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(回答先: バグダッドとバスラで放射能測定至る所でDU弾汚染が広がっていた 慶應義塾大学助教授 藤田祐幸さんに聞く(上) 投稿者 なるほど 日時 2003 年 11 月 19 日 18:38:47)
世界中で進む放射能汚染
市民測定で汚染食品の輸入をおさえた
慶應義塾大学助教授 藤田祐幸さんに聞く(下)
2003-11-25
アフガニスタンやイラクでは英米軍が使用したDU弾による放射能汚染が問題になっている。1986年4月旧ソ連チェルノブイリ原子力発電所事故によるヨーロッパ各国の農畜産物汚染でも放射能汚染は話題になった。チェルノブイリ以来15年にわたって、食品の放射能汚染を測り続けてきた藤田さんに話を聞いた。
我が家の小松菜から放射能!
カンパで民間の測定室を設立
家畜のエサも汚染物質だらけ
チェックシステムで国と闘う
次世代への責任も考えよう
藤田祐幸さんに聞く(上)はこちらから
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藤田祐幸さん
●我が家の小松菜から放射能!
――はじめに、食品の放射能汚染を測定するにいたった経緯からお聞かせください。
★ことの発端は、1986年4月26日に起きたチェルノブイリ事故でした。事故後の5月2日、日本では雨が降ったんです。日本政府は、その雨の中からかなりの量の放射能が検出されたと発表しました。仲間うちで5月の連休が明けてから放射能測定に入ろうかと話していたんですが、思ったより早く影響が出はじめたので大変驚きました。そこで我々もすぐに輸入食品の放射能測定を始めたんです。その結果、生鮮食品から「ヨウ素131」という、非常に高いレベルの放射能が検出されました。
我が家でも自家栽培している小松菜を計ってみると、数値がぐーんと上がる。その年は特に出来が良かったんですが、もうびっくりして口にできませんでしたね。近くの三浦半島の海で採れたひじきも測ってみると、こんなに激しい放射能をみたことがないというぐらい数値が高い。しばらくは事故以前に作られた缶詰や漬け物ばかり食べていました。直接データを見ているので、とても野菜なんて食べられない。その感覚を体がずっと覚えていたので、高い汚染の値が消えていったときにはみんなでサラダパーティをしましたよ(笑)。
そのときの政府広報は、何月何日これくらいの放射能が検出されたがただちに影響のでるものではない、というものでした。実はこれ、常套句なんです。放射能というのは、だいたい被曝して5年以上たたないと影響はでません。どんな被曝でも「ただちに影響がでるものではない」というのは正しいのです。JCO臨界事故の大内さんみたいに、短時間で影響がでた場合には死に直結するわけです。
ですから「直ちに影響がでるものではないが、念のためよく洗って食べることが望ましい」というのは、かなり強い警告として受け取らなくてはいけない。政府が野菜を洗って食えというのは、余程の緊急事態だと。ところが日本の市民は、これを安全宣言だと受け取ってしまった。ここからそもそも問題が始まったわけです。
●カンパで民間の測定室を設立
★その後日本では、輸入食品からセシウム137など、非常に強い放射能汚染が検出されたという報道が続きました。これに対し日本政府は、1キログラムあたり370ベクレルを超えたものについての輸入を許可しないという措置をとったんですね。この基準は、ヨーロッパで決められたものを日本に適用しただけのことです。ヨーロッパはもう全域汚染ですから、370ベクレルを超えるものを排除するので精一杯なんです。これ以上基準値を厳しくしてしまったら、食べるものがなくなってしまうんですから。
ところが日本はそうじゃない。私は、ヨーロッパの基準を日本にそのまま適用するのはけしからんと、基準の見直しを含めて科学技術庁及び厚生省と交渉しました。しかし例によって、原子力コンツェルンの御用学者たちが屁理屈をこねながら基準を変えようとしない。86年の冬ごろになると、スーパーマーケットに並ぶ食品からもどんどん放射能が検出される。370ベクレルを超えるものはさすがにありませんでしたが、50とか100ベクレルという数値がどんどん出るわけです。
