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(回答先: 年頭にあたって @アメリカ帝国の終わりの始まり【BUND-WebSite】 投稿者 クエスチョン 日時 2003 年 12 月 30 日 17:49:17)
年頭にあたって A 自衛隊は何故アメ リカに付き従うのか【BUND-WebSite】
http://www.bund.org/opinion/1131-4.htm
改憲・創憲論議の肝となること 文人 正
2004-1-1
目次
・出兵はイラク復興支援法からみても「超法規」的だ
・近代民主主義国家では自衛権は自然権である
・9条理念ではなく自衛隊に語りかけている言葉が真実である
・憲法9条はアメリカの軍事ヘゲモニーとセットになっている
・アメリカの政治的属国であることをやめねばならない
・国連重視の安全保障への切り換えが必要だ
出兵はイラク復興支援法からみても「超法規」的だ
法律は体制を規定するものであると同時に、政策を実現するためのものである。法律はだから常によりよいものへと変革されていく必要がある。効力をなくし改良の桎梏となれば改正される。それが法律だ。そのことを前提としたうえで、まず改憲問題に対する基本的なスタンスを論じたい。われわれは改憲をどう考えるべきなのかだ。
知ってのとおりイラク戦争はベトナム戦争と同様、泥沼化の様相を見せ始めている。アメリカがイラクを占領してから半年間で戦死した米兵の数は、ベトナム戦争の最初の3年間での戦死者(392人)を上回った。「イラク復興支援」にあたっていた日本の外交官2名も殺害された。現地抵抗勢力による自衛隊派兵への直接的な警告である。イラクは文字どおりの戦地だ。
こうした中で街頭も含めていろんな人たちと話をすると、毎日新聞の世論調査で8割の人がイラク派兵に「反対」か、「イラクが安定してから派遣」を表明しているとあったのと同じような感想に出くわす。明らかに世論はイラク派兵反対が多い。自公が非武装平和という戦後日本の立脚点を自ら破ろうとしているのだ。街頭では自衛隊を肯定する人でも、イラク派兵に反対する人が結構署名してくれる。それをみると自衛隊はすでに日本の若者の間では既成事実となっており、「憲法違反だから自衛隊自体をなくせ」という意見は圧倒的な少数なのがわかる。イラク派兵賛成反対の基準になることは、自衛隊がイラクに〈何をしにいくか、その具体的な政策に正義があるかないか〉ということになるのである。
街頭での討論では、「イラクの復興といっても米軍支援だってはっきりといわれているよ」「でも自衛隊はいままでも海外に行っているじゃないですか」(街の学生)。「これまでの国連PKOでの自衛隊の派遣は、平和な秩序が維持されているということが〈国連によって確認〉されている状態で、日本の復興支援が現地の当局者から求められていることなどが条件だった(PKO5原則)。今度のイラクはそういうことではない。戦地だ。国連もアナン事務総長が、アメリカの反対を押し切ってバグダッドから完全に撤退している。国連じゃなくてアメリカが行っているだけ」というようなやりとりになる。それで納得して署名してくれるというケースが多い。日米同盟はあったほうがいいと通り過ぎて行く人ももちろんいる。
ではそもそも自衛隊は、イラクにどんな法的合法性をひっさげていくのか。「イラク復興支援特別措置法」が根拠だ。それでよく読んでみると、この法律の第二条(基本原則)では、人道支援や安全確保の支援活動(これを「対応措置」とよんでいる)の実施は「武力による威嚇または武力の行使であってはならない」といい、「戦闘行為が行われておらず、かつ、そこで実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる」地域で実施するとなっている。おいおい、イラクは今でも完全に戦場だぞ。同法の適用外の地域なのである。派遣は日米同盟が安全保障政策の基本だという、小泉の政治的選択でしかないのはミエミエだ。
