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反原発国際フォーラム in Kobe
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投稿者 なるほど 日時 2003 年 11 月 30 日 03:27:12:dfhdU2/i2Qkk2

(回答先: ■地震と原発 神戸からの声 投稿者 なるほど 日時 2003 年 11 月 30 日 03:03:36)

反原発国際フォーラム in Kobe


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■主催者あいさつ

佐野雅哉

 みなさん、おはようございます。本日は、初めての衆議院での小選挙区制による選挙ということで、輻輳した日程でありますが、朝早くから多くの方がこの会場に集まっていただき本当にありがとうございます。

午前中の司会を担当しますノーニュークス・アジアフォーラム関西の佐野と申します。よろしくお願いします。昨日は、神戸学生青年センターにおいて「神戸からはじまる新しい絆」と題しまして、内外から大変たくさんの方をお招きし交流と連帯を確認してまいりました。

若干昨日の内容を申しますと、第1分科会は、会場が神戸という事ですから「地震と原発」という分科会を設け、生越忠さんを招いて、あの地震が天災でなく人災であったという報告を受けました。また、関西電力と、地震と福井の原発の問題性について粘り強く交渉を行ってきた若狭ネットの久保さんによる報告がありました。

第2分科会は、「PAの犯罪」ということで、PAは直訳すると「社会的承認、容認」という意味ですが、実際に巻、珠洲や韓国で行われているPAは、お金による買収行為などで、「社会的承認」に値しない行為であるという事が判明してきました。毎年、東京で行われている政府間の「アジア地域原子力協力国際会議」でPAが重要な位置を占めていますが、それは全くのまやかしであるという事が暴露されましたので、私たちとしましても、これからも国際的に暴露し続けていきたいと思っています。

第3分科会は「エネルギー」の問題をとりあげました。原発を容認する社会そのものが問題ということで、桜井さんや福本さんによる日頃の運動と研究の成果やお二人を中心に、インドネシアに太陽光発電の物だけを送るのではなく、人材・技術者を育成するプロジェクトを続けておられ、今回、その取り組みの一環としてインドネシアから学生が参加しました。インドネシアには、たくさん資源があり、オルタナティブなエネルギーにより原発に頼らない社会を創っていこうということが確認されました。

第4分科会では、今まさに問題となっています日本の原発産業によるアジアへの進出・原発輸出の問題です。実際にインドネシアでは、関西電力の子会社・NEWJEC社が今年6月までの5年弱にわたる立地可能性調査、いわゆるFSを行ってきました。しかしながら、インドネシアでは原発の事が住民には知らされていない。莫大な費用を用いたFSは、この大半が郵便貯金や年金である財政投融資、日本輸出入銀行の融資で行われているという事を私たち日本の人々も、もっと知るべきです。インドネシアからは、ジュリアさんに来ていただき、「インドネシアには民主主義がないんだ。こんな国に原発を作るという事は大変危険である」ということを伝えてもらいました。そして、日本の多くの市民の方に「原発輸出に反対をしてほしい」ということを要請されました。分科会では、大体以上のような事を話し合いました。

本日は、もっとより広い市民の方に訴えていく事を含めまして、「反原発国際フォーラムin神戸」を開催してまいりたいと思います。若干、この集会を開く事になった経緯を主催者を代表致しまして述べてさせていただきます。

私たちが、春の原産会議で「環太平洋原子力国際会議」が神戸で開かれるという事を知り、あの大震災があった神戸。これはどうしても許されない事である。原発と地震の問題というのは、切っても切り離されない関係であるという事を私たちはよく知っています。その会議の内容を調べますと、たとえば、もんじゅに付いての記述は、「94年に臨界した」としか書かれておらず事故については、触れられていませんでした。つまり、インドネシアでも動燃は「もんじゅの事故は大した事ではない」と説明したように、問題になるような事故ではないと宣伝しているようなものです。そして、いつも国際会議で、「地震国日本でも立派に原発を推進している。科学技術庁はこの10年間にPA予算を10倍にしてPRに努めてきたので,日本には原発反対運動は少ない」などと事実と違う情報を流し、日本の経験を各国は持ち帰ってもらって自国の原発政策・推進プロジェクトに取り入れてほしいという事を提言してきました。

しかしながら、本音を言いますと日本では原発は90年代に入っていよいよ売れなくなり、日本の原発産業は危機に瀕しています。したがって、明日より開かれる原子力の国際会議が、欧米を含めて売れなくなった原発のセールス大会になろうとしているのです。私たちには、お金も権力もありません。でも、ごく普通の私たち市民が国という枠を超えて、自分たちの使うエネルギーのことや未来の社会のことについて考え、行動していくことは、当たり前のことじゃないですか。90年代に入って、頻繁に海外の人々たちと顔と顔をつき合わせる連帯と交流があちこちでできるようになってきました。私たちの行動はこれからです。

今日は、素晴らしいスピーカー、ゲストの方々をお招きしています。様々な問題提起がなされると思います。私たちが今暮らしている社会は、本当にたくさんの問題がある社会です。しかし、その問題の解決に向け私たち市民一人一人が行動していく。ぜひ、明日から、いや今日から、この神戸から新しい絆を持って、核も原発もない社会、私たちの未来を取り戻そうではありませんか。主催者を代表したあいさつと返させていただきます。本日は、お忙しい中、本当にありがとうございます。

では、プログラムにそって進めてまいりたいと思いますが、その前に、本日、台湾のゲストが来ることになっていたのですが、台湾において原発建設に関する法律案が可決されるという重大な問題があり、来られていない事をお詫び申し上げます。

台湾では、反原発運動が大変強く、日本の国会にあたる立法院で、今年5月、原発建設のための予算案が廃案になり、原発建設が中止になろうとしていました。しかしながら、廃案となった同日に、台湾電力は建設に向けた国際入札を行い、GE・日立・東芝が落札するといった、議会と全く矛盾したことを強行しました。そして、こともあろうかGE・日立・東芝は台湾政府に対して、もし、このまま計画がつぶれてしまえば、契約不履行で相当な賠償請求を行うと圧力をかけてきました。その契約実行期限がせまり山場を迎えたのが一昨日でした。

18日、立法院では再審議が始まり、私たちの台湾の友人たち3000人がいわば国会の前を取り巻くように、その推移を見守り、抗議し続けたわけですが、ついに、警官隊が民衆に対して放水車や盾という暴力によって排除し、院内では、反対派がボイコットするなか、建設予算法案が通過してしまう事態となったのです。このことは、インドネシアへの輸出もさることながら、日立・東芝による日本初の本格的な原発輸出となる重大な事態であるということを報告申しあげます。そういうことで、台湾のゲストが来られないということです。

