現在地 HOME > 掲示板 > 戦争45 > 711.html ★阿修羅♪ |
|
Tweet |
(回答先: MI6大衆扇動作戦オペレーション・マス・アピール(BBC) 投稿者 usam 日時 2003 年 12 月 31 日 12:35:00)
ケリー博士の死とイラク報告書の信憑性について : イギリス独立調査委員会
八ットン委員会
2003/8/13〜9/24
<公聴会1日目 : 明らかになっていくデビッド・ケリー氏の素性>
この事件は、BBCギリガン記者が匿名の取材源から得た情報として、イギリス政府が2002/9に発表したイラク大量破壊兵器の情報は、事実を誇張していると、5/29 ラジオ放送で暴露したことから事件は始まった。
2週間後、国防総省は情報源はケリー博士だとマスコミにリークし、7/9 ケリー博士は外交委員会で喚問を受けた。
7/18 そしてケリー博士は死んだ。警察当局は自殺だとした。
政府はすぐに自殺の経緯をめぐる独立司法調査委員会を裁判所に設けた。
8/11 独立司法調査委員会の公聴会が開かれた。
<国際戦略問題研究所テレンス・テーラー>
1990年代、イラク査察団で同僚だったイギリス国際戦略問題研究所テレンス・テーラー氏は「困難な時期に査察を行ったにも関わらず、ケリー博士の仕事は大成功だった」と証言。
そして「死ぬ4日前に電話で話した際、兵器捜索のためにイラクへ戻る考えを話していた。その数週間前に会った時には、娘の結婚式を心待ちにしていた。変わった様子はなかった」と述べた。
<リチャード・ハットフィールド国防総省人事局長>
国防総省リチャード・ハットフィールド人事局長「メディアへの情報の提供はケリー博士の仕事の一環だった。ただ、BBCとの2回の接触は許可を得ておらず、単に技術的に情報を与える以上のことを行った。」と証言。
また、ハットフィールド人事局長は、政府がケリー博士の名前を報道機関に漏らした疑惑について「職員の名前を進んで明かしたりしない」と発言した。
しかし「公になってしまえば、議会で証言してもらうことになる、と考えていた」とも述べた。
また、「イラクの大量破壊兵器に関し、ケリー博士はイギリスを代表する専門家だった。情報機関に助言する立場にもあり、必要なら機密にふれることもできた」とも証言した。
<マーチン・ハワード国防情報局次官>
政府の中には9月のイラク大量破壊兵器報告書の内容に不満を持つ人もいた。
この報告書は政府の影に隠れて働く公務員のもので、国防情報局のマーチン・ハワード次官が調査委員会に出た。
ハワード次官は「45分の脅威は、単一の情報源に頼ったが、非常に確度の高い情報だった」と発言し、イラク戦争前に、イラク軍内部から得た情報だったと述べた。
また、「国防情報局の局員2人が報告書に使われている言葉について不満を書き残していた。」と証言。
そしてその文書が調査委員会に提出された。
その文書のひとつが公表された。文書は次官宛で「私は2002/9/24に提出された報告書について非常に懸念していた。報告書については私にも責任の一端があるが、これは、あなたの前任者に対して私に正式に書くように要求されたものだ。」
また、2003/7/17の次官宛の文書には「これはイラクが大量破壊兵器を45分で実戦配備できると述べられた点について、国防省スタッフが表明した懸念に関するものだが、これは報告書の序文とまとめの中で書かれている正確さのレベルに対する懸念である」と書かれている。
<首相官邸 ジュリアン・ミラー>
しかし、報告書の作成に関わった首相官邸のジュリアン・ミラー氏は「そういった懸念はは知らなかった」と述べた。
調査委員会のジャームズ・ディングマンズ弁護士は「ケリー博士はジャーナリストに対して45分に配備できるということについて”間違っていたと首相官邸は知っていた”と話していた。もしそう言ったのなら、それは本当か?」と尋ねると、
ジュリアン・ミラー氏は「それは本当ではなかった」と証言。
ディングマンズ弁護士は「”キャンベル補佐官からの圧力があったために報告書に盛り込まれたと、ケリー博士はジャーナリストに話した”とあるが、もし話したのなら、それは本当だったのか?」と問うと、
ミラー氏「いいえ。それは真実ではないし、文言に変更は無かった」と証言。
<ケリー氏は、当初に国防省がいった以上に、国家の上位秘密情報に接触できる地位にいた>
一般の公務員の地位からは完全に違い、政府や軍などの機密情報にも接触できる立場にあり、MI5・MI6情報当局、国防総省、CIAなどにも日常的に接触ができた。
政府からはマスコミ担当者として、厚い信頼も受けていた。
さらにイラク査察ではこの10年間、真面目に完全を目指し調査を行った。
これによって、ケリー氏がジャーナリストに話した内容についても信用度が大きく高まった。
国防省の局員の中には、イラク大量破壊兵器報告書の信憑性について、疑問の声もあがっていたことも明らかになった。
しかし、証言に立ったミラー氏が、キャンベル補佐官や政府による情報操作はいかなるものも一切無かったと、強く否定している。BBC
ケリー氏は、国防省がいう以上に上位の秘密に接触できる地位にいた。
これだけの人物が果たして本当に自殺をしたのだろうか。
http://www.bbc.co.uk/
<公聴会2日目 : ケリー博士は死亡する前の公聴会で偽証した? BBC>
8/12 調査委員会はBBCラジオ「ラジオ4トゥデイ」のギリガン記者とBBCテレビ「ニュースナイト」のスーザン・ワッツ科学担当デスクらを証人として呼んだ。
<アンドルー・ギリガン記者>
ギリガン氏は5月の取材で、ケリー博士が「(イラクには)何らかの大量破壊兵器計画はあるものの、ヨーロッパやアメリカに対する脅威は政府報告書が指摘したほど大きくはないと思う」と、当時のパームコンピュータに入れた取材メモを見ながら述べた。
そのメモに保存されていたケリー氏の言葉は「もっと人目を引くようにするために、発表1週間前に手を入れること。特に45分間の部分。報告書の記述のほとんどの部分は二重の裏づけがあるが45分間の部分は情報源はひとつだけだ。情報当局の関係者、この点に満足していない。なぜならば、出そうと思っている見方を反映していないからだ。」
メモの書き起こしには「キャンベルという言葉もあった。」
そして、「本物の情報だが、信頼できない。希望に反して入れられている」と話したと記録されていた。
ハットン卿はそのときにキャンベルという名はケリー博士が先に出したのかと問うと、ギリガン氏は「そうだ。間違いない」と答えた。再度、確認して聞くとギリガン氏は「ケリー博士から45分の話も出たし、キャンベルの名も出た」と述べた。
ギリガン氏は接触のある二人の政府高官にこの話を確かめ、二人とも「肯定も否定もできない」と述べたが、ひとりからは「取材を深めるべきだ」と言言われたと述べた。
ギリガン氏は、報告作成に関わった政府関係者2人に聞いた。
そのあと45分のことを5/30のトゥデイで言わざるを得なかったことを問い正された。
そのときのことを振り返り、ギリガン氏は完璧には適切な言葉を使っていなかったと認めている。
イギリス政府が2002/9末に公表した文書をめぐり、ケリー博士は「公表の1週間前に、イラク軍が45分以内に生物・化学兵器を使用できる、とする情報が盛り込まれた」と主張。
ギリガン氏がケリー博士に「セクシーにするためか?」と聞くと、ケリー博士は「よりセクシーにだ」と答え、その背景にいた人物は「キャンベル」と指摘したと述べた。
さらにギリガン記者が「(45分説は)キャンベルの捏造か?」と聞くと、ケリー博士は「情報は実在する」と否定したが、「政府文書に含まれた大半のデータが複数の情報源から得られたのに対し、単一の情報源からもたらされ、不確実だった」と語ったと証言。
公聴会では「ラジオ4トゥデイ」でギリガン氏の上司に当たるディレクターのケビン・マーシュ氏からギリガン氏の番組への事後批評メールも公表された。
メールはギリガン氏の放送のあと1ヶ月経って「捜査ジャーナリズムの報告として優れているが、報告に不正があるのがキズ。最大の問題はギリガン記者の曖昧な言葉遣いと、一部の言い回しなど思慮不足」だと指摘されていた。
