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(回答先: ダイアナ妃事故、飲酒運転ではなかった? 英紙報道 ←当たり前やないか!フランス事故調査報告書は捏造されているのだから 投稿者 スーパー珍米小泉純一郎 日時 2004 年 1 月 10 日 21:42:21)
ずばり、ダイアナ暗殺の黒幕は英国王室(MI6)とモサドである。
リッツホテルのナンバー2だったアンリ・ポールはMI6とモサドの二重スパイでありリッツホテルの情報をそれらの諜報機関に情報を流していたのである。
それでは、何故ダイアナを暗殺する必要性があったのか?という問いに一番合理的な答えは、戦争屋嫌いだ氏が投稿したインデペンデント紙が報じた【ダイアナ妊娠である】
また、もう一つの理由がアルファイド家が武器商人カショーギとの関係である。
モサドやMI6がリッツホテルを最重要ポイントとマークしていたのはカショーギとの繋がりを省くことはできない。
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▲【ダイアナ妊娠情報】
同紙はフランス警察の高官がこの衝撃的なニュースの情報源だとしている。この高官はダイアナの死亡が謀殺であったことこそ否定しているものの、妊娠の事実を隠蔽する工作があったと断言している。時期から見てドディの子どもであった可能性は限りなく高く、Princess of Walesの肩書きを持つダイアナがイスラム教徒の子どもを生むこと、そしてドディとの結婚によって彼女自身もイスラム教徒にならざるをえない、という現実の可能性を突きつけられて、王室関係者が震え上がったことは想像に難くない。何しろ未来の国王(英国国教会のトップ)の母親がイスラム教徒ということになるわけである!このフランス警察高官の「謀殺ではなかった」は自己撞着にしか聞こえない。現時点ですでに9割近い英国民が「ダイアナは暗殺された」と信じているわけだが、この情報で95%くらいに跳ね上がるかもしれない。
日本でいえば朝日新聞をずっと格調高くしたような高級紙であるインデペンデントが、このような情報を暴露したことのインパクトは非常に大きいと見るべきである。
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http://news.independent.co.uk/uk/this_britain/story.jsp?story=475166
Diana was pregnant at time of her death, says top policeman
By John Lichfield in Paris
21 December 2003
A senior police source in France has told The Independent on Sunday that Diana, Princess of Wales, was pregnant at the time of her death following a road accident in Paris six years ago.
The source - who saw all the documents relating to the case surrounding the Princess's death - dismisses suggestions that there was any murder conspiracy before the death of Diana, her friend Dodi al-Fayed and their driver in a car crash on 31 August 1997.
He was speaking after a British coroner announced that he would hold inquests into the cause of the deaths of Diana and Dodi, beginning on 6 January.
However, the source revealed to The Independent on Sunday that there was "a cover-up of sorts" in the days following the crash. Medical reports, which have never been made public, showed that Diana was pregnant at the time of her death. "I can tell you that she was pregnant," the source said.
Friends of Diana and her butler, Paul Burrell, have strenuously denied in the past suggestions that the Princess was expecting a third child at the time of her death.
The source implied that Diana's pregnancy was hushed up to spare the embarrassment of her family. Since it was not regarded as relevant to the causes of the accident, or her death, it was not mentioned at the end of the two-year judicial investigation into the crash by a French judge, Hervé Stephan.
Medical reports from the hospital where Diana died may, however, be included among the 6,000 pages of documents from the French investigation which will be delivered to the British coroner, Michael Burgess, next month.
Reports that Diana was pregnant - first alleged by Mohammed al-Fayed soon after her death - have been seized on by the wilder conspiracy theorists as a possible motive for an assassination plot by the Royal Family and British government.
The same police source in France rejected all these theories and said the investigation file points clearly to an accident, caused in part by the fact that chauffeur Henri Paul had been drinking heavily.
There has also been speculation about the time it has taken to call a British inquest, now routine when a British citizen dies abroad. The coroner has said that he could not open the hearings until he received the French file once legal proceedings were completed in France.