我々は測定したデータを提出して国と折衝したり、市民運動とも協力していろいろやりましたが、状況を変えることができませんでした。87年になって、このまま情報を政府に握られていてはだめだ、市民側にも放射能を測定してデータを発表する機関をつくる必要があると思い至り、全国に資金カンパを呼びかけます。おかげで多くのカンパが集まり、大学や研究施設で使っているのと同じレベルの測定装置を300万円ほどで1台購入することができました。それをもとに87年10月、「放射能汚染食品測定室」を立ち上げ、市民から持ち込まれた食品を測定し、結果を定期的に発表していきます。国の機関ではないので、370ベクレルの基準以下のものも全てデータをつけて公表しました。
これは非常に効果がありました。しかし合法的に輸入した食品に対してメーカー名を含めて公表していくことは、法的には業務妨害にあたります。場合によっては、刑法に違反するかもしれない。代表者は逮捕され、裁判に持ち込まれる可能性が高い。そうした局面を想定しながら運動を始めました。
ところが面白いもので、市民セクターにとって300万円は非常に大きな出費ですが、食品メーカーにとっては安いものなんですね。それでメーカーや輸入商社はいっせいにこちらと同じ装置を買い込み、製品の自主チェックを始めたんです。その結果、88年2月あたりから、市場での放射能が劇的に消えていきました。
●チェックシステムで国と闘う
――市民の側で測定することが、状況を変える力になったと。
★ええ。国の規制と闘うには、こういう方法があるのかと納得しました。我々と裁判をしてダメージを受けるのは食品メーカーのほうです。森永といえば、いまだに「砒素ミルク」のイメージが付いてまわる。食品メーカーは、ダーティ・イメージを避けるためにチェックシステムの限界を下げたんですよ。市民運動側の完全な勝利です。厚生省が指導したわけでも何でもなく、市民運動によって食品の汚染が急速に減っていくという成果を獲得したんです。
ただし、われわれはここで劇的に勝利したといって、安閑としてはいられなかった。というのは、これまで日本に輸出されていた汚染食品が、今度はアジアやアフリカに輸出されるようになったからです。「ODA」「国連の人道援助」という名目で、汚染された食品がそういう地域にまわされたことは痛恨の出来事でした。
そうしたこともふまえたうえで言うと、やはり自分たちでチェックシステムを持ち、情報発信機能を持つのはとても重要だということです。ダイオキシン問題や農薬問題にしても、市民側で測って公表する仕組みを持たなければいけません。この先、環境ホルモンのチェックなんてことになれば、相当きちんとしたデータが必要になってくるでしょう。
所沢のダイオキシン問題の時は、厚生省や農水省の隠していたデータを引っ張り出させただけの話であって、我々側のデータではありません。情報操作があるかも分からない。反原発運動を長い間やってると、いかにデータが途中で弄ばれるのかということが骨身にしみています。
我々はこれまでも、行政に対して不服申し立てや情報公開の必要性を訴えてきました。原発事故が起こったら、放射能汚染はどこに広がっているのか情報公開せよと国に迫るのは当然です。
一方、我々の側でチェック・システムもきちんと作っていく。それで事実の隠蔽を暴くこともできる。ダイオキシン問題にしてもポスト・ハーベストの問題にしても、市民セクター側で研究所を作り、優秀な人材に給料が払えるようになればいうことありません。
ただ残念ながら、日本には市民の環境監視システムができる風土がない。ヨーロッパや米国にはグリーン・ピースの研究所やワールド・ウォッチの研究所など、非常に優れた人材を持ったシンクタンクがたくさんあります。日本ではなかなか難しいですね。
●家畜のエサも汚染物質だらけ
――輸入飼料の汚染も深刻だと指摘されていましたが。