しかし、ギリガン氏は「全体を通じて、自分の報じた話の基盤は正確である」と断言した。
最後にケリー博士の話を誇張または粉飾したかの問いに、ギリガン氏は「していない」と述べた。
ギリガン氏の証言の際は、彼の取材メモに加え、取材日を記録した手帳の写しや、ケリー氏取材の場となったホテルで注文したコーラ代4ポンド15ペンスのレシートまで委員会に提出し、証拠として公開された。
<ケリー博士本人の肉声テープ :スーザン・ワッツ記者>
独自にケリー博士を取材していたワッツ氏の公聴では、5/30にテープに録音していたケリー博士への電話取材の内容を公開した。
ハットン委員長は遺族へ与える影響からテレビやラジオで流すことは禁じた。
ワッツ氏は、問題の文章の中の45分問題について質問した。
ケリー「45分の脅威はいきすぎだ。彼らは情報得ようと必死でした。どうしても公開できる情報が欲しかった。そしてあれが出てきたときそれに飛びついた。残念なことだった。だから情報局と内閣府・首相府の間に議論が起きてしまった。物事は一端取上げられると引っ込めることができなくなる。それが問題だ。」
ワッツ「でも、彼らはあなたのアドバイスに反した発表をしたんですよね?」
ケリー「私はそこまで強くは言わない。と、いうのも、私はあの評価には加わっていなかった。だから私のアドバイスに反してとは言えない。ただ、いい気持ちはしなかった。」
文章を公表する前の政府の1週間の動きについては、
「政府の文書の場合、言葉選びは非常に重要だ。情報当局は一般にとても慎重だ。しかし一旦、公の文章として公表するときは言葉遣いを変える。ウソをついたとは思わないがもっとも一般受けする文章を使ったのだと思う。心の底では正しいことではないと思っていてもそうせざるを得ないこともある。」
ワッツ「45分問題に戻りましょう。もう少し掘り下げて聞きたいのです。博士からの話からして、次のように考えてよろしいのでしょうか?あれはキャンベル氏自身が入れたことだと。」
「いや、私はそうとは言えない。私が言えるのは首相官邸の報道局ということ。私はキャンベル氏に会ったことはない。」
ワッツ「でも、彼らがこの部分に飛びついたのでしょう?」
ケリー「私はキャンベル氏イコール報道局だと考える。彼が責任者だからだ。」
委員会は、取材源が同じと考えたBBC幹部が、ワッツ氏に何をしてきたかと尋ねた。
ニュースナイトでのレポートが、ギリガン氏の報道を裏付けていると思うかとの問いに、
ワッツ「私はキャンベル局長が個人的に関与したかどうか聞いたときに、ケリー博士が『そうは言えない』と言ったので、私はキャンベル氏の関与を否定したのだと思いました。」
ワッツ氏は、BBCについて「ギリガン氏の報道と一致する内容に変える試みがあったので、これは誤解を与えるし、間違いだと思った」と、その体制も批判をした。
また、ワッツ氏は取材メモを元に証言し、ケリー博士は45分説について「あの部分は、1回しか裏付けできていなかったが、アリステア・キャンベル(ブレア首相報道官報道・戦略局長)がいい内容だ、聞こえがいいと感じて挿入した。しかし過ちだった」と述べたと語った。
メモには「A・キャンベル氏は何かを察知。単独の情報で裏づけは無い。しかし良い話のように聞こえた。」と記されていた
しかし、ワッツ氏は、この話は関係者の雑談に過ぎないと判断し、ケリー博士自身が本当のことを語ったのか確認できなかったため、「ニュースナイト」では使わなかったと話した。
<ヒューイット記者>
「10時のニュース」を担当し、「ニューストゥデイ」のレポートを取上げたヒューイット記者は、ギリガン氏がその取材をしたとは知らずにたまたま、ギリガン氏に相談したという。
ヒューイット記者が5/29にケリー博士との電話での会話でとったメモには「文書首相官邸の手が加わっている」と書かれていた。
ケリー博士は、文章を準備する際に政府側の操作が行われたと言ったと証言。
情報当局の人間はそれをどう思ったかの質問に、ケリー博士は一部の内容に不安を覚えたと答えたと述べた。
ヒューイット氏の、どうして45分問題が情報局の意思に反して挿入されたのか?の問いに、ケリー博士はそれには100%賛成しかねると答えた。
<リチャード・サンブルック報道局長>
BBCニュースの責任者 リチャード・サンブルック報道局長は、
委員会は、BBCでの編集プロセスについて。BBCの報道についてキャンベル氏とどのような話があったのか?BBCはどうしてケリー博士が取材源だとわかったあとに、どうしてそのことを発表しなかったのか?ケリー博士が外交委員会で自分はBBCのい取材源ではないと発言したことにどう思うか?の問いに、
「彼は意図的に、はぐらかすように話していた。自分がBBCの100%の情報源だと示唆されないため、ある程度の曖昧さがあった。我々は彼に対する守秘義務があったと今でも思う」と証言。
<国防省の証言>
委員会はケリー博士を調査した。
「MI5のロビーで6月の半ば政府内で、発言の元がケリー博士に繋がることが判明した。博士はギリガンBBC記者に話したことを国防省の同僚に認めた。博士は上司に、政府のイラク報告書に関して最も打撃となるコメントは自分はしていないというメモを送った。それによると『自分は報告書に関し深い不安感を感じていない。なぜなら、イラクの大量破壊兵器能力への私の個人的見解と完全に一致しているから。』ということだった。」
ここでケリー博士の名前が公になる可能性が高まった。
ジェームズ・スティンガマン弁護士が「ケリー博士のように名差しされるのは公務員として珍しいか?」と問うと
ウェルズ部長は、「答えるのは難しい。私の経験から多分そうでしょう。しかし、状況が普通ではありませんから。」
公務員規定から懲戒処分が行われるかもしれないと警告がされた。
政府内の多くは、博士から詳細を聞こうと考えた。
首相も同じ考えだった。
ギリガン記者の表現は政府が言っていたこととは異なった。
合同調査委員会の委員長は政府の情報調整担当者に「すべての情報がギリガン記者への情報源がケリー博士であることを示している。」と、次のメールを送った。
メールは「ケリー博士には適切な矛盾を洗い出す防衛スタイルの面談が必要だ」というもの。
国防省ではケリー博士に証言させるか論議が続いた。
官僚トップのケビン・テビット氏はフーン国防相にメールで反対を伝えた。
「本人に対する考慮をすべきである。本人が名乗り出たのであって、裁判にかけられているワケではない。」
しかし、フーン国防相はケリー博士に公開で証言をさせると決めた。
国防相官房から外相官房にメモが送られた。
メモは「ケリー博士の証言でギリガン氏の証言に疑問を持つ議員も出るでしょう。首相府もこの決定に同意した」
そしてウェルズとケリー博士は上院委員会に主席。
外務省同僚は、博士が精神的にすごく神経質になってると述べた。
<ブライアン・ウェルズ国防省兵器管理不拡散部長>
8/14、ケリー博士の直属上司だったブライアン・ウェルズ国防省兵器管理・不拡散部長が証言。
ウェルズ部長は、BBC取材に博士が応えたことが判明した後、国防省高官は「マズイ判断だった」などと、ケリー博士を叱責したと明らかにした。
ウェルズ氏は「政府が情報機関の抵抗を抑え、イラク軍が45分以内に、生物・化学兵器を実戦で使えるとする情報を公表した」とのBBC9報道が政府の激しい反発を招いていた6月下旬に、ギリガン記者との接触をケリー博士が本来の職場である外務省同僚に伝えたということを国防省職員が聞きつけた。
ハットフィールド国防省人事局長とワッツが7/4・7に事情聴取したところ、博士が取材に応じたことを認めたと証言。
さらに、ハットフィールド局長は7/14に、博士に書簡を送って「記者の取材に応じたため、あなたも国防省もぶざまな事態に直面している」と批判。
ケリー博士に対して、今後もメディアと接触すれば、処分の対象になると警告したと述べた。 朝日新聞
http://www.asahi.com/
<マーチン・ハワード国防情報局次長>
8/14 独立調査委員会で、イギリス政府が2002/9/24に公表したイラクの大量破壊兵器に関する報告書の草案が一部開示された。
