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ブッシュは平和と環境を破壊している
年頭にあたって @アメリカ帝国の終わりの始まり【BUND-WebSite】
http://www.bund.org/opinion/1131-1.htm
ネオコンに巻き取られる小泉は無策だ
2004-1-1
ネオコンのアメリカはアメリカの否定
ブッシュの侵略戦争ドクトリン
単独行動主義の帝国への野望
大西洋同盟は解体し独立するEU
象徴天皇制見直しで戦後が終わる
昨2003年はイラク反戦の年だった。ワシントン、ロンドン、パリ、東京、そして全世界で数百万人の反戦デモが街頭を埋め尽くした。しかしそれでも、アメリカの戦争はとまらない。ブッシュは「テロとの戦争」だという。しかしもはや世界中の人々が気づきはじめている。この戦争と暴力のエスカレーションを生みだしているのは、ブッシュのアメリカなのではないか。他ならぬアメリカこそ、「ならずもの国家」なのではないかと。
ブッシュとネオコンは、巨大な軍事力を有したアメリカは全世界をほしいままに支配する権利があると驕り高ぶっている。だが日本の古典『平家物語』の冒頭に、「おごれる人も久しからず」「たけき者も遂にはほろびぬ」とある。おごれるネオコン・ブッシュもまた、久しからずや。イラク侵略戦争強行は、アメリカ帝国の「終わりの始まり」を告げ知らせている。
ネオコンのアメリカはアメリカの否定
昨年3月、イラク戦争開戦に向けてアメリカは、「大量破壊兵器開発」「アルカイダ支援」「イラクの民主化」と、コロコロと理由を変えながら、イラク攻撃の必要性を全世界に訴えた。しかし結局ブッシュは、イラク攻撃に向けた国際社会の同意を得ることはできなかった。象徴的だったのは開戦直前の国連安保理会議だ。
アメリカの偵察衛星が撮影した衛星写真まで持ち出して「大量破壊兵器開発の動かぬ証拠」と力説する米国務長官パウエル。だが国際社会が心動かされたのは、性急なイラク攻撃に真っ向から反論したフランス外相ドピルパンの反対演説だった。安保理会場は、傍聴席も含めたドピルパン支持の圧倒的な拍手に包まれた。結局この安保理では、フランス・ドイツ・ベルギーなどのEU諸国に加えロシアと中国も反対に回り、イラク攻撃を容認するいかなる決議も採択されなかった。安保理での勝負は、パウエルとアメリカの完敗。これでイラク攻撃は棚上げになる……はずだった。
おそらくアメリカが今までのアメリカだったなら、ひとまずイラク攻撃はあきらめただろう。たとえメジャーがイラクの石油がのどから手が出るほど欲しがったにしても、あるいは血に飢えた米軍需産業が戦争を欲したにしても、国連安保理決議すら取り付けられない状況下でのイラク攻撃は無謀だと判断したに違いない。別にブッシュ以前のアメリカがすばらしかったといいたいわけではない。ブッシュのアメリカが、従来のアメリカの基準からしても、あまりにひどすぎる、といいたいのだ。昨年年末のグラン・ワークショップでのダグラス・ラミスさんの言葉をかりれば、「今までのアメリカだって悪かった。でもブッシュのアメリカは最悪」。ブッシュとネオコンの「ならずもの」性を浮き彫りにするために、ここで少し20世紀アメリカの戦争の歴史を振り返っておこう。
まず第一次世界大戦。ヨーロッパでは1914年から戦端が開かれていたが、ウィルソン大統領がドイツに宣戦布告したのは、1917年にドイツがUボートによる無制限潜水艦戦(無宣告・無条件の艦船攻撃)を宣言してからだった。第二次大戦が開始されたのは、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻した1939年だったが、アメリカが枢軸国(日本・ドイツ・イタリア)に宣戦布告したのは、1941年12月8日、日本が真珠湾に奇襲攻撃を行ってからだった。
