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(回答先: 虐待親のおかしさは、虐待するために逆に子供を手放そうとしない事だ 投稿者 スパルタコス 日時 2004 年 1 月 27 日 18:07:37)
エンセンさん、*さん、スパルタコスさん、レス有り難うございます。
最初に大阪で起きた2件の「子供虐待事件」について考えていることを述べたいと思います。私はこれらの事件は、ひどくショッキングではありますが、ある意味古典的な事件だと考えています。
「中3男子虐待事件」は、典型的な継母による継子虐待事件と考えています。(実父も継母と一緒になって虐待に加わっていますが、これもこうした事件でよく見られる父親の態度です。)
このような事件は古くから世界中で説話化されており、ヨーロッパでは『シンデレラ』や『白雪姫』、日本でも『落窪物語』のような形で残されています。今回の事件に特異性があるとすれば虐待を受けた子供が中学三年生にも達していたことです。この年齢になれば、家出するなり或いは逆に家庭内暴力と言う手段で反撃にでてもいいと思いますが、私はこの子がいわゆる「いい子」であったためにこうした行動ができなかったのではないかと思っています。(新聞記事中に「以前は明るい子だった」とか「学年代表だった」といった記述があったはずです。)このような子は一層ひどく虐待を受けることになります。反撃してこないので安心して虐待できるのです。
次に「三歳児投捨て事件」ですが、詳しい経緯は不明ですが「親子心中未遂事件」ではないかと考えています。(あっしらさんも同様に考えておられるようです。)「親子心中事件」は以前から日本で特に多いとされてきました。この点については子供を親の付属物とする日本独自の親子観から説明されてきたものです。今回の事件の従来からの「親子心中事件」と異なる点は、母親の自殺意思がはっきりしないなかで、子供に対しては明らかな殺意が認められ、その方法も5階の窓から足を掴んで逆さに投げ落とすという残酷な方法である点です。
これらの事件には従来から見られる事件の要素が認められる一方で、昨年後半から報道されだした「嬰児虐待事件」は子供虐待の新しい段階と考えています。これまで子供虐待をおこした親達は、決まって「躾だった」という弁解をしてきました。しかし相手が赤ちゃんであってはこうした弁解は最早不可能です。おそらくこれらの親にとっては子供は単に邪魔な存在なってしまっています。
もちろん日本では古来より子供を「間引き」と称して殺害することはありました。しかしこれは経済的理由でなされてきたことです。また、これも昔からある「捨て子」は他人に育ててもらうために見つかりやすい場所に捨ててきました。このような古典的「捨て子」とは違い、明らかに未必の故意による殺人である「コインロッカー・ベイビーズ」(村上龍の小説の題名)が頻発したのが20年前だったと思いますが、これらもまだ赤ん坊に対し直接暴行を揮うことは避けていました。ですから、最近の嬰児虐待は、子供虐待が新しい段階に入ったと兆候と考えています。
さて3人の方のレスに対してですが、先にスパルタコスさんのご意見について簡単にお答えさせてください。
>虐待親に限って、親権を盾に絶対に子供を手放そうとせず、施設から連れ戻して虐殺するケースが多いという事だ。彼らは決して単に経済的理由で、育てるのが大変だからおっくうになって、つい当たってしまうというものではなく、死ぬまで痛めつけるはけ口として子供を利用しているのだ。
今回の中三虐待事件でも祖父母のところに逃げた子供を連れ戻しています。こうした親達は子供虐待そのものを“楽しんでいる”節が見られます。それとともに、親としての世間的対面だけは保ちたいということもあるのではないでしょうか。
このような虐待親による執拗な連れ戻しを防ぐことが必要です。私は虐待される子供たちを親から完全に引き離し、別の子供を望む親に育ててもらうような通路を作ることが必要だと考えています。(戸籍上の実子・養子という区分も廃止すべきと考えています。)
エンセンさん、*さんのレスに対しては稿を改めて投稿したいと思います。