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「紀伊山地の霊場と参詣道」世界遺産登録推進【和歌山県世界遺産登録推進協議会】
http://www.asyura2.com/0311/ishihara7/msg/185.html
投稿者 エイドリアン 日時 2003 年 12 月 12 日 12:36:00:SoCnfA7pPD5s2

(回答先: 高野・熊野地区世界遺産登録 地域づくりにどう生かすか考えるシンポ 白浜町/和歌山【毎日新聞】 投稿者 エイドリアン 日時 2003 年 12 月 12 日 11:58:27)

  [紀伊國伊都郡 丹生都比女神社 和歌山県伊都郡かつらぎ町上天野230]
  http://www.genbu.net/data/kii/nyuutu_title.htm

●紀伊山地の霊場と参詣道

 日本列島の本州最南端、東経136度線に沿って北から太平洋に張り出す紀伊半島の大部分は紀伊山地と呼ばれている。そこは標高1000〜2000m級の山脈が縦横に走り、年間3000mmを超える豊かな降水量が深い森林を育む山岳地帯である。
 紀伊山地は太古の昔から山や岩、森や樹木、川や滝などを神格化する自然信仰の精神を育んだ地で、日本の古代国家の宮都が置かれた奈良盆地のすぐ南に位置することから、宮都の人びとにも神々が籠る特別な地域として信仰されるようになった。
 そのような背景の下に、6世紀に日本に仏教が伝来し7世紀後半に国家を鎮護する宗教となって以降、紀伊山地は仏教の山岳修行の場となり、9世紀に伝えられた仏教の一宗派である真言密教もまたこの地を山岳修行道場として定着した。
 10世紀中頃から11世紀代には、日本古来の山岳信仰に密教や中国伝来の道教の神仙思想などを採り入れた修験道が日本固有の宗教として成立した。修験道は山岳修行により超自然的な能力を獲得することを目的とする宗教で、紀伊山地の中でも特に大峰山系の山岳地帯が中心的な修行の場となった。
 また、9〜10世紀にかけて仏教の影響が優勢となるにつれ、日本古来の神々は仏教の諸尊が姿を変えて現れたものとする日本固有の「神仏習合」の思想が広く流布することとなり、紀伊山地はその聖地としても信仰を集めるようになった。
 一方、10〜11世紀頃の日本では仏法が衰え世も末になるという「末法思想」が流行し、死後に阿弥陀仏の居処である極楽浄土に往生することを願う「浄土教」という仏教の教えが貴族や庶民の間に広まった。これに伴って、都の南方に広がる紀伊山地には仏教諸尊の浄土があると信じられるようになり、この地の霊場としての性質がいっそう強まった。紀伊山中のみならず、さらに南の海の彼方にも観音の居処である補陀落浄土という仏国土が想定されるようになり、紀伊半島の海岸から渡海往生を夢見る僧侶が南海に船出を試みることもあった。この地方の神聖性が仏国土である浄土と関連づけてことさら重要視されるようになった背景には、深い山々が南の海に迫るという独特の地形や、両者が織りなす対照的な景観構成などが大きく影響していたものと考えてよい。
 このような特有の地形及び気候、植生などの自然環境に根ざして育まれた多様な信仰の形態を背景として、紀伊山地には「吉野・大峯」、「熊野三山」、「高野山」と呼ばれる顕著な三つの霊場とそれらを結ぶ「参詣道」が形成された。