イラクの脅威を誇張したとする「45分」の情報は公表の約2週間前の草案で初めて登場し、最終的に公表された報告書では、脅威に関する表現が草案よりさらに強調する表現に変わっていた。
ハワード国防省国防情報局次長は「最終版の表現が明らかに強まったとみなして正しいか」という問いに、「正しい」と、政府側の情報誇張があったことを認めた。
<トドメのeメール>
8/18 独立調査委員会5日目に、eメールが公開された。
メールは2002/9に、政府のイラク戦の根拠となった文書を公表する1週間前のものだった。
首相の主な補佐官であるジョナサン・パウエルのメールは、情報部高官に対して「文書の原案はイラクの脅威を示すものではない」と伝えていた。
調査委員会は、トム・ケリー首相報道官がパウエル補佐官あてに発信した今年7月上旬のeメールを元に審議された。
メールはケリー報道官が「今やBBCとのチキンゲームになった」と証言、「ネジ(ケリー博士)を締め上げるのを見ればBBCも下りるかもしれない」と書いていた。
<パム・ティアー国防相報道局長>
当時、ティアーはBBCの45分報道について、報道陣から追及されたときに備え受身の声明を用意していた。
しかし、その後、首相府報道局と検討した結果、より積極的な内容に変更し、「ある公務員が自ら名乗り出た」と発表した。
マーティン・ハワード国防省副情報局長は、ティアーと共同して報道陣への質疑応答を用意した。委員会にこれを提出された。
用意された質疑応答ペーパー
Q「その公務員とは誰ですか?」
A「国防省で働いている人物です」
Q「名前と現在のポストは?」
A「通常は名前は公表しませんが、もし正しい名前が出されたら、我々はそれを確認し、彼が核拡散および軍縮局の上級顧問であるということができます。」答えは幹部でなく中間職であることを強調している。
ハットン「ケリー博士の名前が公表されたら、彼がマスコミに集中的に追い詰められることを考えなかったのですか?」
ティアー「私たちはケリー博士のことは心配しました....それが疑われている他の人々を(マスコミから)回避する最良の方法だっただけで、私たちはこの考えに同意しました。」
積極的に名前を明かすことはしないが、絶対に明かさないは限らないとも言い、ケリー博士には名前が出るだろうと告げたと証言。
<ジョナサン・パウエル首相主席補佐官>
メールは、パウエルから、2002/9/17付けでジョン・スカーレット合同情報委員会委員長宛「件名:調査資料 : 文章は脅威を立証できるものではありません。サダムからの差し迫った脅威をそのままにしておいてください。サダムには手段はあるが、西側はもちろん、近隣諸国を攻撃する動機があることを示すものでもない」「報告書公表にあたっては、サダムが差し迫った脅威である証拠があると主張するものではないことを、明確にする必要があるだろう」
メールは、キャンベル報道・戦略局長とマニング外交政策顧問にもCCメールで送られている。
政府報告書は、9/10くらいに最初の原案が作成され、9/19に改訂案が作られている。
<(サー・)デビッド・マニング首相外交政策顧問>
<キャンベル登場>
8/19 キャンベル首相補佐官(戦略広報担当)が証人として証言した。
提出されたキャンベルからスカーレットへ宛てたメモには「100%快く思われないことは、一切、公にすべきではない」と書かれていた。
スカーレットはキャンベルに「下の方には快く思っていない人がいるかもしれないが、上層部ではそうではない」と、安心するようにと伝えたという。
「45分脅威論」が、いつ報告書に盛り込まれたかについて、
キャンベル「素案にあったかどうか覚えていない」「文書執筆はスカーレット委員長が担当した」などと証言。
情報は統合情報委員会がもたらしたもので、「生の諜報か、伝聞かも知らなかった」と述べ、「いずれの段階でも、自分が挿入したり、省略したり、影響を行使したりしたことはない」と断言したが、「45分脅威論」を含んだイラク大量破壊兵器の脅威を強調した首相序文の草案を自ら執筆したことを認めた。
情報操作については、報告書の作成のいかなる段階でも、いかなる操作もしていないと証言。
報告書作成の関与責任追求は、合同情報委員会議長に委ねられ、自分は合同情報委員会議長の補佐役に過ぎなかったと強調していた。
しかし、今回、独立調査委員会で提出されたeメールなどにより、キャンベルが報告書の表現について詳細に指示したり、合同情報委員会議長から助言を求められていたことが明らかになっている。
証言によると、昨春イラクを含む4カ国の大量破壊兵器の報告書素案を作成したが、内容が乏しく、公表を見合わせた。
その後、ブレア首相が、イラクの「比類のない脅威」を国民に示すために報告書の作成を指示。
キャンベルは2002/9/3の日記に「なぜイラクなのか。なぜ今なのか?」と書いた個所を示し、その日文書作成が本格化したと述べた。
そして9/5の会合で文書を新たに書くことに合意。
統合情報委員会のスカーレット委員長が文書作成を引き受け、9/11にブレア首相に文書案が示された。
キャンベルは9/11の日記に、「私はスカーレット委員長に、『文書をドライにした方がいい。修飾もカットすべきだ』と話した」とあるのを提示し、「文書には表現が派手過ぎる部分があり、もっと諜報を根拠にした方がいいと思った」と証言し。
自分は情報を誇張したのではなく、むしろ、それを抑える立場だったと述べた。
<8/20 調査は7日目>
<サー・ケビン・テビット国防事務次官>
テビット「ケリー博士にはメディアとの接触について大きな自由裁量が与えられていた」「博士は、記者に対して法的に言っていい内容と言ってはいけないこととの間の曖昧なところに陥ってしまったようだ」
ケリー博士がギリガン記者と会ったことを知ってからのフーン国防相の反応についての問いには
「フーン国防相はこの情報をキチンと公開し、隠蔽を図っているような印象を与えないことが大事だとして、強く懸念していた。」
続いて首相府内、国防省内の会議が重ねられた様子について
「私は首相がこれを注視していると聞いていた。そこにはこの人物について何とかしたがっているいるという含みがあった。」
「数日後に行われれる下院外交委員会公聴会でケリー博士をさらし者にするべきではないと感じていた。そこでフーン国防相に申し出ましたが、退けられました。」
フーン国防相の決定に賛成だったのか?との問いには、
「不本意ながら従いました。誰を委員会に出席させるのかを決めるのは大臣の仕事です。ですから私は受け入れました。」
他に言うことは無いかと聞かれ
「この事件についてはいろいろ深く考えた。責任は感じている。しかし罪に問われる筋合いは無い。我々は正しいことをしたと満足している。」
<ゴドリック・スミス首相府報道官>
2002/9、首相府高官はイラクに関する政府文書についてアドバイスを行った。
2002/9/11 首相府高官はeメールで「サダムの悪無き願望を印象付けるべきだ」。
ケリー報道官のeメールは「大量破壊兵器に関するサダムの能力と使う意思をハッキリ区別すべきだ」と指示している。
ケリー報道官からキャンベルへのeメールに「サダムが自衛のためにというよりも、攻撃的に大量破壊兵器を使う意思があると示すことができるだろうか?」
特別調査委員会でスミスは「この特殊な政府文書を作成するため、情報部門と報道部門が出会った」と述べた。
報道部門の判断が情報部門の判断を傷つけたかとの問いに
スミス「そんなことは絶対に無かった」
スミス「(7/7)キャンベル報道官が『BBCの報道源と思われる人物が名乗り出たというニュースが今夜ある新聞に載る』というアイデアを思いついたが、話し合いの末、そのようなリークは止めようという結論に達した。」
<ケリー博士を夢想家と侮辱したと有名なトム・ケリー首相府報道官>
ケリー首相補佐官は、ケリー博士を夢想家と呼び、BBCの対決を度胸試しのチキンゲームと言ったのは首相府の発言を代弁するものか?という問いに「NO」と答えた。
<大物登場!ブレアと直接接する情報関係の最高幹部>
<ジョンス・カーレット>
8/26 MI6に30年間属し、元MI6モスクワ市局長である報告書作成責任者のジョン・スカーレット統合情報委員長が登場した。
この委員会は政府に極秘情報を提供する任務を負っている。
