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http://www.yomiuri.co.jp/editorial/news/20031206ig90.htm
あなた方の遺志を受け継ぎ、国際社会と協力して、イラクの復興に取り組んでゆく……。多くの国民が小泉首相と同じ思いを強くしたのではないか。
イラクで凶弾に倒れた二人の外交官の両家と外務省の合同葬が、悲しみのうちにしめやかに営まれた。
首相は、国益を担って、復興支援に身を賭(と)した二人に、「日本国、日本国民の誇りでもある。熱い思いと功績を決して忘れない」と、深い「哀悼の意」を表した。二人の遺志を無駄にはしないとの固い決意と受け止めたい。
二人の殉職が示すように、イラクでの復興支援活動には危険が伴う。危険があるからこそ、やはり、自らを守る能力を持つ自衛隊の派遣しかない。
テロは、時と場所を選ばない。自衛隊調査団の報告は、自衛隊派遣が予定されるイラク南部サマワの治安は安定しているが、イラク南東部全般で、テロの「襲撃の可能性は存在する」としている。万全の安全策を講じるとしても、万一の事態がない、とは断言できない。
それを恐れ、ひるんでいては、国際社会の一員としての責任を果たせない。
公務で復興支援活動中にテロ攻撃などで殉職したのは一九九三年五月、カンボジアの国連平和維持活動(PKO)で、文民警察官として選挙監視員の警護などに当たっていた高田晴行警視(警部補から昇進)以来だ。
陸上自衛隊が海外に派遣されたのは、カンボジアが初めてだった。政府軍とポル・ポト派軍が各地で交戦し、武装集団の攻撃で、ブルガリアやバングラデシュなどの兵士に犠牲が出るなど、治安情勢も極めて悪かった。
当時、自衛隊や文民警察の引き揚げ論も強かった。だが、宮沢首相は、国際責務を果たすため、引き揚げることはしない、と決断した。宮沢氏は後に「犠牲者がさらに出れば、極めて厳しい状況に置かれただろう」と述懐している。
どの国も、戦争は無論、国際平和協力活動でも、犠牲は避けられないと考えている。家族や友人には悲しいことだ。だが、責務に殉じた、尊い犠牲として報いる。それが国際社会の常識だ。「一人でも犠牲が出れば、政権の危機だ」などという議論が出る国は、日本ぐらいだ。
国際情勢が大きく変化し、「他の国と日本とでは違う」では、もはや通らない時代だ。首相が、イラク復興支援のため自衛隊派遣が必要、と訴えるのも、国際社会の常識に立つからこそだろう。
万一の覚悟なしに、自衛隊の派遣はできない。首相は、その重みを胸に、率直に国民の理解を求める必要がある。
(2003/12/7/01:57 読売新聞 無断転載禁止)