These proceedings have been prolonged mostly by Mr Fayed, who appealed against the original decision by French authorities to bring no action against the photographers who pursued Diana and Dodi's car. When that appeal was lost, Mr Fayed brought another action against three photographers for invading his son's privacy. The case was thrown out by a French court last month.
The royal coroner, Mr Burgess, announced on Thursday that he would begin separate inquests into Diana and Dodi's deaths next month, but indicated that the full hearings will be delayed until the whole French file has been translated and studied.
Mr Burgess said last week: "At neither hearing will I be receiving evidence from witnesses in person. I will, however, make a statement which will cover the purpose of the inquests, how they may be expected to be conducted and the nature and scope of the evidence I expect to receive." 21 December 2003 16:39
やっぱりダイアナは妊娠していた。(インデペンデント紙)
http://www.asyura2.com/0311/war45/msg/170.html
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▲捏造されているフランス事故調査報告書
【フランス政府の公式発表(簡単に辿る)】
事の始まりは、1997年8月31日午前12時20分頃にダイアナ元皇太子妃を載せた自動車は、パリ中心部のリッツ・ホテルから移動した。
ダイアナを乗せた自動車は、ダイアナのほかに恋人のドディー・アルファイド、運転手のアンリーポール、ボディー・ガードのトレーバー・リース・ジョーンズを乗せてパリ市内のアルマ広場下のトンネルを高速で走行中に、運転を誤り中央分離帯の柱にぶつかった後に側壁に激突した。
車体は大破し、恋人のドディー・アルファイドと運転手のアンリー・ポールが即死した。
ダイアナ元皇太子妃は頭部と全身を強打し、約一時間後に救出され、病院に運ばれたが肺からの出血多量で死亡した。
助手席にいたボディー・ガードのトレバー・リース・ジョーンズだけがシートベルトを締めていたおかげで助かった。
事故から二時間後にパリ警察は、7人のパパラッチを重要参考人として拘束した。事故の原因は「パパラッチの執拗な追跡にため」との最初の事故原因発表をフランス政府は、発表した。
しかし、30時間後にフランス政府は劇的に訂正する発表し「事故原因は運転手のアンリ・ポールの薬の服用と多量のアルコールの飲酒による」のが事故原因だと訂正発表をした。この事故原因は1999年の再調査でも同じ結論である。(現在も同じ結論)
ここまでがフランス政府の公式発表。(インチキ発表。第二のオズワルド。あはは)
フランス政府のインチキ発表には問題点が数多くある。
【まずその一】
生き残ったボディーガード(トレバー)の弁護士クリスチャン・キュルティルは「捜査を担当した検察も判事も早く終止符を打ちたかったので、このような「でっち上げ報告書」が作成された」と語っている。
【その二】
何故、事故原因が判明する前から「事故現場は清掃され、約四時間後には現場はトンネルの通行止めが解除された」のか?(ちなみに科学的な事故現場での捜査はされなかった)
【その三】
何故、フランス政府の事故調査報告書には事故を最初に調査したフランス交通警察の調査報告書は含まれていないのか?
【その四】
何故、「事故の第一発見者の証言(エリック・ぺテル氏)」は無視され警察によって口を塞がれたのか?
【その五】
何故、亡くなったアンリ・ポールの検視報告書は「捏造」されているのか?
自動車事故から24時間後のフランス政府は「アンリ・ポールの大量のアルコール飲酒が事故原因」と発表したが、しかし、まだ検視報告書も作成されていなかったのにこういう発表をしたのは何故か?
フランス政府は「アンリの遺体の血液から多量のアルコールが検出された」と発表しているがこの点についてニュージーランドの法医学者ジム・スプロット博士は自分の研究所で「同じ試料を使って検査させて欲しい」と発表した。
これに対してフランス政府の当局は2度、3度の検査を行い、その結果、運転していたアンリ・ポールは坑うつ剤プロザックとアルコール依存症の治療薬ティアプリードを服用していたという【ドラッグ・セオリー】を作り上げた。(めちゃくちゃである)
しかし、アンリ・ポールは飛行時間600時間の経験を持つ自家用飛行機のパイロットであり、パイロットでありパイロット免許のための定期検査を厳しいチェックを何度もクリアーしている。
しかもこの検査には「血中アルコール濃度のレベルを長期間にわたって測定項目も含まれてる」もし、アンリ・ポールがアルコール依存症で薬物中毒であれば自動車免許よりもはるかに厳しい自家用飛行機ライセンスの定期検査で「判明」するのである。
【その六】
死亡したアンリ・ポールはMI6(イギリス諜報機関)情報工作員だったのにフランス政府の事故調査報告書には「一切記述がない」のは何故か?
