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(回答先: 小泉新総理と薬剤業界 投稿者 なるほど 日時 2003 年 12 月 15 日 17:05:52)
2001/05/23、水曜
■番組表■(首都圏保存版)
ハンセン病元患者らの政府への控訴取り消し要求に、なぜか小泉首相は「控訴後の和解」に固執しているようだ。今、和解してしまえば国の全責任を認めてしまうことになる、との判断ゆえなのだろうが、彼らに会うことすら躊躇している首相の態度はどうも腑に落ちない。つまり、ほかに別の事情があるのではないか?と思うわけである。そこで引っかかってくるのが小泉首相がかつて厚生大臣だったことであり、それら薬品会社との利権と癒着のことだ。昨日の日誌に書いたように、小泉氏が日本病院寝具協会の会長だったことや、医療基本問題調査会の会長だったこと、それに付随して政治献金を受けていたことなどが何らかの影を落としているのではないか。ハンセン病における治療薬としてはサルファ剤(プロミン、プロミゾン、ダアゾン)があるが、それらの治療薬の導入も遅れ、さらに治ってからも隔離政策は続行されていたという事実は人権にかかわる重大な問題であることは言うまでもないだろう。それらの責任追求が国にあることはもとより、製薬会社にも及ぶことも当然考えられる。そのための横やりが入ってもおかしくはないと思えてくる。(午後から小泉首相が控訴はしないことを表明した)
昨日は薬害エイズに関連してミドリ十字と武田薬品について調べていたが、その武田薬品の現在の社長は武田国男であり、彼の実兄でもある社長候補だった長男・彰郎氏は昭和55年にジョギング中に急死している。武田家の悲劇はさらに続き、その彰郎氏の父親六代目・武田鉛太郎も翌年に後を追った。同族襲名制の武田家は代々武田長兵衛を名乗り、そのことで言えば現社長の武田国男氏は第七代目の武田長兵衛となろうか。製薬会社も天下りが慣例となっていて、社長の座に元薬務局長を控える露骨なところもある。武田薬品も例外ではないようで、確か前社長は元厚生次官だったと記憶している。このへんかつての厚生大臣小泉氏との関連を想起させる。襲名の同族会社だった武田薬品も六代目とその後継者の急死によって、その後二代に渡って非同族社長が続いたが、ここにきて同族の武田国男氏が社長になったことから武田薬品は厳然とした武田家支配下にあることを世に示した。その武田薬品工業の現社長・武田国男が、薬害エイズ和解のあとにミドリ十字を買収するのである。
【関連サイト】武田薬品工業HP
2001/05/22、火曜
■番組表■(首都圏保存版)
●気になるニュース●(保存版)
元参院議長河野謙三氏の妻、園子さん死去
河野 園子さん(こうの・そのこ=元参院議長河野謙三氏の妻)は19日死去、94歳。葬儀は25日午後2時から、横浜市港北区新横浜1の7の5の新横浜総合斎場で。喪主は長男鉄雄氏。自宅は川崎市宮前区犬蔵1の26の13。
河野謙三は前外相・河野洋平の叔父にあたる。河野謙三は元建設大臣・河野一郎の実弟で、河野家は「三代にわたる天下取りを夢見る商社閨閥」と言われている。今回死去した園子さんは旧姓・吉野で、父親は吉野吉夫という。園子さんの長男で葬儀での喪主・河野鉄雄氏は湘南倉庫運送オーナーで、次男・河野剛雄氏は新興海陸運輸社長で河野洋平の後見人となっている。剛雄氏の妻・顕子さんは「さいか屋」会長・岡本伝之助の四女、彼女の実弟・岡本経世も「さいか屋」に入社しているが、その妻・伸子さんの父親は参議院議員の田川誠一である。この田川誠一が第二次中曽根内閣において新自由クラブ代表として自治大臣となり、洋平の政界の後見人ともなっていた。田川誠一は洋平の母照子の甥で、前述した河野謙三の次男から「さいか屋」の岡本家へと流れる血流と、河野家と田川家は二重のつながりを持つことになる。田川誠一の父親・田川誠治は元神奈川県議で、祖父・田川平三郎は衆議院議員であった。その平三郎の長女・照子さんが河野一郎(洋平の父)に嫁いでいるのである。むろん河野家の閨閥はこれに留まることなく、東洋パルプ会長にして伊藤忠創始者の伊藤忠兵衛の孫娘・武子が河野洋平の妻としておさまると、彼女の弟・伊藤勲は日本商工会議所会頭・足立正の孫娘・啓子を娶って、河野家の閨閥を彩る。
ちなみに洋平の父であるところの河野一郎は、昭和七年に立憲政友会から衆院選に初当選、戦後においては昭和20年の日本自由党・鳩山一郎総裁の結成時に幹事長に就任している。しかし組閣寸前に二人の一郎こと、鳩山一郎と河野一郎は公職追放となり、昭和20年にその河野一郎の地盤を受け継いだのが実弟・河野謙三であった。彼は当時、肥料配給公団理事や平塚市商工会議所会頭であった。これは前述した日本商工会議所会頭の足立正との関連を想起させるものであり、河野一郎の父親・河野治平が神奈川県会議長であることと田川誠治が神奈川県議だったことも無関係ではあるまい。こうした符合はいずれも同族として結実していることから、河野家閨閥の布石だったといえるのではないだろうか。
昨日21日の高見貞子さん死去についての日誌にミドリ十字の前身「日本ブラッド・バンク」の大株主・岡崎家に触れたが、その「日本ブラッド・バンク」の大株主が岡崎真一である。電源開発総裁(日本発送電総裁)の孫娘・真理子が嫁いだ岡崎真雄、その父親だ。発起人は義兄の岡崎忠、彼の旧姓は川島で岡崎家に婿入りしている。その会社の前身がミドリ十字で1997年2月24日に吉冨製薬が吸収合併した(公式合併は1998年4月1日)。この吉富製薬の親会社が武田薬品であるから、ミドリ十字の名を抹消しようとした武田薬品の正体を知りたくなる。実は、戦時中の人体実験で悪名高き731部隊の人脈が流れ込んだ先がミドリ十字であれば、戦時中の満州にせっせと大量の医薬品を納入していたのが武田薬品工業だったのだ。つまり731部隊が人体実験で使う薬物を武田薬品が納入していたということになる。血友病患者によるエイズ感染問題が騒がれている最中に、武田薬品はその火の手が及ばぬ前に先手を打ったのではなかったか。武田薬品についてはこれまでの閨閥にも関連してくるが、長くなるので後に譲る。さて、その一方で、厚生省もまた薬害エイズを発生させた「薬務局」を廃止して「医薬安全局」を新設するという姑息な看板付け替えで国民の関心を逸らそうとしてきた。
http://csx.jp/~gabana/dnisi/dnisi2001-05.htm