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(回答先: 毎日【サマラ米軍武力衝突 民間人相当数死傷】阿修羅掲示板圧勝・大手メディア完敗 投稿者 木村愛二 日時 2003 年 12 月 02 日 18:59:09)
サマッラで大規模戦闘、米軍の説明にも食い違い
2003年 12月2日 火曜日 □□□□ □■
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◇◆ サマッラでの銃撃戦、組織だった米軍攻撃
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抵抗勢力の戦闘が組織だったものに (英字報道から訳)
スコッツマン 12月2日 by MARGARET NEIGHBOUR
http://www.news.scotsman.com/international.cfm?id=1323792003
アメリカ軍の昨日の発表によると、イラクで米英合同軍と戦う勢力
はいっそう組織だったものになっており、銀行券を届けるアメリカ軍
車列を待ち伏せして失敗したあと、攻撃して逃げる戦術ではなく、とど
まって戦う戦術を意図的におこなったという。
サマッラの街での待ち伏せ攻撃は、サダム・フセイン政権崩壊後で
もっとも激しい戦闘の一つとなり、イラク人に54人の死亡者が出た。
現地からの報道は、死亡者の多くが交戦に巻き込まれた無実で関係
のない人々であった、と示唆している。銃撃戦は重武装のアメリカ軍
車列が待ち伏せしていたイラク人に応戦して発生した。
イラク北部の都市で30日に発生した銃撃戦において、ロケット弾で
攻撃された戦車に乗っていたアンディ・デポネイ大尉は、「彼らは立射
の訓練を受けていたようだ」と語った。数十人のイラク人戦士が死亡
したというアメリカ軍の断定に複数の住民が異議を唱え、殺されたの
は10人もいないと指摘した。
よく統制された待ち伏せ攻撃はゲリラ戦術が発展して」きた徴候を
示している。
バグダッドで会見したマーク・キミット准将は、待ち伏せ攻撃を受け
たとき、モスクから10人ばかりが駆けだしてアメリカ軍の車両を銃撃
した、と語った。彼らは裏通りと屋根の上からも射撃してきた。キミット
准将は今回の襲撃について「大勢力だった」と話した。「われわれが
間近に見たことなのかって? もちろん。 過去2ヶ月に経験した攻撃
よりも大規模だったか? そのとおり。 それを気にかけているか?
われわれはこれに注意を払って、今後の作戦で適切に対処する」。
ほかにも昨日のイラクでは、アメリカ軍の車列がバグダッド西方で
待ち伏せを受け、一人の兵士が死亡したとアメリカ軍が発表した。小
口径の銃器による攻撃はバグダッドの西50マイルのハーバニヤで
発生した。
バグダッドではアメリカ軍のある将官が、首都のイラク人抵抗組織
は中央指導部を形成していて、そこが攻撃の資金を調達し、8ないし
12の部隊を指揮して、攻撃しろとか隠れていろといった市内での作
戦を命じている、と話した。しかしマーティン・デンプシー准将は、指
揮・統制をおこなう中央司令部が存在するという証拠は何もなく、指
示も具体的なものではないはずだ、と述べた。
デンプシー准将は第1装甲師団を指揮しており、その部隊はバグ
ダッドと周辺地域を統括している。最近のバグダッドで攻撃が小休止
になっているのは、ゲリラを標的にした合同軍の攻勢期間中は作戦
行動を控えるように命令を出していることから生じていると思う、と彼
は言った。
バグダッドの北方60マイルにあるサマッラでの戦闘は、イラク人抵
抗勢力の統制が規模を大きくしていることを象徴している。しかしアメ
リカ軍は攻撃を予測しており、優れた火力で彼らを撃退したと語っ
た。デポネイ大尉は新しいイラク通貨を運ぶ車列の攻撃規模に驚か
されたという。30人から40人の攻撃者が通過を届ける予定の二つ
の銀行で、それぞれの銀行近くに待ち伏せしていたのだ。
「これまで君たちも進展を見てきたはずだ。最初は銃撃して逃げる
というもので、巡回兵への単発的なロケット弾攻撃だった。その後に
は一斉射撃が始まって、複雑なロケット弾の待ち伏せになった。そし
て今度が最初になった組織だった攻撃だ」と彼は話した。
米統合参謀本部のピーター・ペイス副議長は、ブリュッセルでラム
ズフェルド米国防長官ととも共同記者会見に出席し、「戦術が変化し
たかどうかを、一つの攻撃にもとづいて正確に判断するのは困難だ」
と語った。彼は「理由がなんであれ、事実は、この特殊なケースにお
いては、約50人の敵が集まっていたということだ」と述べた。