 それでは、ドロシー・パーリーさんにお話いただきます。ドロシーさんは、ウラン鉱山で危険性を何も知らされないまま働かされ、そして被曝し、今、ガンという病と闘っておられます。

 今日は、その病をおしてまで神戸でお話していただくことになりました。ほんとうにありがとうございます。それでは、ドロシーさんよろしくお願いします。

 


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■破壊と祈り

ドロシー・パーリー

こんにちは

 まず「アメリカインディアンの祈り」という祈りを捧げてから、私の話を始めたいと思います。ごいっしょに頭を下げてください。

 

ああ、偉大な神よ

風の中に私はその声を聞き

その息は世界のすべてに命を与えます

私の声を聞いてください。

私は小さくて弱く、

あなたの力と知恵を必要としています。

美の中を歩ませてください。

そしてこの目で、

赤紫の夕日を見させてください。

私の手があなたの造られたものを尊び、

私の耳にあなたの声が聞こえますように、

あなたが我が民族に

教えてくださったことを理解できるように

私を賢くしてください。

木の葉や岩陰に隠された、

あなたの教えを学ばせてください

私に力をください。

兄弟より偉大になるためではなく、

私の最大の敵、私自身と闘えるように、

いつも清らかな手と、

まっすぐな目をもって

あなたの前に出られますように

そして、夕日がうつろうように

私の命が消えるとき、

私の魂が恥じることなく

あなたの前に出られますように。

 

 私の名前は、ドロシー・パーリーと申します。私はアメリカインディアンと呼ばれるネイティブ・アメリカンです。ラグーナのプエブロからやってきました。ラグーナのプエブロと申しますのは、アメリカのニューメキシコ中西部にある19のプエブロのひとつです。私はずっとそのラグーナのインディアン居留地で育ちました。そこには7つの村があります。私の村はパガッティと呼ばれています。そして、そのパガッティと呼ばれる村こそ、かつて世界で一番大きなウランの露天掘りの鉱山でアナコンダ・ジャックパイル・ウラン鉱山と呼ばれたその亡霊が住むところです。

 

採掘が始まった

 1953年にこのウラン鉱山の採掘が始まりました。私はそのことをよく覚えています。それは、まさに夢が現実となった、そういう状況でした。それまでは、そこに住む人々は居留地の外へ仕事を探しに出なければなりませんでしたから、居留地の中で仕事ができるというのは、神様が私たちにくださった賜物といったものでした。私たちは経済的にも貧しかったから、ほんとうにそういうふうに受け止めたのです。ですから私たちは非常に喜びまして、この鉱山から将来、放射能にあたる危険があるとか、それが健康に害をもたらすという知識は、当時持ち合わせていませんでしたし、そのことを予測することもできませんでした。

 私たちにわかったのは、これはお金になるんだということ、それにより村は経済的に自立できるようになりましたので、それはすばらしいと考えておりました。

 今思うと、その時点で危険性を知ることができたなら、決して私たちの土地をそういうふうに使わせることはなかったのではないかと思います。

 アナコンダ・ジャックパイル鉱山が操業を始めたとき、私はまだ10代でした。

 そしてその当時、私の父はアリゾナ州のサンタフェ鉄道に勤めていました。父は毎日アリゾナのウィンズローまで通勤せねばなりませんでした。

 当時母が父に対して、「どうかその仕事を辞めて鉱山で働いてくれ」と懇願していたのを覚えています。しかし父は職務に忠実な人でしたから、それを聞き入れて辞めることはしませんでした。「仕事を辞めて鉱山で働いてくれたらもっと家族といっしょに過ごせるのに」と、私は父に対して腹を立てていたように覚えています。しかし今は父が鉱山で働くという決断をしなかったことを非常にうれしく思います。父はそれから長生きをして私といっしょに過ごすことができました。残念なことに父は昨年の3月になくなりました。そのとき彼は106歳でした。私は父がウラン鉱山の放射能の影響を受けなかったことを神様に感謝しています。

 しかし、年月が経つとようすが変わってきました。アナコンダ鉱山がフル操業を始めるとどんどん機械が導入され、それとともに次々とたくさんの鉱夫が雇われるようになりました。鉱山会社はダイナマイトやその他の爆発物を使うようになりました。

 そうすると私たちが穀物を育てた畑も破壊され、たわわに実をつけた果物の木も根こそぎ取られて行きました。家畜が一杯だった農場からも家畜はいなくなりました。そして子供のころに幼なじみと遊んだ土地もすっかりようすが変わってしまいました。

 私たちは日曜日には、家族で近くの草原にハイキングやピクニックに出かけたものでした。丘を登ったり、綱引きなどたわいもない子供の遊びをしてたわむれたものです。私は今もそれを心に思い描くことができます。しかし今では、そこはすっかり傷痕のようなものになってしまいました。

 鉱山のフル操業にともなって、生活は大方においてよくなったように思われました。実際にサラリーもいいものでした。人々も快適に暮らしているようにみうけられました。ええ、生活はよかったんです。給料日には、人々はたくさんの給料を手に、アルバカーキの町へ出かけて行きました。ほとんどの人が新しい車を買いました。私たちは意識的に周りで起こっている破壊に目を閉じて、気づかないふりをしていたんだと思います。

 私は放射能やその危険性について誰にも聞いたことがありませんでした。ただ時々白人がラジオのような機械を持って歩き回っていたのを覚えています。

 ネイティブ・アメリカンの私たちはあまりたくさんの質問をするのはよいことではないと教えられていましたから、あまり質問はしませんでした。

 しかし、アナコンダ会社は、開坑のときから放射能の危険性を知っていたことがわかりました。

 彼らは、1953年に採掘を始め、私たちを雇ったときから知っていました。科学者が「健康な人でも長時間放射能にさらされると体を悪くする」という手紙を彼らに送っていました。私たちはその手紙のことも、危険性への警告も、一切知らされませんでした。

