協働がいまや「人間の労働力1般の支出として、つまり抽象的労働として均質な仕方で把えられるようになった」ために(邦訳376ー377頁)、シンボル操作や情報ネットワークがそれ自体として価値を産み出し、「工業経済から情報経済への移行」(邦訳379頁)が決定的になったと認識する。それが、医師の治療からボランティアの介護、対人関係における愛情表現や微笑サービスまでを含む「福祉の再私有化」の根底にある構造的変化となる。注8
そのため、いまや「工業経済」において「世界の工場」となった中国経済は、彼らの分析では全くスキップされ、そもそも壮大な「帝国」概念の提起にあたっても、もっぱら古代ローマ帝国が参照されて、アジアの中国型「帝国」システムは視野に入らない。注9
6 2人のアントニオ──グラムシとネグリの交点と分岐
ここで想起されるのは、M・アグリエッタらが「フォード主義」的レギュラシオン様式を戦後資本主義の好循環の秘密として見出したさいの「導きの糸」であった、イタリアの反ファシズム思想家アントニオ・グラムシの「アメリカニズムとフォーディズム」分析、とりわけ「ヘゲモニーは工場から生まれる」という、よく知られた命題である。注10
ネグリは、同国人の革命思想家として、『帝国』でもグラムシに敬意を払っている(邦訳304、477頁など)。だが、ネグリによるグラムシの明示的参照が世界市場におけるアメリカのヘゲモニーにあるのとは裏腹に、彼らが論理的に下敷きにしたのは、『帝国』では簡単にしか触れられない、グラムシのフォード主義分析における労働規律と労働者生活の変容、その生政治的読み替えであったように思われる。ネグリはいわば、グラムシの「ヘゲモニーは工場から生まれる」というテーゼを、「ヘゲモニーは情報から生まれる」と読み替えたのである。
この点で、わが国のグラムシ研究者松田博の最近の論文が興味深い。松田は、時にグラムシにおける経済還元主義の残滓として批判される「ヘゲモニーは工場から生まれる」という命題が、イタリア語『獄中ノート』原典の「ヘゲモニー(Lユegemonia)」の定冠詞を無視した誤読・誤訳にもとづくもので、その含意は、29年恐慌以前のアメリカではフォード主義的「構造=工場」が政治的・イデオロギー的「上部構造」を直接的に規定し「ヘゲモニーの根本問題は未だ提起されていない」のに対し、イタリアを含むヨーロッパでは、伝統的蓄積様式が近代化・合理化の足かせになって「ヘゲモニーの根本問題」が「構造=工場」からではなく「上部構造」次元で提起されざるをえないという意味だったという。注11
どうやら2人のアントニオ──共に獄中で思索したグラムシとネグリ──は、スピノザーマルクスーニーチェの流れが顕著な『帝国』全体の論理から受ける印象とは違って、意外に近くにいるようである。第1に、権力論を基底に資本主義とヘゲモニーを見る構造的視点において。第2に、最新の生産技術から労働規律・生活規律の変容に注目し、諸個人の身体的・情動的様態から政治的脱出口を考える変革的思考と知的情熱において。
だが、方法的な分岐もあるように思われる。サバルタンに耳を傾けるグラムシが、思索の断片を具体的・歴史的事例に即して中範囲に展開するのに対し、同じく獄中での思考を文章にしながら、弁証法を言葉の上で否定するネグリの方が、ヘーゲル倫理国家風の「帝国」を全地球的完成態に祭り上げ、福祉国家のような国家形態の差異やNGOに潜在するマルチチュードの抵抗の現存を軽視しがちであるように思われる。いわば、断片的思考を多様で重層的なノートとして残したグラムシの方が、マルチチュードに多様な解放の道筋を示唆し、後世に開かれた思考のスペース──知的公共空間──を与えてくれるように思われる。とりわけなお福祉国家を「頑迷に」求める、地球的弱者サバルタンにとっては。
