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改憲論議「普通の国家」への道 文人正【BUND-WebSite】
http://www.bund.org/opinion/1130-4.htm
2003-12-15
11月総選挙では社民党・共産党が議席を大きく減らし、護憲勢力後退を刻印づけた。衆参両院議員へのアンケートでは、いまや71%が憲法改定が必要と答えている。改憲論の高まりで日本はどこへ向かおうとしているのか。湾岸戦争時の小沢一郎とYKKの対立はどうなったのか。検証してみよう。
1 湾岸戦争時の自民党対立小沢の普通の国家論
2 国連軍掲げる小沢改憲論 ブッシュにNOを言えるか
3 山崎改憲私案は日米集団的自衛権
■9条を変えた場合■
小沢:国連待機部隊 山崎:日米同盟軍 加藤 :現行法で?
1 湾岸戦争時の自民党対立小沢の普通の国家論
2005年に改憲草案を提出すると選挙マニフェストに掲げた自民党は、選挙後すぐに具体的準備に入った。2000年衆参両院に憲法調査委員会を設置させた自民党は、改憲論者小泉首相の下、準備を着々と進めていたのだ。党憲法調査会特別顧問に今回落選した山崎拓元幹事長を起用。彼の私案を軸に草案とりまとめを急いでいる。党是として「自主憲法制定」を掲げる自民党だが、現在とはちがい50年代〜90年代半ばまで改憲の主張を後景化させていた。社共など護憲勢力の力が強く、改憲に必要な3分の2議席獲得などおぼつかない情勢だったからだ。いま自民党が改憲に本格的に乗り出す理由の一つは、2003年総選挙で社共護憲勢力の力が決定的に弱まり、自民党にとって最大の「チャンス到来」になったからである。
それというのも日米同盟強化のためには憲法第9条などの制約を取り払えとするアメリカの圧力が強まっているからだ。
ここに至る経緯については、90年代初頭湾岸戦争をきっかけに生じた小沢一郎とYKK(山崎拓、加藤紘一、小泉純一郎)の路線対立、アメリカの政策転換を見る必要がある。冷戦終結が自衛隊国軍化をうながしている事情があるのだ。
いまは山崎・小泉と小沢の双方が競い合って改憲を唱えている。90年代初頭の日本では、自民党内に厳しい憲法論争が生じていた。イラクに対する多国籍軍参加をアメリカは日本に求め、小沢は日本が「普通の国家」たるべく積極的に応じ、派兵すべきと主張した。これに対してYKKは、日本が長いこと国是としてきた平和主義を守るべきだ、憲法9条で禁じた武力行使はすべきでないと反論した。つまりそのときは小泉と山崎は、小沢に反対して派兵に異をとなえていたのである。
あたかもそれは旧田中派が吉田ドクトリンを否定し、戦争国家化しようとするのに対し、YKKが保守本流の道を守ろうとしてるかのような対立だった。それで自民党の多数はYKKの主張を支持した。小沢は離党、新生党――新進党結成に突き進んだのは知ってのとおりだ。
こうした対立が生まれた根拠は何か。当時アメリカでは冷戦後の世界戦略をめぐり、軍事外交的に日本を積極活用する方針(共和党)と、日本の独自武装は阻止して対米従属下で経済的要求を強めようとする方針(民主党)が混在していた。第二の経済大国としてアメリカの地位を脅かしていた日本を、派兵要求によって疲弊させよという主張と、日本の軍事的自立はアメリカに対してかえって脅威を高めるとの主張の対立ともそれはいえる。YKKと小沢の対立は、こうしたアメリカの戦略的な意見対立を日本的に反映するものだったのだ。共和党の主張と小沢はカミ合い、YKKは民主党とカミ合う形になっていたといえる。
そこで小沢は軍事行動を積極的に担うことで、アメリカに対しても「NOと言える日本」をめざしていた。小沢改憲論は対米自立・独自武装の志向が強いものだ。これに対してYKKは、吉田ドクトリン以来の経済主義=軽武装・対米従属下での経済的繁栄路線を守ろうと主張したことになる。
だが根本的には、どちらの路線も、アメリカの顔色をうかがい、対日バッシングに備える点では共通していた。小沢がアメリカからの軍事的自立を図ることに対し、YKKの側はより対米依存を純化し、アメリカに危険視される軍事的突出を避ける腰巾着路線だったのであるから。