第二次大戦後アメリカは、共産主義・ソ連と厳しい敵対関係に入る。だがアメリカは軍事力の圧倒的優位が確保されていた時でも、ソ連に対して先制攻撃(先制核攻撃)を行ったりはしなかった。NATO・日米安保体制をはじめとする軍事同盟でソ連を包囲し「封じ込める」戦略をとった。米ソ冷戦下でもアメリカはしばしば、局地的な軍事作戦や軍事攻撃を行った。だが正規の米軍による大規模な軍事行動を行うときには必ず、それを国際法や国連憲章に則って正当化した。
朝鮮戦争介入に際してアメリカは、国連結成直後のどさくさを利用して国連軍の結成に成功。国連旗という錦の御旗を掲げて朝鮮半島に出兵した。ベトナム戦争への米軍の介入は、同盟国・南ベトナムの防衛(集団的自衛権の行使)として正当化された。湾岸戦争でもアメリカは、「クウェートからのイラク軍の即時無条件撤退」をうたった安保理決議に基づいて多国籍軍を結成。「クウェート解放」という大義を掲げてイラク攻撃を行った。ただし、イラク全土への無差別空爆は国際法違反であり、安保理決議を明らかに踏み越えたものだったが。
以上のように、前20世紀においてもアメリカは、幾度となく戦争をやってきた。だがそのどの例をみても、実態はともかく少なくとも形式上は、自衛戦争(個別的あるいは集団的自衛権の行使)か、国連安保理決議に基づいた軍事行動かのいずれかの体裁をとってきた。今回のアフガニスタンやイラクに対して行ったような、公然たる先制攻撃を行ったことはなかった。
アメリカというと、「好戦的」というイメージがある。だが、アメリカ国民は必ずしも好戦的なわけではない。むしろ多くの良心的なアメリカ国民は、アメリカは侵略はしないと信じている。「侵略はしない」というテーゼは、「アメリカ建国の理念」にかかわる問題だという認識がアメリカ国民の中に根強く存在するからだ。「われわれアメリカ人は、反帝国主義・反軍国主義の伝統に則って教育を受ける。我々の祖先がこの地にやって来たのは、ヨーロッパの君主国や帝国の圧制と腐敗、あるいは権力政治から逃れるためだった、と学校で教えられる」(クライド・ブレストウィッツ『ならずもの国家アメリカ』)。
もちろん「建国の理念」とかと言っても、アメリカというのは、「自由と民主主義」を国是として掲げる一方で、長らく奴隷制を容認していた国だ。「侵略戦争はしない」などと言っても、それは「ヨーロッパの帝国」との関係でそう言っているだけだとも言える(モンロー主義=孤立主義)。ネイティブ・アメリカンへの侵略と虐殺の歴史抜きには、そもそも「アメリカ建国」じたいがあり得なかったのだから。
「侵略はしない」というアメリカの論理は、アメリカ人の大好きな西部劇を思い浮かべるとわかりやすい。西部劇では、先に拳銃を抜いたガンマンは撃ち殺されても仕方がないというルールになっている(正当防衛という理屈)。アメリカ人にとってアメリカは、「正義のガンマン」でなければならない。相手が拳銃を抜いてもいないのに自分から拳銃を抜くような卑怯な真似(=先制攻撃)は、アメリカはしてはならない、となる。
歴代のアメリカ政府は、国民を戦争に動員するためには、「この戦争は侵略ではありません。正義の自衛戦争です」という大義名分を掲げる必要があった。第二次世界大戦後、世界のリーダーとなったアメリカは、こうしたアメリカ流のルールを国連憲章に代表される国際法秩序として体系化していった。その結果、侵略や植民地支配が堂々とまかり通っていた国際社会に「法(国際法)による秩序」が、一定程度確立されるようになった。これは間違いなく全人類にとって大歓迎すべきことだったには違いない。
かくしてアメリカの主導で起草された国連憲章は、すべての国連加盟国に、「個別的又は集団的自衛の固有の権利」(第51条)による自衛戦争以外の「いかなる国家の領土保全や政治的独立に対しても武力よる威嚇又は武力の行使」を禁じている(第2条4項)。1946年のニュルンベルク国際軍事裁判において、「侵略戦争を始めることは、他の戦争犯罪とは異なる究極の戦争犯罪である」とナチス・ドイツを裁いたのもアメリカを中心とした連合国だった。20世紀のアメリカは、少なくとも「国際法を遵守する」というポーズを捨てることはなかった。だがブッシュ政権の登場で、アメリカはタガ(国際法のタガ)が外れてしまった。ネオコン・ブッシュのアメリカは、今までのアメリカにあらず。