この点について、筆者は、グラムシが第1次世界大戦の国民戦化・総力戦化を政治的力関係の世界に置きかえた「機動戦から陣地戦へ」になぞらえて、冷戦崩壊・湾岸戦争以降の戦争様態の変容に伴う政治の位相変化を、「陣地戦から情報戦へ」と見なすべきだと主張してきた。ただしそのさい、グラムシが陣地戦の時代にも機動戦が無効になるのではなく副次的になるとしたのにならい、「情報戦の時代」にあっても、陣地戦や機動戦はなくなるのではなく、情報に媒介されて副次的になると論じた。注12
こうした重層的な接合の論理からすれば、「工業経済」も「情報経済」に置き換えられるのではなく、位相を転換して併存し、「帝国」の出現も、国民国家や国際諸組織・国際法とせめぎあいつつ、「主権」概念自体がたえず再審される。「福祉国家の頑迷さ」は、マルチチュードの引き続く抵抗を意味し、その帰趨はなお決してはいない。従って、ネグリ=ハートが処方箋にした「グローバル市民権」や「社会賃金」も、彼らが黙殺した北欧福祉国家の「社会民主主義モデル」における実験に、脱出口が見出しうるかもしれない。
経済のグローバル化に「帝国」出現を見出す前に、「福祉国家の終焉」テーゼこそ、先ず再審さるべきと思われる。事実その種の研究も、多数現れている。注13 福祉国家の研究は、ネグリ=ハートを否定的媒介として、なお=u第3の道」「ワークフェア」からNGO・NPO、グローバル市民社会やグローバル・ガバナンスの領域に執着すべきなのである。
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(注) 1. Michael Hardt & Antonio Hegri, Empire, Harvard University Press, 2001(アントニオ・ネグリ=マイケル・ハート『帝国』水嶋1憲ほか訳、以文社、2003年)。無料で入手できるインターネット上の英文版は、http://www.angelfire.com/cantina/negri/、書評・論評の膨大なリンク集は、http://struggle.ws/global/issues/empire.html、http://www.rosalux.de/Einzel/empire/fremdspr.htm。
2. 加藤哲郎「マルチチュードは国境を越えるか?――政治学から『帝国』を読む」『情況』2003年6月号、短評は「歴史書の棚」『エコノミスト』2003年6月3日号、その他、加藤「現代資本主義を読み解くブックガイド」『エコノミスト』2002年11月26日号、「反ダボス会議のグローバリズム」『エコノミスト』2003年5月13日号、「情報戦時代の世界平和運動」『世界』2003年6月緊急増刊号、「情報戦時代の『帝国』アメリカ包囲網――インドで『世界社会フォーラム』を考える」『葦牙』第29号、2003年7月、「グローバル情報戦時代の戦争と平和ムムネグリ=ハート『帝国』に裏返しの世界政府を見る」日本平和学会『平和研究』第28号、近刊、など。インターネット上では「加藤哲郎のネチズン・カレッジ」http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Home.shtml、参照。
3. この点について、より詳しくは、ネグリ『構成的権力』松籟社、1999年、ネグリ『生政治的自伝』作品社、2003年。その他『帝国』については、『現代思想』1998年3月、2001年7月、2003年2月、『情況』2003年6月のネグリ及び『帝国』特集、中山元「ハート/ネグリの『帝国』を読む」http://www.nakayama.org/polylogos/empire.html、等参照。
4. 邦訳42頁の注4にも、「多くの思想家がこの線にそってフーコーのあとを追い、福祉国家を問題化することに成功してきた」とある(邦訳568頁)。なお、A.Heller & S.P.Riekmann eds., Biopolitics: The Politics of the Body, Race and Nature, Avwbury 1996.