アンリ・ポールはリッツ・ホテルのナンバー2でありMI6に対して「リッツ・ホテルの情報を流していた」事件が起きた時(あえて事故ではなく事件と表現する)急に運転手役に抜擢されたのは何故か?仕組まれてるじゃないのか?
ここに面白い話を紹介しよう。
事件が起きる数日前に正体不明の若い女性がアンリ・ポールの周辺に出没していた。【ニューヨーク・タイムズ紙】は、アンリ・ポールの自宅近くのレストランやバーの店主達から「親密そうに食事をする姿を見かけた」という証言を載せている。
【その七】
何故、フランス政府は嘘の速度を発表したのか?
フランス政府は「事故後に自動車の速度計が92kmで止まっていた」と発表しているが、しかし、自動車メーカの調査でフランス政府のこの発表は「でっち上げ」だったことが判明した。
何故なら、あの自動車事故を起こしたまったく同じのベンツで実験をした結果「必ず0に戻るように設計されている」という結論を自動車メーカが発表した。
この発表を反論するためにフランス政府は自動車メーカーに大金を払い「自動車衝突実験を再度行った」と発表したが、おかしな事に「この目で見たと言う専門家は一人もいない」
【その八】
未だに事故死した3人の遺留品が紛失している点。
【その九】
謎の自殺(暗殺?)を遂げた政財界専門のパパラッチ。
フランス公安からマークされていたジェームス・アンダーソン。(私の予想ではMI6情報工作員だろうと思われる)
私は、このダイアナ元皇太子妃の事故死を一時期、興味があっていろいろ調べたのだが結論として「フランス政府の報告書は捏造されている」という結論に達した。
この事件を解決するために一番重要な人物は「アンリ・ポール」である。
最後にこれだけは言える「絶対にアルコール飲酒や薬物による普通の交通事故」ではない
http://www.asyura2.com/0311/bd31/msg/404.html
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さらに追加情報を「はまち」さんが補強してくれました
【ダイアナ事故死、再検証に追加:スーパー珍米小泉純一郎氏投稿より】
投稿者 はまち 日時 2003 年 11 月 24 日 15:31:42:rhFP/VPyFgrPk
昨夜、フランス民放のTF1チャンネルで、事故死に投げかけられる疑問について、報道番組が組まれた。ただし、相変わらずフランス政府の口は、堅く、結局のところ、フランスサイドからの新ネタはなし。ABCチャンネル(英国にありますか?)による構成が大部分。
その中で、スーパー珍米小泉純一郎氏投稿になかった番組で取り上げられたネタを紹介したい。
*パパラッチ
現場にいたパパラッチは、取調べのため連行されたわけだが、一人、逃げ切ったものがあった。事故写真を手に、身の危険を感じたパパラッチは、写真を自宅コンピューターに収めた。が、自宅の侵入者の手によって、まず、その写真が、削除され、翌日には、ハードディスクが盗まれた。
*ドライバーの血液検査
○アンリ・ポールは、2杯のグラスしか飲んでいないのに、アルコール度が、異常に高かったのだが、その異常は、2杯のグラスから検出できないアルコール度であった。
○異常なのは、アルコールだけでなく、通常、検出されない、一酸化炭素(聞き間違えてたら二酸化炭素かも、とりあえず、カーボンと、オキシの単語が並んでた。)が20%という異常値でもって示されていた。どこから、摂取された一酸化炭素か不明
*自動車事故の原因
ビッグフラッシュとでも訳せばよいのか、カメラのフラッシュには、非常に強力なものがあり、それをたくと、被爆者は、数秒、視界を失う。飲酒でなくて、これによって、ドライバーは、視界を失い、事故になった。
*記憶喪失のボディーガード
「話すと消される」っと、こぼしている。
*元執事ポール・バレル
自分は、狙われている。消されるかもしれないから、ダイアナ自筆の事故死を予感していたメモを公表した。本物のメモは、すでに、弁護士に預けた。
元恋人パキスタン人のカーン氏について、バレル氏は、カーン氏から、交際を切ったと証言している。