スカーレットはイラク大量破壊兵器に関する報告書の編纂を担当した。
報告書に関して行われた2回に渡る政府関係者との会議について質問を受けた。
2回とも議長はキャンベル補佐官だった。
「2回の会議で情報に関して話し合うことはなかった。補佐官が議長を勤めたことについては何の問題も無い。自分だけが報告書の草稿を担当していた。キャンベルと分かれ責任者として仕事を進めた。」
スカーレットは、キャンベルを始めとする政府高官が政府発表報告書について忠告し変更を求めたと証言。
関係者から懸念の声は聞かれたかという質問には「聞かれなかった」と答えた。
しかし最終的な決定権はスカーレット自身が持っていたと述べた。
政府文書に具体的な脅威を盛り込むのは有意義なことだったとした。
そして提出された2002/9/9付けの書類には「45分」が書き込まれていた。
「イラクは大量破壊兵器を拡散させたらしい。情報によれば生物化学兵器は20分から45分以内に使用可能になるということだ。」
そして45分という言葉だけが情報に盛り込まれた。
また、提出された2002/9/11付けの内閣事務局から送られたeメールには
「政府は統合情報委員会の委員長(スカーレット)を通じて、できるだけ強い内容の報告書を望んでいる、そこで(!)情報当局が適切と思う情報のすべてを盛り込むように。」と書かれていた。
しかし、スカーレットは戦争を視野に入れた報告書を書くつもりはなかったと証言。
スカレットは「報告書に特別な狙いなど無い」と述べた。
報告書を誇張しようという政府の意図がみえましたか?情報機関の当局者から意見は出たでしょうか?の質問に「いいえ」。
MI6の現場職員からはイラクの報告書に関する前例が出来上がってしまうことに懸念の声が上がっていたと証言した。
「45分脅威論」が情報局の反対を押し切って入ったというBBC報道については
「まったく違います。私以上に事実を知る立場にいる者はいません。」
またケリー博士の発言には、一貫性を持たせ、インタビューが安全にできるようアドバイスしたと言った。
法律的に完璧な受け答えをさせるために、ケリー博士の取材には誰かを立ち合わせることを提案したと述べた。
<サー・デービット・オーマンド>
情報の総合管理を担当する内閣事務局当局者サー・デービット・オーマンド。
ケリー博士が名前が公になることに同意したか?の質問には「覚えていない」と述べた。
また、ケリー博士が死んで首相府内で慌しい動きがあったと述べた。
これは疑惑の性格からして首相にとって多大な関心と懸念の元だったからだと証言。
<アンドリュー・マッキンリー議員>
ケリー博士に外交委員会で厳しい質問をした労働党アンドリュー・マッキンリー議員はのちにケリー博士の家族に謝罪している。
マッキンリーは議員にとってイラク戦争の大義名分が誇張されたかどうかを究明することほど重大な責務は無いとした。
フーンがケリー博士の委員会への出席時間を制限し、イラクの報告書を非公開としたことについて、
マッキンリーは閣僚が委員会の調査対象にとやかく言うのは甚だしい越権行為であると思ったと証言。
<フーン国防相 登場!>
8/27 独立調査委員会はフーン国防相を喚問した。
フーンはイラク戦争の最中4月下旬、ケリー博士とホワイトホール(食堂)で会ったときのことを話し、「ケリー博士は戦争に関し政府の方針を支持していた」と語った。
しかし、当時はそれがケリー博士だとは知らず、死後に家族の元に弔意を言いに行ったとき、そのときに話した男性がケリー博士だとわかったという。
BBCが報道した45分脅威論後に話が移ると、フーンは「ケリー博士の個人的な扱いについては国防省が主導的な立場にあった。これは政府全体についてもっと大きな意味があった。内閣府と首相官邸が事態を懸念していた。」と証言。
フーンは、ある関係者がBBCと接触したと公表すると決めたのは6/4の内閣府の出来事だったと述べた。
さらに「自分はこの会合に参加していなかったが内容は察しがつく。BBCに情報源を明かすように説得することについてさまざまな話し合いが行われた。」と述べた。
さらに「私はBBC会長に手紙を書くようにとのメッセージを受取った」と述べた。
フーンがこの手紙を書いていたころ広報担当が声明を発表したという。
その後、当局がケリー博士の名前を仄めかすという奇妙なプロセスが始まった。
どんな情報にもケリー博士と匂わすようなものがありましたね?の質問には
フーン「それには私は関係していません。この質疑応答は見ていませんし、その準備にも全く関わっていません。私が我慢できないのは、ケリー博士の名前を表に出すために、裏で何らかの申し合わせや戦略、あるいは計画があったとする見方です。それは全く事実とは異なります。」
ケリー博士の外交委員会の出席は、出席要請は断るべきという事務次官の進言があったのに、誰が決めたのか?
フーン「確かにこれは最終的に私の決定です。首相も同じ意向だと確信していました。また事務次官が私の決定に不満だとは全く思っていませんでした。」
フーンは「ケリー博士がBBCの情報源だと認めた。もしケリー博士が情報源なら事実を正すチャンスだと思った。」と述べた。
また、ケリー博士が死亡する前に、博士が情報源だと確信していたのか?の問いには「ノー」と答えた。
フーンは、ケリー博士をBBCに名指しする方針が首相府からもたらされたと証言した。
さらに国防省内の反対を押し切り、議会公聴会へのケリー博士喚問を認めた決定を「自分が決めた」としながらも、ブレア首相の同意があったことを明らかにした。
これまで首相府はケリー博士の名前公表や議会証言決定が国防省内で行われたと主張してきたが、フーン証言によって、公表過程や議会証言決定に首相府が密接に関わっていたことが濃厚になった。
しかしフーンは国防相の地位にありながらも、重要な決定にはほとんど関与していないという。
この政権内で、力の無い能無しだったと自分から言っているようなものだ。
これが、フーン証言の要点だ。
ある人物が名乗り出たと公表する決定は首相官邸が行った。
国防相の広報担当部門がケリー博士の名前を確認したときも、自分には相談は無かった。
ケリー博士の処遇について国防省幹部の考えを退けたのは、首相の意向に沿うものだった。
すでに、BBCの情報源が明らかになっていない段階で、フーンがBBC会長に親書を送り「ケリー博士がBBC報道の情報源か」と問いただしていたことが明らかになっている。
<ジョン・クラーク空軍大佐 (ケリー博士の同僚)>
ケリー博士は「何とかイラクへ戻って、10年前に始めた仕事を片付けたいと言っていた」と証言。
クラークはケリー博士と外交委員会へ向かうときいっしょにいた人物だ。
「ケリー博士は外交委員会と翌日の治安に委員会への出席がこれまでで一番のストレスを感じるものだ。特にケリー博士はBBCのスーザン・ワッツに話した内容を問われたときが一番辛かったと言った」と述べた。
<真打 ブレア 登場>
8/28 ブレア首相が独立調査委員会で喚問された。
去年9月のイラク大量破壊兵器の報告書について、広報の仕方にキャンベル補佐官が協力したとしながらも、内容については情報機関などが責任を持ったと強調。
その情報の作成についてMI6など情報機関から不満は無かったか?との問いには、
「そういうことは、まったく認識していない」と述べた。
BBCは首相府が情報機関の意にそぐわない内容を盛り込んだと報道し、その張本人はキャンベル補佐官だったとしている。
ブレアは、そのレポートについての感想を聞かれた。
ブレア「とんでもない言いがかりで重大だ。もしこれが本当なら私の辞任に繋がるものだ。」さらに「このあとギリガン記者が6/1ザ・メール紙に書いた記事でこの問題が大きく膨らんだ」と語った。
このメール紙でギリガン記者はキャンベルが文書の改ざんをしたと名指しをした。
ブレア「自分が特に大げさに考えたとは思っていない。これは首相府中心部への直接の攻撃であるにとどまらず、イギリスの情報部の活動、ひいては国家の信用に関わる問題だ」と述べた。
キャンベルがBBCに謝罪を要求する中、ブレアはBBCのデービス経営委員長と話し合って解決しようとしたことを明らかにした
