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(回答先: Re: イスラエル(ユダヤ国家)建国という大義名分 投稿者 スーパー珍米小泉純一郎 日時 2003 年 12 月 22 日 15:26:04)
スーパー珍米小泉純一郎さん、はじめまして。お返事ありがとうございます。
私は木村さんや個性的なおおくの論客のみなさんがたに触れられるここ阿修羅で、素人かつ一生活者以上でも以下でもない意見や疑問をぶつけています。もちろん、戦争というテーマを土台に。
私が木村さんの「ガス室はなかった」というフレーズを目にしたのは昨年?の某集会に紛れ込んだチラシからでした。ナチの残虐性、髪・皮膚から石鹸等をつくり、人体実験のすさまじさなど、ユダヤ人にたいする迫害は公然の事実と認識している私は、このフレーズが「何を意味するものなのか」ということが、気になっておりました。
ときあたかも、パレスチナでのイスラエルの暴虐が繰り返されるとき、「何のため」といった、違和感をおぼえました。
ガス室がなかったなら、それに代わるものは「あったでしょうに」という思いがありました。ユダヤ人の虐殺は事実であることですし、たとえば、南京虐殺でも、30万人といった犠牲者に、虐殺があったという場の市民は30万人居なかったということで、虐殺説を否定する右翼の言説があります。また、戦時下で戦争状況下、虐殺といえるものでないといった反論まであります。
木村さんはそうした側ではないと思っていますし、だからこそ、資料にあたり理解を得るまで、言及しなかったのですが、「100人斬り」にかんして、「100人斬り裁判は{左}を食い物とする平和売人、朝日新聞、週刊金曜日・本蛇OOデタラメ記事・・」と断定されて、ふと、疑問をなげてみたくなったというしだいです。
なお、もうひとつ、私は先の私の自粛要請から、今回のあっしらさんの自粛についても、本質論から少しはずれたナーバスな空気がここ阿修羅を包んでいるような気がしています。ちょっと、イヤな気分です。木村さんの私への返答も、充分威圧的なものですが、私は先の管理人さんからの突然の自粛要請という、正真正銘の権力の行使を受けた体験上、木村さんの一投稿者という対等な関係として、その言葉がどんなものであれ、快くうけとめられます。怖いのは、よかれ悪しかれ、ある空気が場を占領し、異論(明らかな人格攻撃やアラシは除外)が封じ込められる方向にいくことに、馴染むのがとても怖いです。