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(回答先: 奥参事官のPCはどこに隠されたのか? 投稿者 8413 日時 2003 年 12 月 07 日 22:58:59)
この記事の下の方に外交フォーラムに関連すると思われる事柄がありますが。
記事が古いので既出だったらごめんなさい。
以下本文
イラク・日本人外交官殺害 「復興のエース」失う−−情報錯そう、断定避ける外務省
◇なぜ単独行動?−−襲撃現場
イラク北部のティクリート近くで起きた日本人外交官殺人事件。奥克彦参事官(45)と井ノ上正盛3等書記官(30)はなぜ、どのようにして犠牲になったのか。犯行がテロによるものかどうかについて、福田康夫官房長官は30日午後、「その可能性が強い」と語ったが、外務省は断定するに至っていない。現場でも情報が錯そうしている。【前田浩智、ティクリート(イラク北部)竹之内満】
◆説明食い違い
イラク駐留米軍スポークスマンは、奥参事官らは売店で車を止め、食料と飲料水を買った際に銃撃を受けたと述べた。
しかし、ティグリス警察署の説明では、3人は幹線道路を走行中に、追走してきた犯人の車から銃撃を受けた。現場には道路脇の畑に車が転落した輪だちも残っていた。
同署によれば発生時間は「29日午前11時ごろ」で、奥参事官らは「午後2時」に病院に搬送された。だが、外務省はその後にあたる「午後5時ごろ」、現場の車内で射殺体で発見されたと説明、状況は食い違っている。
外務省幹部は同日夕、売店に立ち寄ったかどうかを含め、事実関係について「調査中」と繰り返しただけだった。
◆日本人狙いか
日本人を狙った犯行かどうかも不明なままだ。車体に日の丸は付けておらず、ナンバーなど日本の車両と特定できるようなものは取り外してあり、外務省幹部は「日本大使館関係者かどうかは分からないはずだ」と言い切る。「計画的に狙われたという感じじゃない」と語る幹部もいた。
しかし、現地のティグリス署は、現場で外国人の乗る車を狙った類似事件がしばしば起きていたため、「広い意味で外国人が狙われた可能性はある」と説明している。3人の所持品だった現金や携帯電話、カメラは手つかずだったため、強盗の疑いは薄くなっている。
米国の友好国が次々と自爆テロなどの標的となり、国際テロ組織アルカイダ幹部と名乗る人物が「日本の兵士がイラクに足を踏み入れれば、アルカイダは東京を攻撃する」と警告していた経緯もある。
小泉純一郎首相は「日本人を狙ってのものか、あるいは野盗強盗のたぐいか確認できていない」と述べるにとどまっている。
◆手薄だった警備
なぜ奥参事官らは警護車両を付けず、単独で行動したのか。ティクリートはフセイン元大統領の出身地で、反米テロが多いことで知られる。
バグダッドの日本大使館に詰めるイラク人警備員は、奥参事官、井ノ上書記官が出かける直前、同行することを申し出たが、2人は「大丈夫だよ」と断ったという。政府関係者は「現地にいると、毎日銃声を聞いていて、慣れてしまうところがある」と語る。
◇奥参事官、国連の重要性強調
亡くなった奥克彦参事官と井ノ上正盛書記官は在イラク日本大使館の中核的存在だった。小泉純一郎首相が「イラク復興支援に欠かすことのできない、中心的な役割を果たしてきた」と悔やみ、川口順子外相が「2人の優秀な部下を失ったのは痛恨の極み」と声を詰まらせたのも、奥、井ノ上両氏の確かな実績を踏まえてのことだ。
岡本行夫首相補佐官は今年9月、両氏の案内でイラクを視察した。その際、奥参事官はテロで破壊された国連バグダッド事務所跡にひるがえる国連の半旗を見やり、「岡本さん、これを見て引けますか!」と腹の底から声をあげたという。「中央公論」11月号への寄稿でこの経緯を紹介した岡本氏は、「肝のすわって使命感の強い」参事官を絶賛していた。
奥参事官は、イラク復興支援のため、日本政府が4月末から米英占領当局(CPA)の前身「米復興人道支援室」(ORHA)へ政府職員を段階的に派遣した中の第1陣だった。元々は在英日本大使館勤務だが、「明せきな頭脳とタフな精神力の持ち主」(外務省幹部)であることを買われ、難題山積のイラク復興支援の担い手に抜てきされた。
早大在学中の80年、外交官試験(上級)合格。81年、外務省に入省した後は元早大ラガーの行動派として鳴らした。90年からイラン、92年からは米国勤務。米国では1等書記官として日米自動車交渉に取り組んだ。00年には本省総合外交政策局の国連政策課長に就任、国連改革に取り組んだ。中東が専門だった野上義二元外務事務次官の信頼も厚かった。
奥参事官は外交専門誌「外交フォーラム」11月号に寄稿し、イラク復興における国連の重要性を強調していた。復興を通じて「米一極世界」が転換する可能性を指摘し、日本に「関与の余地がもっとある」と貢献を促した。また、外務省ホームページに「イラク便り」を70回連載。国連事務所テロで死亡した職員の血染めの名刺を掲載し、「遺志を継いで復興に貢献する」と決意を記していた。【白戸圭一】
◆外交官2人の略歴
◇奥克彦・在英日本大使館参事官
58年1月3日生まれ。45歳。早大政経学部を卒業して、81年外務省入省。在イラン大使館2等書記官、在米大使館1等書記官、総合外交政策局国連政策課長などを経て、01年から現職。今年4月、米英占領当局(CPA)の前身である米国の復興人道支援室(ORHA)へ派遣され、長期出張中だった。兵庫県出身。
◇井ノ上正盛・在イラク日本大使館3等書記官
73年5月11日生まれ。30歳。熊本大法学部を卒業、96年外務省入省。在シリア大使館3等理事官、在チュニジア大使館3等書記官などを経て、昨年5月からバグダッド勤務。アラビア語の専門家で、宮崎県出身。
http://www.mainichi.co.jp/eye/feature/nybomb/afterwar/art/031201M150_0202101E10DF.html