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http://www.chibalab.com/news_otoshiana/documents/20040130.htm
2004年夏、新たなる9.11テロ勃発の可能性 No.20【2004年1月30日】
創られつづけてきた脅威
今日本のメディアは急激に右翼化してきている。アメリカが北朝鮮を「悪の枢軸」やら「ならず者国家」等の中のひとつに加えて極東アジアの脅威を意図的に煽ることで、日本を、常に父親の保護を受け続けなければならない息子のような立場にしておく、ことを意図しているようだ。メディアが決して触れないが、日米安保条約は、主人と奴隷との条約であって、決して対等なものではない。この日米安保条約にすがりつく以上は、日本には永遠に主権はない。
常に主要マスコミの中で語られてきた雇われ御用学者の弁によると、この日米安保条約は、まるで友人同士の対等な条約であるかのように語られているが、はっきり言ってまったくの嘘である。“宗主国”アメリカと“属国”との安保条約は、当然対等のものではなく、あくまで不平等条約である。この条約に関して日本が出来ることは、従うことだけである。このことすら一般の日本人は知らされていない。まったく日本政府はアカウンタビリティーを果たしていない。
2003年、アメリカがイラクへの攻撃を決定したときに、真っ先に小泉首相が支持を表明しなければならなかったのはなぜか。戦後大事に守ってきた伝統、つまり紛争の解決のために武力を使わないという憲法第9条の精神を打ち破ってまで、あえて小泉首相がイラクへの自衛隊派遣を決めたのはなぜか。それは、アメリカの言うことに対して何の疑問もさしはさまずに従うことが、最近の日本の義務になってしまっているからだ。きっぱりと言ってしまえば、日本政府に当然あるべき主権がなく、ただ「宗主国アメリカの意向」に服従しているだけなのだ。そして日本の外務省のもっとも大きな任務は、国際舞台において自国の行動に対して自ら判断する権利はなく、ただ対米関係を維持することだけなのである。
自国の行動を自分で決めることが出来ない国を、「独立している」ということはできない。さらに不思議なことに、日本の国民の場合、独立への衝動はあまり強くない。正直なところ「日本が独立しなければならない」という言葉の意味すら、にわかに理解できない状態に近い。主権は日本にはなく、このような構図に疑問を差し挟まず、ある意味で当然のものとして受け入れているのである。まさに長いものに巻かれろ、の習慣であり、奴隷の心理といえるかもしれない…。
ところが、平成不況がもはや十五年近くも続いているとはいえ、日本人は総体的には安泰に暮らしている。日本がアメリカの属国的な立場にいるとしても、現在の安定した生活を変える必要がどこにあるのか、とまだ半分くらいの国民が思っているようだ。確かに、今まで実質的にアメリカの“属国”という立場にあることは、日本にとってメリットがあったのだ。
戦後、日本が奇跡ともいえる経済的飛躍とも言える成長を遂げることが出来たのは、この“属国”という立場に負うことが大きかったといえる。第2次世界大戦後、日本の為政者たちは、敗戦の原因を物資不足に求めたのだ。そしてその反省をもとに、日本の支配者は国力増強に何よりも力を注ぎ、ものづくりというビジネスの場で世界にもう一度進出しようとしたのだ。強力な産業をつくることだけを最優先したわけだ。
普通の独立国であれば、当然神経を使わなければならない対外政策などの煩わしい問題については、この時点で、対米従属という日本の立場はとても有利に機能した。アメリカという宗主国の後ろ盾があったからこそ、日本は奇跡に近い経済成長を達成し、世界第2位の工業国という地位を手に入れることが可能となったのだ。
しかし手に入れられなかったものもある。その決定的なものが“自立した政府”である。産業大国、輸出大国として大成功を収めたのだから、当然外貨はどんどん国内に入ってきて、国民の生活は世界一豊かになっていなければならないはずである。ところが全然そうなっていない。日本の国内は失業者が溢れかえり、全国の中小零細企業も歴史的記録を更新する勢いで倒産し続けている。これはいったいどうしたわけなのだろうか。もちろん魔法が使われているのである。真面目に働くことしか考えない“属国”の国民には理解できない“魔法”が…。