12月9日に決定した政府の「イラク派遣基本計画」では、「人道復興支援活動」は「実施される活動の期間を通じて戦闘行為が行われることがないと認められる地域」で実施するともある。これもペテンだ。現地抵抗勢力はきっと日本軍を攻撃する。たとえ活動候補地のサマワが現在は「安全な地域」(非戦闘地域)であったとしても、自衛隊が行くことによりそこは抵抗勢力に「戦闘行為が行われる地域」に指定される。こういう彼我の関係を無視しているのだ。「非戦闘地域(なるもの)」が客観的に存在するのではないことくらい、小泉首相だって分かっているはずだ。
だが小泉は「基本計画」発表後の記者会見で「武力行使はしない。戦争しにいくのではない」といいなし、『いずれの国家も自国のことのみに専念して他国を無視してはならない』との「憲法前文」を読み上げ、なんと「憲法の理念に沿った行動だ」とのべた。何という詭弁と誰もが感じた。
憲法前文の国際協調主義は、国連(第二次大戦の連合国)との関係でいわれているものだ。国連部隊でもないアメリカの「有志連合」への参戦は、「国際協調」(国連)よりも日米同盟を重視した政治判断である。小泉は「日本の安全は日本一国では守れない。アメリカは唯一の同盟国」と強調したのである。「憲法の理念」というなら、そもそも憲法9条に拠れば、PKOなど海外派兵自体が違憲だ。PKO法までは自衛隊発足時の国会での「海外派兵禁止決議」をふまえ、政府見解でも「海外派兵は違憲」とされていた。日本国憲法9条では「戦力不保持、交戦権否認、国際紛争解決手段としての武力行使の否定」が定められ、「軍隊」をもってはいけないと規定している。それに対し政府は、自衛隊は「自衛力合憲論」により専守防衛を原則とする以上、憲法違反ではないと主張してきた。この「自衛力合憲論」などをめぐり、戦後さまざまな議論がたたかわされてきた。
近代民主主義国家では自衛権は自然権である
そこで9条違反とされてきた自衛隊をどう見るかだ。近代国民国家はその国の最高法規に明記されているいないにかかわらず、自国を守るための自衛権を自然権としてもっている。例えば日本で現存する防衛システムからいうと、日本の領土が侵略された場合、自衛隊は侵略軍と自国領土内において交戦する義務がある。これは近代国家において、人民主権の下では人民は為政者の圧制に対しては「抵抗権・革命権」という自然権を保持しているというのとセットになった概念なのだ。
ルソーが『社会契約論』でいっているように「社会契約は契約当事者の保存を目的とする。目的を欲するものはまた手段をも欲する。そしてこれらの手段はいくらかの危険、さらには若干の損害と切り離しえない。……統治者が市民に向かって『お前の死ぬことが国家に役立つのだ』というとき、市民は死なねばならぬ。なぜなら、この条件によってのみ彼は今日まで安全に生きてきた」(岩波文庫P54)からだということになるのだ。
戦後公法学会では、憲法9条は「個別的自衛権」も否定しているとか言われてきた。しかし近代国民国家の一般原則では「個別的自衛権」は否定することができないものなのである。ルソーの考えを現在のイラク派兵問題に適用するなら、自衛隊員にとってイラク派兵(米軍占領支援)は、国家の自衛のために命をかけることと同義かということになる。誰がどう考えてもそれは違うだろう。だからイラク派兵は自然権にも違反している。すべてが政治判断優先の超法規的処置でしかない。
9条理念ではなく自衛隊に語りかけている言葉が真実である
さて、話を自衛隊の既成事実化という現実に戻し、例えば運動の場合などでも今やわたしたちは、何をどう言っているのかから考えていこう。この間さまざまなグループが自衛隊に「イラク派兵を拒否しよう」と申し入れている。そこでは何がいわれているのかだ。ブントではない他のラディカルな市民グループの申し入れで、表明されていたことから考えてみたい。それはロジックとしては次の様なものであった。
@私たちは、『危険だから行くな』とのみいっているわけではない。自衛隊と私たちとは立場がちがうが、「国の安全」を思う意志や「命をかけた仕事」をただちに否定するものではない。