ブッシュの侵略戦争ドクトリン
ブッシュとネオコンは、国際法・国連憲章を基軸とする国際法秩序を破壊し、アメリカに都合のいいように作りかえようとしている。ネオコンというのは系譜的にはアメリカ・トロツキストの流れをくんでいる人たちだからだろうか、「自己の見解や意図を公然と宣言する」ことが大好きな人たちだ。ネオコンは、従来の国際法秩序全体を強力によって転覆しないことには、自らの目的が達成できないことを公然と宣言している。
2002年9月、ホワイトハウスが発表した「アメリカ合衆国の国家安全保障戦略」(ブッシュ・ドクトリン)は、まさにネオコンのマニフェストとも言うべきものだ。「アメリカは、テロリストの要求に対して譲歩したり、交渉に応じたりはしない。われわれは、テロリスト、そして相手をテロリストと知りながら支援するものを区別しない」「テロリストに対して先制的に行動をとり、単独で自衛権を行使することもためらわない」。ここでブッシュは、先制攻撃こそが、アメリカの新しい国家戦略であることを議論の余地が残らないほど明確に定式化している。そればかりではない。ブッシュ・ドクトリンは、「国際法の再定義」までも、あからさまに言及している。
「数百年にわたって国際法は……相手国の陸海空軍が攻撃に備えて動員されていることが明らかな状況が存在することを先制攻撃が正当化される条件としてきた」。ちなみにこれを国際法では先制的戦争とよぶ。しかし「ならずもの国家やテロリストは、従来の手段で攻撃をかけてはこない」。それゆえアメリカは「敵による攻撃とタイミングと場所を特定できなくても、……敵対行動を未然に防ぐために必要ならば先制的に行動する」。われわれは「既存の国際関係を21世紀の課題に立ち向かえるように再定義しつつある」。
国際法の専門家の間には、先制的戦争が「自衛権の行使」にあたるかどうかについてさえ根強い反対意見がある。正当防衛・自衛権の行使と、過剰防衛・侵略戦争の間に線を引くことは、現実の国際政治では極めて難しいことだからだ。だから、自衛戦争も含めてあらゆる戦争の否定を主張する(絶対平和主義)国際法学者もいる(例えばラミスさん)。
ところがブッシュは、「テロとの戦争」を掲げることで、こうした国際法上の議論を一挙に飛び越してしまう。アメリカには、アメリカへの攻撃を準備していようがいまいが関係なく「テロリスト」「ならずもの国家」を、いつでも先制攻撃する権利がある。テロリストはどこにいるか、どの国が「ならずもの国家」かは、アメリカが決定する。要するにアメリカには、いつでもどこでも自由に他国を侵略する権利がある。国際社会は、それを20世紀の国際法・国連憲章秩序に変わる21世紀の新しい国際ルールとして受け入れろ。ブッシュ・ドクトリンはまさしく先制攻撃=侵略戦争ドクトリンだ。
ところで何がここまでアメリカを変えてしまったのだろうか。ブッシュ政権が侵略戦争ドクトリンを公然と打ち出したのは、9・11後のことだった。しかし、ブッシュ・侵略戦争ドクトリンを、9・11に対応した単なる「テロとの戦争」戦略と考えるのは間違っている。なぜならネオコンは、9・11が起きる遙か以前から、侵略戦争ドクトリンを準備してきていたという事実があるからだ。
時計の針を10年以上前に戻そう。1990年代初めソ連崩壊によって米ソ冷戦が終結。世界中の人々は世界平和が実現すると大歓迎した。だが、アメリカの国防族・軍産複合体にとっては、自分たちの死活に関わる大問題だった。ソ連という「悪の帝国」が崩壊した今、世界中に展開している米軍と、それを維持するための膨大な予算の合理的な根拠はなくなってしまったからだ。悪の帝国・ソ連にかわる「新たな敵」を、なんとしても発見しなければならない。