では、その“魔法”とは何か。それは、つまり「為替」が絡んだ手品なのだ。つまり問題は、輸出業者が受け取っているお金のほとんどが米ドルであるという事実なのだ。国際基軸通貨であるドルは、世界中の貿易や国際金融取引で使われている。しかし円は、基本的には日本国内だけでしか通用しないので、日本企業が稼いだ莫大なドルは、そのままでは日本国内では使えない。この富を日本で活用する資本に転換していくためには、まずドルを日本の円に交換しなければならない。もちろんドルを円に替えることはなんの問題もない。ところが大量のドルが円に交換されると、円の価値がどんどん上がっていくことになる。すると、同じ商品でもドル表示にしたときに商品価格が高くなるため、日本からの輸出にブレーキが自動的にかかる。直接輸出に頼っている大企業はもちろん、間接的に輸出に頼っている中小企業なども、その影響をもろに受ける結果となる。それで日本の企業はドルを日本に持ってこないで、主にアメリカに残したままにする。
つまり米国財務証券(アメリカ国債)や、企業の債券や株式に姿を変え、アメリカのあらゆる種類の事業の原資になる。ストレートにいえば、アメリカが戦争をする原資にさえなっているのだ。日本は利益をあげるためにドルをアメリカに提供しているのではなく、ただ単に選択肢がなくてそうしているだけなのだ。
ということは、ヨーロッパ諸国の持つドルとは意味がまるで違うのである。ヨーロッパ諸国は国際通貨ユーロをすでに持っており、資産をドルで持つ必要はない。あくまで彼らがドルを持っているのは、アメリカに投資をして高い利殖を獲るためである。したがってヨーロッパの持つドルは、アメリカにとって逃げ足の速い不安定な投機的ドルということになる。それに比べて日本のドルは、目的を持たない無意味な、だからこそアメリカにとっては非常にありがたいドルということになる。
もちろん台湾や韓国、最近とくに成長の著しい中国等のアジアの国々も、自国の通貨が国際通貨ではないから、国際取引はドル建てでするしかない。日本と同じように、当然の結果としてドルを自国に持ち帰っても意味がないので、アメリカ国内で投資することになる。このように成長するアジアの国々がすべて資産をドル建てで所有しているために、アメリカは悪名高い財政赤字にもかかわらず世界に君臨し続けているのである。国内的には決算はいつも赤字だが、日本を始めとするアジアや石油産出国の中東諸国からの還流してくるドルで、それを完全に埋め合わせているのである。
それにもかかわらずアメリカは、最近資本が十分に得られないと感じていて、日本や中国に対して「もっとドルをよこせ」とそれぞれの政府に脅しをかけているようである。2002年度のアメリカの貿易赤字は4300億ドル(約46兆円)、財政赤字は約3700億ドル(約40兆円)になる。したがって恒常的貿易黒字国の日本や中国からドルを還流してもらうことで、アメリカは宗主国としての経済と軍事力を維持しているのである。
そのために中国は人民元のペッグ制維持(1ドル8.28元で固定)のために毎日3億ドルをアメリカに与えている。その一方で、日本は資金需要がないのに超金融緩和策という名目でアメリカに資金を送り続けるだけでなく、2004年度は外国為替資金特別会計予算(為替介入資金)を140兆円も計上して、ドルを買いまくることで、またしても対米資金援助をしているのである。
基本に戻っていうなら、すべての人間は、一生懸命働いてモノやサービスが売れれば、お金を稼いで豊かになれるはずである。ところが今、日本企業が稼いだ富は、自分で自由に使うことは出来ない。富のほとんどが、日本人の手の届かないところにある。宗主国アメリカの“属国”のひとつに過ぎない日本には、多くの御用学者が言うように、もはや「選択の余地がない」のだろうか。
1945年以来馴染んできたアメリカ保護下の日本は、成人に達してもなお、「外の世界の誰それと付き合ってもいいでしょうか?」と母親に聞かなければいけないと思っている“マザコン”のようである。北朝鮮の核や拉致問題に対しても、日本の政府の姿勢は、甘やかされた体の大きな少年が登校拒否の『引きこもり』の部屋から何とか一歩を踏み出したものの、あまりの強風に“マザコン”の少年が途方にくれているような感じである。