「首相の誠実性に対して疑問を呈しているのではありません」とするデービスに対して、ブレアは「「しかし、この報道はまさにそういう内容です。これが撤回されない限り、私の誠実さを疑っていることになります。」そして話し合いは物別れに終わった。
国防省のある人物がギリガン記者と接触したと知ったとき(7/3)ブレアは「我々は慎重に行動しなければならない」と語ったと証言。
「適切な情報が必要です。その段階ではこの情報を他に漏らさないようにすることがポイントだと考えた」と証言。
7/7 外務省委員会が報告書を発表。
文書の作成に関して政府の不適切な行為は無かったとしながらも、この報告は委員長の最終決定で採択された。
ケリー博士がBBCの取材に応じたと名乗り出ると、ブレアは側近から「これを隠すのは懸命ではない」と助言された。
首相の周りではケリー博士は問題をはっきり決断できる人物だと信じられていた。
ブレア「この問題をどう解決していいか、八方塞だと感じていた」「政府関係者によって作成されたものであるが、最終的な責任は自分にあると思った」「私は首相として決断した。しかし、規則に従ったということをわかって欲しい」と述べた
そして7/8国防省が「ある当局者が取材を受けたのを認めた」と公表。
ブレア「報告書にいくら目を通しても私は確信できなかった。」
ケリー博士の身元を明らかにした質問書、しかしその手がかりを抜いてあったことについて
ブレア「私はそのような戦術に至った具体的決定については知らない。しかし一般的にいって名前がいつか明らかになるのはハッキリしていた。ケリー博士はその点に気づいていたのではないかと思う。」と述べた。
審問ではケリー博士は「この問題は極秘に扱われると信じていた」と述べていた。
なぜ、政府は情報を流したのがケリー博士だとスンナリ言えなかったのか?との問いには
ブレア「正しい人物かどうか確証が持てなかった」と述べた。
そして報道陣がヒントからケリー博士の名前を当てさせると、国防省もこれを追認。
なぜ情報源が名乗り出たと公表する必要があったのですか?との問いに
ブレア「私はこの情報を公開することで、あとで政府が情報の隠蔽を図ったと言われないようすることが大事だと思いました。この決定の責任はすべて私にあります。今でも正しい決定だったと信じています。」
そして、ブレアは議会の2つの委員会でケリー博士が証言すべきだということに同意した。
ケリー博士に圧力をかけることについては懸念はありませんでしたか?の質問に
ブレア「明らかに異なった認識をもって振り返ってみるものではあるが、私が言えるのは問題がある点は何も無かったということだ。」と述べた。
しかし、ケリー博士の名前の公表については誰がその決定をなしたのかは明らかにされていない。
だが、ブレアは全責任は自分にあると公言した。
<デービスBBC経営委員長>
デービス「首相府報道局長という立場の人による前例の無いBBC攻撃です。キャンベル局長はBBCとギリガン記者がウソをついたと非難しました。またBBCがブレア首相をウソツキ呼ばわりしたと言いました。私はBBCがそんなことをしたと思ったことはありません。」
「キャンベル補佐官はイラク戦争についてBBCが反戦的だったと非難した」とも述べた。
そして経営委員会はキャンベルの非難に反論する声明を発表した。
しかし、BBCはこういった報道が脚本無しでいいのか再検討していると述べた。
またBBCがケリー博士の名前を公表したことはケリー博士の信頼を裏切ることにもなったと述べた。
ケリー博士が外交委員会で質問を受ける前に、自由民主党のチジ議員に、ギリガン記者が、ワッツ記者の情報源がケリー博士であると打ち明けていたことについて「あるジャーナリストが他のジャーナリストの情報源を明かすことは間違っていると思う」と語った。
政府との対立でBBCが一歩も引かなかったのは、情報源の発言を正確に伝えたと信じていたからと述べた。
ブレアがこの問題を解決するためにデービスと接触していたことも明らかにした。
ブレアは「BBCが報道する権利を標榜しながら、その報道が間違っていたことを受け入れるということは思慮深いやり方ではない」と述べたと語った。
そしてデービスは「首相、私たちはそういったことができるかどうかは、よくわからない。なぜならBBCは正確に信じる人物を報道しているからだ。」と反論したと述べた。
<キャンベル辞任>
8/29 イギリス政府首相府は、アレステア・キャンベル戦略広報担当官が辞任することを明らかにした。
キャンベルは「昨夏に辞任する予定だったが、イラク問題もあって首相から慰留された」と述べた。
また、独立調査委員会には「協力する」と語った。
キャンベルはブレアに9年間付き添った側近中の側近で、影の副首相とまで言われていた。
<ジェニス・ケリー夫人証言>
9/1 ケリー博士の夫人ジェニスが、独立調査委員会で証言。
証言によると、ケリー博士は仕事中毒などと主張し真面目なケリー博士の印象を強めた。
ジャニスはTVニュースでBBCにリークしたのは政府関係者だと報道されたのをケリー博士と見たとき、ケリー博士に「あれは私だ」と打ち明けられたと述べた。
そして、ジェニスは、名前が公にされるのは避けられないと感じた。
翌日、サンデータイムズ紙のラフォード氏が家に来て「マスコミが大挙してやってくる」と教えてくれた。
ケリー博士は「幻滅した。裏切られた。大丈夫だと確約されていたのに。」ととても怒っていた。
ケリー博士の上司と、BBCのインタビュアーから証言の秘密は補償されていたと述べた。
そして、国防省発表後、複数の朝刊紙がケリー博士を特定したが、実名が新聞に出る前夜、国防省広報担当者から自宅に電話があり、「間もなく報道陣が押し寄せるので即刻自宅を出るように」と命じられた。
夫妻は慌ただしく荷造りし、数日間外泊を余儀なくされた。
死亡の当日はひどく幻滅し落胆していたと述べた。そして散歩に出て死亡した。遺体の横にはボーイスカウト時代から使っていたナイフが落ちていた。
<ケリー博士の関係者証言>
9/2 7/18の朝にケリー博士の遺体が自宅近くの森で発見されたときの証言がされた。
遺体発見者の捜索にボランティアで参加したデニース・ホームズ氏「捜査の前、探しているのは非常に重要な人物で、自殺の可能性があると告げられた」、発見したとき「博士は木の下にうずくまっており、左腕にキズを負っていた。」と語った。
現場で指揮をとったアンドリュー・フランクリン巡査「博士は苦しんだ様子は無かった。」と述べた。
そして、地面に置かれた博士の時計やナイフ、ボトル入りの水の写真撮影を命じ、救急救命士が心臓モニターで博士の死を確認する現場に立ち会ったと語った。
ケリー博士を最後に見た隣人のルース・アブサルム氏「数分だけ立ち話をし、別れ際に博士が、ルース、またねと言って別れた。」「そのときの博士にいつもと変わった様子はなく、普通に見えた」と語った。
警察が、ケリー博士の捜索と同時に、ケリー博士の自宅にも刑事が捜索に入ったことを明らかになった。
ジェフェリー・ウェブズ巡査部長は「書斎で国防省のリチャード・ハットフィールド人事局長から送られた手紙を発見しました。」「マスコミとの会話と題されたこの手紙は、BBCのアンドリュー・ギリガン記者との接触を正式に譴責する内容で、博士も受取ることを覚悟していました。送られたのは1週間以上前でしたが未開封のままでした。」
30年間、自殺の研究をしている精神科医のヒース・ホートン教授が証言し、博士が自殺をしたのはほぼ間違いないと述べた。
博士がお気に入りでよく散歩していた美しく人里離れた目立たない所を死の場所に選んだのもひとつの要素だと語った。
しかし、博士が死ぬ朝、11時15分過ぎに同僚たちに「イラクに戻って仕事を再開するのが楽しみだ」とeメールを送っていたことも明らかになった。
直前まで博士が将来を楽観視し、とても自殺をしようとは考えていなかったことも判明した。
ホートンは、博士が死を決断したのは昼前か散歩をする直前になって死を決心したではないかと推察を述べた。
なぜ博士は、最後に会った仲のいい隣人に「またね」って言ったのか?
何を切欠に自殺を決意したのか? 警察は博士の自殺前に、なぜ刑事を博士の家に家宅捜索に入れたのか?
