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(回答先: 不戦ネット記事のソースは? 投稿者 竹中半兵衛 日時 2003 年 12 月 06 日 12:35:58)
竹中さん、始めまして、かな?
不戦ネットのソース、怪しいですね。どこからの記事かを書けばいいと思いますが、
その辺が抜けると、怪しい情報になってしまいますね。
私も気をつけないと(自戒)。
ただ、政府主導でやってるよりはずっとましな医療支援活動かなとおもったのと、
下手したら現地の情報は外務省よりもきちんと肌で感じているかなと思って
こちらに掲載しました。
さて、イラクでまさに日本の外交の犠牲となった外交官二人の葬儀が行われているという話ですが、このところの「美化」報道を知り、今回の「国葬」を聞き、竹中さんの「神話」という言葉を聞いて、大宰府に島流しになった菅原道真を思い出しました。
菅原道真は京都の北野天満宮に祭られ、今では全国各地で「学問の神様」として祭られています。しかし彼が神社に祭られるようになったのは、彼の死後に京都で疫病が流行り、
「道真公の崇り」と恐れられるようになり、それを恐れた貴族たちが慌てて彼を手厚く祭る事にしたのだという背景がありますね。そうして疫病が沈静化したといわれています。そういう「言い伝え」ですね。つまり裏を返せば、道真を大宰府に送った人間が、いかに道真を恐れていたのか、という事でもあるようです。
つまり、国の中心を司っている人間たちの考え方に沿うものではなかったばかりに
僻地に送られ、決して最後まで都に帰ることなく生涯を終えていったものの「呪い」を恐れ、そのような「呪い」から逆に神格化して祭り上げることで「鎮魂」するということです。神社というものはそうした成り立ちも含んでいるようです。
そんな風に考えると、人の名前がつく神社は、まあ、怖い場所ですね…。「崇り」封じです。ですから、道真は崇められると同時に、本来彼が持っていてもおかしくなかったであろう島流しにされたその深い悲しみや怒りを表出する事を封じられているようにも感じます。
こうした構図を今のこの場面にはめこむ事が果たして適切な事なのかわかりませんが、私には小泉首相及び川口外務大臣がこうした「思考停止」をして、「死者の意志を継ぎ」死者を崇め恐れる事で、本来もっとも問題であるこの国の行方についての議論が真っ向からそらされてしまっている気がしてなりません。つまり、また昭和天皇の大喪の礼と同じく、あらゆる責任をうやむやにするのではないかと考えてしまいます。
もし、小泉が「時間稼ぎ」をしているのならば、やはり何とかして自衛隊がこの状況で行く事に対することに声を上げて、日本政府のこれまでの方針を、今回の犠牲をもって舵取りを変化させる必要があると思います。
この事を、今回の事件というか人災とあわせて考えていくと、今回の政府や外務省の対応は、日本人の思考回路が本当に心底から「律令制度」の中にまだはめられているのではないかと思われます。つまり、命令・マニュアルなしでは動けないという事です。
今回犠牲となられた方はいずれも官僚機構という国家を牽引していくエリートですし、「イラク攻撃の理由」が誰の目から見ても「正当」と言えるものであれば、何の矛盾もなく受け入れる事が出来る「こころざし」だと思います。
しかし、奥参次官が考えていた、国家の代表であり、イラクを復興しなくてはならないというその使命感とはうらはらに、ここで少しささやかれているように、「中東地域へ派遣された外交官の立場」、今回の外務省と政府の慌てぶりと情報の錯綜、真相究明に対する腰の重さなど、対応そのものを見ていると明らかな「手抜き」を感じざるを得ません。そして、「国葬」。これ以上今回の事件に関して独自の調査を行わないとか、最初の報道の食い違いは何だと文句を言わないとすると(アメリカは頭をさげてきたようですが)、明らかな証拠や事実の究明もないまま一緒に葬り去る気かという疑念が頭をもたげてきます。
今死者を悼むとするなら、やはりきちんと小泉が今回の事件についてあらゆる手段を講じるべき立場にあると思います。個人として、多いに悲しむのはいいとしても、彼の役職上の責務はそこにはありまえせん。それはこちらに投稿されている、あるいはロムされている方々が多かれ少なかれ持っておられる気持ちではないかと思います。
今現在政府及び外務省が繰り返している「故人の意志」という「死んだ個人の口を借りた勝手なプロパガンダ」、「これからもイラク戦争の米英の立場を支援する」、という前提に立ったあらゆる詭弁は、恐山のイタコでも、故ギボアイコ女史でもやらない、死者に対する冒涜ではないかと思えてなりません。
「死者に人権がある」と今ごろのたまうのであれば、今までその死者を出来るだけ出さないようにどれだけの配慮が必要だったのかを本気で考えてきたのかと問いたくなりますし(それこそ人権問題だ)、そこから考える所から初めて、今の「対米英追従イラク派兵」について、考えなおせとしか言えません。今イラクに派兵する事はどう考えてみても「愚の骨頂」です。それが本当に遺族の方の埋め難い悲しみをぬぐうとは思えません。かえって遺族の方の悲しみを増すことにならないのかという懸念を持っています。
今12月8日という日付が近づいている事と、今回の事はたとえ偶然だとしても、大きな意味があると思います。今ここで本当に何をするべきなのかを考えて行動する事が、遺族の悲しみに更なる大きな負担をかけない事にも繋がるように思いますし、外交官二人の死、そして今も犠牲になり続けているイラクの市民や、戦場に駆り出された多くの世界各国の兵士達の死を無駄にせず悼む事にも繋がるのではないかと思います。
「リメンバー・パールハーバー」は終わりにしましょう。
本当に思い出すべき事は他にもたくさんあるはずです。
9.11のテロで犠牲になった家族の一部が、「対テロ戦争」に反対していた事をもう一度思い出す事が必要な気がします。
黙祷。