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Re: ベトナム戦争前期の軍事戦略(1954〜1965)----東大教養立花ゼミ(2)
http://www.asyura2.com/0311/war44/msg/306.html
投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 12 月 09 日 08:40:59:0iYhrg5rK5QpI

(回答先: Re:ゲリラ戦 〜アメリカはなぜベトナムで負けたのか〜東大教養立花ゼミ 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 12 月 09 日 08:38:42)

ベトナム戦争前期の軍事戦略(1954〜1965)
http://dolphin.c.u-tokyo.ac.jp/~suzuki8/viet/zenki.html

時代区分について
ベトナム戦争は、アメリカ側から見るか、ベトナム側から見るかによって始まりと終わりの年が変わる。
この輪講ではアメリカにとってのベトナム戦争をあつかうため

前期・・・1954年(ジュネーブ協定締結)〜1965年 (北爆開始)
後期・・・1965年〜1973年( アメリカ正規軍全面撤退完了)

と、定義して解説する。


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1950年代後半〜1960年代前半のベトナム軍事情勢
 1950年代後半になると、サイゴン政権は、反対勢力を一掃するべく、南への党組織や、抗仏戦争参加者に対する弾圧が強化した。
 また、サイゴン政権の農地政策(地主制を再び農村支配の基礎にする)により、ベトミンの土地改革で土地を手に入れた農民たちは、獲得した農地を奪われることになった。
 農民たちは自発的な抵抗を行いはじめ、北ベトナムの労働党に軍事闘争の再開を求めた。また、ジエムの弾圧により南の党組織は壊滅状態(1954年・・・50000人−>1959年・・・5000人)になっていた。
アメリカとの軍事的衝突を避けるために今まで平和闘争に限定していた労働党は1959年の中央委員会において方針を転換、南ベトナムの人民を主体とした武力闘争を承認した。北からの支援は補給路の確保など、戦闘部隊の派遣にはよらない限定的なものとされた。
 この決定に刺激されて1960年には南の各地で武力蜂起が起こった。同年2月には南ベトナム解放民族戦線 (NLF)が結成された。
 基本的に解放戦線は南出身者で構成されていた。また、武器も南から調達したものが主体であった。


アメリカの軍事活動
 ゲリラに対抗するためにアメリカが軍事面で乗り出したことは主に軍事訓練、平定作戦(戦略村)、隠密作戦であった。

軍事訓練とその効果
 1955年から、アメリカはサイゴン軍に軍事訓練を開始した。
 その目的は、「南ベトナムを、北ベトナムの脅威及び共産主義ゲリラ活動に対抗できる国にする」ことだった。フランスの残していった旧式の装備しか持たない軍隊に新型の装備を与え、部隊を再編成した結果、物量に秀でた近代的な組織をもった陸軍が誕生した。
 しかし、武力闘争が本格的になるにしたがって、サイゴン政権軍のゲリラ撃滅作戦は行き詰まりを見せていた。
まず、アメリカ側が訓練した内容は通常戦争の戦術であり、対ゲリラ戦のものではなかった。 火力と機動力(ヘリコプター)を利用した戦術は一時的にゲリラに脅威を与えたが、それに対抗する戦術(ヘリが近づくとジャングルに隠れ、着陸した瞬間を襲う・ヘリの着地地点に竹槍をさして着陸不能にするetc.) が開発されると、効果があがらなくなった。

 また、サイゴン政権軍は、装備と人数の面では優れていたが、作戦を立案し部隊を指揮できる将校クラスの人材が不足していた。このことが、めまぐるしく展開するゲリラに対して臨機応変に対応できない要因となった。

戦略村計画とその効果
 農村に深く根を下ろしていたゲリラ網を寸断するための計画。ゲリラと住民の接触を防ぐために、政権側が新しく村を作り、ゲリラの勢力下にある村落の住民を強制的に移住させるもののである。
 共産ゲリラ対策として、実際に効果をあげた計画であったので、期待されたが、決定的打撃を与えられなかった。
 失敗の原因は
@一度に多くの戦略村建設に着手したため、防御が薄くなり、ゲリラに各個撃破されたこと。
A先祖の墳墓から引き離されることへの住民の反発が強く、サイゴン政権に対する反感を増大させたこと。
による。


隠密作戦
 アメリカの支持と指揮の下、工作員の潜入、宣伝ビラの配布、情報収集、各種破壊活動からなる小規模隠密行動計画が南ベトナム軍によって実行された。
 しかし、共産主義の監視機構により効果はあがらなかった。


アメリカの軍事的失敗の要因
サイゴン政権の政策面での失敗
 対ゲリラ戦において、住民とゲリラの分離は不可欠である。ゲリラに協力する住民を処罰すると同時に、ゲリラに協力しない方が有利であると住民に判断させることで初めて住民をゲリラから引き離す事ができる。
 ところが当時の大統領であったゴ・ディン・ディエムは、反逆者を徹底的に抑圧するという政策しかとらなかった。また、農民を味方につけることが重要であることを理解していなかった。
 「飴と鞭」のつかいわけの必要性をアメリカ側は理解しており、執拗にディエムに要請したが、ディエムは実行しなかった。
 この結果、南ベトナムの90%を占める農村部の住民のサイゴン政権及びアメリカへの反感が醸成され、解放戦線ゲリラへの支持につながった。

軍事情勢把握の失敗
 アメリカは、軍事訓練やゲリラ掃討作戦の進捗状況の正確な把握ができていなかった。
 これは、サイゴン政権が情報操作して、実際よりも自分たちが有利であるような報告を繰り返したり、作戦実行部隊のレベルで、水増しの戦果報告が行われていたことが大きな要因であった。
 また、虚偽報告が発覚し、アメリカ側が直接調査に乗り出した時も、調査員の立場によって全く異なる認識がなされることはざらであった。
 このことが、アメリカの軍事援助によりベトナム情勢が好転する可能性があるという希望的予想をアメリカ首脳部に抱かせる原因になった。
ベトナム戦争後期戦略とその効果(1965〜1973)
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This page is written by SUZUKI Kentarou. Mail to suzuki8@dolphin.c.u-tokyo.ac.jp

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