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■6.自由への戦い■
こうして始まったウィリアムとオランダ人民による自由への戦いであったが、勇猛なスペイン軍に対してしばしば苦戦を強いられた。ナールデンという城塞都市は、スペイン軍に包囲され、降伏を申し入れた。スペイン軍は街に入るや虐殺と略奪を行い、アルバ公はフィリップに対して、「すべての市民は喉をかき切られ、人の母から生まれた息子で生き残っている者はいない」と報告した。こうした経験から、オランダの諸都市は決死の抵抗を行った。
■7.卑怯な商人ども■
オランダ商人の利益を代表するこれらの政治家たちは、スペインとの戦争よりもオランダの商圏拡大に重きを置いた。 スペインとの戦争中に、オランダは経済的躍進を遂げ、世界一の海上帝国を建設したのだが、それはオランダが金はかかるが利潤のない地上戦闘は同盟国の援助に頼り、もっぱら海上勢力を充実したからである。当時の重商主義者トーマス・マンは言う。 オランダ人が東西両インドを征服し、その交易の果実をわれわれからむしり取っている間、われわれはオランダの防衛のために血を流しているのである。[1,p219]
自由貿易を信奉するオランダ商人のなかには、敵国スペインに大量の武器弾薬を売って大儲けするものもいた。その一人ペイラントは、逮捕されても「貿易は万人にとって自由でなければならず、戦争によって妨げられてはならない」と主張して、裁判で無罪を勝ち取った。この主張を「ペイラントの自由」と呼ぶ。[2,p337]
当時のイギリス人は、何の良心の呵責もなく敵に武器弾薬を供給するオランダ商人に呆れはてたという。バーカーも次のように述べる。 英国人は繰り返し同じ疑問を持った。われわれのように 強く勇敢な国民が貧乏していて、自分達のための戦いも金を払って他国民に戦ってもらっているような卑怯な商人どもが世界の富を集めているのは、果たして正しいことなのであろうか?[1,p219]
■8.「ペイラントの自由」の信奉者たち■
”事態を「わざと」甘く見て”、英国との戦争にはならないと主張した。
英国を圧倒する造船能力を持ちながら、海軍増強には金を使おうとはしなかった。これら政治家も、私利私欲のためには国家全体の危機も省みないという、「ペイラントの自由」の信奉者であった。 1665年の第二次英蘭戦争の前には、すでにオランダ船200隻が拿捕されていたにも関わらず、オランダ商人は英国に大量の軍艦用資材を売りつけて、倉庫を空にしていたという。これまた「ペイラントの自由」である。
政敵を利すまいと国家の危機にも目をそむける政治家と、儲けのためには、敵国にも資材を売る商人たちと、国中に「ペイラントの自由」の信奉者がはびこっては、さしもの経済大国オランダにも勝ち目はなかった。 英国は西アフリカや北アメリカのオランダ植民地を次々と奪取していった。ニュー・アムステルダムが、ニューヨークとなったのも、この時である。これを契機にオランダの海上覇権も失われ、世界貿易の中心はアムステルダムからロンドンに移っていく。
ここでいつものあっしらさんなら、このようなコメントは出ない。確かに、マルクスの恋人さんが言うように「オランダ」だの「イギリス」だのとストレートに言う訳がない。寄生虫。この言葉があっしらさんに圧力がかかったらしくあっしらさんがいつものあっしら節が消えて、ただの保守派の論客になったので、私が言います。今の体制で、単純に米英仏中露日イスラムを別物に考えて良い訳ではない。当時のオランダの「ペイラントの自由」は米英両国をはじめ、大国が裏で行っている事ですね。あっしらさんもそれは知っているはずなのだが、このサイトの影響力を恐れている人がいるのかも知れません。あっしらさんはこのような無難な論を言う人ではなかったのだが・・・
>現在も日米が全面対立になっていないのも、中国がまだ残っているからだ。ロシアだっていつ復権するかわからない。つまり日本は中国ロシアとは敵対しつつ協調し、アメリカとは協調しつつ敵対するという複雑な外交戦略をとる必要があります。そのためには非武装中立という戦略は成立し得ない。ある程度の武力を持ちつつ協調しながら敵対するという外交の技が日本に求められる。