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(回答先: [アジアの街角から]様【日本政府が米国に迎合すればするほど, 人種差別的な妄言を欲望する具体例/汚職の連鎖】 投稿者 なるほど 日時 2004 年 2 月 09 日 02:43:18)
怒りの方法 ピエール 電気的手紙 2004/06/11 06:22
新投稿
皆さん、こんにちは。
岩波新書から、辛淑玉さんの『怒りの方法』が出版されました。マイノリティーである在日コレエンヌの立場から、「踏みにじられる者の怒りの表現方法」について論じたものですが、日本社会の矛盾や「日本人」の行動様式を批判的に再検討するうえでも大変参考になる内容になっています。
第1章「怒っている私、怒れるようになった私」では、日常の仕事や生活の中で「怒り」を感じる具体例が、小気味良いテンポで紹介されます。しかし、怒りを表明しても「孤立」しない。少なくとも「孤立感」に苛まれることはない。それは、辛さんが「何かに依存して、それが崩れて、動揺したり面食らったという経験は、私にはない」からであり、「自分をよりどころに生きてきた結果、ぶれなかったと言えるだろう」と自己分析しています。そこから導き出されるのは、「個人で生き抜いている者はぶれない」という視点です。
そして、第2章「人間にとって『怒り』とは何か」で、より深く「怒り」について掘り下げています。辛さんによると、「怒り」は大きく5つにパターン分けできるそうです。
(1)「噴火型」=怒りを感じた瞬間から攻撃的になる。多くは短時間で収まるが、中には爆発を機に相手の失点・弱点を徹底的に追及することもある。大島渚や野坂昭如はすぐに収まるが、収まらないのが西尾幹二。
(2)「イヤミ型」=その場では反応せずに、まったく関係のない時に、ぐさっと胸に突き刺さるようなことを言う。大嫌いな中国との国交正常化を成し遂げた政治家の娘である田中真紀子に対し、「ヒステリック、劣勢遺伝」と言った石原慎太郎が典型。
(3)「放火型」=自分では怒りを表現せずに、周りを焚きつけて怒らせる。国旗国歌法案で、「こんなにひどいです」と手紙を寄こしながら、他者に「行動を起こしてくれ」というパターン。
(4)「玄関マット型」=踏まれても踏まれてもじっと我慢して怒りを表に表さない。「そのうちわかるでしょ」と自分に言い聞かせて怒りをなかったことにしてしまう。一見、「大人の対応」に見えるが、これが一番の問題。自分でも知らないうちに怒りが蓄積してある日突然爆発する。
そして、
(5)「問題解決型」=怒りの素を見つけ、すばやく対処するパターンで、「キレル」とどう違うか考えるとわかりやすい。「怒る」は言葉で自分の感情を表現すること。「キレル」は表現する言葉を失ったときの状態。
辛さんは言います。「怒るは、人間性の発露であり、関係修復のためのものであるのに対し、キレルは、人と人とのかかわりを止めること、もっと言えば、人間をやめることなのである」
そう、「怒り」こそ、人間を人間らしく生きさせるエネルギーなのです。でも、「怒り」を感じるにも、ある程度の「条件」が必要なようです。それは「過去の成功体験(自分が肯定された経験)→自信→怒り」で、大切なのは【失敗も成功も含めて】他者から肯定された経験が怒るうえで必要といいます。
私がこの本を読んで共感した部分の一つは、「怒りを封じ込めようとする人たち」です。自分が不愉快であると表現するたびに、なぜか止めに入る人たち。こういう人たちとどう付き合い、どう打ち破っていくかも、「健康に怒る」うえでの前提となるでしょう。「まあまあ、ここはひとつ大人になって……」「そんなこと言ったって……」「感情的だ、ヒステリーか?」などなど。「傍から見ると、怒っている人間が問題で、それをなだめようとする人が人間的にできた人、またはいい人と解釈されがちだ」。なぜなら、「『怒り』は嫌われものだから」。喜怒哀楽の中で、喜びと楽しみは人々を幸せにするし、哀しみは心のひだである。しかし、「怒り」となると、ランクが下がる。それは、感情の中でも特に劣ったものとされている。しかし、辛さんは「『怒り』こそが、人間性回復のために最も必要な感情であると確信」しています。私もそう思います。理不尽なものに対する「怒り」を押し殺し、「無抵抗」を通したものが、いかに無意味に、そしていかに愚かに滅ぼされていくか、歴史が証明しているからです。
ちょっと古くなりますが、昨年の5月3日の憲法記念日に辛さんの講演を聞きました。本の内容と重複する部分もありますが、皆さんに紹介してみたいと思います。