そこに1991年、湾岸戦争が勃発する。米軍はイラク全土への無差別爆撃を敢行、クウェートからイラク軍を撃退した。だが、当時の父ブッシュ政権の一部には、湾岸戦争の結末に満足しない人々がいた。その後ネオコンと呼ばれるようになった人々だ。彼らは、湾岸戦争をいい機会にサダム・フセインを打倒するべきだと考えていた。だがイラク攻撃を容認した安保理決議は「クウェート解放」を求めたものであって、フセイン打倒を求めたものではなかった。それゆえ米軍は、イラク国境で進撃を中止した。こうしたアメリカの行為は、国際法・国連憲章の遵守という観点からすれば当然の措置だった。
ところがネオコンは、こうした措置を極めて否定的に総括した。国際法だとか安保理決議だとかといった「枠組み」に縛られた結果、アメリカの行動の自由・アメリカの主権が制限されてしまった。ソ連の脅威がなくなったのだから、アメリカはもっと自由に行動することができるはずだ。否、もっと自由に行動するべきだ、と。
かくして当時のチェイニー国防長官、ウォルフォウィッツ国防次官、パウエル統合参謀本部議長は協力して「アメリカの新しい防衛計画のガイドライン」作成の準備をはじめる。1992年3月、『ニューヨーク・タイムス』がリークしたその内容は、アメリカは同盟国にも敵にも「より大きな軍事的役割」を果たさせてはならない。「先制戦力」は一つの選択肢である。また今後の同盟関係は、「その時々に応じて成立し、危機の克服後はたいてい解消される」有志連合となるべきだ。
ここにはすでに10年後にブッシュ・ドクトリンへと結実し、イラク戦争によって実行に移されたことの、ほとんどすべてが語られている。欠けているのは、「テロとの戦争」という言葉ぐらいだ。だがこの「新ガイドライン」がリークされると、アメリカ国内ではごうごうたる非難の声が沸き上がった。10年前のアメリカはまだ「まとも」だった。その後、クリントン政権にかわると、この「新ガイドライン」は棚上げにされた。
しかし政権から離れてもネオコンはあきらめはしなかった。政権奪還をねらう共和党右派(アメリカ軍需産業と石油メジャーが強力なスポンサー)と結合して、影響力を拡大していく。1997年ネオコンは、「新しいアメリカの世紀のためのプロジェクト(PNAC)」を結成。2001年、共和党右派が担ぎ上げたブッシュ2世が大統領に就任すると、多数のネオコンが政権中枢に進出する。ラムズフェルド国防長官、チェイニー副大統領、ウォルフォウィッツ国防副長官、パール国防政策諮問委員長、ジョン・ボルトン国務次官(軍備管理・国際安全保障担当、次章で「国際条約の破壊者」として何度も登場)……。
ネオコンは、いまやブッシュ政権の軍事外交政策を主導する一大勢力となった。だがブッシュは大統領の座は手に入れたものの、「得票数をごまかしてなったダーティな大統領」といわれ、全く政治的権威のない大統領だった。ところが9・11がすべてを変えた。ブッシュは突然「戦時の大統領」「米軍総司令官」として、ほとんど無制限の権力と政治的権威を手にした。9・11テロの当日、PNACの創立メンバーの一人ロバート・ケーガンは、『ワシントン・ポスト』夕刊に次のように書いた。「われわれが先に破滅的な攻撃を受けたのだ。議会はただちに宣戦布告すべきである。相手の国を特定する必要はない。今日の攻撃を実行した者たちに対して、また彼らを支援したすべての国に対して戦争を宣言できるはずだ」。全世界が9・11テロの被害者を追悼している時に、ネオコン・ケーガンは、不謹慎きわまりなくも「戦争だ、戦争だ」と喜び勇んで絶叫していたのだった。
単独行動主義の帝国への野望
「ユニラテラリズム(単独行動主義)」を掲げるネオコンはまた、次々と軍備制限や軍縮のための条約を拒否したり、骨抜きにしてきた。その代表的なものを列挙してみよう。2001年7月、ニューヨークで国連小型兵器会議が開催された。会議の目的は、政府以外の組織への小火器売買を防止し、武力衝突や犯罪に小火器が使用されないようにすることにあった。例えばAK―47(カラシニコフ自動小銃)は一挺100ドル以下で入手でき、使い方も簡単だが、一瞬にして大量の人員を殺傷できる。過去10年間で400万人がAK―47などの小火器によって殺された。ところがこの会議に参加したアメリカ代表のボルトン次官は、「合衆国修正第2条は個人の武器保有の権利を保護している」と小火器所有の一切の制限に反対し、会議を骨抜きにした。
