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(回答先: 仲良しブッシュ・小泉同盟と「ザ・ラストサムライ」「新撰組」等の戦争ファンタジーの関係 [千葉邦雄のニュースの落とし穴] 投稿者 乃依 日時 2004 年 2 月 06 日 23:46:14)
http://www.chibalab.com/news_otoshiana/documents/2004.0206.htm
古賀潤一郎衆院議員の学歴真偽問題
この問題のメディアの注目度は、ちょっと異常なものを感じる。あまりの加熱ぶりに、ある種の魔女狩り的なものを感じてしまうのは、本当に私だけなのだろうか。こんなことを言うと古賀氏を批難しておられる方々は腹を立てられるかもしれないけど、古賀氏は、ある意味で日本人のもつ弱さの象徴のような気がして、何だかとても可愛そうな気がしてしまうんだなぁ。( 関連記事 )
平成の私たちは、あまりにも表面的な目にみえるモノに価値を置きすぎる故に、表面を取り繕ってしまうことになる。 No. 18のコラム「 エゴは鏡に映った『影』である 」で詳しく書いたように、 あくまで内面的な豊かさを求めるのではなく、物質的なものを求めるということは、結局のところ自分が他人よりも優れていることを、示さなければ収まらなくなってしまうということなのだ。より多くを手にいれようとし、より多くを周りに無神経に要求し、エゴをますます増長させていくことになる。
そしてふと気がつくと、私たちは物質的なものに囲まれた生活がすべてだと思い込むようになっている。当然他人よりも自分が優れているのだと本気で信じ込み、対人関係の第一の鉄則は、その相手よりも常に自分のほうが勝ること、という風になっていく。その結果として、なおさら自分の外にある物質的な確かな目に見えるものに慰みを求めて執着してしまう。だからデフレ経済で収入が減っているにもかかわらず、銀座や六本木ヒルズ等のブランド品や、アメリカ留学という華やかな肩書きを求めてしまう。
エゴという私たちの鏡に映った「影」は、常に私たちを攻め立て、心の安らぎを得るためには、もっと多くのものを手に入れなければならない、と暗示をかける。エゴは、あくまで目に見える外にあるものを基準にして自分を評価することを、私たちに教え込もうとする。目に見える外にあるものに基準を求めるということは、鏡に映った幻影を追いかけることであり、エゴの求める「間違った方向に目を向ける」やり方に、まんまと嵌められてしまうことになる。そして私たちをして、常に外の意味のない現象に意識を縛りつけさせる。心の安らぎや豊かさや生きる意味や愛情さえも、外に求めるように仕向けるのだ。
そういうわけで古賀潤一郎議員は、私たちのエゴの象徴でもあり、私たちの情けない弱さの象徴でもあるのだ。もし米国ペパーダイン大学卒業詐称やエクステンション・スクールに参加しただけの U.C.L.A(カリフォルニア大学ロサンゼルス校)等の疑惑が真実とするなら、その責任を古賀氏は取らなければならない。
と同時に、民主党と自民党の血みどろの戦いに、強力な山崎拓(元自民党幹事長)を追い落とすために、彼の肩書きは、彼が望む以上に華やかに演出されたかもしれないという政治の裏の台所事情を、私たちは知っていなければならない。
もちろん今回の異常な古賀潤一郎氏の学歴疑惑リークの裏には、自民党の力が強力に働いているようである。その物凄い政治利権の攻めぎあいの混乱の中で、元社民党の辻元清美議員のように、彼もまた消費されてゆく可能性が高い。出来ればこの試練を乗り越えて、本物となって復活して欲しいものである。古賀潤一郎衆議院にまつわる華やかな「幻影」は、私たちのエゴが、平成の世の中で追い求めている「幻影」である。私たちのエゴが、「古賀潤一郎衆議院」を創りだしたのである。
その一方で小泉首相は、この際に古賀氏の学歴スキャンダルを煽ることで、自衛隊イラク派遣問題から国民の注意を逸らそうとしている気配も、なんとなく感じられる。つまり、そういうことなのだ。