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(回答先: 魔法破り 投稿者 Q太郎 日時 2004 年 1 月 21 日 12:51:30)
森岡正博-無痛文明論
http://www.lifestudies.org/jp/mutsu.htm
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無痛文明論を読んで 投稿者:只のおじさん 投稿日: 1月18日(日)13時48分1秒
・人類世界は無痛化へ進んでいるという鋭い指摘として読みました。
会議、民主主義の手続きなどは、責任の所在を不明確にして、無痛化を内在させていま す。そして、その痛みは弱者へと押し付けられていきます。
・無痛文明は、その先頭を走る集団の順に淘汰されていきます。世界の文明国(資本主義)の少子化、人口の衰退は、取り戻す術がなくなってきている。
生命を感じる能力が衰退すれば、衰退するのは当然。
・生きるという生命の葛藤と死という葛藤は、いかにも生命が故になせることであり、死ねば少なくとも葛藤から解放される。
・人間は、人間が考えるところの合理が好きであるが、もともと不合理の生き物である。しかし、合理がないと安心出来ず、あらゆるものを合理でもって理屈付けして生きている。生きる、死ぬ、生きがい・・・を合理に求め、合理にしなければ安心できないのだが、合理で求める限り、再び不安が出てくる。生命は、いとおしんだり、悲しんだり、ふと考えたり、愛を感じたり、合理の空間から離れた、ふとした時に感じとるものである。
・孤独は、自然体、即ち、力んでしん吟している様ではないような気がする。表面的所作や孤軍奮闘でもなく、深く深く感じ取る気持ちを一人味わい、感じ取る自然体の深いところにあると思う。その孤独の存在が周囲に変化を与え、何かあるなとかんじさせる。他の生命への伝わりである。合理で説明付かないところに深い孤独があり、感じる、感じさせる大切なものがある。
・生命の欲望を目的、身体の欲望を手段ととれることもある。これを多くの人は取り違え、あるいは目的を忘れ、手段を都合のいいように目的化している。そして無痛化へと進む。
http://525.teacup.com/lifestudies01/bbs?
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Q太郎さん。おはようございます。
正岡さんの本は、10年前くらい前に、パソコン通信ネットに関した本を
読んだことがあります。
サイト構築をめぐるイメージ力にあふれた本でした。
自分は無痛文明論を読むと思います。
舞台における若い世代の登場を、自分は喜んでもおります。
維新派に関するお話、ありがとうございました。
維新派の蛮勇物語は京大西部講堂を運営されている方からも聞きました。
すごいエネルギーを感じました。
維新派を製作されていた方のお話は、自分も劇団の制作をやっていたものですから
ぐっと胸にきました。
Q太郎さん。ありがとうございました。元気がでました。
自分はかならず、世界権力イルミナティに抗する、日本深部からの
身体呪術をまさぐっていきます。
そして、また再び舞台にあがる決意です。