“マザコン”の『引きこもり』という観点から日本の歴史を見ると、確かに日本は特異な歴史を持っている。江戸時代、日本は2世紀半にわたって海外との接触を断っている。西欧列強がアジアの国々を植民地にしていくのを見て脅威を感じたからにちがいない。そして1853年のペリーの来航によって、再び日本にとって新しい脅威が生まれた。これがきっかけとなって徳川幕府が崩壊していく。このときの脅威のイメージが、未だに日本人の DNA の中に遺産として受け継がれて、現在の日本人にも受け継がれているのかもしれない。そうとしか考えられないのだ。
日本が、アメリカの属国から解放されるキーワードになるのは北朝鮮である。北朝鮮の脅威は、イラクとまるで意味がちがうのである。「北朝鮮の脅威」は、日本のあちこちにある米軍基地の必要性を正当化し、対日安全保障を政治的に意味づけて、末永く日本をアメリカの属国にしておくためにどうしても必要な存在なのだ。このことを、御用メディアとお抱え評論家はほとんど触れない。
あくまで「ならず者国家」である北朝鮮の脅威をプレゼンスすることで、「日米安保条約」が意味を持ち、日本をアメリカの属国としておく対日軍事支配の維持が可能となるのだ。「悪の枢軸」としての北朝鮮の脅威は、対日安全保障のためにアメリカが創造した「幻想」にすぎない。その証拠として、かつて韓国がアメリカのこの地域での最も忠実な同盟国だったにもかかわらず、金大中による「太陽政策」を、アメリカの大統領が明白にこれを否定したのだ。朝鮮半島に平和が訪れて困るのは、他でもないアメリカなのである。
いま世界は、「テロ戦争」やら「ならず者国家」等で危険に満ちているように見える。私に言わせれば、それらのほとんどはインチキである。多くの日本人にとって爆弾発言のように聞こえるかもしれないけど、これは真実である。世界はメディアで報道されているより遥かに平和であり、安全なのである。いま地球上に存在する“脅威”はアメリカの想像上のものであり、米英の軍産複合体が創りだした「幻想」である。いま世界は米英の軍産複合体の好んで描く「脅威に満ちたファンタジー」に踊らされているのである。一部の専門家や知識人はこのことをもちろん知っているが、国際金融財閥に支配された主要メディアにほとんど口を封じられていて、世界の草の根の善良な国民には知らされていない。細々とマイナーな地下メディアだけで真実が語られているに過ぎない。それに国際金融財閥等のグローバリストたちが意図的に活字離れを誘導することで、アメリカでも日本でも、いまや思考力を必要とする書籍から若者たちが物凄い勢いで離れていっているようだ。
そんなわけで、いまアメリカは客観的な世界の現実から遊離して、ほとんど幼稚なユニラテラリズム(単独行動主義)に浸っている。危険な帝国になろうとしているいまこそ、日本はアメリカの“属国” から自立しなければならない。にもかかわらず、多くの主要メディアの中で御用評論家から「日本には選択の余地がない」というような発言が繰り返し聞こえてくる。おそらくそれが日本人の大半の考え方なのだろう。例によって、長いものには巻かれろ的な受け止め方である。ようするに、日本は、安保条約を破棄して、アメリカの軍事力の傘の下から出ることなど出来ない、ということらしい…。
しかし私に言わせれば、日本の自立と、安保条約の破棄を結び付けてセットで考えなければならないのかよく分からない。それに北朝鮮の脅威はアメリカが創造した「幻想」に過ぎない。“属国”からの独立=日米安全保障破棄ではないのである。だから日本が本当に独立を果たした暁には、安全保障に関する新たな条約を、もちろん宗主国と属国という立場ではなく、お互いに完全な主権国家として結べばいいのである。あるいは現在の安保条約を改定する選択肢も考えられる。最初に調印したときといまとでは世界の情勢はかなり変わってしまっているからだ。現在の日米安保条約はかなりのデメリットもあるわけだから、そうした事柄を戦略的によく研究し、改訂する提案は、むしろ積極的に主権国家としてなされるべきなのだ。
もはや現在のアメリカは、かつてのアメリカではない。素人的で非常に幼稚なブッシュ政権の「幻想」によって、国際舞台におけるアメリカの信頼はすべて破壊されてしまった。今のアメリカは野蛮で幼稚な「帝国主義国家」になってしまっている。こうしたアメリカに対して「日本には選択の余地がない」などと平和ボケした戯言をいっていると、日本はとんでもないことになってしまう。日本にはいつでも選択の余地はあるし、今こそ決断のときである。
