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(回答先: ホロコーストが本当に意味するもの 投稿者 戦争屋は嫌いだ 日時 2004 年 1 月 12 日 03:57:33)
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ところでヨーロッパにおけるユダヤ人の受難が、イスラエル国家を建設する際に大きなテコとして利用されたこと、さらにイスラエル国家建設にはロスチャイルド財閥の巨大な利権が絡んでいたことはよく知られている。従ってユダヤ人の受難はイスラエル国家建設(ズバリ言えばロスチャイルドの金儲け)、という文字通りの偉大な大義のために貢献した、ということができる。これは見方を変えれば「ユダヤ財閥の頂点にあるロスチャイルド家(ドイツ系)が、偉大な大義(イスラエル国家の建設=自らの巨大な利権)のために、身内(下々のユダヤ人、特に東欧系アシュケナージ)を犠牲にした。」ということに他ならない。ちなみに初期のナチス関係者は「ユダヤ人を欧州から追放する(この時点ではまだ抹殺ではなかった)」という目的を共有するシオニスト(ロスチャイルド)とは一種の協力関係にあったくらいなのである。
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この部分に関する関連年表。「ヘブライの館」の年表からの抜粋です。
http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/ 正式な入り口
http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/floors/floorA2F.html ここから入るといろいろな情報を読める。
抜粋したのは下の2個のページ。
http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/texts/textA2F/a2f2002.html
http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/texts/textA2F/a2f2003.html
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●740年頃
カスピ海沿岸の「ハザール汗国」のオバデア王、国民もろともユダヤ教に改宗させ、国難を乗り切る(ユダヤ人以外のユダヤ帝国の誕生)。
●954年
コルドバのカリフの総理大臣だったユダヤ人ハスダイと、ハザール王ヨセフとの間に『ハザール書簡』がかわされる。
●965年
キエフのスビャトスラフ、ハザール汗国へ遠征し、首都イティルを破壊。
●1016年
ビザンティン―ロシア連合軍、ハザール汗国と会戦。
●1078年
ローマ教皇グレゴリウス7世がキリスト教国でのユダヤ人の「公職追放令」を布告。
●1099年
十字軍、パレスチナを支配(〜1291年)。
十字軍の暴徒、ヨーロッパ諸都市でユダヤ人を虐殺。
●1243年
キプチャク汗国成立。ハザール汗国はバトゥ・ハーンの権力下に吸収され、ハザール汗国滅亡。
改宗ユダヤ教徒ハザール人たちはロシア・東欧に大量移住し、後のいわゆるアシュケナジー系ユダヤ人の中核を形成する。
●1290年
イングランドのエドワード1世が、ユダヤ人を国内から追放。
…追放、虐殺、迫害が延々と続くが省略…
●1554年
「ユダヤ人集団隔離居住区(ゲットー)」がヴェネチアに初めて設置される。
…
一部のユダヤ人はゲットーを逃れて、「宮廷のユダヤ人(ホフ・ユーゲン)」「サロンのユダヤ人」「保護されたユダヤ人」と呼ばれるグループを形成する。
●1801年
ロスチャイルド家の公式な歴史は、1743年にドイツのフランクフルトで生まれた、マイヤー・アムシェル・ロスチャイルド(ロスチャイルド1世)の活動とともに始まっている。…1801年、ロスチャイルド1世はヘッセン侯爵家の「銀行事務弁理人」に任命され、当時のヨーロッパ最大の資本国の金庫の管理を任されたのである!(http://rerundata.hypermart.net/ura/hexagon/texts/textA2F3/a2f1000.html)
●1882年
平等と自由を求める「ホバベイ・ジオン」や「ビールー」という団体に組織されたユダヤ移民の第一波がパレスチナに到着。
●1891年
モスクワとペテルスブルグからユダヤ人追放。
ユダヤ人モレヒバが「シオンを愛する人々」を創立。
●1892年
「シオンを愛する人々」の理論的指導者ピンスケル、「自力解放」に共鳴して、パレスチナに最初のユダヤ人コロニーを成立させる。
●1894年
フランスで“ユダヤ禍”を宣伝した「ドレフュス事件」発生。
●1896年
「ドレフュス事件」にショックを受けたテオドール・ヘルツルが『ユダヤ人国家』を出版。政治的シオニズム運動の始まり。
●1897年8月
テオドール・ヘルツル、スイスのバーゼルにて「第1回シオニスト会議」を開催。この会議で「シオニズムはユダヤ民族のためにパレスチナの地に公法で認められた郷土を建設することを目的とする」という「バーゼル綱領」が採択される。
●1901年
「ユダヤ国民基金」が誕生。パレスチナの土地を買い求め、ユダヤ人移民に貸し与えた。その土地をパレスチナ人に貸与することは禁止された。
●1909年
ユダヤ人最初の町「テルアビブ」が創設される。
●1910年
最初のキブツ(共産村)である「デガニア」がガリラヤ地方にできる。
●1917年11月
大英帝国がユダヤ人大富豪家のライオネル・ロスチャイルド卿に「ユダヤ国家樹立」を約束する書簡(バルフォア宣言)が取り交わされる。
●1922年7月
国際連盟(1920年1月に成立)がイギリスのパレスチナ支配を正式に承認。イギリスは全パレスチナの77%を占めるヨルダン川東岸のパレスチナを、イギリスの傀儡アブドゥラ王(現フセイン国王の祖父)に与え、トラスヨルダンと名付けた。
また、イギリスはパレスチナへの移民を1年間に7万人と制限したが、これにユダヤ人は激しく反発。この移民制限が、結果的にやがて台頭してきたナチス・ドイツにユダヤ人の大量虐殺を許す原因になった。
●1929年
ユダヤ人のパレスチナ入植を進めるため、現地での警備から世界的な農業輸出、ニューヨークでの資金調達までを行なう「ユダヤ機関(JAFI)」という強力な組織が作られ、これが臨時政府として最大の役割を担うことになる。
●1933年1月
ドイツでナチスが政権を握る。
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