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バグダッドとバスラで放射能測定
至る所でDU弾汚染が広がっていた
慶應義塾大学助教授 藤田祐幸さんに聞く(上)
2003-11-15
イラク戦争では、91年湾岸戦争時の5倍以上の劣化ウラン(DU)弾が使用されたと言われる。激戦地となったバグダッドやバスラでは、今でもDU弾が散乱したままだ。今年5月、イラクで放射能測定を行ってきた藤田祐幸さんに話を聞いた。
DUは最も厄介な廃棄物
地上戦でもDU弾が使われた
アスファルト・壁に無数の穴
米英の責任で一発残らず回収
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DUは最も厄介な廃棄物
戦車に乗って遊ぶ子ども達
★汚染調査の報告の前に、「劣化ウラン」について少し言わせてください。というのは、私は「劣化ウラン」という言葉に多少こだわりをもっているからです。原子力産業および核兵器産業は、核分裂反応というウラニウム特有の物理的性質を利用して、発電や核爆発を行うものです。そこで使われる核分裂性のウラン235同位体は、自然界から採取した天然ウランには0・7%しか含まれていません。残りの99・3%は核分裂しないウラニウムのため、資源価値のない「劣化ウラン」と呼ばれる。
これはウランに対する差別でしてね(笑)。「劣化ウラン」といっても、原子力産業や核兵器産業にとって資源価値がないというだけのことであり、れっきとしたウランに他ならない。むしろウラニウムという物理的な存在においては「本体」であり、235の方が不純物といえるでしょう。ですから私は「ウラン兵器」とは言いますが、「劣化」という言葉は使いません。
私は20歳頃から物理学者の犯した原罪としての「ヒロシマ・ナガサキ」という問題をずっと抱え込んだまま、学問と社会運動の両方の世界を行き来してきました。物理学者として仕事をするようになってからも、ついに社会運動の世界から戻ることがなかった。おかげで物理学の研究を20年程怠っていますが(笑)。そういうなかで、原子力や核兵器の問題に長年関わってきたわけですが、特に深刻なのが原子力産業や核兵器産業が段階ごとに廃棄物を放出していく問題です。
第一段目はウラン鉱山での廃棄物。ウラニウムはウラン鉱山から掘り出したウラン鉱石から採取しますが、このウラン鉱石の中に含まれているウラニウムは0・6%程度しかありません。残りの99%は「ウラン鉱滓」という形ですべて山に捨てられますが、ここにはウランが残留している。これが最初に発生する放射能問題です。
第二段目は最初に述べた「劣化ウラン」(以下DU=ディプリティッド・ウラニウム)。精錬してきたウランからウラン235を取り除き、残った資源価値のないウランがDUとして大量に廃棄されます。
さらに使用済み核燃料から高レベル廃棄物が生み出されるといった具合に、順を追って廃棄物が周りにどんどん放出されていくのが原子力産業及び核兵器産業のシステムです。そのなかで、DUは一番量も多く、放射能レベルがさほど高くもなく、かといって放射能がないわけでもなく、ということで廃棄物としては最も厄介な部類に属するといっていいでしょう。
地上戦でもDU弾が使われた
――今回、どのような経緯でイラクに行かれたのですか。
★少し遡りますが、私が最初にウラン問題に直面したのは、1985年8月12日御巣鷹山に日航ジャンボ機が墜落したときです。そのときに初めて、ウラン金属が飛行機の部品に使われていることを知りました。ウランの比重は鉛の1・7倍ぐらいで非常に重く、廃棄物であるが故にコストが安いため、ジャンボジェット機の垂直尾翼のカウンターバランス(平衡錘)として丁度いい。JAL123便は相模湾上空で尾翼の3分の2を失っているので、かなりの量のウランが相模湾に落ちたはずです。当初は御巣鷹山に落ちたのではないかと、一時放射能問題で立ち入り禁止になった程でした。
2つ目が、いわゆる湾岸戦争のときです。私は「第一次イラク侵略戦争」と呼んでいますが、その時にDU弾が大量に使用されていることを知り、これは大変だと思った。その後ボスニア・ヘルツェゴビナやコソボでも使用されたことがわかり、1999年の攻撃から4週間後、テレビ局の取材チームと一緒にコソボに行きました。そういう縁があって、今回のイラク攻撃に対してもなるべく生々しい、証拠隠滅されない現場を押さえたいという気持ちから、再びテレビ局の取材チームに同行して5月19日からイラクを訪れることにしたのです。