 そして時が経つと、アナコンダ・ジャックパイル鉱山がだんだん村へ近づいて来ているのがわかりました。今では村から1000マイルしか離れていません。

 彼らはトンネルを掘りはじめたんです。私たちはそのトンネルがどこまで伸びているのか知らずじまいでした。ある人はトンネルはもう村の下まで来ていると言っています。会社はトンネルを掘るためにダイナマイトや爆薬を使うようになりました。昼に昼食を取ろうかというときに、彼らは、爆発の警告のサイレンを鳴らすのです。彼らはバラスと言っていました。5時ころ、夕食のころにもまた、そのバラスがありました。そのサイレンを聞くと、私たちは安全な所へ避難しました。ひどいときには、家は揺れ、皿やグラスが床に落ちて壊れました。そのバラスが近いときには地面が揺れるのがわかりました。地震のことを考えてくださればわかると思います。

 バラスが近いと岩が砕け散ってそれがまた落ちてくる音が聞こえるんですね。私たちはその砕け散る岩の音を次のとどちらが多いか比べるゲームをしました。

 そのバラスだけでもとても悪い状態でした。しかし、もっと悪かったのはその爆発にともなう悪臭でした。彼らはただの砂ぼこりだからこわがることはない、と言いましたが、その匂いは何時間も家にこもりました。食事をとろうと家に戻ると、たくさんの砂ぼこりがお昼や夕食のテーブルにのっていました。夜の爆発があったのはほんの数回でした。人々が村の集会で、彼らに強く抗議をしましたので夜の爆発はほどなく中止されました。

 そのころウランの需要が増大していたので、アナコンダ会社は、ウランの採掘に取り憑かれたようになって、生活や家庭が破壊されていくのを意にも介さないようでした。ただ良心の呵責がありますから給与の支払いはよかったのです。

 会社は壊れたものはみんな直すと約束していました。ほとんどの家は崖の縁に立っていましたからそのバラスの影響で何らかの損傷を受けていました。私の家でも床が壊れてしまいました。2度ほどは会社が来て直してくれましたけれども、結局また壊れてしまって自分の費用で直さなければなりませんでした。そして私の生まれ育った家はとうとうひとかたまりの瓦礫になってしまいました。

 

まるで伝染病のように

 1970年頃になりますと、私たちは健康についていろいろ問題があることを知るようになりました。村の人々がガンで死に始めたのです。それはまるで伝染病のようでした。そして気管支炎とかゼンソクにかかる人が非常に増えてまいりました。子供達が腫瘍や白血病にかかりはじめました。赤ちゃんは放射性の障害をもって生まれました。また流産や死産が急増しました。

 私たちは非常に動揺して何が起こっているのかと考えました。しかし、私たちは放射能の影響でそういう事実が現れたということを知りませんでした。私たちは鉱山で働き、それによって生活し続けていました。

 70年後半から女性もこの会社に雇われるようになりました。1975年、私はアナコンダ・ウラン鉱山会社に雇われました。当時4人の女性従業員がおりました。

 私の仕事の内容は、高純度のウラン鉱石を集めて降ろす場所での監督、鉱石を運ぶ自動車の監督、受付、警備、車両整備、トラックで高純度鉱石を運ぶ仕事などでした。

 高純度のウラン鉱石を運んだり、それにさらされていたのですから私の放射能汚染は非常にレベルの高いものでした。私は8年間そこで働きました。その結果、私は甲状腺腫という免疫組織のガンにおかされました。

 社会的な変化もおとずれました。ウランの価格が下がり、従業員の待遇も悪くなってきました。アナコンダ会社は定期的に従業員の数を減らすようになってきました。80年台の半ばにはすべてが変わってきました。私たちは経済的に身動きがとれなくなっていきました。トラックやマーブルホームを売りに出しました。私の知っている人のほとんどが失業保険の登録をするようなありさまでした。中には破産の宣告をした人さえいました。

 私たちの子供は将来の計画を立てていませんでした。彼らはいつでも鉱山で働けると思ってきたのです。悪いことはこれだけではありませんでした。もっと悪いことがおきました。80年台後半、私の健康状態はよくありませんでした。体重が急速に減りはじめました。そして、咳が止まらなくなりました。数年して、右腕と胸のところにしこりを感じるようになりました。私はこのしこりがこわくて心配でたまりませんでした。心配させたくなくてそのことを家族に告げることもできませんでした。

 いろんな考えが私の頭の中をかけめぐっていました。しこりはだんだん大きくなって、とうとう私は娘にそのことを打ち明けました。

 私たちはすぐに予約をして乳房のレントゲン検査をすることにしました。それがすむとすぐ病院で生体検査をすることになりました。

 そしてその生体のサンプルが病院へ送られて、それを分析しますと一週間後には私はガンであるという診断が下りました。そして私はアルバカーキのUNMガンセンターへ送られることになりました。ガンセンターでは私に対してどういう治療をしたらいいのかしばらく決めることができませんでした。というのも私の甲状腺腫は非常に珍しい形態だったからです。先生たちはかなり高い投与量の化学療法を試みることにしました。私には1度に4種類の薬が与えられました。その薬はガン細胞を殺すためのものですから、体にさまざまな副作用を起こします。まず最初の悲しい副作用は、髪の毛が抜けるというものでした。昨日まであった髪が今日抜けるというのは、本当にショックでした。私はその日のことをよく覚えています。シャワーを浴びてシャンプーをしようと髪に手をやると、握った髪がスルリと抜けてしまいます。私が叫び声を上げると娘がとんできて一緒に泣いてくれました。私が一番恐れたのは、3歳になる孫が私をこわがって寄せつけないんじゃないかということでした。でも彼は私を見て笑いながら言いました、「おつむがとてもかわいい」と。

 

あやまちをくりかえさないで

 今の私の問題は、手足のことです。いつも腫れてしびれているものですから、つかんだものをすぐ落としてしまいますし、歩いてもすぐ転んでしまいます。ですからいつもつえをついて歩いています。そして歯が全部抜けているものですから入れ歯のことを考えなくてはなりません。そして視力が弱くなって見るものがぼやけています。昔はメガネなんかいらなかったんですけれど。

 化学療法のおかげで3年ほどは落ち着いていました。そしてその後ガン細胞がまた広がってきたことを去年の7月に知りました。私のガンはどんどん広がってきていますので現在は実験的な薬を使っています。それはまだアメリカのFDAの許可が下りていないものです。私自身が実験台になっているんですけれど、私はこれからのガン患者さんたちの道を開くためにそうしています。