どうして警察は自殺の可能性が高いと判断したのか? 博士はなぜ自殺を決意していないのにハットフィールドの手紙を1週間も放っておいたのか? オカシイなことが多すぎる。
<ブライアン・ジョーンズ元国防省情報分析官証言>
<ブライアン・ジョーンズ>
9/3 独立調査委員会でイラクの生物化学兵器の分析に当たっていたブライアン・ジョーンズ元国防省情報分析官が証言した。
国防省の情報担当職員は旧陸軍省の古い建物の中で、2002/9イラク大量破壊兵器に関する問題の報告書を作成した。
当時、イラクの大量破壊兵器はブライアン・ジョーンズ国防省情報分析官を中心に分析していた。
委員会で、ジョーンズは報告書の草稿について「調査を正確に反映していない表現があると指摘した国防省の自分のスタッフがいたが無視された。自分自身の不満もあったが、何の措置もとられなかった。」「修正を提案したが、大きな提案だったので受け入れられなかったものがある。」と述べた。
化学兵器専門スタッフはそれをどう受け入れていましたか?との問いに、
「非常に心配していました。」
一部の表現は間違っている。つまりそういう情報は得られていないということですか?との問いに、
「一部に傾向として、評価をことさら誇張する部分がありました。特に1998年以降の化学物質や化学兵器の生産に関する部分です。そのような生産の明確な証拠が無いということでした。」「イラクが化学・生物兵器をすでに持っている、あるいは化学兵器工場が稼動しているという確証はありませんでした。」と述べた。
委員会は、ケリー博士が報告書作成の最終段階で関わったことを確認した。
ジョーンズも十分納得いかなかったところがあったという。
「45分脅威論」については「その表現については私自身クレームを持っていました。イラクの生物化学兵器に関する入手できる情報を正確には反映していませんでした。」
ケリー博士は当時、それを知っていたのですか?の問いに、
「彼は当時、あるいはその後、45分の表現に関しクレームを持っていました。」
ジョーンズは、報告書草案作成中には首相府も関係していましたという。
「情報当局意外から影響力が行使されたという印象があったように思います。」と述べた。
報告書作成の終盤に近づくと「シャッターが下ろされつつあった」と述べた。議論は終わっていたと言うわけだ。
そして、2002/9/17、当時、「我々の懸念は報告書の最終版には反映されないだろうという気がした。」と語った。
「ジョン・スカーレットの合同情報委員会は私の知る限り、最終版の検討はしなかった。」と述べた。
報告書の最終稿を検討する合同委員会の全体会合はあったのかという問いに、「あったとは承知していません。あったのなら私も承知していたはずです。私たちはこのような情報を報告書に含めるべきではないと言っていたのではありません。所々表現が強すぎると思っていただけです。」と重要な検討会が省略されたと示した。
「間違った印象かもしれませんが、当時、情報部門の外から影響力の行使があったように感じています。」
<匿名のA氏>
安全の理由からの音声だけの証言に立った匿名A氏(証言内容から、恐らく現在イラク在住)。
「報告書には間違って強調している部分があった。報告書は何箇所か政治目的のために特定の表現になった個所がある。」と証言。
A氏からケリー博士に送ったeメール
「君も私は政府の報道担当スタッフより、この問題にもっと深く関わるべきだった。明日には何とかなるように祈ろう。」と書いてあった。
報道スタッフについて聞かれると、
「イラク文書はある政治目的を強めるため、何度も部門間を行き来したと思う。」「そして兵器のエキスパートとして、自分とケリー博士がもっと関与すべきだっと思った。」と語った。
そして証言の最後に、「30人からなるイラク調査団が、ケリー博士が死亡数日後、バクダッドで集まり、かつての同僚の冥福を祈った。彼の専門知識と友情を失ったことは非常に惜しまれる。」と語った。
<首相が選んだ1人の側近が政府の広報を掌握する体制を廃止>
9/3 ブレア政権は、首相が選んだ1人の側近が政府の広報を掌握する体制を廃止すると公表した。
政府広報を政治的に中立な官僚に任せ、首相が選んだ側近は政策立案を補佐することに専念する。
政府は「キャンベル氏の辞任とは関係ない」と説明。
政府によると、この改革は、政府が広報を見直すために設置した諮問機関の勧告に基づく。
諮問機関は新聞社の代表らで構成され、勧告にあたって「政府とメディアと国民の間のコミュニケーションが寸断されている」と政府の広報を批判している。
<ケリー博士の元同僚の証言>
9/5 独立調査委員会(ハットン委員会)は第一段階の最終日を迎え、ケリー博士の同僚の証言を得た。
<オリビア・ボッシュ兵器査察官(職務は大量破壊兵器の廃棄)>
ボッシュはBBCギリガンとケリー博士がホテルで会ったときの話を博士本人から聞いたという。
「彼はギリガン記者が情報を引き出そうとしたそのやり方に驚いていました。でもそれがジャーナリストの仕事でしょうと言うと、そうだけどギリガン記者のようなやり方は初めてで、彼は『名前ゲーム』と呼んでいました。」
それはどういう意味か彼は説明しましたか?の問いに
「彼は報告書の中に情報を誰が盛り込んだのか、その名前を知りたがっていたと言いました。まず名前が挙がったのがキャンベルだった。デビッド(ケリー)は確認も否定も出来ないけれども何か言わなくてはと思い『たぶん』と言った。」と証言。
ギリガン記者は最初にキャンベルの名前を出したのはケリー博士だと言っていたので、内容が食い違う。
<トム・マンゴルド(パノラマ記者)>
マンゴルドは、生物化学兵器にかんする著書もあり、彼はケリー博士はきちんとした人物だと証言。
博士とは報告書に関して話をした。 「45分」についても話し合ったと述べた。
「彼とは電話でも時々話をしたが、『45分』についても話をした。バカバカしいとは思いましたがデビッド(ケリー)がどう思っているのか知りたかったのです。」
博士は何と言いましたか?の問いに、
彼も「滑稽だ」と言ってました。
<リチャード・テイラー(フーン国防相の特別顧問)>
テイラーはフーンの証言に無かった会合について証言した。
「もしマスコミが(BBCの)情報源としてケリー博士の名前を取上げたらどうするか話し合った。博士の名前が出たら『ノー』というのはウソになるので『否定は出来ない』と言う事にした。」そしてフーンはそのことについて知っていただけと述べた。
出席した人物の名前は?との問いに、
「7/9に行われた国防大臣室での会合に、国防省のパム・ティアー(報道局長)、私設秘書、それと自分が出席した。」と答えた。
フーン国防省もか?との問いには「そのとおりだ。」と答えた。
委員会に提出された閣僚の議事録によると、首相官邸が政府の作成した文書を保管していた。
しかし、政府は、統合情報委員会の委員長が最後の公正の段階まで保管していたと主張している。
<第2段階が始まる : MI6の証言>
<サー・リチャード・ディアルブMI6秘密情報部長(通称:C)>
9/15 サー・リチャード・ビリング・ディアラブMI6局長 通称Cは、独立調査委員会(八ットン委員会)の証言をした。
彼の身元は極秘で、秘密の場所から委員会へスピーカを通じて音声だけで証言し、顔を見ることはできなかった。
ディアラブは37年間、諜報部で働いてきたと述べた。
リンガーマン弁護士が「いわゆる45分の主張を知ったはいつのことか?」との問いに、
ディアラブは「あなたは主張と呼ぶが、私は情報源の確かな情報と呼びたい。」と答え、「信頼できる情報源がこの情報を知り得る立場にいたイラク軍将校の話として伝えた。」
また、国防情報部の科学者ジョーンズ博士たちの表明した文章の懸念には当惑したと述べた。
45分の主張に関し、あなたの局内で不満の声には気づいたか?の問いには、
ディアラブは「気づかなかった」と証言。
45分の主張が不当に突出しているとは思ったか?の質問に
ディアラブは「後にかけられた誤解を考えると、今から思えばだがその批判は当然のように言える。しかし私は情報は正確であり、その内容(公表された政府報告書の表現)はオリジナル報告書と完全に一致するように確信する。」
ハットン委員長はさらに45分にかけられた誤解とはどんな意味か質問した。
ディアラブは「オリジナル報告書の化学生物兵器は戦場の兵器として研究された長距離砲というよりは、迫撃砲、大砲を意味した。問題は『45分情報』が射程距離の長い兵器に適用されたことだと思う。
ディアラブはMI6がケリー博士と関係を持っていたと認めた上で、BBCのワッツ記者に語った内容を見せられたときのケリー博士の反応を批判した。
ディアラブ「認可ナシに誰かが機密情報について語っているのを見て私はショックを受けた。これは重大な規律違反だ。」
<グレッグ・ダイクBBC会長(BBC編集責任者兼任)>
ダイク会長は「キャンベル報道官のBBC攻撃は、前代未聞ともいっていいほどだった」とキャンベルを批判
BBCと政府の対立について「特にキャンベルはBBCのイラク報道について昔からの仕返しをしようとしていると感じた」とも述べた。
リンガーマン弁護士「キャンベル氏の手紙の批判の中で正当と思うものはありますか?」との問いに、
ダイク「他の人にも個々の批判をチェックしてもらった。」
リンガーマン「あなたはギリガン記者の取材メモを見せろと要求したか?あるいは見せてもらったか?」との問いには、
ダイク「いいえ。私は答えが正しいと推定したのです。」
ハットン委員長「推定したのですか?なぜ確認しなかったのですか?」との問いには、