★食品を調べているうちに、牛乳から汚染が出はじめたんです。ちょっと待てよということで、今度は家畜のエサを測り始めました。そうしたらもう驚く程の放射能が出た。
畜産というシステムの問題点なんですが、母乳は全部牛乳になるので日本で生まれた牛の赤ちゃんは、輸入した脱脂粉乳を与えられて育ちます。子牛たちが食べているものや飲まされているものの中に、放射能に汚染されたものがたくさん入っているわけです。
人間に対しての基準が適応されないものですから、無制限に汚染されたものが入ってくる。調べていくと、日本の商社がヨーロッパやベラルーシ、ウクライナあたりの汚染された安いミルクを買いあさり、飼料として取り扱うルートが分かってきた。そこで我々は、家畜のエサにいろいろな汚染物質が入ってきていることに対しても、阻止線をはることにした。「データを公表する」と、輸入商社と直接交渉し、生活クラブ生協の牧場などで国産飼料で畜産が可能かどうか聞いて回りました。
畜産という機構の中で、個別の農家は自発的にエサを選んだりすることができなくなっています。外国からの輸入食品の場合、間に入っている商社に打撃が行きますが、畜産食品の場合は我々が下手な動きをすると不買運動が起こり、個々の畜産農家にダメージが行ってしまう。それは絶対に避けなくてはいけない。ニュース・ステーションの所沢ダイオキシン報道のような仕方はとてもまずい。構造的な問題であるにも関わらず、地域が特定されて不買が起こるようなことを我々がするわけにはいきません。
そこでまず問題が起こると、その農家に「もう一度あなたのところのエサを測らせてください。実はこういうデータが出たんだけどどうしてだろう。どこからこれを買ってきたのですか」と、ずっと元までたどる作業を半年くらいかけて行います。輸入伝票までたどり、ウクライナから輸入されたロットだというところまで突き止めていく。
それにはいろんな人の協力が必要です。我々に対する信頼感がないと農家の人たちを説得できません。最終的には輸入商社と我々の緊張関係で規制していくんですから。ところがその緊張感も2年ぐらいでゆるむんですね。再び汚染されたものが入ってくる。するとこちらもめげずに同じことをやるわけですよ。
日本の消費者は、牛乳から放射能がでるのか、肉からでるのか聞きたがります。飼育期に一番餌を与えるので、おそらく食品から放射能が出ることはないでしょう。市場に出るのは大部代謝した後です。
我々は食品が汚染されるかどうかで動いているんじゃない。全ての生き物は健康に生きる権利を持っている。全体を環境汚染として捉えなくてはいけません。人間の安全性だけで活動しているわけではないということです。
●次世代への責任も考えよう
――今もチェルノブイリ事故の影響は輸入食品に出ているのでしょうか。
★実は去年から今年の春にかけて、再び大量の汚染ミルクがエサに入りました。いまだにウクライナやベラルーシ、ポーランドあたりの汚染が非常に深刻であることの証です。そのことに対して、いまは輸入チェックのシステムの問題として見るより、むしろいかに一つの原発事故の影響が大きく残るかという問題として受け入れようではないかと考えています。
今日の我々が大地や大気、水を汚染することで、関与しなかった世代の子供たちに多大なつけをもたらしてしまう。そうした時間軸で問題を見ていくことが必要です。
責任の取り方が最も無自覚なケースが、高レベル放射性廃棄物の地下処分でしょう。極端なケースですが、これに類する大小さまざまな問題が将来にわたって被害を及ぼす可能性は十分にあります。我々は現在の被害者であると同時に、時間を超えた将来への加害者にもなるということ。そのことをきちんと押さえておかなくてはいけません。
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ふじた・ゆうこう 慶應義塾大学法学部助教授。専門は物理学。1990年〜93年チェルノブイリ周辺の汚染地域の調査、1999年、ユーゴスラビア・コソボ地域で劣化ウラン弾の調査を行う。著書に『エントロピー』『脱原発のエネルギー計画』ほか。
http://www.bund.org/opinion/1128-4.htm