2001年12月アメリカは、ロシアとの間に結んでいた弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)を一方的に破棄した。全米ミサイル防衛(NMD)によってアメリカ本土を防衛し、世界中どこでも安心して自由に米軍が軍事介入できるようにするためだ。NMDが実現可能かはともかく、軍需産業は600億ドルも儲かる。さらに2002年1月、ボルトン次官は包括的核実験禁止条約(CTBT)に反対すると表明。昨年12月には、地下要塞攻撃用の「使える」小型核兵器の開発を10年ぶりに再開した。2001年7月、マーレイ米国連大使は、生物兵器禁止条約(BWC)の新議定書は「アメリカ国家の安全と企業秘密情報を危険にさらす恐れがある」と合意を拒み、12月の会議でボルトン次官が会議の最終日に委員会の解散を提案した。これでよくアメリカは「サダム・フセインによる国連査察妨害」などと非難できたものだと呆れる以外ない。
だが何と言ってもアメリカの単独行動主義の極めつけは、国際刑事裁判所(ICC)設立条約の署名撤回だろう。2002年4月、ボルトン次官はICC設立条約の署名撤回をアナン国連事務局長に通告。その理由を、「アメリカ人は政治的動機による訴追の標的にされる可能性がある」と説明した。その前年アメリカ上院は、ICCへのいっさいの協力を禁止する「米軍要員保護法案」を可決していた。この法案には、アメリカ国民がICCに拘束された場合、アメリカ政府が武力を含むあらゆる手段を用いて解放することも盛り込まれていた。この条項から同法案は「ハーグ(ICCはオランダのハーグに開設)侵攻法」と呼ばれた。さすがにハーグ侵攻条項は削除されたが。
さらに環境問題をめぐってもアメリカの単独行動主義は目にあまるものがある。2001年3月ブッシュ政権は、「アメリカ経済に悪影響を及ぼし、失業率と物価の上昇につながる」と地球温暖化防止のための京都議定書を批准しないと発表した。9年前の1992年のリオ地球サミットで父ブッシュは、「アメリカ人のライフスタイルを変えるような交渉のテーブルにはつかない」と発言して全世界のヒンシュクをかったことを全世界は思い出した。アメリカは世界一のエネルギー浪費大国だ。アメリカは世界の人口の4%で25%のエネルギーを使っている。そのアメリカが地球温暖化防止に背を向けた。ブッシュ親子は、アメリカは、エネルギーをほしいままに浪費し、アメリカン・ウェイ・オブ・ライフ(大量生産―大量消費―大量廃棄)をおくる「生得の権利」があると勝手に思い込んでいるのだ。
ネオコンは、アメリカの絶対的な主権を守り、アメリカの行動の自由を守ることを最大優先事項だと考えている。国連も国際条約も、あるいは環境保護政策も、とにかくアメリカの行動の自由を制限したり阻害したりするものは用がない、というわけだ。そうした単独行動主義の先にネオコンは「アメリカ帝国」の実現を夢みている。
従来、世界の左翼は、アメリカ帝国主義という言葉を使ってきた。この言葉の意味したことは、アメリカは大英帝国やスペイン帝国のように他国に侵略・軍事占領して植民地化するようなことはやっていないが、経済的に世界を従属化(新植民地主義)し、事実上「帝国」と同じように世界を支配しているということだった。だがネオコンの夢みる「アメリカ帝国」は、そんな甘っちょろいものではない。文字通りの「帝国」式のやり方をネオコンは復活させようとしている。
PNACの創設者の一人アーヴィング・クリストルは、「アメリカ人は遠からず、自分の国が帝国になった事実に気づくだろう」と語り、『ウォールストリート・ジャーナル』紙の元編集者マックス・ブードは「アメリカ帝国擁護論」を主張し、「アフガニスタンその他の紛争国は、今日、かつてジョドパーズ(上部がゆったりして膝から下がきっちりしているズボン)とヘルメット姿の自信に満ちたイギリス人が提供したような、外国人による進んだ統治を強く求めている」という。