バグダッドは日本からいくと片道3日かかり、大変遠いところです。アンマンまで行き、そこから車で1000キロ砂漠を走る。これは決して安全なルートではないので、非常に緊張しました。アンマンで情報収集したとき、バスラ行きは無理だろうと言われたのですが、バグダッドで「バスラまで入った車があるぞ」と聞いて、「それなら行けるかもしれない」ということで、結局2週間かけてバグダッドとバスラで放射能測定を行いました。
――調査の結果はどうでしたか。
★事前に建物攻撃に使われた形跡があるという情報を得てましたので、バグダッドに着いたらさっそく建物を調べました。バグダッドの中心部にある計画省にいくと、壁にはボコボコ穴が空いており、庭にはおびただしい数のDU弾が散乱している。建物の前の道路にも落ちていて、子供なんかが拾ったりすると非常に危険な状態です。
その後戦車に対する攻撃の痕跡を求めて、バグダッド及びバスラ周辺の激戦地に行くと汚染された戦車が何台か放置されていた。被弾した戦車を調査したところ、7〜8センチの鉄板をバターナイフで水平に切り裂いたような弾痕がある。これは上から航空機で撃ったのではなく、陸軍が戦車砲で撃った証拠です。しかもバスラですから、アメリカ軍だけでなくイギリス軍もDU弾を使用したことになります。
周知のとおり、DU弾はウラン金属の持っている物理的性質を極めて巧妙に利用した対戦車用の兵器です。戦車の装甲板は10センチ弱のかなり厚い鉄板で出来ている。そういうものを打ち抜く力を持った砲弾としては、硬くて重いウラン金属は大変性能がいい。衝突した瞬間に戦車の装甲板を突き破り、突き破ると同時に発火して3000度ぐらいの高温で燃える。貫通する瞬間から燃え始めて、中に入って火の玉になるので、中の兵士は瞬時にして炭になってしまう。アルジャジーラが作成したドキュメントにも炭化した兵士の写真が出てきます。
しかもDU弾は、爆発と同時にミクロン・オーダーの細かい粒子となって大気中に飛び散ります。飛び散ったウランは軽いので、風に乗っていつまでも地面に落ちないまま周辺の大気を汚染していく。それを吸い込むと、肺の中に沈着して放射能を出し続けるわけです。第一次イラク侵略の時には対戦車用攻撃機A10に搭載され、コソボ戦争の時も対戦車砲として使われました。
バスラでは被弾した戦車のすぐ近くに製氷工場があり、そこの工場長が「ちょっとうちに来てくれ」と言うので行ってみると、DU弾の流れ玉が撃ち込まれていました。工場の屋根とその下にある氷を作るプールの鉄板に貫通した穴が開いている。チェックしてみると、製氷工場全体が激しく汚染されているんですね。
アスファルト・壁に無数の穴
――今回の戦争で使用されたDU弾は2000トンとも言われています。
★はっきりとはわかりません。ただ第一次イラク戦争に比べ、圧倒的に大量のDU弾が使用されたのは確かです。それを象徴するように、戦車周辺のアスファルト道路には無数と言っていいほどのDU弾の穴が空いていました。そこに検知器を持っていくと放射能で汚染されているのがはっきり分かる。ローレン・モレさんによると、A10は1分間に2800発撃ち、そのうち戦車に当たるのはたったの1発か2発。残りの二千何百発は周辺の地面に突き刺さるわけです。
ところが地面は鉄板と比べると大変軟らかい。バグダッドの計画省ビルもそうですが、コンクリートの壁もDU弾から見れば紙みたいなもんです。発火しないままスポンスポン突き抜けていく。地面の場合は金属の形のまま地中に埋まる。バスラのアスファルト道路の周りは砂漠です。道路ならまだ痕跡が残りますが、砂漠ではどこに突き刺さったのかもさっぱりわからない。砂漠の下にも無数のDU弾が埋まっているはずです。
以前攻撃が終わってから1年後にコソボを訪れたとき、丁度セルビア軍がDU弾を掘り出していたので現場を見せて貰ったことがあります。1メートル半ぐらい掘るとDU弾が一発出てくる。金属ウランの固まりであるDU弾は水溶性なので腐食して周りの土壌を汚染します。そのまま放置しておけば、激しい水質汚染が引き起こされるのは間違いありません。
今回の戦争でもう一つ問題なのは、バンカーバスターと呼ばれる貫通型爆弾です。この弾頭部にウラン金属が使われているらしいという情報を得ていたので、バンカーバスターのクレーターを探し歩きました。バグダッド市内で直径20メートルもあるクレーターが5箇所ほどあったので測ってみると、底のほうで環境放射能の1・7倍程度の放射能が検出されました。
