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(回答先: 選挙のこと 投稿者 Q太郎 日時 2003 年 10 月 29 日 12:40:25)
Q太郎さん、はじめまして
エンセンさんも書かれていましたが、Q太郎さんの書かれていたことは
私にもとてもためになりました。ありがとうございます。
自分の中にある、選挙システムの現状に対する違和感が、おかげで
随分はっきりしてきました。
>私個人の選挙に対する不信感の理由は、
「多数決で決まったものしか通らない」というのが
なぜか「民主主義」とイコールになっている感覚があるからだと思っています。
やはりここがどうしても引っかかってしまいます。
しかし、では民主主義とは何かと、問われても、明確な回答ができ
ない程度の知識しかないので、あまり偉そうな事は言えませんが。
マジョリティが、その時点でほとんど一方的に与えられている情報で
下した判断で、その後のマイノリティのあり方をも決めてしまうよ
うな事態が、民主主義というものなのだろうかという違和感がどう
してもあるので、自分は選挙というものに関心はあっても積極的に
なれないのだと思いました。
(勉強不足のため、一部分に対してだけのコメントになることをお
許しください)
>ちなみに思っているほど「小泉改革」宣伝がうまくいっているとは単純に思いません。
というのは、ある世代から下の年齢層は、
メディアがどんな風に発信者側にとって「都合よく」使われて
いるのかというのを生まれてからこのかた肌で感じているからです。
もちろん、操作の仕方も知っていますから、穴もわかっているはずです。
私も同じように感じています。
メディアの作られ方を、それが顕著に出るマスメディアを通して、
知らず知らずに小さい頃から身につけている人達が世代的にも多く
なってきたのだと感じていて、それが投票率の低さという形でもあ
らわれているのではないかと思っています。
>問題はこれらの情報の渦になれていない、選挙権のある年上の世代かなとも思いますが
でも「痛みに耐えてもらいたい」と言われ続けてきて、
痛みだけしか残らなかったら、これって何だと感じ始めている人もいると思うのですが。
情報の渦になれれば、なれるほど、どの党も結局はマジョリティを
形成しようとしていると思えてしまうのです。
人の考えや生活は、ひと括りにできる程度のものではないのに、一
律に痛みを強い続ければ、痛みだけしか残らない人はどんどん増え
ていくと思いますので、哀しいことですが、そこに変化の希望を感
じている今日この頃です。
>少数で「異論」のように感じられる意見であってもそれを包含していくだけの
足腰がついていかない限りは、この「多数決民主主義」の勘違いは永遠に終わりません。
そして、理不尽な立場に追い込まれている人が立法をして権利を得る機会もありません。
多数決民主主義・・・ホント、その言葉がぴったりに思えます。
そして更に、政党の意思決定のシステムが「多数決民主主義」以下で
あることを思うと、それを受け入れている人達に一票を投じることに
対する違和感がどんどん増してくるのです。