Aイラク派遣で国の安全が守られるのか。自衛隊が派兵されればアルカイダは「東京を攻撃する」といっているし、現地日本人も襲撃された。戦火を拡大するだけだ。自衛隊のイラク派遣は米軍の物資輸送が目的で、決して人道支援ではない。だから命をかけるに値しない、というものである(以上は名古屋小牧基地への市民団体の申し入れ行動で言われていたこと)。
そこでは日本国憲法からみて自衛隊は違憲で、海外派兵も違憲と言われていたのではなかった。自衛隊を即座に敵とみたてて、イラク派兵に抗議するという申し入れではないのだ。この間の申し入れ行動ではこういう内容のものがほとんどなのだと思う。
この申し入れ書では、はじめに「立場の違い」が確認される。これは自衛隊を憲法違反と見るか合憲と見るかという違いだろう。次に「国の安全」への意志は直接否定できないと表明している。これは国家は社会を守る必要がある、近代民主主義の人民主権においては、主権者は社会を防衛する権利と義務をもつ主体であるということと同義だ。国の自衛権そのものは「軍隊」を認めるか否かにかかわらず、否定できないものとしてあることは前提とされている。しかしAではイラク派兵が国防業務ではなく、むしろ戦火を拡大してしまうこと、アメリカとの日米同盟における米軍支援の行動でしかなく、国を守ることではないということが、出兵を拒否すべしの根拠としていわれている。
理念としての「自衛隊=違憲」は成立する。しかし今現にある自衛隊に何を語り、なにをこの事態のなかで実現するのかについては、じつは現実的で自衛隊により内在したロジックで反戦団体も抗議しているのである。これは9条原理主義の立場から見た場合には、運動的な「後退」で、違憲の自衛隊の容認と認識されるかもしれない。そこに見られるのは、憲法9条があっても現実に自衛隊の建設が阻止されなかった以上、すでに存在している自衛隊が、どういう政策でイラクにいくのかが具体的に問われる必要があると、既にみんなの意識はなっているということなのである。安全保障政策の中身の論議が、そこでは必要なことなのだ。
憲法9条はアメリカの軍事ヘゲモニーとセットになっている
では憲法9条は、日本の安全保障政策にとってどういう位置をもっているのか。戦後憲法9条は、アメリカがそれまでの日本を武装解除することを最高法規で定めた規定である。アメリカは占領下で、「日本の民主化」を9条の規定と、「象徴天皇制」の規定を両輪に開始していった。GHQのマッカーサーは「天皇は20個師団にあたり、天皇を極東軍事裁判に起訴すれば、最小限100個師団の長期駐留が必要になる」(アイゼンハワーへの電報)と打電した。天皇を戦争犯罪者として処罰するのではなく、むしろ日本国民を天皇をもって統合し、アメリカの日本への支配を効果的にすすめようとしたのである。この日本武装解除規定と一体のものとして、民主主義国アメリカとの同盟=安保条約(52年)が発効した。そこでは国際連合(連合軍)の第二次大戦規定である「民主主義(連合国)対ファシズム(枢軸国」というパラダイムが適用されていた。
安保は最初は米軍への基地貸与協定(日本防衛)という位置づけをもち、次第に日米の共同軍事体制へと展開していった。戦後憲法の制定権力(実質的にはアメリカ)にとっては、憲法9条と安保条約はセットとして成立したのである。かくして日本の国際的安全保障は、アメリカが完全にヘゲモニーをにぎることを可能としていった。つまり日本は国際連合を構成する政治体制が異なった多様な国々との間で、第二次大戦を終結(全面講和)させたのではないのだ。
1951年のサンフランシスコ講和会議において、アメリカを始めとした西側諸国との間での(いわゆる片面)講和を結ぶことで、国際政治に復帰したのだ。日本の侵略の被害国である中国は招待されなかった。しかも1952年発効したサンフランシスコ講和条約は「占領軍は撤退しなければならない」が、「二国間」などの協定にもとづき、「外国軍隊の駐屯、駐留をさまたげない」と規定した。これにもとづき日米安保が同時成立する。事実上日本の国際政治への復帰は、アメリカ一国との同盟に偏重したものだったのだ。こうして日本はアメリカの属国になったともいえる。それが敗戦のツケだったのだ。
現在ではアメリカと国際連合の立場も、かつてとは異なったものとなっている。先の記者会見で、小泉が「アメリカは唯一の同盟国」と強調したのは、過去の経緯だけを念頭においてのことだろう。