ネオコンにとって今回のイラク先制攻撃――軍事統治は、アメリカ帝国という最終的野望実現に向けた最初の一歩にすぎない。最終目標はアメリカの強大な軍事力による世界の一元的な支配――米軍はこれを「全領域支配」と呼ぶ――を実現することなのだ。
大西洋同盟は解体し独立するEU
だがネオコンのアメリカ帝国の「夢」とは裏腹に、現実の国際社会におけるアメリカの地位はむしろ低下し、「アメリカ離れ」が確実に進行している。とりわけヨーロッパ諸国は、ICC設立条約署名撤回や京都議定書批准拒否など、相次ぐアメリカの単独行動主義への失望と反発を深めてきた。そこに昨年、イラク戦争問題が焦点化。第二次大戦後一貫して続いてきたアメリカと西欧の同盟関係=太西洋同盟に大きな亀裂が走った。
ドイツのシュレーダー首相は早くから「わが国はイラク侵攻に断固、反対する」と表明。昨年2月、ミュンヘンで開かれた第39回安全保障政策会議では会議前ラムズフェルドが「(イラク戦争に反対する)独仏は古いヨーロッパ」と揶揄した上に、「キューバやリビア、ドイツなどいくつかの国は何もしようとしない」とドイツをリビアなどの「ならずもの国家」と同列に並べた。怒ったフィッシャー独外相は会議中、ラムズフェルド長官を睨みつけ、その部分だけ英語で「申し訳ないが、私には(イラク戦争は)納得がいかない。納得がいかないものを国民に説明することは出来ない」と語気を強めた。
3月の国連安保理でのドピルパン仏外相の発言が拍手喝采されると、ブッシュ政権は、「フランスはサダム・フセインの支持者・同盟者」などと攻撃する反仏キャンペーンを行い、アメリカのメディアは、「フランス人を忠誠心のない悪者」、ひどい場合には「裏切り者」呼ばわりした。その結果、アメリカでは上質のフランス・ワインが下水にながされ、フランス産チーズがゴミ箱に捨てられた。
今私たちの目の前で、私たちの大多数が生まれてきたときからずっと続いてきた世界秩序――大西洋同盟(アメリカと西欧の同盟関係)が崩壊しつつある。ヨーロッパとアメリカの対立がどれほど深刻かつ構造的なものであるか、まずネオコンのヨーロッパ批判からみていこう。
「PNACの思想的支柱」と言われるロバート・ケーガン(先述のように9・11当日に宣戦布告を絶叫した人物)は、2002年の著作『楽園と権力』(邦題『ネオコンの論理』)の中で、「ヨーロッパ人は金星からやってきたのに対し、アメリカ人は火星からやってきた」と書いた。アメリカの通俗心理学では、金星は女性的気質、火星は男性的気質を持つとされる。それぐらいアメリカとヨーロッパは違うとケーガンは言いたいわけだが、いったい何が違うというのか。ヨーロッパは、アメリカの保護のおかげで軍事費を抑えられる。そのうえ軍事力を抑止して、法や規則や多国間協議に頼るべきだなどという妄想に耽っていられる。だがアメリカは、弱いヨーロッパにつきあって、フセインのイラクなどの「ならずもの国家」に宥和的対応をしたり、軍事力行使を制限したりするのはまっぴらだ。ヨーロッパ人は感謝も知らないただ乗り屋(フリーライダー)で、自分たちだけで独裁者(ヒトラーやスターリン)に対抗したこともないくせに、アメリカが防衛してくれているのをいいことに、自分たちの方が人道的に優れているかのような独善的ポーズをとっている。
同書の内容に衝撃を受けたプローディ欧州委員会委員長は、EUの全官僚に必読文献として回覧を命じたという。確かにケーガンは同書で、「ネオコンの本音」をあからさまに語っている。これはまさにネオコンの対ヨーロッパ決別宣言だ。
居丈高なネオコンのヨーロッパ批判に対して、ヨーロッパからの反論は「心変わりしたアメリカ」に対する失望と幻滅というトーンが強い。欧米の政府・財界・学会・メディアの指導者がオフレコで欧米間について意見交換するビルダーバーグ会議という国際会議がある。2002年の会議では欧米関係が議論の焦点になった。ここで元欧州委員は「アメリカがコンセンサスなどどうでもよいと見なすなら、過去50年間に我々が営々と築いてきた世界秩序は破壊されたことになるだろう」。「世界有数の資本家」は、「コンセンサスを必要としない単独行動主義は、抑制と均衡、それに法の支配を否定し、アメリカが体現するあらゆるものを蝕むだろう。意識的であろうとなかろうと、アメリカは実のところ、力が正義だと言っているに等しい」。