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◇◆ サマッラでの戦闘、死者の多くは一般市民
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米軍襲撃は大規模な戦闘に転換 (英字報道から部分訳)
カナダ・ドット・コム 12月1日 SLOBODAN LEKIC Canadian Press
http://www.canada.com/halifax/aroundtown/story.asp?id=B53F6D51-4565-43DA-BF9
9-4AC5BCFAADB0
バグダッド発/アメリカ軍はサマッラで二つの組織だった攻撃を撃
退し、54人のイラク人が殺されるという、4月以降に報道されたなか
では最も血なまぐさいものとなった。しかし現地の住民たちは、アメリ
カ軍が市民に無差別に発砲したと言い、殺された者の多くは武力衝
突に巻き込まれた民間人だと証言した。
この攻撃の規模と明白な組織性は、反乱を押しつぶそうとアメリカ
軍が大攻勢に出たにもかかわらず、抵抗部隊が同時多発的な戦闘
作戦を遂行する能力を保持していることを示すことになった。
アメリカ軍の広報官は、衝突は準軍事組織であるサダムズ・フェダ
イーンの制服を着た攻撃者たちから仕掛けられ、彼らはサマッラの
両サイドで二つのアメリカ軍車列を同時に襲撃した。
戦闘の傷跡は1日も生々しかった。10台ばかりの車が路上に破壊
されており、多くは戦車で押しつぶされ、弾痕が多くの建物に残ってい
た。群衆が一カ所に集まって、サダム擁護のスローガンを叫んでい
た。報道陣が現場に到着すると、一人の男が空にむけて警告の射撃
をおこなった。
多くの住民が、サダム支持者がアメリカ軍を攻撃したが、アメリカ兵
が手当たり次第に発砲を始めたので、多くの一般市民が銃を手にし
て戦闘に加わってきたと話した。多くの者が、住民は最近のアメリカ
軍の急襲作戦に恨みを持っていたという指摘した。
「なぜアメリカ軍は自分の家にいる人々を逮捕しなければならない
のか?」と19歳の学生アシル・アブドル・サラムは言った。「アメリカ
兵は夜に逮捕しに来る。人々がなにをしていると期待してるんだ?」。
戦闘に巻き込まれて負傷した30歳のアリ・ハッサンは、「一般市民
がアメリカ軍に反撃したんだ」と話した。「彼らは俺たちがテロリストだ
という。そう、テロリストだと仮定しようか。それで、彼らは何を期待し
ているんだい?」。
多くの住民は、アメリカ軍が襲撃されて手当たり次第に乱射しはじ
めたと指摘し、民間施設も標的にされたという。病院の前に6台の壊
れた車があり、目撃者はそこでアメリカ軍の戦車が怪我人を降ろして
いる人々に戦車砲を撃ったと証言した。
幼稚園も損害を受けた。明らかに戦車砲によるものだった。子ども
たちは怪我をしなかった。幼稚園の警備員イブラヒム・ヤシム(40
歳)は、「さいわい、砲撃される5分前に、私たちは子どもを避難させ
ることができた」と話した。「なぜアメリカ兵は乱射するのか? 幼稚
園を戦車砲で撃つ理由があるかい?」
第4歩兵師団のウィリアム・マクドナルド中佐は、襲撃者が道路に
バリケードを築き、屋根の上と裏通りから爆弾、銃、迫撃砲、ロケット
弾で攻撃してきたと説明した。アメリカ軍は120ミリ戦車砲と戦闘車
両ブラッドリーの25ミリ砲で応戦した。アメリカ軍の砲火は襲撃者が
使った三つのビルを破壊した。マクドナルドは、今回の攻撃が彼の部
隊が遭遇したなかで最大のものだったと語った。部隊の任務にはサ
ダム探索も含まれている。
バグダッドのアメリカ軍高官は、主要な戦闘が終了したとブッシュが
宣言した5月1日以降、断固とした攻撃を受けたという報告はないと
言った。アメリカ政府高官は散発的にイラク人の犠牲者数を発表した
だけで、報告を受けていない激戦があったかどうかを語ろうとしな
かった。
イラクでは11月に少なくとも104人の合同軍兵士が死亡しており、
79人はアメリカ兵だ。合同軍側の損失としては、3月20日に始まっ
たイラク戦争で最も犠牲の多い月となった。
30日のサマッラでの銃撃戦では、アメリカ軍は最初46人のイラク
人戦士が死亡し、5人のアメリカ兵が負傷したと発表した。しかし翌
12月1日の発表では、イラク人の死亡者数は54人に増やされた。
サマッラの住民はその数字に反論し、死亡したのは多くても8人か
9人だと言った。病院の死体置き場には3人の遺体が置いてあった。
説明を一致させる方法はない。
(以下、略)
http://www.freeml.com/ctrl/html/MLInfoForm/organizer-news