 私は私の偉大な神に導かれて今日ここにいます。

 肉体的な痛みにも増して、精神的な痛みも激しいものでした。

 私は今、13歳と5歳になる孫がおりますけれどもガンの診断を受ける前にはこの孫たちといろいろなことをして多くの時間を共にしました。学校での遠足やボランティア活動も一緒にやっていました。小さい方の孫とは一緒に買い物に行ってエスカレーターを上ったり降りたり、たいていのおばあちゃんがそうするようにしていました。今ではすっかり弱ってしまって孫と一緒に歩いたり走ったり遊んだりすることができません。でも5歳の孫はどうして自分のおばあちゃんがそうすることができないのかわからないのです。

 私自身だってそういう事実は受け入れられません。

 今では私がこのような病気と共に生きるために専門家の援助を仰がねばなりません。私は自分のガンのことをやっと人前で話すことができるようになりました。人々は私の外見を見て元気そうだと言いますけれど、私の内側の苦しみはわからないのです。

 昨日、私が今日のための考えをまとめようと家の外で村の様子を見ていました。私は涙が止まりませんでした。私の前には強奪され不毛になってしまった土地が広がっていました。その土地にどんなにひどいことをしたかというのは、見るに堪えないものでした。私は頭をたれ神にどうかお許しくださいと祈りました。

 つい最近なのですが、私は心ある人たちと共に一つの団体を作りました。「より安全な環境のためのラグーナ・アコマ連合」といいます。その主な目的は、私たちの地域の放射能による影響を詳しく調査しようというものです。

 私たちは戸別訪問調査からはじめました。それでわかったことですが、事態は私が思っていたよりも非常に深刻なものでした。

 ガンの発生率ははるかに高い確率で伸びていました。

 私たちの活動に対して地域の小児ガン研究機関というところから交付金がでることになりました。その交付金で事務所を維持することができます。また、ニューメキシコ大学のガンセンターも私達を助け、共に働くことになりました。

 

 私が今日ここに来ましたのは、皆様に、私たちがラグーナで犯したあやまちをくりかえさないでくださいとお願いをするためです。私たちは次の時代の人々にいやな遺産を残してしまいましたけれど、同じあやまちはくりかえさないでください。

 私たちネイティブ・アメリカンは大地に属しているといわれています。ですから大地を傷つけることは自分自身を傷つけることなのです。

大地を傷つけることなしに、神様の前に出るときに、まっすぐな目と、清らかな手をもって出られるように生きていこうではありませんか。

 私は私たちの神に対して、皆さんが正しい判断ができるように祈ろうと思います。そして、神が私を皆様のところへ導いてくださったことに感謝します。

 皆様には、私のために時間と優しさを与えてくださり、本当にありがとうございました。今回日本へやってきたのは2度目なんですけれど、2度もお招きいただいて本当にうれしく楽しんでおります。

 ですから日本の皆様が、もし、私どもの国へお越しくださるときには、ぜひ私のところへお知らせください。そして、会いに来て下さい。どうもありがとうございました。

 


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■神戸そして六ヶ所を襲う腐食の系図

広瀬隆

 こんにちは広瀬です。ちょっと風邪をひいておりましてお聞き苦しいかと思いますが我慢して聞いてください。

 今、ドロシーさんからお話がありましたけれども、アメリカで多くの方が被曝くされているということを、私も今まで調べてきた経験から大変なことだと思います。いま日本でも同じように大変な状況が起こりつつあります。そのことが多分、西日本のほうには充分伝わっていないと思いますので、日本がアジア中心に、大変な被害をもたらそうとしている。そういうことと同時に、青森県の六ヶ所村でいま起こっていることを是非聞いていただいて、多くの方に広めていただきたいと思います。

 

M8クラスの大地震が青森に

先月六ヶ所村へ行きまして現地の内部に初めて入ることができました。核燃料サイクル基地というところです。日本列島の最北端、下北半島ですね。ここに六ヶ所村があります。

昨日生越先生が地震について世界的なことは話されたと思いますが、下北半島も大変な地震地帯であります。実をいいますと、兵庫県南部地震が起こるほぼ3週間前に青森県で三陸はるか沖地震というのが起こっていたのです。かなり大規模な地震でした。このときは人的な被害はそれほどなかったんですけど、それだけですむ問題ではなくて、実際には地震の2日後に東大の溝上恵教授が、「いよいよ青森でもM8クラスの大地震が起こる可能性がある」ということを警告した。そして変な話ですが、「1月17日にいよいよ大地震がくるぞ」と、これは新興宗教が広めたんですが、そんな噂があったちょうどその日に、神戸で本当に地震が起こってしまいました。

ところで先月ついにその三陸はるか沖地震によって、なんでもないと思われていたところでウラン濃縮工場の壁にヒビが入っていたことがばれてしまったんです。今まで日本原燃はずっと隠していたのですね。日本原燃という会社はどこか遠くにできた会社と思わないでください。これはこちらでいえば関西電力の子会社でもあります。ようするに日本の電力会社すべてが作った子会社です。これを隠していたということが先月ばれたという状況です。

昨年の3月19日に三陸はるか沖地震の実態を調査しにいきました。ここにある港は「尾鮫(おぶち)漁港」といいます。尾鮫漁港は、メチャクチャに破壊されました。3月19日ということは翌日に「地下鉄サリン事件」が起こりまして、それ以後は「被災」のことはほとんど報道されていない。報道界はサリン事件に包まれていました。皆さんはご存じないかと思いますが実際は港がメチャメチャに破壊されています。ここから約4キロ入った所に核燃料サイクル基地があるんです。

これから青森県六ヶ所村にいよいよM8クラスの大地震が起こる可能性があるということはよく理解して下さい。

兵庫県南部地震の淡路島にあらわれた野島断層についてはよく知っていると思います。この人がいまスケールをもって測っています。かなり大きな断層ですが、M8というのは、兵庫県南部地震がM7.2ですから、M8というのは0.8上がるわけですから(0.2あがれば2倍になるので)2の4乗で16倍にもなるのです。

では16倍の規模というのはどういうものなのか。これは日本の歴史の記録上にありまして、岐阜県の濃尾平野で濃尾地震というものが起こりました。これがそのときの記録写真で約100年前に起こりました。田んぼの真ん中に白い道があってストンと落ちています。これはたいしたことのないように思えますが、私も昨年行ったのですが、たいしたことないです、外から見ただけでは。地震が起こったのが1891年です。ここにピラミッド型の建物があって、地底が特別天然記念物として保存されています。中に入ってみました。ここで手を挙げているのが私です。この写真で比較してみます。コンクリートみたいですが、これはコンクリートではなくて天然の岩盤です。これが全体で上下方向に6メートル動いたのです。6メートルというのは大変なものだろうと思っていましたが、実際にみると目がくらむような距離です。これがドーンと一瞬で動くわけです。先程みた野島断層さえ比較になりません。

兵庫県南部地震は「地震学上はたいしたことない」と言われると私たちはビックリしてしまうのですが、たしかにこれから青森県で起こると予測されているM8クラスの地震というのはこういうものです。そこに日本中の原発から「死の灰」を集めようという計画がどんどん進んでいます。先月発表されたことですが、さらにドラム缶20万本分を増設する計画まであります。先程のドロシーさんの話を私は青森県の現状と重ね合わせながら聞いていたのですが、“一体下北半島はどうなってしまうのだろう”という感じがします。

 

高レベル貯蔵庫の壁に亀裂が!