「憲法を守れ」というが、私は「憲法によって自分が守られた」という実感がないんですね。私たち在日は常に「犯罪者予備軍」として扱われている。(石原慎太郎が都知事になって)特にこの3年、それを感じますね。教育機関にも講師として招かれることがあります。でも、何故か男子校では質問の手がなかなか上がらない。声を出すことを知らずに抑制されているんですね。でも、何とか質問が出てくるのですが、一番多いのが「日本が好きですか?」という質問。男ばかりの男子校、しかも偏差値の高い進学校。そこに「外国人の女」が来ちゃった。ちょっと意地悪してやろうという魂胆は見え見えなのですが、これは私たち在日にとっては「踏み絵」なんですね。大人が「いじめ」と闘っている姿を見たことがないから、大人を「試す」んですね。そこで、「じゃあ、貴方の言う『日本』とは何ですか?」と逆に聞き返してみる。これで教室の70%がくたばりますね。「日本」などという抽象的でボヤーッとしたものに惑わされている。それでも、「女にバカにされる」のは悔しいのでしょう、今度はこんな質問。「では、日本【人】は好きですか?」。またまた聞き返す。「貴方の言う『日本人』に、アイヌは入っていますか?ハンデという個性を持った人は入っていますか?沖縄の人は?セクシャル・マイノリティーは?高齢者は入っていますか?」。これで間違いなく、100%くたばりますね。
それでも、よっぽど悔しいのでしょう。話が終わっても、控え室までやって来る。それでいろんなことを質問してくる。普段、「言葉」を奪われているから、何も言えないのだけど、私の話がショックだったのか、一気に聞いてくる。理不尽なことをされてもじっと黙って耐えるという「男らしさ」の文化の中で育ったせいだろう。彼らこそ可哀想なのだ。一番直截的な問いは、「日本と韓国が戦争したら、どちらの側につくのか?」。いま、何故か「戦争」の話題になる。「戦争」の「空気」のようなものを彼らなりに嗅いでいるのだろうか。逆に聞き返す。「私はどっちにつくと思うの?」。すると、7割が「韓国」、2割が「日本」、そして1割が「わからない」。男の子は、「国民国家」という枠組みの中で考えるせいか、人間を「どちらの国か」という観点でスパーッと2つに切り分けて考えるんですね。そこで、こう答えることにしている。「もし戦争になったら、一番最初に殺されるのが私です」。なぜなら、「人殺し」に反対する者を殺してから始まるのが戦争だからだ。1時間でも、自分のおじいちゃんにその青春について話を聞いたことがない。戦争で何が起こったか、日本が何をしたか、全然わかっていない。勉強が得意なはずの進学校でさえこの程度なのだから、日本の歴史教育全体のレベルなんて、推して知るべしでしょう。
(司会者「憲法が歴史的なコンテクストの中で認識されていないんですね。第二次大戦も『遠い昔』です。そういう人たちと憲法を考えていかなければならない」)
2001年9月11日。アメリカ同時テロの日。多くの人が「映画を観ているようだ」と言いましたね。私は1機目は「事故」だと思った。2機目が突入して「テロ」だと思った。そして、「これが北朝鮮の仕業なら、明日から町を歩けない」と思った。犯行が「イスラム過激派」によるものだとわかったとき、正直「よかった」と思った。だって、北朝鮮は「38度線」を境に連合国(ママ)と「休戦」している状態ですからね。でも、「町を歩けない」という心配は、2002年9月17日以降、現実のものとなった。金正日が北朝鮮による日本人拉致を認めたのだ。それから1カ月の間に在日に加えられた暴行・イヤガラセは319件に上った。「テポドン」の時でさえ58件だった。その加害者の3割が高校生だった。東北に住む在日のおばあちゃんは、一週間家の外に出なかった。過去の恐怖があるからです。それから連日テレビで拉致を流すので、恐ろしくて家にもいられずに外を徘徊するようになった。大阪で朝鮮人を中傷する文書がばら撒かれた。警察など公的機関から個人情報が流されたとしか思えない。朝鮮学校と日本の学生とのサッカーの試合では、日本側応援団から「ラッチ(拉致)、ラッチ」という合唱が聞かれた。日本に帰化した朝鮮人ボクサーの講演は中止に追い込まれた。大学生に「強制連行があったと言うなら、その証拠を見せろ」と言われた。こういうレベルの人と話をするのは、ものすごいエネルギーが要るんですね。これはかつてないこと。無知と差別によって攻撃されている。
日朝会談を見たが、両国は「双子の国」に見えた。日本は戦後、「民主主義」を標榜したが、出来上がったのは「世襲の国」だった。つまり、天皇制が残ったのです。これって、北朝鮮と同じですね。その世襲制からくる無力感が今の日本社会を覆っている。日本国憲法は日本人には「もったいない」ものです。