英紙『ファイナンシャル・タイムズ』のコラムニスト、マーティン・ウルフも次のように書いている。「かつてアメリカは、世界の利益と自国の利益を一体化させるという素晴らしい姿勢があったが、今やそれが跡形もない。今日のアメリカは抑える術のない、恐ろしい存在になってしまった」。
つまるところネオコンは、「ヨーロッパ諸国は、かなりの程度自治権はもっているが、従属国であることに変わりはない」(クリストル)と思っている。「従属国」ヨーロッパは、アメリカに従うべきだと。だがヨーロッパは、アメリカの「従属国」になるつもりはない。ヨーロッパはアメリカの横暴と暴走に幻滅し、「もう、つき合っていられない」と思い始めている。
では今後、アメリカとヨーロッパの関係はどうなっていくのか。近頃、「ヨーロッパ独立」を主張してフランス・ドイツで大反響を呼んだ本がある。フランスの気鋭の人口学・人類学者、エマニュエル・トッドが2002年9月に刊行した『帝国以後 アメリカ・システムの崩壊』だ。同書でトッドは「アメリカ帝国の衰退」と「ヨーロッパの独立」の必然を語り、アメリカに対抗する〈EU・ロシア・日本〉という国際関係の「新構図」を予言する。
今や膨大な貿易赤字(2001年度4460億ドル)を抱えるアメリカの経済的破綻は決定的なものとなっている。貿易黒字を蓄積しているのはEUとアジア――日本と中国だ。「アメリカはもはや財政的に言って、世界規模の栄光の乞食にすぎない」。「わが国は世界にとって欠かすことの出来ない強国」とアメリカは主張する。だが現実は逆だ。アメリカは世界なしではやって行けなくなっている。「軍国主義的で、せわしなく動き回り、定見もなく、不安に駆られ、己の国内の混乱を世界中に投影する」、そんな今のアメリカをヨーロッパは必要としない。
今こそヨーロッパはアメリカから独立するべきだ。ドイツのイラク戦争への「ノー」は、「ヨーロッパの戦略的自律性への動きのはじまり」の宣言だ。「アメリカの戦争に対する国民の反対は、(政府がイラク攻撃を支持した)スペインでも、イタリアやポーランドやハンガリーと同様に、同質的で大衆的で明白であった」。イラク戦争反対で「仏独カップル」を中心に「まさにヨーロッパ人全体の感情」が一つになった。
ヨーロッパの独立で世界は多極化に向かう。「ロシア、日本、ドイツが、そしてイギリスが――あり得ないとは言えない――外交的自由を取り戻したときに初めて、第二次世界大戦から産まれた世界は決定的に終わりを告げる」。ヨーロッパと日本は、「軍国主義を拒み、自国社会内の経済的・社会的諸問題に専念することを受け入れることによって、強くなろうではないか。現在のアメリカが『テロリズムとの闘い』の中で残り少ないエネルギーを使い果たしたいと言うのなら、勝手にそうさせておこう」。そうトッドは結論する。
象徴天皇制見直しで戦後が終わる
アメリカからの自立―独立を志向しはじめたヨーロッパ。だが日本はヨーロッパよりはるかに深くアメリカに従属してしまっている。ほとんど「アメリカ言いなり」といっていい。小泉首相は「アメリカは日本の唯一の同盟国」という。だが今のネオコンのアメリカと日本の間に、軍事や外交、あるいは環境政策といった国の「基本政策」において一致する点は全くないと言っていい。
ネオコンは先制攻撃ドクトリンをアメリカの国家戦略にしてしまった。だが日本では、「侵略戦争はしてはいけない」というのは常識であり、ほぼ100%の国民的合意が成立している。日本では小火器(AK―47)どころか、銃砲・刀剣類の所持は原則として禁止されている。「武器保有の権利」とかを主張する人などいない。ヒロシマ・ナガサキの被爆国日本にとって「核廃絶」はいわば国是。包括的核実験禁止条約(CTBT)に反対して小型核兵器を開発するアメリカに賛成できるわけがない。日本に、生物化学兵器の廃絶に反対する人がいるだろうか。日本のICC設立条約批准が遅れているが、外務省は、「国際刑事裁判所(ICC)の設立を一貫して支持し、その実現に向けて努力してきています」と説明している。地球温暖化防止のための京都議定書は、まさに日本が議長国として合意をとりまとめたものだった。