次に、皆さんご記憶にあると思いますが、これは昨年の4月26日、第一弾の高レベル廃棄物搬入のときに現地の女性写真家の島田恵さんが撮った写真です。当日私たちは破壊されたむつ小川原港の前で反対を叫んでいたのですが、一時的に雨があがったところにチェルノブイリ原発1基分、広島型原爆1千発分の「死の灰」が陸揚げされました。そしていよいよ不気味なトラックが正門ゲートから走り出そうというときに我々がワァーといってなだれ込んでいった。ちょうどそのとき、このトラックに雨がかかった時の写真です。このときのことは現地にいた人たちは皆忘れません。青森のお母さんたちが皆抱き合って泣きだした。そのときの写真ですが、トラックの上から蒸気があがっています。

「放射能は臭いもないし味もしない、目にも見えない」こう言われてきましたけれど、この時私は初めて放射能の姿を見たような気がしました。これが半永久的に放射能を出し続ける高レベル廃棄物の正体で、今後数十年一緒に暮らさなければならない青森の人たちの気持ちを皆さんにも是非理解していただきたい。これが第一弾の28体でいよいよ第二弾が来年(97年)早々に40体運び込まれようとしています。

 その貯蔵庫の中に先月、初めて入ることができました。地元の人たちと20人以上で入りました。本当は気持ち悪くて入りたくなかったのですが、入れてくれるというので入りました。これが貯蔵庫です。こういうふうに9本のキャニスターを1本のピットと呼ばれる穴の中にたて積みにしていきます。これは実際は長くて十数メートルになるかと思います。

ここで何を見たかといいますと、私は地震の影響を非常に気にしていましたので、壁を見上げたのです。この写真では小さく見えますが巨大な建物です。ここに我々人間を置くとアリンコのように見えるような巨大な建物ですが、上のほうを見上げたときハッキリと亀裂が見えました。これは今、どこも報道していません。質問してはいけないし、写真を撮ってもいけないという条件で見学したため現在確認できませんが、私が見た限り、亀裂は、コンクリートのブロックを完全に横断してました。7、8メートルにわたる大きなものでした。むき出しのコンクリートですから亀裂が入っていれば大変な問題になります。高レベル廃棄物が入っているわけですから。

三陸はるか沖地震が起きたときはまだこの建物は建設中でした。そして兵庫県南部地震が起こった翌日に科技庁は急いでこのプラントの完成を認めた。そういう関係にあります。ですからコンクリートの養生がどの程度だったかは分かりませんが、私が見たものはかなり正しいと思っていますし、そのあと建物の中をかなり歩き回ると、そちこちに亀裂が入っていました。このことは全く報道されていない重大事件で、皆さんにも知っていてほしいと思います。そのことにつきましては「たんぽぽ舎」の方で私が急いでまとめたものをパンフレットにして下さいましたので是非見て下さい。

 

核の墓場

下北半島に日本中の高レベル廃棄物と使用済み燃料を送るという計画をやめさせるよう、皆さんが六ヶ所村に行って反対運動をするのは大変ですが、ともかく皆さんの地元で、関西電力に対してはドンドン文句を言って下さい。「『もんじゅ』が破綻したのになぜ六ヶ所の再処理工場の計画はストップされないのか」と。このことは実は一番大事な問題です。日本の原子力産業の一番の問題でして、彼らのアキレス腱です。そのことをよく知っておいて下さい。それというのも来年早々、高レベル廃棄物の返還だけでなく全国の原発から直接の使用済み燃料の搬入が行われるからです。

いよいよ「核の墓場」建設のピークを迎えようとしています。この最初の作業はテスト搬入ですが6月くらいから本格的な搬入が行われる計画です。

ちょっとこの8月の原子力産業新聞を見ていただきたいのですが、「使用済み燃料の貯蔵が重要課題」と書いています。そしてこの下に写真がありまして、ここには「最重要課題」と書いてあります。どういうことかというと、この使用済み燃料の持ち込みをストップされたら日本の全ての原発は運転が止まる。そういう状況にきています。そして「もんじゅ」の事故によって持ち込みの論理が破綻した。今私たちがすべきはこの使用済み燃料の搬出をくいとめることです。少なくとも皆さんが各地の電力会社の管内で声を挙げていってほしい。そして今がその絶好のチャンスであります。

 ここで先程の地震との関係に戻りますが、その使用済み燃料が入るプール(10月の時点では建設中で90%以上完成−97年現在は完成)の図面がここにあります。ざっと説明しますと、こういう建物があり、海上輸送してきたキャスクを持ってきて、プールに水が入っていて、水の中に沈めます。燃料ですから灼熱状態になります。崩壊熱を出しますので水からは絶対に顔を出さないようにして運び込んでいき、ここにある3つのプールに入れていきます。このプールの大きさは26m×11m×13mの容積です。さっきこの会場の寸法をざっと目勘定で測ってみたんですがだいたい同じくらいの大きさです。それほど巨大なものです。周りのコンクリートは厚くて1.5メートルぐらい。分厚いですがこんなものは兵庫県南部地震をご覧になったように一撃で壊れます。剛体構造ですから、大きな地震の場合コンクリート自身の重量が作用して壊れてしまう。その表面にはわずか数ミリのステンレス(SUS304)がはってあるだけです。そのステンレスも一枚物でできるはずがない。全部溶接です。大きな地震が起きればベコベコになります。実際に1万人訴訟団が検証しました。ですから、もし大きな、それこそM8.0という地震が起きたら何が起きるか分からない。

大破壊する必要はないです。コンクリートに亀裂が入る、ステンレスが割れる、そういう状態で水が抜けはじめる。燃料の上は2メートルぐらいしか水の余裕がないですから、一度燃料棒が顔を出したらそこから沸騰がはじまる。沸騰がはじまればこのプールは何のコントロールもできません。制御棒も何もありません。最終的にはメルトダウンまでいきます。このプール3つだけで現在の計算では巨大原発15基分の「死の灰」が入ります。そういう計画がいよいよ来年からスタートする。こういう状況です。