米英の責任で一発残らず回収
★こうしてDU汚染が至るところで広がっていることがわかったわけですが、問題は3つに分けられます。
一つは、ウラン金属そのものです。純粋100%のウラニウムは天然には存在しないため、普通大学や研究所で扱う時には厳重に管理します。そういうウラン金属がごろごろ転がっている。この場合はまだ金属のままなので汚染は始まっていません。ですから今のうちに回収することは十分可能です。
私たちも計画省の周辺で発見したウラン弾を全部バケツにいれて、アメリカ軍に「厳重に管理せよ」と渡してきました。そうしたら「お前らこんな危険なもの、どこから持ってきたんだ」と一人の米兵が言います。「計画省ビルの周辺に転がっていたものを集めてきただけだ。この建物が汚染されているのを君は知らないのか」と問いつめたら、「知らない」とこたえるんです。驚きました。
2つ目は、地中に埋まった弾です。地面に撃ち込まれたものは時間とともに水溶性ウランに変わって生態系に影響を与えます。これに対する予防的な措置としては、まずイギリス軍およびアメリカ軍がどの地域にどれだけのウラン弾を使用したのかを公表することです。その地域については、深さ2メートルまで全部掘り起こし、一発残らずDU弾を回収すること。これは次世代に対する我々の責任です。
3つ目は戦車に当たりミスト化して大気中に拡散したものです。これについては残念ながらなんの対処のしようもありません。
――イラク駐留の米兵の間で、肺炎や皮膚疾患などが流行しているそうですが。
★おそらく急性の放射線障害でしょう。戦闘機の中にも兵站基地の倉庫にも、DU弾がトン・オーダーで詰まっている。近くに行けば被曝しますから、急性障害が出ても全然不思議ではない。それより問題なのは、なんといっても長期的な被曝で、一番の犠牲者がそこに住む子ども達だということです。私がバスラの母子病院で出会った子供たちは4、5歳、あるいはそれより小さい乳幼児や胎児たちです。12年前にDU弾がまき散らされ、4、5年後に生まれた子供に重篤な被害が出ている。世代を越えて被害を与える兵器は本来禁止されているはずなのに、今回の戦争でも大量に使われてしまった。
現場に行った人間として言いますが、アメリカ軍は解放軍ではなくて占領軍です。丁度私が行っているころ、1ヶ月間でアメリカ人が50人殺されたと大騒ぎしていましたが、イラクの市民は毎日50人殺されている。それに対し占領軍に対する抵抗運動が起きる。そこにアメリカの要請で自衛隊が行くのは、抵抗するイラク市民を標的とした軍隊として活動することにしかならない。その彼らの健康障害について心配する気はあまりありませんね。
それよりはイラク市民の被害をもっと深刻に考えたい。自衛隊員だってテレビを見て、イラクにDU弾が落ちていることぐらい知っているでしょう。私をはじめ、多くのジャーナリストが放射能汚染を報告し、派兵をやめるよう訴えている。その上でなお志願兵である自衛隊の兵士がイラクに行くというのであれば、それ以上何もいうことはない。殺す側と殺される側の二つの立場があった場合、殺される側の立場に立つのは当然でしょう。
これはもう原子力産業全般にいえることですが、われわれ20世紀人は100年後、1000年後、1万年後にこの地球で生きていこうとするものたちに多大な加害性を持ってしまった。それに対して、100年後、1000年後の住人は異議申し立ての権利を持っていない。時間軸におけるデモクラシーに対応できないこと、これがウランを使った技術体系の本質です。
アメリカ先住民のホピの人たちは、自分達が今享受している自然は7世代後の子孫から借りた自然なんだと言います。その借りた自然を子孫に返すと。しかし我々は収奪するばかりで、その犠牲を子孫に押し付けようとしている。ウラン問題はその最たるものだと思います。
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ふじた・ゆうこう 慶應義塾大学法学部助教授。専門は物理学。1990年〜93年チェルノブイリ周辺の汚染地域の調査、1999年、ユーゴスラビア・コソボ地域で劣化ウラン弾の調査を行う。著書に『エントロピー』『脱原発のエネルギー計画』ほか。
http://www.bund.org/opinion/1127-4.htm