【彼のインタビューはそわそわと、視線もさだまらないもので、明らかに、何らかの真実を隠している。真実を語ってるからこそくる興奮とは違う。ダイアナのメモは、おそらく実在していたと思われるが、彼もまた、お金を握らされているのか、命の危険を感じているのか、キーパーソンであることは間違いない。ケリー氏のように消される日も近いそうである】
*そもそも、ダイアナが、消えなければならない理由。
恋人ドディー・アルファイド氏との婚姻を目前にしていた。そして、ダイアナ自身、モスリムに改宗する覚悟があった。(アルファイド氏の父の弁)これは、英国王室にしてみると、カタストロフィーなのである。スキャンダルで済まされない。(女性作家の弁)
はまちの気になるところは、この取引でフランスは、イギリス王室から、何をもらったんだろう。
http://www.asyura2.com/0311/bd32/msg/122.html
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続いてはダイアナ妃と一緒に死亡した【アルファイド一族とは何者か?】について興味深い情報を新潮社が報じていましたので紹介したいと思います。
【ダイアナ妃を虜にしたアルファイド一族とは何者か】
●【嘘にまみれた父モハメドの経歴】
あまりに突然の非業の死によって、イギリスのダイアナ妃は、伝説のプリンセスとして、その美しい姿を人々の胸に永遠に焼き付けた。まさに全世界がその死を悼んだといってもいい。
しかし、もしも8月31日の夜のパリの事故がなかったら、もしもダイアナとドディ・アルファイドの関係が本当に結婚まで進んでいたならば、彼女の人生は矛盾に満ちた泥まみれのものになっていたかもしれない。事故後、謀殺説が流布されるのも無理からぬほど、アルファイド一族は疑惑に満ちているからだ。
ダイアナの最後の恋人とされたドディ・アルファイドは「映画プロデューサー」、そしてその父親のモハメド・アルファイドは「ロンドンの老舗百貨店ハロッズやパリの高級ホテル・リッツを所有するエジプト人大富豪」と紹介されることが多い。しかし、それは彼らの表向きの顔でしかない。
父親のモハメドは英国籍を求めて2度拒否されているが、英当局の拒否にはそれ相応の理由があった。
1985年のハロッズ買収に関してアルファイドの資金源に疑問があったため、イギリスの貿易産業省(DTI)は調査を行ない、90年、752ページに及ぶ報告書を発表した。その報告書は、「アルファイド兄弟(モハメドと弟のアリ)は、その出自、財産、ビジネスの実態、およびその資金源について内務省に虚偽の報告を行なった」と結論づけている。
モハメド・アルファイドは、常々、自分はエジプトの古代王朝の末裔であり、エジプトのエリート校であるビクトリア・カレッジ出身だと吹聴していた。また、イギリス政府の調査に対して、一族は代々海運会社を経営して財産を築いたとも答えている。ところが、これはすべて嘘だった。
中東問題専門家のジョン・ロバーツ氏によると、モハメド・アルファイドの足跡は以下のようなものだ。
1929年、アレクサンドリアで学校教師の息子として生まれたモハメドは、商科大学を卒業後、シンガーミシンのセールスマンになった。この時の収入は月に10エジプトポンド。今でいえば月収28ドルに相当し、当時のエジプト人としては平均的収入で、いわば平凡なサラリーマンだった。そんな人間が、いかにして巨万の富を持つようになったのか。
その答えは悪名高きサウジアラビアの武器商人、アドナン・カショギとの出会いにある。
●【あのアドナン・カショギとの親戚関係】
サウジアラビア国王の専属医師を務め、のちにサウジの厚生大臣になったモハメド・カショギを父に持つアドナンは、ビクトリア大学を卒業後、エジプトの家具類をサウジアラビアに輸出する会社を設立した。そして、ジェッダ事務所の責任者を探していた。同じアパートに住む友人に相談したところ、紹介されたのが、友人の大学時代の同級生であるモハメド・ファイドだった(70年代まで、なぜか名字に「アル」はついていなかった)。