憲法改正のタイミングと日本の独立
憲法第9条、いわゆる平和条項は、日本が達成した聖域ではないという事実である。これはもともとマッカーサーが考え出したものである。戦後、天皇にも戦争責任の、少なくとも一端はあると考えていたワシントンに対して、マッカーサーが天皇制を維持するための一つの方法として、“戦争放棄”という大きなポーズを見せたわけである。天皇制を維持しなければ、日本という国がバラバラになってしまうと、マッカーサーは危惧したのである。この憲法9条が何を意味するかといえば、日本から主権を奪い取る役割を果たしたのである。参考までに、第9条の条文を記しておく。
日本国憲法『第9条』
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇または武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれは放棄する。
2 前項の目的を達するために、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
マッカーサーは日本に民主主義をもたらすと公言していた。これはとりもなおさず、日本国民に主権を与えることを意味する。しかしもう一方では、彼は日本から主権を奪いとるという、矛盾したことを行ったのである。したがって日本が独立した国家として存在していきたいのならば、憲法9条はいずれ改正しなければならない。
ところが、第9条には熱狂的なファンが意外と多いのである。この条項があるからこそ、日本国憲法は「平和憲法」として、世界に誇れるのだと昔からよく言われている。これがあるからこそ、日本は将来に向けて行動を律していけるひとつの根拠なのだと。そういうことであれば、平和憲法の精神を保ちつつ、第9条を改正して、もう一度日本に主権を取りもどすことも可能なのだ。
平和憲法といっても世界的な視野からみれば、それがマッカーサーから押し付けられたものであることはみな知っているのだ。だから、日本人が考えるほどこの「平和憲法」は真面目にとらえられていないようなのだ。そうならば、なおさら新しい第9条を、自ら日本人の意思として作り直せばいいと思う。
日本は軍事力を保持するが、それを利己的な理由のために行使はしない。自らの歴史の反省に基づき、戦争する権利を、自衛以外の目的で絶対に使わないことを選択する、と堂々と公言すればいいと思う。そうすれば、世界から見てより信頼できる第9条になるにちがいない。
しかしいま憲法改正するタイミングではない。なぜなら以前の No.10 のコラム「 国連決議3314による『イラク侵略国日本』 」でも述べたように、いま小泉 首相は「テロに屈しない」と「イラク支援は普遍」をテープレコーダーのように繰り返している。
「非戦闘地域」を確定できないままの自衛隊派遣は、「イラク支援特別措置法」にすら抵触する。もともと、イラクに「非戦闘地域」など存在するはずがない。誰が考えても、もはや「イラク全土が戦闘地域」である。いや、そうじゃない。ブッシュの言う「テロ戦争」は、毎日の国際ニュースを見ればわかるように、地球全土のあらゆる場所で起こっているのである。
そ して小泉首相は、国際法上明らかにアメリカの侵略を支持し、在日米軍基地からの「対イラク侵略行為」を認めたのである。国連総会決議3314(侵略の定義=侵略者に自国の領土を使用させれば、侵略者とみなす)により、正式に「侵略国」と規定されてしまうのだ。いまのイラク人にとって、「日本人」や「日本の自衛隊」は、どう言い逃れをしようと、アメリカ同様の「侵略国」であり、「侵略国の軍隊」なのである。
この小泉政権下で憲法改正を行えば、アメリカからの「独立」とはまったく逆のものになってしまう。1月12日の朝刊に、「自民党が結党50周年の2005年11月に取りまとめる憲法改正草案の前文に国家理念や目的として『国際貢献』を明記する方針を固めた」(東京新聞)との記事が出た。やはり前のコラム No. 14のコラム「 テロリストが待ちわびた『自衛隊派遣』」 で書いたように、小泉首相は、いつもマスコミに向かってこんな風に繰り返し語っていた。『国際貢献しないでどうするのか?日本は世界から孤立してもいいのか?』
