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最近ぶろぐというのがはやっているので、阿修羅ねたをぶろぐに振って
阿修羅をまだ見たことがないひとが見るきっかけにしようとおもってます。
そんなときに、下記の記事をみつけました。
頭では、そんなんじゃなくって、、、と思うのですが、
普通の人によくわかるようにまとまったものがあれば、とおもい、こちらに相談した次第です。
そういうのが書いてあるURLでおすすめなのがあれば、教えてください。
ぶろぐに記事を作成し、下記にトラックバックしようと思っています。
どうぞよろしくお願い致します。
これが、NTTデータの無料ぶろぐサービスにあった、記事です。こんなのだけ読んでたらかわいそうです。
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http://www.doblog.com/weblog/myblog/855?blogid=21936#21936
湾岸を制するものは石油を制する。
そして石油を制したものが世界を制することはいうまでもない。
瀬木耿太郎 『中東情勢を見る眼』より
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イラン・イラク戦争〜湾岸戦争へ
○イランではイスラム(イラン)革命が起こり、混乱していました。
国民の非難は独裁政治をやっていたシャー政権に集まります。
そして国民はシャー※1を国外へ追放しました。
混乱したイランを見て、イランを倒せるのは今しかない※2
そう考えたフセイン大統領はイランに軍を進めます。これがイラン・イラク戦争の始まりです。
ところが、これが彼の誤算でした。
革命のエネルギーが一挙に戦争に向けられ、イラン軍は人々の熱狂に支えられたのです。
イラクは撤退しようにも撤退できず、戦争の泥沼化に引きずり込まれました。
イラクは金銭面でも武器面でも追い込まれます。
しかし、ソ連・アメリカらがイラク・イランへの武器の供給をし、イラクは危機を脱し?ます。
イラク・イラン戦争は8年間も続きました。その間にOPECは機能を失い石油は暴落しました。
やっとイラク・イラン戦争が終わった時、イラクはボロボロでした。
石油のパイプラインは破壊されていましたし、武器の費用を近隣諸国から借金をしていたのです。
そんなイラクにクウェートは借金をすぐに返済するよう求めました。※3
しかし、そんなお金がイラクにはあるはずがありません。
結果、イラクは突如隣国クウェートに侵攻、を支配下に収めてしまいました。
驚いた国連安全保障理事会は、イラクに撤退を求めます。
しかし、イラクはこれを拒否、「クウェートを併合した」と宣言します。
困るのは石油を必要とする先進諸国です。
イラクは世界の石油の10.0%を当時保有していましたし、お隣のイランは9.3%の石油を保有していたんですよね。
「石油と戦争の恋愛関係」下図参照
[関連したBlog]
全世界の20%もの石油をイラクに独り占めさせるわけにはいきません。
また、このままイラクが湾岸全域を侵略すると、
全世界の石油のほとんどを独占する可能性があったのです。
こうしてはいられません。石油の高騰は不景気になる!
また、湾岸地域に石油の採掘場を持つ英・米の大手の石油会社「セブンシスターズ」(メジャーズとも言う)※4
らは、(自分たちの油田がフセイン政権下で管理されるなんて)たまったもんじゃありません。
国連はクウェートに侵略したイラクに対し、武力行使を決議します。
ところが、フランス・ロシア・中国の反対により、決議は却下されました。
国連軍を出すには国連安保理事国の全員の一致の賛成が必要です。
そのため、アメリカは有志を募るという形での多国籍軍での攻撃を決めました。
そして、1991年1月17日の開戦から6週間後に、湾岸戦争は多国籍軍の圧勝によって終結します。
今日は粗筋です。(~_~;)つまんない?
明日はこの戦争の背景についての様々な諸説。