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(回答先: 木村愛二氏の困ったところ(芥川龍之介「蜘蛛の糸」を通して) 投稿者 似非紳士X 日時 2004 年 8 月 18 日 01:54:22)
権力を持ってしたい放題をしている支配者に対抗して、体制批判の立場に立ち困難な権力闘争をしている者は、圧倒的な力を持つ支配者により差別され弾圧されるので、一種の被害妄想意識と裏切りに対しての警戒が強く、ともすると仲間割れして粛清をしがちな欠陥を持っている。その典型が学生運動における派閥抗争であり、労働運動における唐は意識による対立による近親憎悪だから、そこを権力者は狙い撃ちして分断撃破してきたから、反体制運動は常に失敗して革命は起きないのである。
このような歴史の教訓に無知な行動主義者は事を起こすが、途中で悪い癖の分派行動や内部抗争を始めてしまい、本来は味方のはずの仲間を攻撃するようになり、運動そのものを崩壊させ権力者を喜ばせてしまうが、そこには反体制運動の指揮者の独り善がりとエゴがあって、それが仲間の連帯を内部から崩壊させるように働いてしまう。指揮官が仲間を信頼せずに自分だけ正しいと妄想して、異なる意見を持つ者を無能者とか裏切り者とすれば、戦力は萎縮して力の結集にならないのに、それに気づかずに自分だけが優れていると驕慢になりがちなのが、このサイトに良く書く木村愛二の欠陥である。
木村愛二は防衛大学を中退したと得意になるが、彼の性格は指導者として司令官の器ではなく、前線に駆け込んで手柄を狙う中隊長が限度で、戦闘をやって手柄を立てて得意になることはあっても、大きな戦争を指導するだけの才覚は持っていない。
だからともすればスタンドプレーで衆目を集めて、週刊誌あたりで騒がれて得意になる可愛さがあるとはいえ、そんなことで自己陶酔しているのに引きずられたのでは、却って権力者たちを喜ばせるだけで終わってしまう。折角みなで戦いたいと思って集まっているのだから、自分だけがいい思いをしようというケチことを思わず、皆で協力して折角の蜘蛛の糸を活用したらいいのに、それをしようとしない了見の狭さと包容力の無さを感じ、似非紳士Xさんは芥川の『蜘蛛の糸』を思い出したのだと思う。