原子力産業新聞には、「十分な耐震設計をしていて、最大地震にも対応する」と書かれています。しかしその最大地震というのはM6.5の直下型地震という想定でしかない。神戸で起こったのはM7.2です。なぜ10分の1以下の耐震性しかもっていないのか。それをなぜ「最大地震に対応する」というのか。全く信じらせませんがこれが事実です。しかもこのことを報道界が追及したということを私は聞いたことがありません。私が「日本」というのは本当に「国」なのかどうか非常に迷う理由はそこにあります。

 だいたいこれで六ヶ所のことはお話しましたので次に少し新しいことについて皆さんにお伝えしたいと思います。

 

腐食の連鎖

 今、薬害エイズの問題で大勢の血友病の患者さんが殺されています。そのことについて私たちは理解している。それから水俣病についても学んできました。我々は長い間、水俣病患者の川本輝夫さんたちに教えられて知ってきた。あるいはスモン病で患者さんたちが苦しんできたことも知ってきたわけです。そして今、原発で大災害が起ころうとしている。これらのことは一切関係がないのでしょうか? それぞれ独立した現象でしょうか?  そして特にアジアの皆さんに知っていただきたいのは、水俣病のチッソ、その最大の工場が朝鮮チッソだったという史実です。興南という、今でいうと北朝鮮の領土になりますが、「満州」に隣接する所に工場がありました。実は朝鮮を侵略した最大の企業がチッソだったのです。三井や三菱も足元に及ばないほどの巨大工場です。8月に毎日新聞に小さな記事が載っていました。「戦時中の江南工場で日本が原爆の開発をしていた」という記事です。ビックリしました。それというのも私は江南工場についてずっと調べていたからです。江南という所は人里離れたところで、ほとんど人家のないところにチッソは工場を作っていたのですから、「江南の工場で原爆開発をしていた」のであれば、チッソしかありません。

 今、官僚の問題が注目されていますが、原子力官僚を一人知っておいて下さい。梅澤邦臣という人物です。この男は、1970年代に日本の原発のほとんどを建てた原子力官僚のNo.1です。科技庁の原子力局長を経て事務次官、つまり官僚のトップになった人物です。東海村、敦賀、美浜、福島、大飯、島根、玄海、浜岡などの原発計画の着工時、すべてこの男が関与しています。

 彼には梅沢純夫、梅沢浜夫という兄弟がいまして、梅沢浜夫は抗生物質のカナマイシンを発見して文化勲章を受けた男です。梅沢純夫は「微生物化学研究会」の会長を務めていました。梅沢浜夫は「微生物化学研究所の所長」をしていました。この2つの「微生物」というのはどういうことかというと、ここの理事を務めていたのが八木澤行正という薬事審議会の委員で、その息子の2人が微生物化学研究所の所員になっている。実を言うと八木澤行正という人物は、石井四郎部隊長ひきいる関東軍731部隊の植物研究班の班長だった男です。これはほんの一例です。すさまじい人間たちが世の中にはいるものです。それから岸信介。彼がそもそも朝鮮チッソに利権を与えた男ですが、もちろん彼は後に戦犯として巣鴨の刑務所に入りました。そのときに一緒に戦犯として入ったのが満州重工業総裁の鮎川義介、それから久原房之介、彼は現在の原子炉メーカー・日立製作所を創業した人物です。こういう関係にあります。ここに書いてあるのは人間の系図、血縁関係です。彼らはすべてごく身近な一族を形成している。こういう話はわりと有名ですが、ただそれだけではない。ここに東急の五島慶太という名前がありますね。その息子の五島昇が後を継ぎましたが、この五島昇の親友が誰かというとエイズ研究班班長の安部英です。なぜかというと、皆、当時の軍人仲間であるからなんです。血友病総合普及治療会はそういった連中の巣窟になっている。そして血友病の患者さんたちが大変な被害を受けてきた。こういう構造ですが、こういう人間たちが日本のエリート社会を形成している。

 もうひとり、宗像英二という人物、当時朝鮮チッソの幹部だった男がいます。彼は戦後どうしたか。水俣病のチッソをつくったのは野口遵という人物ですが、その野口がつくった野口研究所の理事長だったのが宗像英二です。当然のことながらチッソの幹部です。その時代に水俣病が大量発生している。つまり、水俣病をずっと覆い隠そうとしてきた大犯罪者です。この男はその後原子力研究所の理事長になっています。不思議なことではないですか。つまり水俣病の問題を起こした人物と原子力にかかわる人物が過去の犯罪者そのままです。731部隊の残党が全部入っている。これが現在の官僚組織まで引きずってきている。もっといいますと、建設会社まで全部引きずってきているわけです。

 ここに日本チッソ肥料専務、朝鮮チッソ肥料建設部長、久保田豊という名前があります。この男はアジア開発、ODAの問題に取り組んでいる方ならよくご存じの大犯罪者です。「教えられなかった戦争」という映画があってそのフィリピン編の中に出てきますが、戦後ODA開発でアジアに公害輸出をしてきた人物です。あるいは話は変わりますが、ここに石井四郎がいて、ここについ先日逮捕されましたミドリ十字の元社長松下廉蔵がいます。彼らは一族を形成してるんです。これは血縁関係を書いたものなんですが、731部隊とミドリ十字がこういう関係にある。

台湾に原発輸出を行うということで、これは全く許せないことです。今日から環太平洋原子力会議が行われますが、その主催者である原産会議を動かしてきた有沢広巳、学術会議をリードしてきた伏見康二、茅誠司、こういう人物について我々は学者だと思っていますが、そうではなくて、彼らはこういう家系をとりもっている。ほんとに身近な人間関係です。私も調べてみてビックリしました。伏見康二と有沢広巳がこんなに身近な親戚関係だとは知りませんでしたが、彼らの間をとりもっているのが鹿島建設や動燃の副理事長あるいは中部電力の取締役といった人たちです。

今、こんな関係が日本の社会にはありまして、それで六ヶ所村、アジア、そしてドロシーさんが先程いわれたようなすさまじい海外での汚染が進行しています。こういうことを私たちは忘れてはいけないし、この構造がわからないと結局は「何故あの人たちはこういうことをいつまでも続けるんだろう?」という疑問を持つことになります。やはり彼らは尋常な人間ではないのだということを共に認識していきたいと思います。私からの話は以上です。どうもありがとうございました。

