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イラク外交官殺害!
謎、謎、謎の真相を追う!!
奥克彦参事官と井ノ上正盛3等書記官(いずれも事件当時の階級。後に大使、参事官に2階級特進)が11月29日にイラク北部で殺害された事件はわが国に巨大な衝撃をもたらした。だが、この事件で微妙になると思われていた自衛隊イラク派遣は、「危険な地域にかかわらず、日本が何をなすべきかという観点から復興支援に取り組む」(小泉首相)ということで閣議決定された。
11月24日にブッシュ大統領が署名した米国の新国防予算関連法案には、海外駐留米軍の配置見直しが盛り込まれている。そして事実、12月3日から在韓米軍第二師団の撤退(一部イラクへの配置転換)が開始された。米ブッシュ政権は沖縄の海兵隊部隊だけは残しつつ、在日米軍も撤退させる予定とされる。そのためには自衛隊の国軍化、憲法改正という手順が必要で、今回のイラク派兵がその第一歩となる。
いま世界は明らかに大動乱の刻を迎えようとしている。イラク、アフガンだけではない。中東全域、いやユーラシア全域が危険な兆候を見せはじめている。そうした状況のなかに起きたわが国外交官へのテロ事件だった。――このテロ事件は実際のところ、中東全域からロシア情勢、欧州の動きまでを見据えないと深奥が見えないものだと断言できる。これらを見据えた上での世界規模の異常事態については近日中に本ホームページで本紙独自の解読を公開する予定だが、その前に、奥克彦・井ノ上正盛両氏に対するテロ事件に纏わる「謎」を考えてみたい。
外交官殺害事件の「謎」
「売店で襲撃」情報
二人が殺害された状況を米軍は当初、「食料と飲料水を買い求めた売店で襲撃された」と発表。もちろんこれは後に訂正されたが、なぜこのような虚偽の情報が流されたのだろうか? 日本人外交官がテロの対象となった事実を隠すために、強盗等に遭った可能性を強調したのだとの見方もある。が、そのような贋情報はすぐに発覚する。恐らく米軍が弁解した通り「地元市民の誤った目撃情報を信じてしまった」ためなのだろう。
しかし、米軍の「売店で襲撃された」との情報発表の直後には、「走行中の車が後ろから来た白っぽい3台の車に銃撃された」との多数の情報が流された。外国報道機関が簡単に入手できた情報をなぜ米軍は間違えたのだろうか。
まだ疑問が残る。新聞各紙には現場目撃者の話がいくつも載ったが、そのなかには銃撃音が聞こえた後、「黒い車(奥参事官らが乗った車)は路肩を外れて60メートルほど畑に鼻先を突っ込むようにして止まった。すぐ後ろから米軍の車列が通り過ぎていった」(道路脇の食料品スタンド店主ハッサン・フセインの証言)のように、銃撃された車の前後を米軍車両が列をなして走行していたとの証言がある。前を走っていた車列はともかく、直後に銃撃現場を通り過ぎた米軍車両の列は、事件に気がつかなかったのだろうか?しかも、自動小銃の銃撃は走行距離にして約1・5キロも続けられていた。時速150キロを越えるスピードで走行中だったとは言え、直後を走っていた米軍車両の運転手に銃撃がわからなかったというのは不思議だ。
カラシニコフで銃撃?
襲撃者たちは自動小銃を乱射し、そのうちの29発(一説には30発以上)が奥参事官らの車に命中したとされる。銃はロシア製の自動小銃AK47カラシニコフ。ところが現場や車に残された銃弾は5.56ミリ弾。カラシニコフは7.62ミリ弾で、この弾だとカラシニコフではなく米軍使用のM16だと推定される。
さらに謎がある。奥、井ノ上両氏の遺体写真が外国報道機関によって公開された。わが国では流石に遺体公開という非常識は受け容れられない。外務省は2人の遺体写真を掲載した『週刊現代』に対して、発行元の講談社に厳重に抗議。同社がこれを回収。外務省はまた、遺体写真に関し、外国通信社から配信された写真を使わないように日本雑誌協会を通じ雑誌各社に要請した。ところが実際は心無い人々によって地下社会で公開され、本紙もロイターが撮影したと言われるこの映像を見てしまったのだ。そしてこの時点で謎が浮上した。
2人の遺体は銃弾が貫通している。自動小銃の弾丸が人間の身体に撃ち込まれると、その瞬間に弾頭は僅かに潰れ、潰れた弾丸は超高速で体内を螺旋状に進み、貫通して外に飛び出す。貫通した弾丸が体外に飛び出す排出孔は直径数センチから十数センチの大きな孔になる。カラシニコフのような大きな銃弾の場合、その孔はさらに大きい。2人が乗っていたのは軽防弾車で、カラシニコフやM16はそのドアを撃ち抜く威力を持っているが、弾頭の潰れはさらに一段と高まる。それが人体に撃ち込まれ、貫通したとなると、排出孔は数十センチになってもおかしくはない。――にも関わらず2人の遺体には綺麗に抜けた孔しか穿いていない。理論的には真っ直ぐ垂直に当たれば弾頭は潰れないと言うが、時速150キロで走行中の車を追い越しざまに狙撃して、それほど綺麗な射撃ができるとは思えない。
もっとも軍事専門家のなかには、「最近の軍用小銃の能力は凄まじく、比較的簡単に綺麗に貫通させられる」という意見もある。2人が乗った車が走行中に自動小銃の乱射を浴びせられたことは、多数の目撃者の証言からも明らかであり、最新型の軍用小銃が狙撃に使用されたと見るべきなのだろうか。
狙われたのは奥参事官?