1952年、モハメドは月給100エジプトポンドでカショギの部下として働くことになり、翌年、その縁でカショギの妹のサミラと結婚。この結婚により、モハメドは富豪へのパスポートを手に入れることになった。ふたりは長男ドディが生まれて間もない56年に離婚。モハメドとアドナン・カショギの関係も一度はこじれるが、間もなく和解し、現在に至るもアルファイド家とカショギ家は親戚づきあいを続けている。86年にサミラが癌で亡くなるまで、ドディはほぼ毎日母親に電話をかけ続け、学校が休みになると父親と母親の元で半分ずつ休暇を過ごしたという。また伯父であるアドナン・カショギもドディに貿易会社を任せていた時期がある。
70年代後半、モハメドにとって決定的な出会いが訪れる。世界一の大富豪であるブルネイ国王の「代理人」の地位を手に入れたのだ。いかにしてブルネイ国王に取り入ったのかは明らかでないが、この少し前にカショギもブルネイ国王の知己を得ている。このことから、カショギが国王とモハメドをつないだと語る者もいる。
アルファイド家をよく知るエジプト出身のビジネスマンはこう語る。「モハメドはイスラム教徒であることを一種のセールスポイントにしている。実際には、彼は酒も飲めば女遊びもする落ちこぼれ信者なのだが、ブルネイ国王のようなイスラム教徒を相手にするときは、イスラムが鍵となる。彼がホテル・リッツを買収した動機のひとつは、昔、ああいった高級ホテルはアラブ名の人間を泊めなかったからだ。これをイスラム教徒差別だと感じた彼は、こうした経験をブルネイ国王に話して買収資金を提供してもらった」
ハロッズ買収前年の84年、ブルネイへの旅から戻ったモハメドは一夜にして巨額の資金を手にしていた。先のDTI報告書によると、同年8月、ブルネイに滞在中のモハメドからスコットランドの王立銀行に、「大きな入金がある」と連絡が入り、3億3000万ドルが送金されてきたことがあったという。
イギリス政府がハロッズ買収に関して問題にしているのは、モハメド・アルファイドの経歴をどう遡っても、買収に必要だった6億1500万ポンドの出所が不明確なことだ。モハメドは調査に対して、「アラブ首長国連邦やドバイとの間で秘密裏に石油取り引きを行なって収益をあげた」などと弁明していたが、こうした石油取り引きの記録は全くない。確かに60年代から70年代にかけて、モハメドはアラブ首長国連邦の代理人を務め、イギリスの建設会社への発注の仲介などもしていた。しかし、このどれもが現在のような巨万の富を築く基礎になるようなものではなかった。
●【実態は「死の商人」か】
そこで囁かれるのが、ブルネイ国王との関係に加えて、武器売買に関わっているのではとの疑惑だ。ある中東の事情に詳しい武器商人は本誌の取材に対してこう語った。「モハメドはカショギとの関係もあって、武器ビジネスに手を染めている。ボスニアのイスラム教徒に武器を提供していたのは彼だとも言われている。一説にはドディも最近、この商売に手を出したとも言われている」
さらに続けて、こうも言う。「もしかするとダイアナ自身も、自覚していたかどうかはともかくとして、武器売買のある種の仲介役として利用されていた可能性がある。彼女はサウジアラビアの駐米大使であり武器調達係でもあるバンダル王子と極めて親しいですからね。アルファイド親子にとって、願ってもないコネクションでしょう」「死の商人」のネットワークを描いた『兵器市場』の著者であるアンソニー・サンプソン氏もこう語る。「確かなことは言えないが、カショギとの姻戚関係もあり、モハメドが武器ビジネスに関与している疑いは十分にある。モハメドは常時40人の護衛を雇い、防弾設備を施した車に乗っている。これだけでも、彼が単なる百貨店のオーナーだとは考えにくい。しかも、ホテル・リッツは武器商人たちがよく利用するホテルです」
武器を扱っているかどうかはともかく、石油富豪たちとのコネクションをフルに生かして富を手にしたモハメドだったが、彼にはコンプレックスがあった。イギリス人でないことだ。アルファイド家をよく知る人物によると、イギリス支配下のエジプトで育ったモハメドは、常々父親から「イギリス人にあらねば紳士にあらず」と聞かされて育ったという。