平和国家日本は、ネオコンと「同盟」を結ぶことはできない。今後ネオコンが次々と日本に無理難題を押しつけてくることは目に見えている。今回のイラク派兵が既成事実化されてしまえば、自衛隊は米軍の一部隊(後方支援部隊)との「確信」をアメリカは深め、日米同盟(集団的自衛権の行使)と称して、今後アメリカが引き起こす戦争に自衛隊をアメリカの「植民地軍」として動員しようとするだろう。米軍の戦費負担も(イラク戦争では50億ドル)も、「植民地・保護領」からの当然の「貢献物」としてアメリカは要求し続けるに違いない。だがそんなのはまっぴらゴメンだ。もういい加減日本は対米追随一辺倒を見直すべきだ。
実は、ネオコンのアメリカに批判的な多くの海外の論者が今、日本のアメリカからの自立―本当の独立の必要を提言している。先述のトッドもそうだが、他にも例えばカレル・ヴァン・ウォルフレンは、最近の著作『アメリカからの独立が日本人を幸福にする』で次のように論じている。「(日本が)外交的に引きこもっていられるのは、アメリカというママ≠ェ何もかも面倒を見てくれ、外の世界から守ってくれるはずだと思っているからだ。しかしアメリカというママ≠ヘ、いまでは正気を失っており、もう頼りにすることはできない」。
もはや日本はアメリカというママから乳離れして「本当の独立国家」になるべき時が来ている。ウォルフレンは、その「大きな第一歩」として、国連の強化を目指してまとまりつつあるアジアやアフリカそしてEU諸国のグループに日本も参加し、「すべての国連加盟国政府による民主的コントロールを受ける世界的な警察組織」に向けて努力するべきだという。確かに、対米従属の日米安保ではなく、「世界的な警察組織」によって日本の安全を確保するというのは、平和国家・日本にふさわしい。そうなれば米軍支援部隊でしかない現在の自衛隊を解体し、専守防衛に徹した国境警備隊と災害救助隊、それから「世界的な警察組織」に派遣する軽武装の部隊へと再編していくことも可能になる。
ただし、こうした「日本の独立」を実現していくには、どうしてもクリアーしなければならない問題がある。それは、「日本がアメリカから自立したら、再び脅威になるのではないか」というアジア諸国の懸念をどうやって払拭していくのかという問題だ。この点については、クライド・プレストウィッツ著『ならずもの国家アメリカ』での提案が参考になる。プレストウィッツは、「日本が再び軍国主義化してアジアの脅威になるのではないか」というアジア諸国の懸念を払拭するためには、「第二次大戦に完全に終止符を打つこと」が必要だと説く。アジアの国々が、今もなお「日本の脅威」を気にしているのは、日本が第二次大戦の負の遺産、つまり戦争犯罪と戦争責任の問題をなおざりにしてきたからだ。この問題に決着をつけるために、日本の呼びかけで「日本の戦争犯罪と戦争責任に関する国際委員会」を開催し、そこで作成した日本の見解を示す包括的な声明を天皇が読み上げて、戦争問題に対する日本の最終見解とするのはどうかと。
これは検討に値する提案だ。だが、「第二次大戦に完全に終止符を打つ」というのなら、日本の戦争犯罪と戦争責任を「象徴」する天皇制を廃止するべきだ。憲法を改正して日本は完全な共和制に移行する。新たに選出された「日本共和国大統領」が、戦争問題に対する日本の最終見解を読み上げた時、日本の戦後が本当に終わる。
ブッシュとネオコンの暴走によって、国際社会からのアメリカの孤立と、同盟国の離反は着実に進んでいる。このままアメリカの「属国」のように対米追随を続けていくならば日本もまた国際社会で孤立する。日本が本当に「国際社会で名誉ある地位を得たい」(日本国憲法前文)と望むなら、もはや待ったなしで「対米従属一辺倒の外交路線」から「アジアの方を向いた独自の平和外交」への転換が求められている。