いま、世界的に孤立しているのは、誰が見ても国連無視でイラクに先制攻撃をかけたアメリカとイギリスではないのか。小泉首相は、正反対のことをさも正しい事のように捻じ曲げてさりげなく語る、ある意味で天才かもしれない。小泉首相の自衛隊派遣の大義名分である「国際貢献」は、逆に世界の「ほとんどの国連加盟国」の意思に反している。大量破壊兵器も見つからないのに、今自衛隊を派遣すれば、世界から孤立するのは、どう考えても日本のほうである。小泉首相の詭弁は、論理的にはむちゃくちゃである。
なんとも恥知らずの小泉政権は、ブッシュ政権に加担して自衛隊をイラクに派遣する大義名分として「国際貢献」を使った。「国際貢献」と「アメリカに従うこと」とは、小泉自民党政権にとってはどうやら同じ意味らしい。しつこいようだが、いまの日本はアメリカの“属国”である。すべての国政上の決定はアメリカ政府の同意のもとで行われている。この状況のもとで「国際貢献」を憲法に明記すれば、自衛隊のアメリカ軍への従属はさらに強いものになってしまう。
現在のように「独立国」ではない状況で、「国際貢献」をうたうための憲法改正をすることは、そのままストレートにアメリカの政府の指揮下で海外活動をすることを憲法上認めてしまうことになる。ネオコンに乗っ取られたブッシュ政権の言いなりの小泉政権での憲法改正は、幼稚なネオコンに操られたアメリカの意向に日本がコントロールされることになる。「独立国」として自立するための憲法改正が、今以上にアメリカへの隷属度を深めるとしたら、まったく無意味である。アメリカの描くファンタジーに踊らされている小泉純一郎が倒れてからでないと、憲法改正なんて、とんでもない話である。
だとしたら、7月11日と予想されている第20回参院選で、自民党を敗北させなければならない。参院選で51議席を下回れば、小泉純一郎の地位は確実に傾く。ならば、何としてもその方向に持っていかなければならない。
2004年アメリカ大統領選と新たな9・11テロ勃発の可能性
一方2004年11月にはアメリカ大統領選挙がある。それ故に、イラクにまやかしの暫定政府がつくられて、イラク人への「主権」返還という芝居が行われるにちがいない。そのお芝居には、どうしたわけか多国間主義と国連の関与という、ブッシュ政権らしからぬ芝居もセットになってついてくる可能性が高い。そして当然2004年初夏頃には、まちがいなく負傷する可能性のある危険地域には米軍兵士は多くは残っていないにちがいない。アメリカ国民が、アメリカ兵の犠牲者を増やし続ける大統領を選ぶとは思えないからだ。
この時期を日本の政府がうまく利用できれば、北朝鮮の拉致問題も進展する可能性がある。北朝鮮問題についても、拉致家族の解決に当たっても、アメリカの協力を仰がなければどうにもならない。故に、アメリカ追随は仕方がないんだ。日本人には「選択の余地がない」といういつものパターンがマスコミの中でまかり通っている。
しかしこれは日本のとんでもない勘違いである。もうそろそろこのコラムの読者には分かってもらえていると思うが、これもアメリカが創ったファンタジーに過ぎない。北朝鮮を「ならず者国家」として扱ったり、アメリカのペンタゴンが行うような恫喝外交を行ったりしてもほとんど意味がない。北朝鮮はすでにアメリカ政府によってとことん追い込まれてしまっているのである。いま日本がしなければならないのは、北朝鮮を国として認めてあげることであり、金正日を倫理観のない邪悪な暴君だと考えるのではなく、フセイン拘束の惨めな姿をすでに散々見せつけられた後だけに、生き残るために必死になっている国なのだと、捉えることなのだ。
いまこそ日本の国の度量の大きさを金正日に見せて、アメリカとはちがう交渉の仕方を、北朝鮮と世界にアピールすべき時なのだ。アメリカとはちがう度量の広さを見せることで、日本は、アメリカの“属国”から脱皮するための最初の一歩にすべきなのだ。
だが、最後にひと言だけ付け加えたい。もしブッシュ再選に黄信号がともるような流れになると、新たな9.11テロのような事件がおきるかもしれない。何故なら、アメリカでは危機が起きたときは常に大統領の支持率が上がるからだ。そして今回の場合、夏から秋にかけて、もしかしたら北朝鮮がその対象に選ばれる可能性も考えられなくもない、のだよなあ。
『終』
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