ダイク「我々は情報源の発言を公表したのであって、BBCの発言と、BBCが情報源の発言を報道することは違う」と述べた。
この証言で、ダイクはギリガン記者の報道が正確かどうかを確認していなかったことが明らかになった。
同時に、間違いだった可能性もあることを認めたことになった。
ハットン「首相官邸が45分情報を誤りだと知りながら政府報告書に挿入させたという具体的証拠が無い」ということについて質問をした。
ハットン委員長はダイクBBC会長に、BBCギリガン報道について重大な政府告発だと認識していたかと尋ねた。
ダイク「BBCそのものではなく、BBCの情報源による告発だった」と述べた。
ハットン委員長はどちらのものにせよ、あなたはそれを非常に深刻なものだと認識しているか?と尋ねた。
ダイク「非常に深刻だが、BBCによる告発と、BBCの情報源による告発とは明らかな違いがある」
ギリガン記者が外交委員会に宛てて書いた「ケリー博士がニュースナイトのスーザン・ワッツ記者が言っていた情報源ではないか」と述べたeメールについて
ダイク「こんなことは認められないと言わざるを得ません。委員会の一員に対してこんなメールを書くことは認められません。ギリガン記者はワッツ記者の情報源が誰だったか、その段階では知る立場ではなかったし、ましてやこんなメールを出せる立場ではなかった」と述べた。
ギリガン記者の上司のマーシュ編集長が、ギリガン記者の判断能力を疑問視するeメールを出していたことについては、証言で、ダイクと、リチャード・サンドルブックニュース担当経営委員もこのことを知らずに、ギリガン記者をBBC経営委員会の席で擁護していた。
ハットンはこのことは知っておくべきでだったと指摘した。
退廷後、ダイクはケリー博士の遺族に悔やみを述べ「BBCとしては違った行動を取れた。後の教訓とする」と述べた。
<ケリー博士の家族側弁護士による喚問>
9/16 今度はケリー博士の家族側弁護士による喚問が行われた。
<マーチン・ハワード国防省副局長>
ケリー博士に名前の公表に同意を得ていたかの問いには、
無かったと思うが、名前が公になる可能性があることは伝えられていたと証言。
<ケイト・ウィルソン国防省報道担当官>
ケリー博士の名前を匂わす質疑応答の文書作成には関わっていなかったと証言。
この文書を作成したのはマーチン・ハワードと自分の上司のタム・ティアーズでケビン・テビッツ事務次官によって承認されたと述べた。
<アンドリュー・ギリガンBBC記者>
9/17 ギリガン記者は、独立司法調査委員会で政府の弁護士の反対尋問を受けた。
今回の証言で、ギリガンは政府文書について19回放送し、内、2回「口が滑った」と述べている。
1回は、問題のラジオ放送で「政府は『45分のうちに』ということが間違っていることを恐らく知ってただろう」と述べた。
ギリガンは「政府文書のあの部分は信頼できず、誤って解釈されていたと情報当局内では考えられていう点なのです」
あなたが政府がたぶん過ちを知っていたということで、政府が正直ではないということになりませんか?という問いには
ギリガン「私が問題にしたかったのは情報操作と言う点です。しかし、あの言葉は使ったのは間違いだったと思う。使うべきではなかったと思っています。私は何度かその点を明確にしようとしました。しかしウソをついたとか、情報を捏造したとか、そこまでは言っていないと。」
しかし、政府はそのままの意味に捕らえた。これがこのケリー博士の死の始まりだった。
2回目の間違いはケリー博士のことを情報当局高官としたこと。
情報当局高官ではなく、情報コミュニティの者と言うべきでだった。
なぜ情報当局高官としたのか?との問いに、
ギリガン「わからない。あれは間違いだった。生放送では時々あることだ。しかし、あれ以外では情報当局者と言わないように気をつけた。」
しかし、5/22 ケリー博士とロンドンのホテルで会ったとき、政府文書に手心を加えたのは誰だったかの件で、首相府のキャンベル報道官の名前を最初に口に出したのはケリー博士だったと述べた。
ケリー家の弁護士に、最初にキャンベルの名前を出したのはあなたの方であると聞いているが?との問いには、
ギリガン「違う。あの会見では名前がどうのこうのという話題は出なかった。唯一、実名が出たのはキャンベルでそれはケリー博士の口から出た。」
ギリガンはケイト・ウィルソン国防省報道担当官に政府文書に関する報道をすると事前に知らせていたと証言した。
ケリー博士が下院外交委員会に出席する前に、なぜスーザン・ワッツ記者の報道の情報筋はケリー博士だと知らせる情報のeメールを送ったのか?の問いに、
ギリガン「あれを出したのは間違いでした。謝罪します。当時私はすさまじい圧力にさらされていて、よく考えもせずあのようなメールを送ってしまいました。本当に申し訳なく思っています。私はワッツの情報源がケリー博士だということも確信すらなかった」
また、報道の根拠としたケリー博士とのインタビューの取材ノートを紛失したことも明らかにした。
(これだけ、騒がれて本当に紛失したのかどうか怪しい。)
<リチャード・サンブルックBBC報道局長>
サンブルッグはギリガン記者は情報を収集してくるのがとっても上手かったが、公表する際の微妙な言い方に疑問があると証言。
しかし、原色をそのまま使う方で、陰影やニュアンスを付けて使うタイプではなかったと述べた。
ギリガンが情報は政府高官だと述べたが、実際は科学者だと判ったときにどう思ったか?の問いには、懸念を覚えた。過ちをそのままにしておきたくなかった。と述べた。
また、サンブルックは、BBCはもっと慎重でするべきであった。ものの根拠をもっと注意深く調べるべきであった。首相府から追及を受けたとき、ギリガンの取材ノートを一言一言精査したわけではなかった。ギリガンが「私は正しい」と言っていることに依存しすぎるべきではなかった。
しかし、サンブルックは「政府は100%間違っていると言ってきた、一点だけを問題にしてきたのではなかった。我々としてはその文言のすべてを撤回するのは正しい処置ではないと感じていた。」と述べた。
<リチャード・ハットフィールド国防省人事局長>
9/18 ハットフィールドは再び独立調査委員会に出廷した。
ケリー博士がロンドンのホテルでギリガン記者の取材に応じたと認めた後、ケリー博士と面談している。
こうしておけばよかったと思うことはないか?の問いには、
「ケリー博士に正式の懲戒手続きをしておけばよかった。そうしなかったことだけが国防省の唯一の過ちだったと思う。」「ケリー博士が国防省に裏切られと感じたことには、とても驚いた。」と述べた。
ハットフィールドは、ケリー博士の悲劇は自分が招いたとし、ケリー博士の名前が明らかになったのはギリガン記者に話をした結果だとした。
また「ケリー博士がジャーナリストと会ったというのだけだが、この場合、その内容について報告したというのと違う。博士が報告しなかったことが根本的な誤りだ。」と述べた。
イラクの経緯から、ケリー博士はジャーナリストとの接触が頻繁にあった。ハットフィールドはケリー博士がマスコミに対する国防省指針に目を通していないのではないかと述べ、そのこと事態が異例だと指摘。
国防省内でトップクラスのエキスパートであったにも関わらずケリー博士は国防省上層部の職員ではなく、中間職の立場にあったのか?の問いに、
ハットフィールドは、「そうだ」と答えた。
国防省のプレスリリースを見れば誰でもケリー博士に行き着いたのでは?の問いには
ハットフィールド「マスコミ向けのプレスリリースについては知らなかった」
<パム・ティアー国防省報道担当局長>
ティアーは、プレスリリースはケリー博士の名前がわかるように意図したものではないと述べた。
そして「国防省は(ケリー博士の)名前は出していない。ジャーナリストが名前を挙げ、それを肯定しただけだ」と述べた。
<アンドリュー・ギリガンBBC記者>
ギリガン記者が5/22ケリー博士のインタビューのときメモとして用いたモバイルの件についてPC専門家の質問があった。
問題のメモは2つの日付の違うファイルに入ってた。
片方は5/21の前日のもので、キャンベルという名はもうひとつの日付の違う5/22のものにしか出てこない。
ギリガンは2つのメモともケリー博士の目の前でとったと証言。
一つ目はケリー博士のインタビューンの時にとったメモで、もうひとつは博士と共に最初のメモを手直ししたものだと述べた。
最初のメモで突然出てきたキャンベルの名前をなぜメモしなかったのか?の問いに
ギリガン「キャンベルの名前がいつ出てきたかハッキリしません。ケリー博士が出したことは確かですが、最後の方で出てきたのかもしれません。」
PCの専門家は、日付が違うのはモバイルが16時間、時計が遅れていたからかもしれないと述べた。
<キャンベル元首相補佐官 & フーン国防相 再登場!>
<アリスター・キャンベルの日記>
9/23 再び、キャンベルとフーンというこの事件の準主役が出廷した。
キャンベルの日記が明らかになった。
ケリー博士はギリガンと会ったことを認める手紙を、6/30に国防省へ書いた。そして、7/4に国防省はケリー博士に事情を聞いた。
(キャンベルの日記)
「7/4 フーンは彼(ケリー博士)に本を投げつけてやりたいと思ったと言った。しかし、ある種、司法取引の余地はある。フーンと私は情報源が判ればギリガンは大恥をかくという点で一致した。」