是が非でも英国籍を手に入れたいモハメドは、まず保守党に献金をし、議員を接待し、賄賂を贈り、英国籍を手に入れようとした。ところが、これが失敗に終わると、所有する『スパイク』誌などのメディアを使って自らの贈賄を暴露。これが、今年5月の総選挙で保守党に打撃を与え、労働党が勝利する一因となったともいわれる。モハメドはこれだけの支援をしておけば、労働党政権が成立した暁には英国籍が得られると考えていた節がある。しかし、2度目の申請も却下されている。
●【イギリス上流社会への復讐か】
そこで彼が目をつけたのがダイアナだった。『ダイアナ−−孤独なプリンセス』でチャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚の破綻を暴露したニコラス・デイビス氏はこう語る。「イギリスの上流社会に認められること、そして英国籍を得ることに躍起になっていたモハメドが、最愛の息子であるドディとダイアナが親しくなることを望んだことは想像に難くない。彼はサントロペでの休暇にダイアナを誘い、息子に引き合わせた。ふたりは10年前から顔見知りではあったが、それ以上の関係ではなかった。ところが、この南フランスでの休暇でふたりは急速に惹かれあったのです。「有名人好きのドディにとってダイアナ以上のガールフレンドは考えられないし、ダイアナにとっても、ドディは、プライバシーと望み通りのライフスタイルを提供できる初めての『独身』男性だった。ただ、ふたりの関係はまだ始まったばかりで、噂されているような婚約発表間近だったというようなことはない。というのも、ダイアナはドディとの関係について2人の王子たちに話をしていなかった。ウィリアムとハリーの承諾なしに、彼女が婚約などという決断をするはずがありません」
ダイアナ妃と親しく、事故の数時間前に最後に電話で話をした『デイリー・ミラー』紙のリチャード・ケイ記者は、ダイアナとドディのロマンスが父親の目論見にはまったものだとは考えていない。「確かにきっかけを作ったのは父親のモハメドだったかもしれない。でも、それから先、どうなるかは本人次第。ふたりは打算ではなく本当に愛しあっていたと思う」
一方で、無防備なダイアナはアルファイド親子に篭絡されたのではないかという見方もある。軍事コンサルタントのスティーブ・スティリアヌーディス氏は、こんな思い出話をする。 「92年9月、ファーンボローの航空ショーで、最新のロシア製攻撃ヘリKA50(通称ホーカム)を発表しようとしていた私は、メディアの注目を集めるために、ダイアナ妃に除幕を依頼しました。すると驚いたことに、彼女は喜んで引き受けてくれたのです。当時、イギリス政府からの受注をめぐってマクダネル・ダグラス社とロシアのカモフ社が激しい競争をしていた最中だったにもかかわらず、ですよ。結局、直後に王室スキャンダルが出始めたので、除幕式への出席はキャンセルされましたけどね。この話でもわかる通り、彼女はきわめて無防備な人です。アルファイド親子が手玉にとることなど、いとも簡単なことだったでしょう」
スティリアヌーディス氏は、ドディの「愛」が本物だったとは考えていない。ある国の軍事情報筋から、地中海のロマンスの最中、ショッピングのためダイアナが小島に上陸した隙に、ドディが他の女性をキャビンに連れ込んでいたと聞いたというのだ。「ドディとダイアナの結婚が実現していれば、ダイアナはイスラムに改宗しなくてはならない。未来のイギリス国王の母、英国教会の長の母がイスラム教徒になるのですよ。しかも、自分の息子は国王の義父になる。モハメドにとってこれほどの(イギリス上流社会への)復讐はなかったでしょう」
死の直前、対人地雷廃絶を訴えていたダイアナ妃は、自らが死の商人に連なる人物と交際していることを、どう考えていたのだろうか。
前述のケイ記者もそれを問い続けているという。「直接問いただしたことはないけれど、ダイアナはドディとアドナン・カショギの関係をおそらく知っていたと思う。それについて彼女がどう考えていたのか、対人地雷廃絶の訴えとの矛盾をどう感じていたのか、僕自身、今も考え続けている」