 


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■アジアへ向かう原子力産業

宮嶋信夫

 ご紹介いただきました宮嶋です。ただいまの広瀬さんの話にもあったように、日本の原発輸出の問題は、六ヶ所あるいはウラン採掘でアメリカやカナダで引き起こしてきた放射能被害など様々な問題を、今度はアジアにもたらすという点で重大であります。

 明日からこの神戸で開かれる「環太平洋原子力会議(推進側)」の中で論議される最大のテーマは「今後のグローバルな原子力の見通し」というテーマです。原発は欧米では停滞しています。特にフランスを除きますとドイツをはじめ西欧全体でも原発はつくらないという方向にあります。この「グローバルな原子力の見通し」という課題はアジアでは今後原子力発電が大規模に推進される、その見通しの下でそれにどう原子力産業界が対処するかというのが中心的なテーマであります。

それにはアメリカのGEやWH、あるいはフランス原子力公社、そういった中に入りまして日本もアジアに原発を輸出していく。これは既に話がでたと思いますけど、台湾でGEが受注した原発に使われる機器は東芝と日立の製品です。しかも初めて日本が開発した柏崎にある原子炉と同じものです。そういう意味ではむしろ日本が中心になって台湾の原発を建設するということになります。問題なのは東芝、日立だけのことではなくて明日会議を主催する日本原子力産業会議、これが随分前から台湾に対する働きかけを行っていて、「日台原子力セミナー」というものを毎年開催しています。今年で9回になりますが、そういったセミナーを通じて台湾の原子力業界や台湾電力など発電業界と日本の原子力業界とは非常に深い付き合いがありますし、こういったことを推進してきた原産会議の主催する会議が明日から行われます。国内で原発業界の利益を擁護する活動を行ってきただけでなく、アジアにおいてこれまでもさまざまな行動をしてきている。しかもそれがチェルノブイリ大事故以降活発化してきているというところに日本の大きな問題があります。

 

原発を誘導する日本の産官複合体

 ご存じのように、チェルノブイリ事故は1986年の4月に起こりました。ところがそれから半年あまりたった1986年11月、原産会議は日本政府に対して政策の提言をしています。「今後発展途上国では原子力発電の需要が増えてくる。各国が発展途上国に対する原発輸出を準備しているので日本もそれに倣い原発の輸出を進めなければならない。そのためには政府がもっと積極的に原子力業界ないし原発輸出に援助すべきだ」という内容です。

これを受けて日本政府はさまざまな財政的・外交的援助を行うことになった。その一つが今申しました日本と台湾で毎年行われているセミナーです。台湾だけではありません。例えば東南アジアに対しては、インドネシア、タイ、マレーシアといった国々に1986年以降つまりチェルノブイリ事故以降、原産会議は30名程度の代表団を毎年派遣しています。そして相手国の政府および電力関係者に対し、「今後の電力供給は原子力に依存する方向で進めるべき」という内容のセミナーを開く。また科技庁や通産省、外務省はそれぞれのルートを通じて相手国政府に対して日本の代表団を受け入れるよう働きかける。国が支援することで相手国政府を信用させる。こういうやり方で1986年以降毎年、「東南アジア原子力協力代表団」というのを派遣してきた。これは現在原発をもっていない国に対して行っているもので、すでに原発を運転している台湾や韓国に対しては毎年原子力セミナーという形で原産会議自身が行ってきた。このセミナーのテーマは、もちろん技術的問題があります。

  ちょっと話はそれますが、発展途上国の原発は非常に危険です。というのも輸出する側がより利益をあげるため手抜き工事を行い、建設段階、運転段階で様々なトラブルが起こります。また、職員の研修も十分でない。たとえば台湾で建設許可が出されたばかりの第4原発の安全審査において建設予定地の台北県の安全審査委員会は過去の台湾における運転実績からみて「台湾にとって原発は適当な発電方式ではない」と勧告しています。そしてその理由を「研修体制が十分でなかったし、100%海外の技術に依存しているので、いざというとき海外から技術者が来るまで待たなければならない。更に部品や機材の貯蔵もないのでものによっては3ヶ月も待たなければならない」。こういうことを行政機関がはっきり言っている。それに対して台湾政府はその勧告を無視して入札を強行し、GEを通して日立、東芝に発注したわけです。

韓国の場合は、大統領が汚職で捕まりましたが、この汚職の最大の機会が原発建設です。例えばカナダのCANDU炉を発注したときに韓国政府はおよそ800万ドルもの賄賂を受け取ったといわれています。採算を合わせるためメーカーは手抜き工事を行う。部品や機材の補給体制も整えない。職員の研修も十分に行わない。それによってできあがった原発は非常に危険なものとなる。

 

日韓台PA協力

 原子力セミナーでは技術的問題以上に住民対策が主要なテーマとなります。反原発運動を分析し、いかにして抑圧するかということです。例えば日韓原子力セミナーでは、「日本の反原発運動の現状と見通し」について原産会議あるいは原子力文化振興事業団が情勢分析を行う。それに対して韓国側も国内の反対運動について報告する。例えば、「韓国の場合独裁体制の下で原発を推進してきたから独裁体制がつぶれたとたん一気に反対運動が盛り上がった。しかしそれに対処する経験がなかったため我々としては非常に困った。そういうときに日本の経験を教わっていれば非常に役立っただろう」と言っている。一方日本側は、「チェルノブイリ事故直後の運動が高揚した時期に、反対運動を担っているのがどういう階層の人々であり、地元にどういう働きかけを行っているのかを徹底的に分析した。その結果地元の自治体、住民に対していわゆるPA活動を強化した。またマスコミやオピニオンリーダーといわれる人々に働きかけた結果、日本では1989年以降反対運動は沈静化した。日本は成功したんだ」という情勢分析を行った。そこで「韓国と日本の推進側が現在直面している一番大きな課題は反対派住民にどう対処するかということであるからお互いの経験を交流しあいましょう」という話になった。

これは台湾でも同じです。台湾には核廃棄物貯蔵場のある蘭ゆ島という島があるんですが、そこの先住民族のタオ族が反対運動をやってるんですが、その人たちを日本に招待する。また、原発予定地の住民を日本に招待する。そして浜岡など各地の原発をみせて原発がいかに安全か、原発立地がいかに地元経済を潤すかをアピールする。