この対立ののち、最終的に自民党は94年、護憲勢力の社会党を取り込んで村山政権を発足させた。55年体制の根幹にあった軽武装・対米従属路線をあくまで維持することで、アジア諸国の警戒感を刺激せず、経済的繁栄を謳歌しようとの吉田ドクトリンの道を守ったのだ。別の言い方をすれば、それはアメリカの派兵圧力を拒否した方が、経済的に儲かるとの判断が大勢を占めたのである。そしてこの路線は、結局は一度アメリカが戦争を決めたなら、これを正しいとどこまでも追従していく道ともつながっていた。
クリントン時代の対ユーゴ戦争やアフガン・スーダン空爆への日本の協力をはじめ、いくつもの戦争が起こされるたびに、日本は支持、対米追随主義を繰り返しつづけた。この繰り返しのあと、YKKも分裂する。あくまでも戦争はしない非戦対米自立を純化する加藤紘一と、自主憲法設定をアメリカに追随する戦争のための9条改定にスリ替えてしまう小泉・山崎への分岐である。今、2003年総選挙で復活した加藤は迷いからさめたように自衛隊イラク派遣に反対している。
2 国連軍掲げる小沢改憲論 ブッシュにNOを言えるか
さて、YKKと袂を分かった小沢一郎である。小沢自由党は2003年11月、電撃的に民主党と合流した。湾岸戦争時の小沢の「普通の国家論」はひっさげたままである。小沢は今社共の護憲主義とは違うスタンスで、小泉の対米戦争協力に異を唱えている。小沢は自由党時代に、イラク戦争支持を表明した小泉を「国際道理にもとる」と批判。民主党合流後はイラク政策見直しのマニフェストを菅直人とともに打ち出し、自衛隊派兵中止の論陣を張っている。
湾岸戦争の時には自民党内で最も強硬に海外派兵を唱えた小沢が、では何故今イラク戦争では派兵反対なのか。それは彼の提唱する「国連中心主義」によるものだ。「現在のイラク占領は国連のお墨付きをえていない。だから違法だ」が小沢の論点だ。国連決議に基づくPKO部隊設置が決まれば、その場合には日本は戦闘地域にも自衛隊を送り、軍事活動も積極的に担えというのが小沢の主張になるのである。
こうした主張は、現在解釈改憲を積み重ねて対米戦争協力を続けるYKに比べて、はるかに「論理的」だ。だがそれがなし崩し的な対米追随への歯止めとなるかはわからない。小泉首相は「どこが戦闘地域かなんて誰にもわかるわけないでしょう」といいつつ、派兵を強行しようとしている。戦争の大義や国際法などいっさいお構いなしに、ただアメリカが戦争を始めたから協力するのは当たり前と小泉や山崎は思っているわけだ。
これに対しこと現在のイラク戦争への対応では、小沢の掲げる国連中心主義の方が、世界的なイラク反戦の世論に合致しているのである。
日本が「普通の国家」であるためには、戦争の是非を含めた独自の価値判断が必要だと小沢は言う。彼は99年、『文藝春秋』9月号に「日本国憲法改正試案」を寄せた。そこでは湾岸戦争以来積極的な海外派兵を主張してきたが、憲法第9条を変えて自衛隊を国連活動部隊に再編する最終目標を示した。
試案の中で小沢は、憲法の基本精神は@平和主義、A基本的人権の尊重、B主権在民、C国際協調主義だとする彼の解釈を述べている。平和主義、基本的人権、主権在民には第1条や第25条などの対応した条文があるが、Cの国際協調主義は前文に謳われているだけで、条文に掲げない限り形骸化してしまう。国際社会と協調して平和のために血を流す―。日本が国連に加盟している以上は国連の求める軍事活動に参加するのは当然なのに、自衛隊派兵のための条文がないのは不備である、と言うのだ。その場合小沢は憲法9条をまったく無視して血を流せと言っているわけではないのは知っておく必要がある。擁護などといってるわけではないのは知ってのとおりだ。
湾岸戦争の時に小沢は「一国平和主義批判(=日本が戦争当事者になるかどうかではなく、武力行使も含めた紛争解決に何ができるかから考える)」を主張した。99年の改憲試案でそれは、憲法の基本原理にまで高められるべきだとされている。小沢改憲論の基本は、こうした憲法解釈に基づく新たな条文を付け加えるべきだというものなのだ。
具体的な文言で言おう。次のような改憲案を小沢は述べる。憲法第9条の「戦争放棄」と「戦力保持」を禁じた9条第2項は変えず、自衛権保持を定めた第3項を付け加える。「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。A前項の目的を達成するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。B前二項の規定は、第三国の武力攻撃に対する日本国の自衛権の行使とそのための戦力の保持を妨げるものではない」。これだけではない。
