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(回答先: 改めて質問いたします。 投稿者 シジミ 日時 2003 年 10 月 31 日 05:34:49)
>私が始めて「金日成偽者説」に接しましたのは、5年以上前のことと記憶します。ソースは明確ではありませんが、新左翼系のサイトではなかったかと思います。その後も複数の雑誌等で同様の議論に出会い、「偽者説」は定説化しているのだろうと判断していました。
共産党にも萩原遼という右翼がいるように、新左翼系の出版物にも同様のトンデモ記事が見られます。
>− スターリンは抗日ゲリラ闘争を行なっていた本名・金成柱という人物を戦後にピョンヤンに送り込んだ。金成柱は革命家として相応しい“金日成”という名前を使用していた。彼は政権についた後、自らを神格化するため彼の指揮した戦闘をもとに“伝説の英雄・金日成”という物語を作り上げて、国内に流布した。
金日成が改名していることは本人も認めていたはずです。
金成柱が金一星と改名し、さらに金日成と改名した(一星と日成は発音は同じ)ということになっていました。それを否定する史料はありません。
金日成部隊は敗走してソ連領内に逃げ込みました。ソ連領内にとどまっていて、ソ連共産党から教育・訓練を受けたことは事実ですが、祖国が解放されたら帰るのは当たり前であり、「送り込まれた」というのは変でしょう。「送り込まれる」というのは外国に送られた場合に使う表現で、金日成は祖国に帰ったのです。
金日成は政権に就いた後、特に60年代後半から甚だしく神格化されるようになります。1974年に金正日への後継が決定されると、金正日は白頭山密営で生まれたことになり、当時は金日成はそこで指揮を執っていたことになりました。このあたりは捏造史といえるでしょう。しかしポチョンボ戦闘などを金日成が指揮したことは韓国でも認められている明白な史実で、捏造ではありません。
金日成は晩年には、誇大化した神話を多少縮小しようと努めたようです。『金日成回顧録』では意識的に事実に近い叙述を行っています。
金日成の没後、金正日総書記の元で神話はさらに縮小され、金日成が解放後に元山港に帰国したことなども認められています。