5. G・エスピン・アンデルセン『福祉資本主義の三つの世界』ミネルヴァ書房、2001年、岡沢憲芙・宮本太郎編『比較福祉国家論』法律文化社、1997年、参照。
6. この「帝国主義」を超えた「帝国」の出現が、ネグリ=ハートの最重要な問題提起の1つである。この点については、最近の「グローバリゼーション」研究とつきあわせる必要がある。筆者自身は、「国民国家のゆらぎ」のもとでのグローバル、リージョナル、ナショナル、ローカル・レベルのガバナンスを問題にする、D・ヘルドの立場に近い。A. Brewer, Marxist Theories of Imperialism, Routledge, 1992. D.Daniele & D.Held, Cosmopolitan Democracy, Polity, 1995. D.Held, Democracy and the Global Order,Polity, 1995(『デモクラシーと世界秩序』NTT出版、2002年)、 D.Held ed., A Globalizing World?, Polity, 2000(『グローバル化とは何か』法律文化社、2002年)、D.Held & A. McGrew eds., The Global Transformations Reader, Polity, 2000. D.Held & A.McGrew, Globalization/Anti-Globalization, Polity 2002. A. Giddens, Runaway World, Profile Books, 1999(『暴走する世界』ダイヤモンド、2001年)、 H.F. Dahms ed., Transformations of Capitalism,NYUP, 2000. P.Hirst & G.Thomson, Globalization in Question, Polity, 1999. W.F.Fisher & T.Ponniah eds., Another World is Possible, Zed Books, 2003. 藤原帰1『デモクラシーの帝国』岩波新書、2002年、伊豫谷登士翁『グローバリゼーションとは何か』平凡社、2002年、加藤哲郎『20世紀を超えて』花伝社、2001年、同『国境を越えるユートピア』平凡社、2002年、など参照。
7. ネグリ=ハート自身、邦訳316頁注6でアグリエッタを引きつつ、「近代福祉国家を構成する三位一体」を説明する「支配的見解」と認めている(邦訳536頁3照)。なお、山田鋭夫『レギュラシオン・アプローチ』藤原書店、1991年、同『レギュラシオン理論』講談社現代新書、1993年、M・アグリエッタ『資本主義のレギュラシオン理論〔増補新版〕』大村書店、2000年、A・リピエッツ『奇跡と幻影』新評論、1987年、山田鋭夫=R・ボワイエ編『戦後日本資本主義』藤原書店、1999年、など3照。
8. B・コリア『逆転の思考』藤原書店、1992年。筆者はこうした日本資本主義の位置づけに反対し、国際論争を組織して英和両文で公刊した。加藤哲郎=ロブ・スティーヴン共編著『国際論争 日本型経営はポスト・フォーディズムか?[英和両版]』窓社、1993年。Tetsuro Kato & Rob Steven, 'Is Japanese Capitalism Post-Fordist?', in Johann P. Arnason & Yoshio Sugimoto eds., Japanese Encounters With Postmodernity, Kegen Paul International, 1995. Tetsuro Kato, Japanese Regulation and Governance in Restructuring: Ten Years after the 'Post-fordist Japan' Debate, メHitotsubashi Journal of Social Studiesモ, Vol. 34, No.1, Tokyo, July 2002.
9. このことは、邦訳7頁の注2で、M・デュヴェルジェを引きつつ明言されている(邦訳572頁)。
10. アントニオ・グラムシ「アメリカニズムとフォーディズム」デイヴィド・フォーガチ編『グラムシ・リーダー』御茶ノ水書房、1995年、第9章。
11. 松田博「「グラムシ像の『争点』探訪(1)ムム『ヘゲモニー=工場発生論』の再審」『季刊・唯物論研究』第84号、2003年。なお、松田『グラムシ研究の新展開』御茶の水書房、2003年、をも参照。
12. 加藤前掲『20世紀を超えて』序章、これは、直前に97歳で没した石堂清倫の遺著『20世紀の意味』平凡社。2002年、への筆者なりの追悼であり応答である。
13. 宮本太郎編『福祉国家再編の政治』ミネルヴァ書房、2002年、など参照。
http://www.ff.iij4u.or.jp/~katote/Homef.html