さらに「国際貢献」のため次の条文を新設せよと小沢は主張するのだ。「日本国民は、平和に対する脅威、破壊及び侵略行為から、国際の平和と安全の維持、回復のため国際社会の平和活動に率先して参加し、兵力の提供をふくむあらゆる手段を通じ、世界平和のために積極的に貢献しなければならない」。こうした原則で自衛隊を出せば、近隣諸国が懸念する日本の軍事的拡大のそしりは受けず、日本のプレゼンス拡大になる。これが小沢の主張だ。
誰が見ても一目瞭然のギマンを小沢私案は持っている。「陸海空軍を持たない」のに、「自衛権行使のための戦力は持つ」というトリックのような文言である。第2項で禁じられた「陸海空軍その他の戦力」と、第3項でいう「自衛権行使のための戦力」を、誰がどういう基準で区別できるのか。
「国権の発動」のための戦争とは違う「自衛権の行使のための戦争」は防衛戦争の謂いだろうが、それと国連軍としてなら良いというのはどこで結びつくのか。小沢はこれを自衛隊と国連待機部隊の違いとも言っている。このような小沢の詭弁のような文言には、かっての吉田茂の言葉を想起してしまう。
吉田茂は国会答弁で自衛戦争の是非を問われ、「歴史上あらゆる戦争が自衛権の行使として正当化されたのだから、自衛戦争も禁じられている」と答えた。この吉田国会答弁に小沢改憲私案はどう答えるというのだろうか。
3 山崎改憲私案は日米集団的自衛権
それでは国連重視をうちだす小沢私案に対し、かって保守本流の立場にたっていた(加藤紘一をイデオローグとしていた)YKKは、いかなる内容で分岐したのか。2000年の腰抜け加藤の乱のあと、議員辞職に至る加藤を見限った山崎拓が、2001年5月おのれの立場として発表したのが山崎改憲私案である。そこでは山崎は小沢をにらみつつ、おのれ独自の立場として「自衛のため、および国際安全保障のため、陸海空、その他の軍事力を持つことを明記する」とふみこんだ。しかも山崎はその補足説明として「集団的自衛権も認められることになります」「日本は、アジア太平洋地域の平和と安全のために、国連や米国との強調のもとで、集団的自衛権を行使する具体的なケースについて明確なドクトリンを周辺諸君に発信することが重要なのです」と、今までのタブーにふれることを言い出したのだ。ドクトリンというのがPNACのそれとほとんど同じ内容なのは、YKのイラク戦争での対米協力をみれば明らかだ。山崎はネオコンになったのである。今まさに小泉がやっていること、米英軍によるイラク占領への加担、それを明文化せよというのが山崎私案なのだ。それに対し議員に舞い戻った加藤紘一は自衛隊のイラク派兵反対を繰り返し明言している。YKKはかく分岐したのだ。
お話かわって、小泉政権による対米イラク戦争支援に対し、社共両党は「憲法第9条の危機」と位置づけて選挙戦を戦った。結果はどちらも惨敗に終わり、社民党の土井党首は引責辞任を余儀なくされた。後任の福島瑞穂は「9条の価値を認める人は世界に大勢いるから訴え続ける」と言っているが、今までみてきた現実論議にくらべると、それはあまりに空々しい。改憲論者の小泉首相は、「国民的常識で見れば自衛隊は誰が見ても戦力。憲法におかしいところはたくさんあるでしょう」と今やひらき直っている。「9条の理想を世界へ」と言い続ける社共こそが、現実感覚を喪失しているのである。何故なら小泉政権の対米追随や山崎プランに異論があろうとも、9条の理念と現実があまりにかけ離れていることが問題なのは確かだからだ。
護憲政党は、次の問いかけを意図的にしまいこんでいる。憲法第9条は一度も変えられていない。ならばそのことで、日本が再軍備したりアメリカの戦争に加担するのを止めることはできたのか。答えは誰がどう見ても「できなかった」だ。つまり「改憲阻止」のスローガンにしがみつくことは、対米戦争加担や日本の軍事大国化に対するリアルな反対の道ではもはやないのである。それは理念ばかりをお題目化させて、現実は関係なしとする立場になってしまう。それでは仕方ないのだ。
だから今積極的に改憲・創憲を論じねばならない。こう社共に聞こう。天皇制護持の憲法第一条も護憲なのか社共はと。共和制をめざそうとするなら、道は改憲にしかないのは余りに明白だからだ。