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(回答先: 現代・キリスト教の終末論とは(1) 投稿者 乃依 日時 2004 年 3 月 05 日 10:14:45)
http://dateiwao-id.hp.infoseek.co.jp/endworld.htm
現代・キリスト教の終末論とは(2)
世界の終局
1、聖書の教え
イエスは毒麦のたとえ話の説明(マタ13−36−43)の中で、公審判にふれながら、世の終わりを予告され、また人の子の来臨の状況について語られた時、「天と地は過ぎ去る。」(マタ24−35)と予告された。これに呼応するかのように、ペトロも、最後の日に、「天が大音響を立てて過ぎ去る」(2ペトロ3−10)と言っている。さらにパウロは一歩進めて、「この世の姿は過ぎ去る」(1コリ7−3−1)と書いている。最後に、ヨハネは黙示録の中で「先の天と地が過ぎ去った後の新しい天と地」(21−1)を見たと語っている。
2、世界の終わり
今の世界は主の再臨と同時に終わる。それで、この世界の終わりは自然の進化の終局ではなく、また文化の発展によってもたらされる結果でもなく、むしろ、神の直接介入による自然の進化の停止である。
啓示によると、世界はキリストが正者と死者を裁く為に「天の雲にのって来られる時」に世界は終わる(マタ24−35)はずであるが、再臨の時は知らされていないから、世界の終局の時期も知ることができない。イエスはご自身の再臨と世の終わりに関する使徒たちの質問(マタ2−4−3)に答えて、次のように言明された。「その日と時は、だれも、天の使いたちも知らない。ただ父だけが知っておられる。・・・いつ主がお出でになるか、あなたたちは知らない。」(マタ24−36−42)
イエスは、世界の終わりの正確な時期を明らかにされなかったが、その前兆を示されたから、それによって世界の終わりも推測されると考える向きも少なくない。しかし、イエスは最後の日が夜盗のように思わぬときに来ることを繰り返し教えられた(マタ24−43)。それは、ノアの時代の人々を襲った洪水のように予測できないものであり(同37)、またソドムの上に降りかかった火の雨のように突発的なものである。(ルカ17−29)。それで、もし世の終わりの明らかな前兆のようなものがあるとすれば、右に挙げたたとえは全く意味の無いものになろう。
3、どのような終局か
この世界は、消滅して終わるのではなく、変容されて終わる。たしかにこの世界は過ぎ去る。しかし過ぎ去るのは、世界の姿、つまりその状態だけである。宇宙そのものは消滅されないで、より完全な、そして新しいものに変容されるはずである。神がご自分の創造になるもの消滅されるとは考えられない。
続く
現代教会憲章より:Constitutio pastoralis de Ecclesia.C.V.U