殺害された奥克彦参事官の肩書は「駐英日本大使館参事官」で、彼はその肩書のまま4月にイラクに着任し、復興人道支援会(ORHA)で英国陸軍将校の代理として国際支援を担当していたという。ORHAはイラク人とくに親フセイン派の人々から見れば、米英による占領統治の象徴でもあり、そこで働く日本人外交官が彼らからテロの目標となるのは理解できる。
事実、イラク内務省のアハマド・カドゥン・イブラヒム次官はこの事件について、「犯行はウサマ・ビンラディン氏率いる国際テロ組織『アルカイダ』など外部勢力ではなく、旧フセイン政権残党を中心とする『イラク人によるもの』」という見方を示している。捜査は米の占領当局、イラク警察が共同で進めているが、同次官は犯人像について「手口から、旧政権の諜報機関ムハバラトの仕業である可能性があると思う」と述べる一方で、「フェダイン・サダム(サダム忠誠隊)か、他の旧フセイン政権残党なのか、捜査を待たなければならない」と語っている。
もともとORHAは、ラムズフェルド国防長官の要望に沿った形で米国防総省(ペンタゴン)がイラク侵略戦争開始直前に設立したもの。「復興人道支援会」というより簡単に言えば「占領後の行政担当組織」。ORHAの室長ジェイ・ガーナーは湾岸戦争時代にはミサイル部隊の司令官で、後にロッキード社系の子会社の会長になった人物。(ラムズフェルドもロッキード・マーティン社元重役。)戦後復興を商売にしようという企みが初めからあり、駐英日本大使館の奥克彦参事官もここに組み込まれていたのだろう。
と分析したところで、正直なところ疑問が生じる。いったい奥参事官、井ノ上書記官の本当の任務は何だったのか? わが国の外務省の命令の下、イラクの「復興人道支援」に携わっていたのか。それとも米国の軍需産業の下働き、使い走りをやらされていたのだろうか。――これに関して情報通たちは口を揃えてこう答える。「彼ら(奥・井ノ上両氏)は岡本行夫(首相補佐官)の仕事をやっていた」と。
その岡本行夫は成田からイラン経由でイラク入りしようとした時に悲報を知った。岡本はこんなコメントを残している。「二人はすばらしい人。奥氏の仕事ぶり、人間性は日本の宝だった。イラク人から頼りにされ、イラクの連合軍暫定当局(CPA)からも絶対的評価を得ており、イラクにおける日本の評価は彼が一身で表してきた。今は彼の遺志をどうやって継いでいったらいいかしか頭にない」。
岡本行夫は元外務省職員。その後会社経営者、国際コンサルタント業、評論家等を経て橋本龍太郎時代に沖縄担当の首相補佐官となった人物。米国の代理人といった陰口を叩かれたり毀誉褒貶が激しいが、米国のイラク侵略戦争後には奥参事官、井ノ上書記官と併せて「日本人3人のサムライ」とも呼ばれていた。殺された2人は明らかに、外務省ではなく首相秘書官から直に何らかの命を受けてイラクで活動していたはずだ。いったい岡本行夫の目的は何だったのだろうか。
じつは2人の外交官殺害事件に関しては、他にも謎や問題が残っている。しかし多くの読者は「死んでしまった2人が生き返るわけではない。多少の謎や疑問があっても、今となっては、ただ2人の冥福を祈るだけ」といった気持ちになっていることだろう。あるいは、「謎と言っても大したものではない。そんな謎は解き明かされなくていい。解き明かしても意味はない」と思われるかもしれない。
だが、そうではない。わが国外交官殺害事件の深奥には、日本が本当に衝撃的攻撃を受けるというプログラムが存在しているのだ。そのプログラムは、今世界中で起きているさまざまな事件を順を追って解読していかなければ読み取ることができない。これを読み解いたときに、「東京の最深部を狙ったテロ攻撃」の意味が理解できる。それは俗に言われているような六本木ヒルズ攻撃や東京湾洋上テロなどではない。背筋がゾッとするような――まさに身も凍る恐怖のプログラムが作動し始めている!!
本紙はこれを徐々に説明していく予定である。時間は余りないが、しかし焦っては真相を見逃してしまう。
その第一回目として、多少本筋から外れるが、フセイン大統領拘束に隠された真相を明らかにする。掲載予定は12月16日深夜〜17日早朝の予定。
http://www.gyouseinews.com/foreign_prospect/dec2003/001.html