改憲論議を課題とするなら、この根っこを正すことが必要だ。それは9条護憲だけではただせない。とても無理なのである。運動圏では、護憲派の人たちはよく「ベトナム戦争に自衛隊が出兵しなかったのは憲法9条があったからだ」という。だがでは9条があるからベトナムに出兵しなかったというなら、いまも9条はある。なぜ政府は自衛隊のイラク派遣計画を策定できるのか。「9条が平和を生み出している」のではないのだと考えられないか。現実の事態は逆であるとみれば、このことはよくわかる。
例えば自衛隊がベトナムに行かなかったのは、1960年代、日米安保体制(米軍基地)自体がベトナム反戦運動にさらされ、議会では社会党など安保反対派が自民党の過半数に迫るいきおいだったからだ。とても出兵などの話ではなかったのだ。自民党もまた「吉田ドクトリン」に基き、基本的には日米同盟での軍事分担を拒否しないが、「経済大国路線」(米の対日軍事分担要求の軽減政策)をとっていたのである。9条は法的根拠にはなったものの、「9条なるもの」が平和を生み出していたわけではない。平和勢力は9条があったから反対したのではなく、平和勢力だから反対したのである。9条はそこで利用された。
一方でアメリカは、この吉田ドクトリンに対応しつつ、朝鮮戦争(1950年)をつうじ、国際連合(連合国)が欧米といわゆるソ連圏に分裂し東西冷戦が深まる中で、「反共の砦」として日本の再軍備を組織しようとした。アメリカは吉田首相(当時)に7万5千人の警察予備隊の建設を命令した。アメリカの命令により、今度は憲法9条の死文化が開始されていった。どちらもがアメリカの利害に基づいていたのだ。
アメリカの政治的属国であることをやめねばならない
今問われているのは、9条とセットで成立した日米の安全保障の枠組みそのものだ。「イラク派兵は9条違反」というのは、理念的には派兵に反対する理由の一つである。だが実際には、9条の肯定・否定とはズレたところで、〈日本の安全保障政策をどのようにするのか〉という政策的な問題が、今の状況を規定している。そこでは一国平和主義的な鎖国政策も、安全保障政策の選択肢にはなる。だがそうした絶対平和主義(9条原理主義)は、今まで述べてきたように、日本の人民が主権者として当然運営すべき自衛権、軍事的安全保障を、全てアメリカのヘゲモニーにゆだねていることとセットになっている。
政府はイラク派兵の根拠として、日米同盟の継続、パートナーシップを強調している。これまで日米合同軍事演習を積み重ねてきた自衛隊(員)には、その国際的フレンドシップにおいて、米軍とともにたたかうことを意思統一することが求められている。それが自国の防衛につながるということは、現在は「国際紛争解決手段としての武力行使の禁止」(9条)に違反するところの、「集団的自衛権」(日米安保条約での同盟国が攻撃された場合共同で反撃する)に、その根拠を担保している。だから自民党山崎拓の改憲私案(2001年5月)などは、担保されているもの(日米集団的自衛権)を憲法で規定せよといっているわけだ。こういうアメリカ偏重の安全保障政策はノーと言わねばならない。
現在でも自衛隊員が出兵を拒否しても、自衛隊法上では海外任務はないので、罰則は受けない。自衛隊法第3条の「自衛隊の本務」には防衛出動と治安出動はあるが、海外任務は規定されていないからだ。それでも多くの隊員がノーと言えないのは、日米安保条約をタテに命令が下されてもいるからだ。法律の優先順位がグチャグチャになっているのである。
そこから言うと先に述べた反戦団体の「申し入れ書」も、結局「では日米同盟以外の安全保障の枠組みをどうするのか」ということをはっきりさせていない。安保は前提化されているが、それでは安全保障の任務についている自衛官に対する呼びかけとしては課題を残している。日米攻守同盟から離脱し、別の安全保障の枠を考えることが必要なのだ。
国連重視の安全保障への切り換えが必要だ