 「吉野・大峯」は紀伊山地の最北部にあり、三霊場の中でも最も北に位置する。農耕に不可欠の水を支配し、金などの鉱物資源を産出する山として崇められた「金峯山」を中心とする「吉野」の地域と、その南に連続する山岳修行の場である「大峯」の地域からなる。修験道の中心地として発展し、10世紀の中頃には日本第一の霊山として中国にもその名が伝わるほどの崇敬を集めるようになった。また、日本各地から多くの修験者が訪れる所となり、全国各地には「吉野・大峯」をモデルに山岳霊場が形成された。
 「熊野三山」は紀伊山地の南東部にあり、相互に20〜40qの距離を隔てて位置する「熊野本宮大社」、「熊野速玉大社」、「熊野那智大社」の三つの神社と「青岸渡寺」及び「補陀洛山寺」の二つの寺院からなる。三つの神社はもともと個別に自然崇拝の起源を持っていたと考えられるが、10世紀後半に仏教の影響を受けて互いに他の二社の主祭神を合祀するに至り、それ以来「熊野三所権現」として日本第一の霊験を以て崇められるようになった。また、青岸渡寺と補陀洛山寺は神仏習合の過程で熊野那智大社と密接な関係を持つようになった寺院で、特に補陀洛山寺は南の洋上に補陀落浄土を求め死を賭して漕ぎ出す「補陀落渡海」信仰で知られた寺院である。「熊野三山」への参詣は、11世紀に皇族及び貴族の一行が修験道の行者に導かれて盛んに行うようになったのをはじめ、15世紀後半には庶民が中心となり、16世紀以降は「熊野比丘尼」と呼ばれる女性布教者の活動などによって大いに活況を呈した。その有様は、「蟻の熊野詣」と呼ばれるほどであった。また、「熊野三山」の社殿は他の神社建築に類例を見ない独特の形式を持ち、全国各地に勧請された約3000ヶ所以上の熊野神社における社殿の規範ともなった。
 「高野山」は「吉野・大峯」の西南西約30kmに位置し、空海(774〜835)が唐からもたらした真言密教の山岳修行道場として816年に創建した「金剛峯寺」を中心とする霊場である。空海は日本の歴史上最も広く知られた高僧のひとりで、金剛峯寺は空海に対する信仰の聖地となっている。金剛峯寺の伽藍形式は、真言密教の教義に基づき本堂と多宝塔を組み合わせた独特のもので、全国に4000ヶ寺ある日本の真言宗寺院における伽藍の規範となった。また、キリスト教を日本に伝えた宣教師フランシスコ・ザビエルが1549年にインドのゴアに書き送った書簡には、高野山は日本の六つの主要な大学の一つとして紹介されている。
 三つの霊場に対する信仰が盛んになるにつれて修行者や参詣者が増加し、「大峯奥駈道」、「熊野参詣道」、「高野山町石道」と呼ばれる三種類の参詣道が整えられた。参詣に際しては、口にする食物や行為を自ら制限し、心身を清浄に保つことが求められた。したがって、これらの参詣道は人々が下界から神仏の宿る浄域に近づくための修行の場に他ならず、他の地域における一般の街道とは明らかに性質を異にしていた。

 以上のように、紀伊山地の霊場は主として修験道の拠点である「吉野・大峯」、熊野信仰の中心地である「熊野三山」、真言密教の根本道場である「高野山」の三箇所からなり、これらの三つの霊場とそれらを結ぶ「参詣道」は一千年以上にわたり夥しい数の信仰者を惹きつけ、日本人の精神的・文化的な側面における発展と交流に極めて重要な役割を果たしてきた。
 また、日本古来の自然崇拝の思想では、深遠なる常緑樹叢及び峻厳なる岩塊に覆われた山、山肌に露出する特定の巨岩及び水量豊かな滝、巨大な老木などの自然物又は自然の地域に神が降臨するとされ、本資産を構成する要素の中でも、特に熊野速玉大社の「ゴトビキ岩」や熊野参詣道沿いの「七里御浜」に臨む「花の窟」、「那智原始林」及び「仏経嶽原始林」、「那智大滝」などは、このような自然崇拝の思想に基づく典型的な事例である。これらの神聖視された場所は後に神社の神域として発展し、中国大陸や朝鮮半島から伝来した仏教とも融合する過程で、日本固有の修験道などの山岳信仰における行場としても重視されるようになった。これらの行場又は霊場が所在する地域は極めて深遠な自然の山岳地帯にあり、場所が持つ強力な神聖性の故に顕著な文化的景観を形成している。


●世界遺産暫定リスト

 世界遺産登録の手続の第一段階として文化遺産については、各国は、登録の推薦を予定する資産を記載した「世界遺産暫定リスト」をユネスコに提出しなければなりません。
 これまで日本は、平成4年に10件、平成7年に1件を世界遺産暫定リストとして提出し、うち9件がすでに世界遺産として登録されています。(自然遺産については暫定リストなしで登録)
 このたび、文化庁は、ユネスコ世界遺産センターに次の3件を提出し、平成13年4月、ユネスコの世界遺産暫定リストに記載されました。

  <追加資産>
      「紀伊山地の霊場と参詣道」(和歌山県、三重県、奈良県)
      「平泉の文化遺産」(岩手県)
      「石見銀山遺跡」(島根県)

http://www.sekaiisan-wakayama.jp/zantei.htm

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