私が以前韓国の霊光に行ったときにもそういう地元の人に会いましたが、そういったことで日本が立地地域の住民をいかにして原発賛成にしていったかという経験を韓国、台湾に提供する。そういうやり方で日韓台の推進側が協力しあっているということを認識する必要があります。

 要するに、日本が現在力をいれているのは国内での原発推進もありますが、同時にアジア的規模でいかにして原発を推進していくかということです。すでにアジアでは米、加、仏などの原子力メーカーがし烈な売り込み合戦を繰り広げています。それに対し日本のメーカーがその中でいかに競争に打ち勝っていくかということが現在原発推進側がすすめている重要な活動でありますし、明日以降の国際会議はまさにそのための舞台になることは間違いありません。

 そういった日本の原発推進の動きは特にチェルノブイリ事故以降顕著に見られます。欧米では事故後、原発の危険性を認識し、それまでの「積極的推進」を見あわす動きがみられたんですが日本では全く逆です。何故なのか。原産会議が目指しているのはこういうことです。国内では反対運動が強くなってこれ以上あまり原発建設はできない。そこで日本の原子力業界の利害を擁護するためアジアに輸出する。更には世界の原子力のけん引者となる。これははっきり言っています。原産会議だけでなく科技庁も言っている。「欧米で原子力が停滞している中、日本が世界の原子力の研究センターとしての役割を担おう。そのためにも原発や核燃料サイクルは必要だ」。

産業界も同様のことを言っている。そのことをはっきりと示したのが去年の原産会議の年次大会です。この年次大会は「アジアと原子力」というテーマで、日本がいかに技術水準が進んでいて日本の原発がいかに安全かということをアジアに向けてアピールした。そして日本もいよいよ輸出の時代になったと宣言したのが特徴です。

しかし去年の12月に起きたもんじゅ事故をみても明らかなようにそれがいかに空虚なものかはっきりしている。ところが原子力産業界としては、たとえば日本の自動車や家電業界などが世界を制覇した。これと同じような役割を原子力の分野でも担うんだという自負をもって推進してきている。ですからチェルノブイリ事故が起ころうが世界が停滞しようが日本では半ば無視しながら原子力発電を推進する。この一番大きな要因はというと先程の話とも関連しますが、原子力業界の利害です。アジアには2010年までに約1兆2千億ドル分の電力需要があり、その3分の1を原子力で賄うとしても約4千億ドルのマーケットとなる。

 

具体化した日本の原発輸出

世界最大の、そして最も成長する市場としてアジアがある。このアジア市場を制覇するという意図をもって推進している。ですから安全性や技術的な問題よりも経済性が優先する。また日本では原子力産業はもっとも寡占的な体制が形成されています。PWRなら三菱重工ですしBWRであれば東芝、日立です。ですから彼らの利害が直接国の原子力政策を左右することになる。日本政府は今後の電力供給の中心に原子力を据え、石油火力発電を10%にまで引き下げる。そして2010年までに原子力発電を7000万kWにするという目標を立てています。また、原発推進のために国の予算が毎年4千億円以上使われていますが、その予算は電源開発促進税で電力料金によって保証されています。そういう寡占的な体制をつくりあげ、いかにして利益を得るかという構造ができあがっている。そういう構造の中での国内の原子力の停滞は、すぐに輸出へと方向転換する。ですから日本の最近の動きは輸出に際しても国が援助するということになります。

去年の6月に総合エネルギー調査会は原発輸出を日本のエネルギー政策の一部として位置付けました。具体的にはどういうことかというと、輸出に際しては2年間据え置きの15年返済という非常に低金利な融資を輸出入銀行からうける。そして輸出した原発がトラブルを起こし損害を受けたとしても貿易保険によってメーカーの利益は保証される。つまり国家が全面的に援助して原発輸出がすすめられようとしている。こういうシステムを去年の6月に発足させた。その第一弾が今回の台湾への輸出で、さらに今後は中国、インドネシアなどに対して原発輸出が進められようとしています。

 もうひとつ問題なのは原発を輸入する国と輸出する側の関係であります。「原発を輸入しようという国が原発をつくろうとするから仕方がないのではないか」という意見を日本経済新聞が書いていますが実はそうじゃない。原発をつくろうとする国はだいたい資金的な余裕がありません。「原発へ」という動きは実は輸出国の工作により作られるのです。輸出国の誘導によって輸入国は原発を受け入れさせられる。台湾にしても韓国にしてもそうです。アメリカが台湾、韓国政府に非常に影響力をもっていた時期にアメリカ政府とアメリカの原子力産業の誘導によって原発がつくられた。本当は火電でもよかったのだけども、ある意味で「冒険」として原発を受け入れた。

その結果として様々な技術的な問題が起こった。例えば韓国の古里の原発では設計ミスや部品の不備など輸出側のミスによって何度も運転がストップした。また、補修する部品の補給体制がないのでアメリカから取り寄せなければならかったり大変な苦労を強いられた。

それと同じようなことをこれから原発を輸入する国々は体験せざるをえない。現に日本の東南アジア原子力協力代表団はタイに対して、「こんなやり方で原発あるいは放射性物質を管理していくならば、日本の協力を考え直す必要があるのではないか」といっている。それぐらい基礎的な条件がないままで「原発を買いなさい」という宣伝を行っている。インドネシアにしてもしかり。

ですから東南アジアに対する原発輸出というのはまさに輸出する国の利益のためであって輸入する国の利益ではない。事実、アジアのこれまでの原発輸入はそれぞれの国の利益になっていません。それを日本の政策担当者さえ指摘している。そのようなことを今度は日本がやろうとしている。これは今後、日本がアジアの人達から大変な糾弾を受ける要因になるのではないか。日本の原発業界の利益のために放射性物質の管理も十分でない、研修体制も十分でない、部品の補給体制も十分でないままで原発輸出を行えば、結局は放射能汚染を引き起こすし、その責任は日本が負わなければならないのです。

第1回ノーニュークス・アジア・フォーラムのときにインドネシアの人たちは言いました。

「日本は第2次世界大戦で大変な被害をアジアの民衆に与えた。その被害に対する反省も謝罪もないままで、今度は原発輸出によって利益を得ようとしている。これはアジアに対する新たな犯罪ではないか」

そういうものとしてアジアの人たちからは見られている。そういう、国内でさえ大変危険なものをアジアに対して輸出しようとしているんだということを私たちは警戒しなければならないし、対処策をこれから考えていかなければならないと思います。

http://japan.nonukesasiaforum.org/japanese/pbnc/second/second.html

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