「7/6 首相はチェッカーズにいた。週末の大半はブレアとフーンと情報源について話し合った。フーンは私と同じく情報源が名乗り出たことを公にしたいと思った。ブレアは内閣府高官と話した後、それを採用しなかった。情報源にはキチンとした扱いをしなければならないという考えだ。私とフーンはそれでは手ぬるいと思った。フーンは私と同じくらい非常に怒っていた。私は引き分けではなく明らかな勝利が欲しかった。」
「7/7 国防相関係者数人、そしてパム・ティアーと情報源について話し合った。新聞を通じて情報源を明らかにすべきだと思った。しかし、再びブレアが2人の高官の判断に任すべきだと考えた。そして2人は名前を出したくなかったのだ。」
「7/9 記者説明のときにできる限りのことをした。しかし最も必要なのは名前を公表することだった。しかし我々がそうすべきではないと思ったので公表しなかった。しかしその日、ファイナンシャルタイムス、ガーディアン、そしてタイムスが情報源を突き止めた。」
すると政府内では、ケリー博士の名前が判るように記者の考えを助けてやるという考えがあったのですね?という問いに、
キャンベル「私はそう考えていた」
この日の法廷では、キャンベルはいつもより大人しい様相をみせた。
ハットン卿は「まだ結論を出すには早すぎる」としながらも、一連の成り行きを快く思っていない様子を見せた。
<フーン国防相>
フーン国防相は、ケリー博士の名前を出すという陰謀は政府の中には無かったと証言している。
しかし、国防省報道官が報道からBBCの情報源がケリー博士かと聞かれた場合だけ、認めることを是認したと述べた。
ケリー家の弁護士の、政府は意図的にケリー博士の名前を公表しようとしたのではないか?ワザとではないように見せかけたのではないか?という問いに、
フーン「あなたは同じ質問を何人もの証人にしてきました。そして全員が否定しています。そして私も否定します。」
フーンはケリー博士の対応には正しい取り扱いをしたと証言した。
<BBC情報源(ケリー博士の名)を暴露しようとする企みがあったのか>
9/23 政府内に、BBC情報源がケリー博士だと暴露しようとする戦略があったのかを中心に証言を求めた。
<ケリー博士を夢想家と称した トム・ケリー首相府報道官>
政府の中にケリー博士の重要性を否定するような動きがあったか?との質問に、
トム・ケリー「私はケリー博士を過小評価したり、けなしたりする計画は知らなかった。私の発言は間違っていた」
あまりに刺激的だった夢想家のように言ったことについては「私は個人的会話のつもりで言っていたのです。」
政府の中には、ケリー博士が出てくればBBCの取材源と名指しされることになると、複雑な思いがあったことも述べた。
キャンベルが取材源は明確化すべきだといった話には、あなたは関与しましたか?トム・ケリー「いいえ」
今まで出てきた政府と報道のやり取りには、政府に作戦があったとしか思えません。隠しながらも取材源はケリー博士だと誘導する作戦があったのでは?との問いに、トム・ケリー「まったく違います」
<政府のイラク問題報告書作成に関与した スカーレット合同諜報委員会委員長:ジョナサン・パウエルのメール>
MI6トップのジョン・スカーレットには大量破壊兵器が45分で配備できると政府文書に入れた経緯について質問がなされた。
報告書作成する会議でキャンベルが議長を務めたのは無関係で、この文書はスカーレット自信が完全なコントロールを握っていたと証言。
2002/9/19 ジョナサン・パウエル首相補佐官からスカーレットに宛てられたメールが公開された。
「サダムは政権が脅威に曝されていると信じるなら、生物化学兵器を使うというのはちょっと問題だ。化学生物兵器の脅威は無いが、我々が攻撃すればその脅威は生まれるという議論を支えることになる。当該個所を書き直すべきだ。」
そして以下のように文書は書き直された。
「サダムはイラクのシーア派に対するものも含め生物化学兵器を使うつもりでいる。」
省くことで文書を変更し得ることを認めますか?との問いに、
スカーレット「何を入れるかと同様、何を省くかはもちろん重要だ。その権限を与えられているように私自身の判断を下した。」
スカーレットは、文書公開の前に、文書がどのように強化されたのか?との質問を受けた。
9/16の草稿: 武器の装備は45分以内に可能かもしれない。その時間内での装備がどのようにして可能となり得るか...が述べられている。
その3日後の9/19の最終草稿では : ある兵器は45分以内に配備できる。....となった。
これについてスカーレットは「評価したスタッフは、不確かさの無い元の情報にかえったのだ。」
その後の新聞記事には「45分というのは長距離ミサイルがキプロスのイギリス軍基地を攻撃できる」と誤った想定がされていた。
この報道を正すべきだと思いましたか?との問いに、
スカーレット「いいえ、私は報道があのように出たことに満足してました。」
政府文書には「イラクには長距離ミサイルが投入できる能力が無い」という重要な文書が抜けていた。これは下院で首相が発言したもので新聞各紙はみな誤解していた。文書ではなぜ正確な記述ができず、あなたはなぜ正そうとしなかったのか?という問いに、
スカーレット「あまりに時間が無く、また、文書の書き直しは私の仕事ではなかった。時間があれば直していただろう。」
スカーレットは、文書作成検討の最後の段階で、イラクは攻撃があれば化学兵器を使うという文言を消したことは認めたが、それは政府からの圧力があったからではないと主張。
国防省諜報部No,2のブライアン・ジョーンズ博士は、報告書の自分の言葉が強調されすぎていると懸念し、苦情を訴える正式な文書を送っている。
スカーレットは「そのような懸念を訴えてきた者は誰もいなかった。」と証言した。
本日のスカーレット証言は、パウエル首相主席補佐官からの要請で、政府文書の内容を変更しなければ、戦争を反対する者に議論を与えることになるとして、事実を歪曲し文書報告したという激白だった。
<政府との対立時にBBCのとった措置>
9/24 八ットン委員会での証言の最終日、BBCのギャビン・デイビス経営委員長、ケリー博士の直属の上司ブライアン・ウェルズ国防省拡散軍縮局長が登場した。
<ギャビン・デイビスBBC経営委員長>
デイビスは、「BBCの目的は国民に真実を語ることである」と述べた。
ケリー博士の問題はトゥデイの報道から始まり、その後、デイビスは経営委員との主要な会議の長を務め、トゥデイの報道を擁護した。
経営委員は情報源が誰であったか知らなかったとするデイビスに、情報源のチーフなら情報源が誰であったか知っていたのでは?という問いに
デイビス「彼の正確な描写からケリー博士が誰であったか推理するのは簡単だっただろう」
つまり著名な経営委員が信用できないと言っているのか?という質問に
デイビス「信用できないというのではなく、経営委員に提供された情報から、いずれはわかる可能性があったということだ。」
政府からの攻撃は続いたので、デイビスは経営委員に「政府からの攻撃に立ち上がろう」とeメールを流した。
デイビス「我々は政府からの圧力に屈して公正で独立性を保ったニュース報道を失うようなことがあってはならない。」
政治的な圧力に屈したと見られることを恐れて、経営委員に対して更なる調査でどんな事実が明らかになろうとも、一歩も譲歩するなと言ってたようだが、その通りではないのか?との問いに、
デイビス「それは我々の見解とは全く異なる。私は(報道の)人生のどの段階においても事実を無視したことはない。最も重要なことは国民に真実を語ることであるのは疑いようもない。」
<ブライアン・ウェルズ国防省拡散軍縮局長>
ウェルズ博士は、ケリー博士の人となりを尋ねられ
ウェルズ「控え目で物事を慎重に考え誇りを持っている人だった。」
ケリー博士の性格がそうであるのならば、評判が落ちるのは彼にとっては深刻なことだったのではなかったか?との問いに、
ウェルズ「ケリー博士は、私が彼を早期にイラクへ行かせたいと思っていたことを知っていた。世界で最も優秀な武器の査察官のひとりとしての評判はダメージを受けるものではなかった。」
裏切られたと博士が思っていたフシはありませんでしたか?との問いには、
ウェルズ「無かった。」
ケリー博士の支援にはカウンセリングは含まれていなかったという点では、
ウェルズ「ケリー博士は疲れたと言っていたが、それ以外では問題はなかったからだ。」
<追加の公聴会 : ケリー博士の名前公表決定会議の中心人物はブレアだった>
<手術で出席が遅れていた国防省幹部ケビン・テビット>
10/13 目の手術でハットン委員会に出るのが遅れていたケン・デビッド国防省幹部の尋問が行われた。
もし、報道陣がケリー博士の名前を出せば認めろという会議の議長をブレア首相がしていたと証言。
ケリー博士の名前を出すことを指揮したのは、これまで国防省だったという証言ばかりだった。
名前を明かす必要が無いとされた最初の決定がなぜ変更されたのか?との問いに、
テビット「その決定がされたのは首相官邸であって、国防省の人間は誰もいなかった。」「変更は首相が議長を務めた会議の結果であり、その決定をした会議は首相官邸で開かれた。国防省もそれに同意した」
首相官邸がケリー博士の名前を明かす政策をリードしていたということを証言したのだ。
この想定問答が、ケリー博士の名を公表する戦略と認識していたか?との問いに、
テビット「絶対に違う!そんなことは絶対に無い!」「ケリー博士の名前の公表を防ぐ手立ては無かったと思う」
http://atfox.hp.infoseek.co.jp/xfile/iraq/kerry.htm