日本人は「朝鮮人は日本人を憎んでいる」という前提に立っているんですね。様々な暴言の中で、「植民地支配時代に朝鮮人を全部殺しておけば、こういうことにはならなかった」というのがあります。「こういうこと」とは、戦後補償、植民地支配の責任追及問題を言うのでしょう。一応「後ろめたさ」は感じているようです。でも、日本が敗れた1945年8月15日から2年間、日本人は全員、朝鮮半島から無事に日本に帰れたじゃありませんか。朝鮮人にとって、あの時こそ「日本人を殺すチャンス」だったはず。でも、朝鮮人はそんなことは考えもしなかった。
学校などの教育現場で、先生たちが頑張っている。でも、校長や教頭といった権力職が文部省の出先となって「植民地の行政官」の役割を果たしている。権力に直接叩かれるより、同じ職場の人間に裏切られるのが辛い。たとえば、国鉄民営化の際に首を切られた国労の1000人の人たちですよ。組合は何もしなかった。信じてついていったものに裏切られるのが一番辛い。子供たちも、先生が差別と闘っている姿が生きていく大きな力になるのです。企業社会もそう。経済構造が変わった。人権を無視しては生産性が上がらない。経済が変われば政治が変わり、教育も変わるはずだが、教育が取り残されている。私はいつも自分の考えを自分の言葉にして出し続けようと思う。「単ゲバ」が大切。一斉に群れるのではなく、それぞれがそれぞれの時間と言葉を使って意思表明していけばいい。
石原都知事とは2000年から闘っている。「きつい風を受け止める力をつけてくれた」と感謝している。でも、闘い方を変えようと思っている。なぜ、これだけ支持されているのかもっと深く考えるべきだった。彼は「男は強くなければならない」という固定観念に乗っている。あるとき、「石原都知事を支持する」という若い男の子に会った。「問題発言もあるが、良いこともした」という。「ディーゼル規制」のことらしい。そこで、「では石原さんは環境庁長官のときにどうしてそれをやらなかったの?」と聞き返したら、黙ってしまった。彼は「僕は弱いから石原さんが好きなんです」と言った。何か事情がありそうだったので、話を聞いてみた。すると、自分の父親が先日自殺したという。自分にとって「強い存在」であるはずの父親が、自殺するなど受け入れがたかったのだろう。私が「お父さんが好きだったのね」と言うと、突然、「ワアッ!」と言って泣き出した。「強い父親」の姿を石原に求めていたのだろう。自分の「弱さ」を知る人は「強さ」に憧れるしかない。男だって、弱くたっていいのに。経済停滞で「カネがない男」をうまく取りまとめたのが石原だろう。日本は「経済こそ命」だから、リストラや合理化で「稼げなくなった」ことが、すなわち「負け」だと受け止められるのだろう。経済を、生活を悪くしている根源は何かという問い詰め、つまり「生活闘争」を真剣にやらなければ、石原が出てくる土壌は残るだろう。
森首相の支持率は8%だったが、小泉首相になって80%になった。でも、こんなのちっとも怖くない。「自民党に常に反対」は20%いるのに、「自民党でなければならない」という人はたった8%である。この8%を相手に闘えばいいのであって、あとは情勢次第でどっちにも転ぶ層だ。「オセロゲーム」と同じで、「角」を押さえればいい。それは「国際化」「人権」「男の解放」である。
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「8%を相手に闘えばいい」というのは、的を射ていると思います。石原都知事の直接下で働いた自治省キャリアに話を聞いたことがあります。「福祉切捨てで、障害者たちが都庁前でピケをはっていることがあるんですね。そこに登庁した石原知事は、その人たちを見ようともしない。そういう人たちが自分の支持者になりえないことを知っているし、なってもらおうとも考えていない。だから、対話が成立しないのです。有権者の51%を味方につければいいのであって、49%は説得して味方にしようなどとは考えてもいない。そういう人です。文学者としては三流ですが、政治家としてはある意味、プロですよね」
辛さんが書いています。「私は、自分の意見ははっきりと言う人間だが、自分と意見の違う人を変えようとは考えていない。そんなことをしていられるほど、人生は長くない。ましてやそれが悪意を持った確信犯となればなおのことである」相手が「差別主義確信犯」なのだから、それなりの対応が求められるということでしょう。
http://bbs8.otd.co.jp/kawanakajima/
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