しかし、事故によってすべての可能性は消え去った。そして、ダイアナは危険なコネクションに取り込まれることもなく、永遠のプリンセスとして人々の記憶に残るのだ。
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/main/special/fssp9710.html
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またMI6の工作員だったリチャード・トリムソンが”ダイアナ暗殺の黒幕は英国王室である”と暴露している。
【ダイアナ妃は英王室に殺された!】
英海外情報部の元スパイが仏で宣誓供述書
ダイアナ元英皇太子妃=写真=は英国の王室に殺された! 米誌「スター」最新号は、MI-6(英国政府の海外情報部)の元スパイが、ダイアナ妃の死を調査している仏国の裁判官に提出した宣誓供述書の内容を公開した。これによると、アラブ人との結婚を恐れる王室トップの命令でMI-6が彼女を殺したのだという。次第に真実味を帯びてきた「ダイアナ暗殺」、その恐るべき宣誓供述書とは…。
この宣誓供述書は5月12日の日付けで元スパイのリチャード・トムリンソン(30)によって作成された。ダイアナ妃は1997年8月31日、彼女の乗った車がパリのトンネルの地下道で不可解な激突事故で死亡した。トムリンソンによると、この自動車事故の死亡は、MI-6がユーゴズラビアの内戦が始まった1992年、ミロセヴィッチ・セルビア大統領を暗殺する計画を立てた時の方法とまったく同じだという。
MI-6で提案されたミロセヴィッチ暗殺計画では、トンネルの中での衝突事故をアレンジすることだった。その理由は、道路からトンネルのコンクリート壁までの距離が近く、衝突のすさまじさで死または重傷を負うに十分であること、そして目撃者も少ないこと、だった。
また、衝突を起こさせる方法は、ストロボのフラッシュ・ガンを使って運転手の目をくらませ、方向を見失わせることだった。これはヘリコプターのパイロットやテロリストに使われるという。
「アラブ人は皇太子の母にはふさわしくない」
なぜ、ダイアナ妃が殺されることになったかといえば、MI-6の非公式の覚書によると、彼女がエジプト生まれのアラブ人のプレーボーイ、ドディ・ファイアドと交際していたからで、英国の王室のフィリップ王子はこれに激怒、「このような関係は人種的にも道徳的にも相入れないもので、ベドウィン人(アラブ系の遊牧民)の息子は未来の皇太子の母(の相手)にはふさわしくない」。
トムリンソンは1996年、英国情報部から解雇されて以来、MI-6と激しく闘っているという。彼は英国の公職秘密法に違反したかどで6カ月間、服役し、昨年釈放されると同時に英国から逃れたという。彼はつい最近、米国のNBCのTVインタビューのためにニューヨークのケネディ空港に着いたが、拘留された。彼は現在、スイスのジュネーブにひっそりと隠れて暮らしているという。
(05/26/99、ロサンゼルス=ZAKZAK特電)
http://www.zakzak.co.jp/midnight/hollywood/backnumber/D/990527-D.html
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私の推測としてイギリス王室の圧力でフランス政府の【ダイアナ事故死公式記録】が捏造、隠蔽されたのはほぼ間違いないと思う。
また、アンリ・ポールはMI6(イギリス諜報機関)とモサド(イスラエル対外諜報機関)の二重スパイである可能性がある。
アンリ・ポールが勤めていた(潜入していた)【リッツ・ホテル(各国の要人が良く利用していた)】の情報をモサドに流していたと元イスラエル首相情報担当特別顧問を勤めていたアリー・ベンメナシェが暴露しています。
http://www.asyura2.com/0311/bd32/msg/466.html