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−石原慎太郎、議員辞職の真相について−
オウム・クーデター、成功の暁には、石原内閣誕生?
石原氏がなぜ国会議員のバッジをはずしたのか?
何故、慎太郎氏のテンションは朝鮮問題になると異常に高まるのであろうか?
以下がその要点の抜粋です。
麻原が瞑想していた座の後ろにあった曼荼羅は、石原慎太郎の四男で画家の延啓
(ひろたか)の作である。
そしてオウムの宗教法人認可には、石原の尽力があった。
オウムが一刻を争い、宗教法人の認可にこだわっていたのは紛れもない事実です。
宗教法人の資格があるからこそ、サティアン内部に警察や県も調査にはいれ
なかったわけです。 ここが戸塚ヨットスクールのような民間との違いです。
彼らは北朝鮮の工作員から徹底したクーデターのノウハウを学び、実際に多くの
若者を拉致し、軍事訓練を行い、その準備を進めていました。何とそのクーデター
成功の暁には石原慎太郎氏を首相に想定していたとの元オウム官房長氏の
爆弾暴露証言までついています。
オウムは、日本をひっくり返すクーデターを企てていたが、その際に石原を首相に担ぎ出そうという計画もあった。オウムとの件を公にしないことを条件に石原は検察当局と取引し、議員を辞職した。
検察当局との「司法取引」(=裏取引)により、公職即ち国会議員を辞職することで、この話は公表されずに闇に葬り去られたのです。
石原慎太郎は、警察によるオウム教施設の手入れの開始から数週間後に議員を辞職した。
『ハマコーの非常事態宣言』(浜田幸一著)で、“石原はオウム教に莫大な寄付をしていた”と名指しで非難されている。
ハマコーが最初に石原とオウムの関係を喋ったのは、オウム事件の真っ只中の時で、石原は、あわてて任期途中で議員を辞めている。
また、霊友会の熱心な信者である石原が、霊友会とは兄弟関係にある統一教会(韓国の新興宗教)とのつがなりが深いのは常識。