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(回答先: 当たり前すぎて文書に残らないこと 投稿者 すみちゃん 日時 2004 年 1 月 24 日 12:57:49)
すみちゃん
日本人はどうしても自分達を世界の中で特別な国民なのだ、他のアジア・アフリカ・中東の国とは違うんだ、という風に考えがちなので、日本史を客観視することが難しい部分があるような気がします。だから日本史の中で国民のヒーローとしてなじ親しんだキャラクターが外国勢力のエージェントだった、とか国内で列強の代理戦争が行われたなどということは、あんまり屈辱的で考えたくもない、という発想があるのではないでしょうか。
客観的に見れば英国がインド、中国、中東、シンガポールで、米国はフィリピン、カリブ海各国、中南米で、それぞれ現地における既存の支配体制を好き放題に蹂躙し、王族、豪族、軍閥などをカネ・暴力のコンビネーションで自在に操って支配体制を固めたのと全く同じ事を日本でもやった、ないしやろうとしたということだと思いますね。あくまでone of themでしかないということです。但し国民の資質というか勤勉度が他の非蹂躙地域より相当高かった関係で、さほど屈辱的な隷属関係にならずに済んだ、といったところでしょう。
英米人の発想では、これは善悪とか道徳とかが絡む話ではなくて、純粋に強い者、賢い者が勝つ「ゲームの論理」で割り切るべきことなのでしょう。確かにサトウの日記などを読むと、彼自身にせよ、ミットフォードにせよ特にあの時期の日本に派遣される、というのは真の意味で「体を張った」職務だった、と思いますね。二人とも攘夷派の武士・浪人たちに、日本刀でぶった切られる瀬戸際までいっていますね。だから財力、武力、体力、知力、度胸を総動員した国家間の(優勝劣敗)ゲームだった、ということで、英国人の発想からいったら、「あの当時の国家関係からいったらそのくらいの権謀術数は当然のことじゃないの、何騒いでるの?」といったところかも知れません。
それと指摘しておきたい点は、英米人、特に英国人が自分たちの文化について持っている、これはもう愛嬌を感じるくらいに強烈な優越感です。その後各紙に載ったラストサムライについての批評の中には、「人をすぐにぶった切るような野蛮な日本の武士の文化を、何故今更我々が崇拝しなければならないのか?ちょっと美化しすぎではないのか? 我々が日本に教えた民主主義、近代文明に対して何か不満があるとでもいうのか?」といった論調も散見されました。何しろ英国人の中には米国人についてさえ、「歴史的に見てアメリカ人は、我々英国人が手取り足取りで教育した」などという人だって少なからずいるくらいなのですね。
だから彼らは日本を含むアジアへの侵略・植民地化について、(奴隷貿易、麻薬貿易はさすがに別として)特に悪いことをしたという認識を持ってはいません。むしろ英国の法律・政治制度を移植してやったんだから感謝してほしい、とさえ思っているのではないかと思います。(セシル・ローズは相変わらす英雄としてTVなどの時代劇に登場します。)一方インド亜大陸の元植民地にもそういう感覚があって、(流血はあったものの)英国による植民地支配の歴史に対して、一定の評価を与えている部分があります。
私個人は第二次大戦までの植民地化については(日本のケースも含めて)、もう水に流した方がいいのではないか、と考えています。この問題を余りさかのぼるときりがないからです。英米の帝国主義を悪だというのは簡単ですが、例えば(歴史にイフがタブーなのは承知の上で)、産業革命が中国とか日本で起きる、といった運命の巡り合わせがあった、と仮定すればおそらく中国や日本がアジア、豪州、ヘタをすれば欧州まで植民地主義で蹂躙して巨大な帝国を作ったことでしょう。これはかつてチンギス・ハンが実際にやったことですね。だから人類が、「腕力の強い者が勝つ」という哲学から脱却することが、真っ先に必要な精神革命だと思うのですね。
とはいえ今英米がやっていることを正当化するのでは、もちろんありませんよ。「21世紀だというのに、いまだに19世紀の野蛮な哲学から抜けられない」彼らのやり方は、当然ながら最大級の糾弾に値します。