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(回答先: <唐原遺跡>多数の祭祀遺構見つかる 東九州では最大規模 福岡(毎日新聞) −吉野ヶ里、原の辻に次ぐ規模 投稿者 シジミ 日時 2004 年 1 月 09 日 19:22:49)
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20040109-00000015-nnp-kyu
福岡県大平村教委は八日、同村上唐原、下唐原地区にまたがる「唐原遺跡群」で見つかった環濠(かんごう)集落跡が「弥生時代後期(一―三世紀)のクニの中心だった」と発表した。環濠の内側の広さは一二・四ヘクタールで、九州では佐賀県の吉野ケ里、長崎県・壱岐の原の辻の両遺跡に次ぐ規模で、東九州では最大規模であることがわかった。ほかに約百の竪穴住居跡や祭祀(さいし)用のミニチュア土器も出土した。同村教委によると、東九州でクニの存在が裏付けられたのは初めて。
発掘調査の結果、環濠は総延長約一・四キロ。環濠は三重構造で、最後期に形成されたとみられる最も内側の環濠は延長約六百メートルで、広さは約一・六ヘクタール。多くの竪穴住居跡が見つかったのはこの環濠跡で、ほかに祭祀の場だったとみられる六カ所の方形周溝や、ひしゃくやつぼのような形をしたミニチュア土器のほか多数の鉄器も出土した。王墓や王宮跡は発見されなかったが、山国川流域の拠点集落だったことがうかがえる。
同村教委は、これらの点から同遺跡群が魏志倭人伝にある「倭国大乱」期に、東九州にもクニが存在していたことを示す集落跡だとしている。同村教委の末永浩一主任は「付近に二カ所の前方後円墳が見つかっており、今後は古墳時代へつながる過程を解明したい」と話している。
■首長が盟主に成長か 西谷正・九州大名誉教授(考古学)の話
東九州でクニの存在を裏付ける遺跡が発見されたのは初めて。王墓や館の跡が見つからなかったのは残念だが、近くに古墳が複数あり、クニの首長が古墳時代の盟主に成長したと考えられる。(西日本新聞)
[1月9日2時20分更新]