現実から出発するならば、いま世界にある安全保障の枠組みは国際連合の枠組みである。問われていることは、侵略戦争の戦争放火者となりはてているアメリカネオコンの単独行動主義との同盟をやめることだ。イラク戦争ではスペイン、イタリア、韓国などのアメリカの「有志連合」は、完全にアメリカの指揮と利害の下に展開している。それに対しフランス、ロシア、ドイツは、国連中心の復興がなされないうちはイラクに出兵しないと表明している。米英の占領統治に加担しても得なことは何もないからだ。
参加表明した日本の場合、日米安保軍という二重の統制の中で、自衛隊はアメリカ軍の一部としてイラクで展開する。どう考えても、少なくとも単独行動主義以外の多様なカードを内包している国連を安全保障の単位とし、その枠組みにおける日本独自の平和外交戦略が定立されたほうがいい。自衛隊が国連平和維持活動(PKO)、海外災害救助活動に派遣される場合には、人権上・人道上必要なものについては、国会でこれを認め、むしろ推進した方がよい。国連待機部隊として自衛隊(防衛)とは別枠で展開する、そんな部隊はあってもよい。
一つ一つは具体的にのみ判断できる。オールマイティーな制度主義的決定ではなく、政策主義、是々非々主義がそこでは原則になるべきなのだ。大体どうなっていけばよいのか。
自衛隊の海外派遣は国連決議を〈条件〉とし、日本国会で決定される。現在のイラク派兵のようないかなる「有志連合」による派兵もこれをおこなわない。9条の精神は生かされるべきで、攻守同盟による集団的自衛権、交戦権はこれを認めない。国連PKO活動などはPKO5原則にもとづいて行われる。国際紛争解決手段としての武力行使はこれを認めない(9条を遵守する)。自衛隊は国土防衛隊として運営されるなどが、肝となることだろう。
要は国連決議の枠組みでのみ賛否を問うべきということで、国連以外の有志連合による派兵要請など検討に値しない。「有志連合派兵禁止」をより明確化するためには、海外派兵は国連決議、派遣内容をめぐり、国内で賛否両論を問う制度をつくればよい。その際にはスイスの国民投票制度などが参考になる。海外派兵の規定は自衛隊法上になくてもかまわない。そのための別個の部隊(国連待機部隊)が創設されればPKO活動はできるからだ。
以上述べたことは、それは小沢一郎の〈国連決議にもとづき自衛隊を国連活動に参加させる〉という「日本国憲法改正試案」(文藝春秋99年9月号)とどこがちがうのか。違いはこうだ。小沢はアメリカン・グローバリズムにリンクしつつも、それとは違った日本独自のグローバリズム(覇権主義)を展開するために、「国連決議」のお墨付きを獲得しようとしているのである。そもそも環境立国するべしという視点もなければ、平和主義で考えているのでもない。アメリカに対抗する日本の覇権主義なのだ。それに対しここで述べてることは、多国籍企業の利害と結合した覇権主義には反対の立場を明記すべしという平和主義の立場なのである。だからそれは精神において根本が違う。
そこでは日本共産党のように、湾岸戦争時国連が多国籍軍の軍事行動を認めたからと、米軍のイラク侵略を支持したような政策は否定される。国連の「決定だから支持」ではなく、国連のなかで平和・安全保障政策を展開する日本へということなのである。以上の基本的スタンスにおいて、小沢改憲論とは一線を画する。あくまでも非戦平和主義の下での現状打開論なのだ。
つけ加えて言うならば、今年3月のヨーロッパイラク反戦運動は、英米による戦争を正当化する国連決議を阻止した点で重大な勝利を勝ち取った。それは「国連を包囲する闘い」という側面をもっていた。国連の政策がすべて正しいわけではない。むしろ国連を安全保障の単位としつつ、民衆運動の側から、国連に「より民衆に利益になる政策を採用させていく」闘いが必要になっている。民衆の側からする「国際会議を包囲する闘い」は、1999年WTOシアトル闘争からすでに始まっている。ブントは2000年沖縄サミット闘争では「サミット粉砕」でなく、「基地の縮小をサミットで議論せよ」と要求してたたかった。国連粉砕とか国連無条件支持ではなく、ケース・バイ・ケースで人民的正義を追求する運動が今や求められている。空論的な9条死守とかはもう意味がない。以上述べてきたような方向で考えれば反戦運動ももっと現実にコミットできる。