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(回答先: Re: 小泉が首相だろうが個人だろうが、どこへ参拝しょうとまったく自由である。自由でなければならない。 投稿者 たけ(tk) 日時 2004 年 1 月 04 日 22:52:09)
>小泉氏の靖国参拝で、中・韓の人々は激しく反発しました。
>そして、その中・韓の反発に対して、ブッシュ小泉さんは激しく反発しました。
>ブッシュ小泉さんと同様の反発は、ひろく日本の国民も感じているはずです。
>小泉の靖国参拝で庶民は精神的に感化されます。
>小泉氏の実際の所は分かりませんが、政治家の言動として分析する場合には、>「近視眼的な選挙対策」といった過小評価や、「最悪の宰相」とか「よくやってくれた」>といった感情的な評価をすべきではありません。その言動が持っているはずの政治的意図を、>その言動によって生ずべき結果から客観的に推測していくべきだと思います。
私は首相の参拝は一貫性の無い単なる個人的儀礼の範囲内のもので、つつきまわしても何も出て来はしないと思います。仰るような冷静
で客観的な視点から考えるならば、小泉首相の神社参拝は単なる神
社参拝でありそれ以上でもそれ以下でもありません。それをありも
しない妄想で壮大な権略の一部の様に言うのはどうかと思います。
また参拝に対しての意見の賛否は当然ありますが、その論拠を外国
メディアが報道する「国民感情」に求めても始まらないでしょう。
所詮国民感情なるものは、昨今のメディアの大衆心理操作の技術と
リソースを以ってすればどうにでもなる都合の良いものです。その
良い例が戦前の日本のメディアであり多少の違いはありますが現在
の中国や米国のメーンストリーム・メディアであり、従ってそうし
たメディアに翻弄された感情的な議論を前提としての提言は、極力
避けるべきだと思うのです。そうした議論は立場の右左に関わらず
単なる操り人形同士の不毛な代理戦争でしかないからです。
>確かに、小泉氏が個人的な人権の観点や、>近視眼的な選挙対策で行動しているという推測も成り立ちます。
>しかし、そういう推測は政治家としての小泉氏に対して失礼でしょう。>小泉氏も政治家であるかぎりは結果責任の観点から深謀遠慮で行動しているはずです。
首相の行動に対する客観的な分析をする上で「失礼」かどうかなど
関係ないと思いますが?それとも議論を詭弁的論法で丸め込もうと
いう魂胆でしょうか?こういう物言いをするから反発を食らうので
はないかと思います。逆効果ですよ。
ではでは。