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(回答先: 私には彼女が代理人であるかどうかは分かりませんが、いくつか気になる点があります。 投稿者 シジミ 日時 2003 年 12 月 10 日 20:05:14)
シジミさん、こんばんわ。
実を言うと、『「亡国」とは...』を書き込み終わったあとで、書いている途中では取り上げようと思っていた“家族の個人化”という問題を書き忘れてしまったことに気づき補足を書こうかなと思っていました。
シジミさんが「私も日本が亡国に向かいつつある兆しをいたる所に感じております。一点だけ挙げるならば、幼児虐待さらには幼児虐殺の頻発があります。これは親子の統合や一体性が崩壊しつつあることを表しているように思います。「親子」という言葉にある種のイデオロギーを覚える向きには、大人と子供と言い換えても宜しいでしょう。私などは小さな子供を見ると自然と顔がほころんでしまいますが、子供を可愛いと感じることのできない大人が増えつつあるようです。更にこの数週間、幼児虐待を超えて乳児虐待事件までもが報道されるようになりました。幼児や乳児を虐待し虐殺するようになれば、これは種としての存続の危機に繋がります。また老人虐待を含めて、世代間の一体性の崩壊と表現してもいいと考えます」と書かれているのを読んでほっとしました。
「亡国とは、国家社会が統合や一体性を失ってしまうこと」というのは、共同体性を忘却した個人主義の横溢とその尊重であり、その反映としての家族性を見失った家族の在り方に他なりません。
(非婚やホームレスも含めて家族です。もちろん、非婚や隠遁者は選択の自由であり、それが悪いものという考えは持っていません)
共同体性を忘却した個人主義の末路は、ごく少数が個人的欲求を充足させるという状況を経た後に訪れる国家社会の崩壊であり、個人という実存にとっては家族の崩壊です。
成功している少数派を憎悪を募らせた多数派から守るためにかかる経費を考えれば、そのような国家社会にしてしまう選択は、成功者にとっても愚だとすぐにわかるはずです。
(警察官を100万人にしようと思えばそれだけの国費が必要で負担能力がある国民はそこそこの成功者以上になります。民間警備会社に依存するとしても、個人の財産と生命を守るためには他者すなわち共同体性が必要です)
個人主義的経済社会の進展は、これまで何度も書き込みしているように、GDPが縮小することで成功する者を徐々にふるい落としていきます。
ここ10年間の日本を大スペクトル映画で再現すれば、それが如実に見えるはずです。
話が家族問題から少し逸れてしまいましたが、今の家族の在り方を見ていると、以前に増して、経済社会と同じようなお金を媒介とした関係に傾いているように思えます。
別に悪いとは思わない姉妹や友人のような母娘関係も、一緒に買い物をしたり遊んだりするためのお金があってこそ維持できるものです。
子供たちとよき関係を維持するために親ができることも、子供たちが欲しいものやしたいと思うことをお金で実現してあげるというものに向かっているようです。
このことを一概に批判する気はありませんが、このような家族関係は、“カネの切れ目が縁の切れ目”になりかねないものだということは指摘したいと思います。
このような家族関係のなかで仕事に励んでいる父親や母親が失業したらどうなるでしょう。
子供たちの多くは「仕方がないじゃん。わがまま言わないよ」と思うかもしれませんが、親のほうは、自分のふがいなさや子供たちに申し訳ないという気持ちに苛まれ、家族のなかでの居心地は耐えられないものになるのではないかと推測します。
人は不思議なもので、自分の心の在り様で物事の見え方が変わってきます。そんなつもりなぞ微塵もない家族の言動が、自分を蔑み非難しているかのように見えてしまったりします。そう受け止めた結果、家族に対して八つ当たりや非道と思われる言動に向かうこともあります。
このような日々が続く家族がどのようなものになるのかは、あまり想像したくないものです。
おじいちゃん、おばあちゃんも、孫の歓心を買うためとはいいませんが、かわいい孫にはお金を使いたいと思っています。
乳幼児虐待についても、許されないことですが、自分の快楽的欲求もほとんど満たされないのみならず生活も覚束ない状況で子育てするのはたいへんなことだと推察できます。
仕事場では上司や管理者に頭を低くし言いたいこともほとんど言えないはずです。そして、その結果得られるお金がわずかなものであるとしたら、ビービー泣いたりわがままを言う我が子に当たってしまうのもむべなるかなと思われます。
(自前の家族を形成し乳幼児がいる人もいる20年代の失業率は現在でも15%前後だと言われています)
失業者が増加したり、実質可処分所得が減少したり、年金給付が削減されたりすれば、さらに家族関係が揺らぎかねない状況にあるのが現在の日本なのです。
個人主義の反映として、家族が独立した存在ではなく共同体の構成要素であることが見失われ、単独家族主義的価値観に陥っているようにも見えます。
家族が経済活動基盤性をなくし消費共同体になっていることが、そのような価値観がリアルなものであるかのように思わせていると考えています。
子供たちは、欲しいものや必要なものがどうやって手に入るのかという仕組みに無頓着で、お金があれば手に入ると思っているようです。
このような状況は良い悪いではなく現実です。
国家機構が共同体性を脇に措いたままの自由主義や個人主義の尊重を謳いあげそれに沿った国策を推進していけば、家族という基底から「亡国」が進んでいくことになります。
貧乏や経済的苦境が「亡国」を招くわけではないということを、為政者はしっかり噛み締める必要があると思っています。